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「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」小林よしのりライジング号外
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第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」
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お昼に配信ありがたまきーーーーん!!!
一番げっとーーー!!!
2ばん??
1番ならず、3番でした。
わぁー、三ばんだあ!✴❗
違った。四番だった。(-_-)
よしりん先生が引用された岡本太郎の言葉は確か『今日の芸術』という本の中の一節だったと記憶してます。
岡本は当時の「何でも綺麗に仕上げる」ことを旨とした美術教育のあり方を批判してます。近代化が進んだ戦後日本で、小綺麗にまとまったお行儀のいい美意識が広がりつつあった状況を彼は猛烈に批判してます。
確かに、今の日本は良くも悪くも綺麗になったのですが、人間が本来持っている生へのバイタリティは失われています。不景気という状況で若者に活力がないのも、バイタリティが抑圧されて皆平均化されお行儀が良くなり小綺麗になったことと無縁ではないのです。
おそらく、学校教育の現場で無難で平均的で周りとの協調性を重んじる教育方針になって、子供が本来持ってる無軌道なやんちゃさを去勢して管理されやすい人材を量産しようとしてることも関係があると思います。でもそれはだらしない大人の従順な僕になってくれる都合のいい若者を期待してるという大人のエゴです。
岡本太郎と同世代の寺山修司も『書を捨てて街へ出よう』という本を書いて、大人に虐げられていた当時の若者の野性を取り戻そうと挑発してます。
よしりん先生のゴー宣シリーズって、岡本や寺山の思想を引き継いで若者を挑発する思想だと言えます。
よしりん先生はバブルの頃、アッシーやメッシーや貢ぐ君に成り下がった若者の男性について「周りとの協調性を重んじて無難に平均的に生きよという学校教育が間違ってる」とゴー宣の前身である宝島の「おこっちゃまくん」で述べておられます。
その傾向は今ではますます悪化して、去勢された若者が厚かましいじじばばのわがままに振り回されてる社会になってしまってます。
ネット社会になって、皆悪意に満ちた少数者からの炎上を恐れてゴーマンさを失ったお行儀のいい発言しかしなくなってます。
そんな中で蘇る御坊茶魔が、この状況をいい意味でかき回してくれないかな、と期待してます。
私の5歳の甥っ子が、既成概念を超えたいい意味で無軌道な絵を描きます。
でも例えば小学校に上がると美術教育ってやはり整った綺麗な絵を描かせるんですよね。
甥っ子の才能が潰れないいいけど。
今回のゴー宣、ごーまんすぎるどころかこれまでの論争、そして最近の話題に通底するテーマの軸になるものの1つのようなきがする。おぼっちゃまくんとともに、ちびっこの怒りを代弁するおこっちゃまくんも復活してほしい。
もしや、四つ目の意見は
頭の中の四分の一が「H」の
異常天才な先生の意見じゃなかろうか?
>ネットの応募では、ピカソみたいな子供の絵の表現力が活かされない。
実は「はがき」だから生まれたのが茶魔語だった。
かつて名作茶魔語「頭に北半球!」を投稿した子が、「北半球型の帽子をかぶせた絵で投稿したんだけど、漫画になったら頭ごと北半球になってて驚きました。」と書いていたのを覚えています。より効果的にアレンジしておられたのですね。(あの子もすでにおじちゃんになってるのでしょう)
茶魔語には葉書投稿の子供の絵が不可欠だった。---「トドメをさす」とか「肉たらしー」の原画も迫力あって可笑しくて印象に残っています(コミック版で見ました)。小賢しいダジャレとは別物。子供の絵は感じたものがモロに出て、力があります。
「ゴー宣道場」申し込みも初期は往復はがきで、半券が入場証でした。受付係をしていると、自筆の宛名(自名)は「きれいな文字」はまず無かったです(あ、失礼;;)。でも「参加したい!!」の熱意が躍っていました。その文字・お顔・参加名簿を照らし合わせて「こんにちはー(^-^)」とにこやかにお迎えしておりました。
わずか数年の間に当選確認も、プリントアウトした紙面さえ減り、スマホ・タブレット画面そのものが多くなっています。
ああ、自筆の「葉書」でこそ滲み出る“情報以外の大切なもの”を求めるのはもう無理なんですかね・・
これがホントの「悪ハガキはやめろーっしゅ!」(悪あがき;;)でしゅかね・・。
『キレイと美しいは違う。
盆栽の松はキレイ。
自然の松は美しい。
ほとんどの女性はお化粧をしたら皆キレイ。
本当に美しい女性はお化粧をしなくても美しい。』
私の空手の師に言われた言葉を思い出しました。
隣のおじさん事件のなんたる展開!まさかの新キャラ「ミエテル・ヲ・ミチャッテル」が気づかぬうちに誕生ですね。
ライジング号外ありがとう御座います!
