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ふぁんたんさん のコメント

号外の配信ありがとうございます。
『きれい』と『美しい』の違い。
前号で質問させて頂いた「絵の下手な私の子どもについて…」と併せて深く考えさせられました。
デッサンが整ったきれいな絵を描かなければ…。
絵心が無い自分のコンプレックスにとらわれ過ぎて、子どもを傷つけた事に改めて気が付きました。

『 【回答・よしりん】
 デッサン力があることと、絵が上手いことは違いますから、子供の絵を上手い下手で評価しない方がいいと思いますよ。
 嘘をつくというより、他人と比較しないで、自分の子の絵の素敵なところを、発見してあげた方がいいです。』

先生から回答を頂いた後、娘に女の子の絵を描いて欲しいと言われ、渋々書いたところ、娘は「お母さん上手いやん!」と言って「これ取っておこう」と、引き出しにしまいました。
娘は下手な私の絵を褒めてくれたのです。
娘には美しい心があり、私は相対的価値しか持っていない…。恥ずかしくなりました。
美しいものが分かるようになるには、心も美しくなければならないと気が付きました。
私はおぼっちゃまくんのアニメは妹が見ていたので一緒に観たことはあるのですが、コミックは読んだ事ありません。
だからコロコロアニキでの新作が初めてのおぼっちゃまくんです。(わしズム以外)
ぜひ娘と一緒に読みたいと思っています。
そして(応募は抜きにして)娘がどんな茶魔語を考えるか、どんな絵を描くか。楽しみです。
そしてどんな絵を描いても沢山褒めてあげようと思っています。
No.84
102ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2016.5.17) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」 2. もくれんの「ザ・神様!」・第81回「ミエテルと逆転~となりのおじさん孤独死事件5」 第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」  岡本太郎がこう言っていた。 『ゴッホは美しい。  しかしきれいではない。  ピカソは美しい。  しかし、けっして、きれいではない。』 『おぼっちゃまくん』を30年ぶりに復活させる。「わしズム」でたまに軽く描いてみたりはしていたが、今度は本格的である。 「コロコロアニキ」という雑誌の7月15日発売号に33ページのボリュームで描く。  その後も月2本のペースで描きためて、全編新作描き下ろしの単行本『おぼっちゃまくん』を出そうと考えている。  ギャグ漫画の描きおろし単行本を出すということが、かつてなかったことだし、画期的な企画だろう。 『おぼっちゃまくん』のファンが現在、30代、40代になって、子供も育て始めた頃であり、 「大人と子供が一緒に笑える格差社会のギャグ漫画」 として、世の中に出すのだ。  ただひたすら屈託なく笑える単行本を作ってみようと思う。 「コロコロアニキ」での復活に向けて、編集部が茶魔語募集をやっていたが、7月発売号で『おぼっちゃまくん』特集の別冊付録が付いて、そこで優秀作が発表されるらしい。わしも選ぶだろう。   しかしこの茶魔語にも時代の弊害が現れるなぁと思うのだが、昔は「はがき」に茶魔のイラストと共に茶魔語が描かれていたのだ。  子供の絵だから、ヘタクソでも、全然かまわなかった。  デッサンと、絵の上手さや魅力は違う。ニュアンスが表現されていたら、それで可笑しみが伝わるのだ。  ダジャレそれ自体は大して面白くなくても、その表現の仕方が面白いのが茶魔語だった。 子供たちは全員、絵を描いてきてたのだ。  茶魔語と単なるダジャレの違いを今も多くの人は分かっていないだろう。 「おはヨーグルト」 と文字で書いても、その面白さは伝わらない。  ところが、茶魔にパジャマを着せて、黒目部分を大きくして、ヨーグルトを片手に持って、ぼやっとした感じで 「おはヨーグルト」 という言葉を発している絵を子供は描いてきていた。  その絵を見た瞬間に、可笑しみが伝わったのだ。      
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!