「「きれい」は相対的価値しかもっていない。」
感動的な回でした。
美しいとは何なのか?
茶魔語から、ここまで哲学的で人間存在が浮き彫りになるような
考察に発展するとは想像できず純粋に感動でした。
私の大好きな漫画原作『風の谷のナウシカ』のラストに
今回のテーマにとっても通じる問答があります。
戦争を起こさない人造人間に人類を入れ替えようとする
人工知能とナウシカの問答です。
「生命は光だ!」
「ちがう! いのちは闇の中の瞬く光だ!」
宮崎駿にしろ極める人は
「美しい」の本質を考えるのでしょうか。
号外配信、どうもありがとうございます。
今号のゴー宣は深い…。岡本太郎氏の言葉は、一字一句、心に突き刺さります。真剣に生きてこそ、美しいのでしょうね。見ている者の心に響くのでしょうね。逆に醜い人間は生きることを放棄しているのだと思いました。今の日本には醜い人間が溢れかえっているような気がしますが…。
生活していて、たまに周りの人間の行動や言葉に、いたく感動してしまうことがあります。あれは美しさを感じたからなんだろうなあ、と思いました。
先生の作品で、脳裏に何かを強烈に刻まれたものは、圧倒的に『卑怯者の島』でした。
木蘭先生のミエテルとアヅマさんの話まで付いてくるなんて‼ 何てお得な号外なんどあ‼
\(T▽T)/
さて、どんな展開になるのだろう…♪ 夜中の休憩時間にゆっくり読ませて頂きます♪
(*´∀`)σ)□´●)←アヅマさん
配信お疲れ様です。リゾートいいですね。のんびりしたいなあ。
もくれんさんのミエテル・ヲ・ミチャッテルのオチはよろしかですね。さしずめ我々はミエテル・ヲ・ミチャッテル・ヲ・ミチャッテル、でしょうか。そしてエンドレスに続くのです。恐ろしや。
私は趣味で写真を撮りますが、正直薔薇よりも路傍の草花のほうが美しいと感じることが多々あります。雑草は頑張って生きているからとかいう薄っぺらい論理でなく、ただそのままで美しい。草むらの中で、名前も分からないような小さな花が、木漏れ日を一身に浴びて神々しく映える場面に出くわしたことがあります。その時はカメラを持っていなかったのが悔やまれますが、かの名人木村伊兵衛が、カメラはいつでも肌身離さず持っておくのが写真家だ、と生前述べていたのが身に染みました。見惚れているうちに、日は陰り、シャッターは切れなかったのです。
思うに、きれいはいつでもありふれてありますが、美しいは偶にしか訪れない。そういうことなんでしょうね。
号外配信有り難うございますm(__)m
「きれい」文化がデオドラント社会を強化する原動力なのだと思いました。
臭い発酵食品ほど旨いということを知ることと「美しい」を知ることに通じるものがあると感じます。
【ザ・神様】の冒頭部分。
◆18年来の友人の意見。
◆いつも口うるさいオカマの意見。
◆絶世の美女・笹幸恵さんの意見。
と続いて、一番最後の意見は、一体誰なんでしょうか?
木蘭さんの記載ミスでしょうか??
あの猜疑心の強さと、底意地の悪さ!
大悪党に違いない!!
号外配信ありがとうございます!!
今回のゴー宣を読み、やはり茶魔語を絵付きで投稿すべきやった~と悔やみました(涙)
確かに茶魔語は、茶魔という異形キャラを媒体として視覚化することにより、ダジャレの域を超え強烈なインパクトを生んでいます。さらに、茶魔語を絵に結びつけて表現することで、右脳(ひらめきや映像)と左脳(言語)を同時に刺激し、ひいては茶魔語を考えることが国語力を鍛える結果に繋がります(このことは、以前ゴー宣で触れられていたと記憶しています)。
いやー茶魔語って、本当に素晴らしいですねぇー(淀川さん風)。
岡本太郎さんの言葉ははじめて知ったのですが、これは真理だと感じました。
私は今、教育心理学者のトリイ・ヘイデンという人が書いた「よその子」というノンフィクションの本を読んでいます。
高校生の時に初めて読み衝撃を受け、それから今までに何度か読み直している、大好きな本です。
内容をざっくり言いますと、自閉症の男の子、読字障害女の子、幼い頃に父と兄を継母に射殺された過去を持つ粗暴な男の子、12歳で妊娠し鬱となった女の子など、学校教育の枠組みからはみ出してしまった子供達が小学校の補習教室にやって来て、そこを受け持つトリイとの心の交流をするという話です。
補習教室では様々なすれ違いや悲しい事がたくさん起こり、子供達やトリイの心や体はその度に深く傷つきますが、そんな中でもトリイは度々、子供達のことを「美しい」と言い表します。
『ほんとうに生きようとする人間にとって、人生はまことに苦悩に満ちている。
矛盾に体当たりし、瞬間瞬間に傷つき、総身に血を吹き出しながら、雄々しく生きる。
その姿はほとんど直視にたえない。
最も人間的な表情を、激しく、深く、豊かにうち出す。
その激しさが美しいのである。高貴なのだ。』
トリイの心を絶えず揺さぶり続けた補習教室の子供達の「美しさ」と、岡本太郎さんの「美しさ」を定義した言葉は、完全一致するように私には思えます。
『「美」は人間の生き方の最も緊張した瞬間に、戦慄的にたちあらわれる。』
最後の一文は、小林先生が以前仰っていた「闘う魂こそが輝いている」にも通じる力強さがあります。
ありがとうございました!
もくれん先生の「ザ・神様!」、「ミエテルと逆転」ってそういう意味だったのかぁ!
最後のオチを読み電車の中でフフフと笑っちゃいました。ミエテルも闘う相手を間違えましたね。
絶世の美女・笹師範の天使の意見や、ワシデスの遠慮知らず猜疑心丸出しの意見も登場し、何かと豪華なのも最高でした。
「きれい」と「美しい」の違いか。難しいけど、説明されるとひたすら納得です。茶魔語の件が、時代の進歩が必ずしもよいことだとは限らないという典型例なのが寂しいですね。
連投失礼します。
最近のもくれん師範と笹師範の、淑女画報に関するブログ上のやりとりが面白すぎますね!
テレパシーとか無線とか伝書鳩とか(笑)
私も笹師範の日常を綴ったブログが好きなので、続報望ムです。楽しみにしています。
また、切通師範の道場に関するブログも、他の師範にない独自の視点があり好きです。楽しみにしています。
こんにらは。
『きれい』と『美しい』…
いままで意識して分けて考えたことはなかったです。言われてみれば確かに違いますよね。
僕に絵心はなく小学中学と図工や美術の評価はよくなかったです。何をもって評価するかといえばやはり『きれい』か否かだったと思います。でもこれって才能もそうですが、芸術に親しむ心も摘み取ってしまいかねません。僕の場合、中学で描いたのを最後に30年くらい絵は描いてません。
前号のQAにあったよしりん師範の「自分の子の絵の素敵なところを、発見してあげた方がいいです」。感動的な回答でした。僕の親や当時の教師たちに聞かせてやりたいものです。
それはそうと、ネット(デジタル)が発達して便利になった反面、情緒はなくなりましたね。たまにFBやTwitterでの感動話しみたいのをニュースで紹介されたりしているのを目にしますが、なんか白々しいと感じてしまいます。
よしりんと子供たちのハガキ(アナログ)を通したコミュニケーションのエピソードにはほっこりしました。
号外配信お疲れ様です。
何年かぶりに見る茶魔語は今見ても十分面白いのですが、よくよく見てみると「こんにチワワ」も「なんて骨体」も絵そのものに違和感が全く無いんですよね。
なるほど、よしりん先生が自身をピカソに例えるのも解る気がします。
私はよしりん先生やピカソの絵が美しいのも、子供の絵に何故か魅力があるのも、常識とかデッサン等に囚われていない、潜在意識がそのまま表れているからではないかなと思っています。
最後にピカソの名言を紹介してみます。
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。」
号外配信ありがとうございます。私は二十歳位の時から「美しいというものは存在するだけで見る者の魂を強く揺さぶるものだ」と思っていたので、女に美しいは分からない、と言われると少々腹立たしく思います。まあ私の場合は、舞台上でのみ大輪の華を咲かせる存在を知っていたからなんですが(歌舞伎の女形で現在人間国宝)、あちこち整えれば周りからキレイと言われやすい環境にいると、分からなくなるのかもしれませんね。キレイは相対的、という話にも深く頷きます。それと学校の美術教育については、担当教師の考え方で評価基準に幅があると思います。これは私の子供の場合ですが、
すいません。うっかりコメントを押してしまいました。続きです。私の子供の場合、デッサン力とは無縁の絵を描いていましたが、独特の絵ですね、と野放しでした。これは個性を育てるとかではなく、矯正の幅が大きい子に手をかけるより、キレイな絵を描ける子をよりキレイに描けることに力点を置いていたからだと思います。中学生の時は受験科目ではないため、熱心に取り組んでいる子の評価が高いようでした。これもまた別の相対的価値の表れですね。
じゃあピカソは子供の頃どんな絵を描いてたんだ?
と思って【インターネット】を使い覗いてみたら『アラ上手』
ピカソスゲーな、と思ったついさっきでした
スタートが『きれい』な絵なんて
ズルいぜピカソ
うっかりしてました。わたし、リアル『おぼっちゃまくん』世代でありながら、今こうして「ゴー宣」で配信されるまで、『茶魔語』の魅力の源泉が読者さんのハガキの絵にあることに気づきま千円でした。
まさに『なんて骨体』!
こうなったら自分で自分を叱るしか有馬温泉です。
『このう漬け物ぉ』!
そうとも知らず、イラスト抜きで安易に語感だけを頼りに茶魔語を投稿してしまった自分に反省。
『このう漬け物ぉ』!
茶魔語
「そんな事はナイチンゲール!」
それより、清原和博被告の初公判が有りましたが、Twitterでは、批判の嵐が殺到!
どんな批判の内容か。
「心が弱かったのかよ!」「心の隙間を埋めるために使ったのかよ」
私の批判は違う!
「更正だと!裁判で入手ルート喋らなかったり、更正したいと思います?ふざけるな!二度としないと誓いますが普通だろう!」
ちなみに、前者の批判は的ハズレだ。
みんな匿名で清原和博被告に、石を投げてますよね。
この人達は、キリストの話を知らないんでしょうね。
「今石を投げたヤツ、罪を犯してないヤツだけ、石を投げろ!」
長期休暇中のさ中でも、配信ありがとうございます。
『はがき』だからこそ生まれたのが茶魔語─この視座は盲点でした。
ネットでは表現力が活かされない─昨今のネットによるゴミみたいな意見には表現力があからさまに欠如しているのは、先生のゴー宣から繰り返し学んできたことですが、なぜネットでは表現力が欠如するのか私には今一つつかみ切れないでおりました。
しかし今、その答えが分かってきました。「絵」だったのですね。
百万の語よりも、読者がこれだったら絶対笑わせられるだろうとひと手間もふた手間もかけた、一枚の絵。
きっと当時の読者は、へたでも一生懸命だったに違いないし、苦労して、それこそ汗と涙と血のにじむような思いで絵を描いて、採用されるようポストに向かって祈る読者がいたことが容易に想像がつきます。
よしりん先生はそういう子供の心を大切にしていたのですね。
今号のゴー宣でまた大事なことを学びました。
「きれい」と「美しい」は違う。なるほどです。そういえば昔のコロコロやジャンプ、サンデーやマガジンだって「きれい」な漫画はなかったように思います。
先月、『コロコロアニキ』を買ったのですが、私の知っている漫画家さんに較べて知らない─新しい漫画家さんの絵は総じて「きれい」でした。
女の子の胸がボインすぎ(←そこか笑)て、却って違和感がありました。いや、女の子だけでなく男キャラも、子供キャラでさえ、イケメンすぎて違和感アリアリです。
漫画だけではないのかもしれません。郊外の町へ行くと、消防署とか地域の児童館とか公共施設の掲示板に張られているポスターの絵だって、子供が描いているのでしょうが、昔は素朴な雰囲気でそれなりに味のある絵(←ぶっちゃけて言えばヘタクソな絵)が多かったのに、今では少年ガンガンとかアキバや有明とかで売られているような「きれいな」絵が貼られて
いて「これ本当に子供が描いたのか?」と私は戸惑いを隠せないでおります。
私の頭が古いのでしょうか?
容姿ばかりでなく、心までも美しいもくれん先生、『ミエテル・ヲ・ミチャッテル』そのネーミング・センスに大爆笑しました!どーしてこんなにハイセンスな、しかも当意即妙的を得た命名を思いつくのか、「しゃべクリスト」の私でも敵いません!
そして本文のミエテル・ヲ・ミチャッテルさんの行為ですが、私の中では「あるある」です!嫌いな人・苦手な人を意識しすぎて、ついその人の行動の一挙手一投足が気になってしまうんですよね。
嫌だったら見なければいい。
頭では分かったつもりでいても、そしてその嫌な人から直接嫌なことをされた(ミチャッテルさんの場合はマーブルチョコですか)り、嫌な言葉を直にかけられたりした時ほど、ますますその嫌な人の行動が気になるものです。
この嫌いな人は次に何をしてくるだろうか、とかね。
私のような小心者はビクビクしてつい身構えそうになります(笑)。そんなにおどおどせず堂々としてればいいのでしょうが、これも人の性というものなのでしょうかね…。
それにしても、もくれん先生のとこの大家さん、超やさしい~。
それにひきかえ、4番目に意見を言った人、超ひど~い(爆)。
きっとその人は頭の中が性悪説で埋め尽くされて、性善説をまるっきり信じていないんでしょう(笑)。
性悪(しょうわる)の異能者ということにしておきます(笑)。
申し訳ありません。
長文のため、一部のスマートフォンなどでは、先のわたしのコメントの文章が全文は表示されないみたいです。
>>30
↑をクリックすれば全文が見られるそうなので、よろしければどうぞ。
時浦さん夫妻は台湾へ行かれたのですね。
よしりん先生が入国禁止処分を受けているだけに、スタッフによる台湾現地報告、これほど有り難いものはありません。
日本統治時代の人が台湾から減りつつある中、台湾も大陸とさほど変わっていないのでは?と思いかけていましたが、その認識は間違っていました。親切な人が大勢いて良かったですね。こちらまでほっこりした気分になりました。
時浦さんの台湾報告第2弾も期待しています。
私事で恐縮ですが、よしりん先生生誕の地、福岡でライブしてきました。
福岡のお客さんは暖かかったです。さすが人情の街です。
天神も薬院も色んな意味で小綺麗な街になってきてます。私は大学が福岡だったのですが、平成初期のあの頃は良くも悪くも猥雑さがあってエロティックな街だったのに、今では何かお洒落な街になってしまってます。でもそんな福岡の綺麗と180度近く違う濃くて面白いメンツでライブをやれて楽しかったです。
シーナ&ロケッツの鮎川誠氏の直系の後輩の方が凄く面白い曲を歌ってました。やっぱり街並みは綺麗になっても福岡の濃ゆい情念みたいなのは死んでないな、と思います。
めんたいロック、恐るべし。
いつも楽しく拝読しています。
いまニュースで、江戸川区のアパートにて、一階と二階の住人同士が、騒音問題で殺人事件にまで発展してしまったと見聞しましたが、となりのアヅマさんや大天使ミエテルや、木蘭さん方に何かあったのかと、ちょっと心配になりました。
今週も、配信ありがとうございます。
ゴー外の配信、ありがとうございました!
休暇中なのに、弛みない濃重厚な内容に感謝です!!あるべき表現にも、あるべき精神にも、あるべき仕事ぶりにも、あるべき人付き合いにも、何にでも当てはまりそうな真実の突きっぷりに、思わず狼狽えました。一読後、『大東亜論』の岡りなや『メンぱっちん』の権屁のパッションを語った言葉など、実に多くを思い出しました。いわゆる「大人」になればなるほど、まっすぐな情熱を美しく表現できなくなるのでしょうね。
「本当の「美しさ」とは何か?」
外見とは別に、圧倒されるほど力強い情熱や溢れ出る生命力には美しさを感じます。でも、やっぱきれいな女性にはつい惹かれるんだよなぁ〜(笑)
ハッとカワイイもくれん先生の『ザ・神様!』、ウケました。
Mieteru O'Michatteru先生は、たぶん本能的にネタを求めて、いつもの抜群に優れたスコープをもって、ミエテルを冷静に観察しちゃってたんでしょうね。ミエテルさんにしてみれば、『のぞきめ』に見られてるような恐怖を感じたのも不思議ではないかも。f(^_^;;
それにしても、この可笑しいアパート、もうミエテルの存在だけで「難アリ物件」に該当しそうな勢いです(笑)。あ、すでに孤独死が発生して「訳アリ物件」かな?ミラクルやさしい大家さんも大変だなぁ〜(汗
つい先日、ネコを風呂に入れて洗い立ち上がろうとした瞬間、ぎっくり腰になってしまいました。(>_<;; とりあえずパンツは履かねば、と必死にもがきました(笑)。翌日は這って仕事に行きましたが、このように、ふとしたことがきっかけで普通の人でも貧困に墜ちていくのだなと、改めて恐怖を感じました。
先生も(ワイハ?)時浦さんも海外旅行なんですね、旅の便りは面白くて好きですね。
ちなみに私はコロコロは創刊時のドラえもん200ページの世代で、実はおぼっちゃまくんには余り詳しくありません、
まるで見た事も無いのに興味も無いのに知ってるかのような「知ったかぶり」もしたくないので、東大一直線の頃を思い出してみました。
あの頃のジャンプは確かに「きれい」な作品は無かったですね、
私は東大一直線と味平・ドーベルマン刑事・トイレット博士が大好きで、
特に東大通と塩見味平のインパクトは忘れることは不可能です!
しかし、おぼっちゃまくんも茶魔語のインパクトだけは忘れられなかったのは、
間違いなくこの「言葉と絡めたデッサン」ですね、これは未だに強烈なインパクトを醸し出していますから、
そして、何より「美しい」です、当時のジャンプ作品は皆「美しい」ですね、
脳髄に絵が写植されています、「きれい」な作品は未だに沢山読みますが、
「美しい」作品には殆んど出逢えなくなったのはこう言う事なんだと痛感しました。
小林よしのり作品は確かに「美しい」!間違い無く!
ありがとうございました。
号外配信お疲れ様です。
「きれい」と「美しい」は確かに違いますね。ついつい同じ意味で捉えがちですが「きれい」はパッと見だけの評価で「美しい」は内面も含めた評価ってイメージです。
それと本題からは逸れますが高森さんが触れられてる東京五輪の件ですが、実際あの時もIOC総会に高円宮妃久子さまがスピーチされたりとかして皇族を利用しようっていう魂胆がありありと見えてましたからね。もしフランスの検察が捜査してる件が立件されて東京五輪開催中止とかになったら(個人的には五分五分と見てますが)どうするつもりなんですかね。
アベちゃんが自分から批判の矢面に立つとは思えないですし信者とお抱えマスコミ含めて「舛添ガー滝川クリステルガーオレ達は関係ネー悪いのは東京都とJOCダー」ばかり言うのが目に見えてますけど。
木蘭さんの昨日の料理ネタのブログを拝見して、牛肉の巻物系は簡単では全然無いと、一応書いて置きますね。
牛肉もバラ肉スライスなのか、肩ロースなのかにもより、変わります。
あと、小麦粉を付けて焼いたのか?も(片栗粉でも可能)ポイントに成ります。
もう一つ、酒と味醂は軽く先に煮切ったのか?もポイントかもです、
醤油は最後の最後に入れた方が失敗(分離など)は無いです、
ちなみに粉を(小麦粉片栗粉等)を塗すのは、繋ぎの役割りも有ります、
合わせ調味料がデンプンで加熱で繋がるので分離は先ずしません、
もしも分離する事が有るとしたら、例えばトレハロースなどを万が一入れたりしたら、
アミラーゼ分解酵素を持っているので、分離したりはします、が、
多分小麦粉片栗粉を塗さなかった?煮切りを充分にしなかった?が原因かな?とか…
あくまでま想像ですが。
ライジングの感想ではないのですが、
よしりん先生のブログ「下流老人の解決方法」が
ニュースになっていてびっくりしました。
問題となっている部分は
「国民としての役割を果たし終えて、若者の迷惑にしかならない
老人は安楽死するのが一番いい。」
という部分です。
ニュース記事の中で批判している人たちの主張が
端的に書かれていましたが正直「なんじゃそりゃ」でした。
「働けない老人は死ね」とは書いてないでしょう!
いくつかの観点で考える事が出来る内容だと思うのですが
私は公人としての覚悟と解釈しました。
私人としても、家族に迷惑を掛けるくらいなら
「自爆ボタンをくれ」と思います。
別の観点から言うと、
自ら「弱肉強食」政策を推し進めてきた国民なんだから当然、
敗者の老人になれば、自己責任による弱肉強食原理に則って
安楽死を選択するのが、
あんたらが選んだ道だろうという「毒」とも解釈しました。
私が解釈した2つとも掛け離れた批判というか最早誹謗中傷的な
「反対意見が目立つ」ことにびっくりぽん(古)です。
オバマ大統領が被爆地広島を訪問することが決まりましたが、原爆投下
の謝罪はしないようです。原爆投下が余りにも罪深すぎて、どんな謝罪
をしても許されないから、それが良い結果をもたらしたという理屈をひ
ねり出して開き直るしかないのでしょう。でも罪滅ぼしをすることはで
きます。原爆や都市空襲で殺された民衆より多くの日本人の命を救えば
いいんです。不法に命を奪ったら、命をもって償うべきで、建設的に償
わせるとしたらこうするしかないでしょう。日米安保条約がありますから
、日本有事の際に在日米軍が それに基いて日本の敵国と戦ってくれれば
いいでしょう。米国にそれが できるのか問いかけ、できないのなら、日
本による原爆投下の報復の不 安が有っても、核武装も伴う日本の自主防
衛を認めさせるというふうに話を持っていくことはできないのでしょうか。
そう言えば先生がベッキーと中居くんの謝罪対談を撫順戦犯管理所みたいだと言っていましたな。
鬼から人に変わり、人間が立ち直らせようと洗脳するのが撫順戦犯管理所ですが、改めて全文読むと
確かになあ…と思いました。
中居くんが優しそうに語りかけ、ベッキーを謝罪させ、鬼であった自分を決別させ、更生させ、大円団。めでたしめでたし。
というストーリーをベッキーサイドが抱いていたか
分かりませんが、またなんか問題があったそうで
復帰は難しそうですなあ。
まあ、芸能人の不倫ごときで問題にすることに僕は違和感を感じるんだな。スポンサー対策?知らんがなになりますなあ。
許す、許さない。許すことが正しいとか、どーでも良いですからねー。
そう言えば、明日は稀勢の里と白鵬の全勝対決が有ります、
日本はイマイチ盛り上がりに欠けますが、海外の日本人は盛り上がってるのかな?とか思います、
ワイハでも中継が有りますし、是非是非稀勢の里には、
「カチ上げ・猫騙し・変化」で、大横綱白鵬を粉砕して貰いたいと思いますね。
しかし、稀勢の里はしないんだろーなー。
日本人の品格ガー!横綱に相応しくないンダー!だとか言われるのがオチですからね、
何より稀勢の里が真面目な人格者ですからね。
とにかく明日は稀勢の里にパワーを送りたいですね。
沖縄の女性殺害で従米ホシュな方々はさっそく「これは刑事事件で外交とは別」だのはては「夜一人でウォーキングする被害女性が悪い」だの実にトンチンカンな言いがかりを言い始めてますね。そりゃ一人で夜にウォーキングするのが危険なのは確かですがこの問題でツッコミ入れるのはそこじゃないし、もし新大久保とか大阪の鶴橋あたりで韓国人が今回みたいな形で日本人殺害したら鬼の首とったように「極刑だ!」とか「国交断絶だ!」とか騒ぎまくるクセにと思ってしまいましたが。
個人的には「米軍で働いてるクセにサミット直前のこの時期に日本人女性襲って殺すなんて想像力ゼロなの?」って思います。
現代は荒っぽいけれど味のある絵柄や
乱暴だけれども風刺の込んだ表現が嫌われる傾向ですよね。
読者にグサッと来る風刺表現が大幅に減り
代わりに読者が求めた通りの展開が迎合されているような気がします。
読者(=消費者)の声に応えて人気キャラはまず死なないし
これまでのイメージに合わない設定はまず採用されない
とにかく安心できるもの、予定調和が求められているんでしょうね。
現時点での売上には繋がるんでしょうが、そんなことを繰り返していればいつか飽きられるのは確実ですし(今現在で既に飽きられているような?)結果として業界全体の縮小・消滅を招くのでは?とついつい考えてしまいますが、思い過ごしでしょうか…?
(なーんて書いたけど、自分のマイリス見てから物を言えよとは思うんですが…w 自戒を込めてということで…w)
うわぁ、木蘭さんの話…わかるぅわぁー…。
自分も集合住宅に住んでるのでこの手のトラブルはよーく聞きます。
別の棟の話で「上の階のキ○ガイを追い出したいから天井を叩いてやってる」だの(ちなみに濡れ衣という)
これまた別の棟で「自治会費を二重取りしてるおっさんにそれを指摘したら『この大嘘付きが!』とキレられた」とか
ありがた迷惑なボランティアを勝手にやっといて掛かる費用を自治会に全額要求してくる野郎とか…w
これ以外にもまだまだありますけど特定されたらアレなんで、こんなものでw
木蘭さん、頑張ってくださいね! でも引く勇気は捨てないほうが良いですよ、絶対に!
沖縄で日本人女性が米兵に殺害されたというニュースが流れているというのに
トモダチ作戦で被爆?した米兵の同情の涙を流す小泉元首相。
なんかもう狂ってますね。
いつかの沖縄の大学に米軍ヘリが突っ込んだ事件の時を思い出します。
「本土ではオリンピックの話がトップで、米軍ヘリの事件が4番目だった」というアレを。
例のトモダチ作戦の被ばくの件、ちょっと調べてみましたが、分かりませんね。
判断に足る科学的情報が少なすぎる。原発との因果関係は証明できなそうですが・・・。
ただ、一つ言えるのは、小泉氏の策謀ではないな、という点です。こういってはなんですが、しょぼくれすぎですね。本気でしょぼくれた老人になってしまった。以前の覇気は彼にはない。最初はオバマ氏の訪日に合わせて差し込んできたな、と思いましたが、そういう元気は小泉氏にはないように思えました。
かつて仇のように思った人間がこれほど小さくなってしまうと、ちょっとショックです。
保守で鳴らした爺様方が、怪しげな若手に絡め取られたわけが分かったような気がします。
寂しいのでしょう。その孤独に勝てなかったから、思想や生き方の筋よりも、偽りの絆を取ってしまった。私にはそのこと自体が寂しい。自分も老いたらそうなるのかと思うと、哀しい。一定の年齢に達したら人は変わらないなどとしたり顔で述べる人間がいますが、そんなことはない、悪い意味で変わることはいくらでもあるのだ、と肝に銘じておこうと思いました。
最後に、私が師と(勝手に)している福田恒存氏ですが、晩年はほとんど発言されていません。ご子息によると、脳こうそくを患ってから明らかに衰え、当人もそれを自覚して慎んでいたそうです。晩節を汚すことの愚かさを自覚されていたのでしょう。しかし、最後に机に開いてあったのが夏目漱石であったと聞き、ああ、最後まで「近代」と向き合っておられたのだな、と確信しました。
晩節を自覚したら、余計なことを言わない、若手の足を引っ張らない。これが出来て人生は完成するのかもしれません。かくありたいものです。
木蘭先生のブログに、日本人として当たり前の激しい怒りを感じました。
何の罪も無い同胞の女性が、外国人に惨殺されたら、怒りが沸くのが正常な人間だと思うのですが…。それより政治が気になると。それを表立って言って何の後ろめたさも持たない。本当に人間のクズだと思います。
同胞の女性を守れない。
屈辱感で気が狂いそうです。
私は書き下ろしのおぼっちゃまくんには反対です。書き下ろしではよしりんファンしか買わないからです。
よしりんの完全書き下ろしは面白いものが多く私も全て買っていますし今度の民主主義の本も買うつもりです。
しかし最初の書き下ろしから比べると確実に部数は下がっていると思います。
それは不況のせいではなく書き下ろしは小林よしのりファン向けの宮台真司氏の言った「見えない化」だからです。
私のよく行くマッサージ店は予約困難なほど人気なのですが、新患を受け付けるので、先生にどうしてと聞いたことがあります。
すると先生は「例えば10人の固定客がいても次の月には2人来なくなるかもしれない。10人を維持するには絶えず新患を入れる必要がある」と言っていました。
書き下ろし本も固定客に支えられたものなら新読者を入れないとジリ貧になると思います。
私がゴー宣を読むようになったキッカケは、おぼっちゃまくんの小林よしのりがSPAに載っていたからです。最初からSAPIOでしたら、多分読んでなかったと思います。
よしりんは「見えない化」には否定的で世の中を変える為に書くとゲンロンカフェで仰っていましたよね。
もしそう今もお思いなら、肩書きの通用しない子供が読む雑誌に連載しファンを増やしてから単行本化の方が宜しいのではないのでしょうか?
同様にゴー宣SPも左右のいずれかが読む雑誌じゃない雑誌に連載をし、それから出版した方が売れるし世の中も変えられると思います。
私は文章が下手で纏まりませんでしたがここまま投稿します。私の言いたい事がよしりん先生に伝われば幸いです。
もくれん先生のブログコメント、これ以上ないくらい完全同感で、怒り爆発です。
強姦合衆国には、怒りを通り越して殺意すら覚えます。もう強姦アメリカ人は一匹残らず死体袋に詰め込んで「こうのとり」にのせ、ホワイトハウスにH2Bで送り返そう。毛唐よ、覚悟しておけ!!
それを上回るほどの怒りも抑えきれません。奴隷願望丸出しのゲリゲリ君が序列一位の自民党をはじめ、隷米自称保守など、媚びるためにこの残虐非道を許そうとする、感情が腐りきった連中に対する怒りと憎悪。もはやこいつらは人間のクズというより、腐って有害化した社会的廃棄物(の塊)という方が正確そうです。
強姦合衆国大統領の来日がじつにタイムリーで、この際、在日米軍の残虐非道を徹底的に追求してやれば良いと思います。弱くて臆病な奴隷犬には無理でしょうけど。
いまの日本は、通州事件のように同胞が強姦虐殺されても、無関心・無反応・きれい好き・いい子ちゃん気取りの「潔癖王国」になっていそうで、それが非常に恐ろしいです。
小林先生、スタッフの皆さん……そして読者の皆さんへ。
あまりにも惨い出来事に、言葉を失っています。僕は沖縄の人間ですが、まだ”こういうこと”が起きるのかと、信じられない思いでいます。事件の報を聞いた当初は、恥ずかしながら「何かの間違いであってくれ」と現実逃避したい気持ちにもなりました。しかし、詳細が明らかになるにつれ、そのおぞましさに寒気を覚えます。
被害者の女性が味わった苦痛、その周囲の人達の悲しみを思うと、ただただ胸が痛くなるばかりです。沖縄の人間の一人として、僕は犯人を許せません。同時に、このような理不尽が間近にあるのだということを、改めて突きつけられた気がしました。
そもそもですけど「中国からの脅威を抑止するために沖縄に米軍基地が必要」なはずなのに、その米軍で仕事してる人間が一般の日本人を殺害するという本末転倒な事態な訳ですから日本政府や日本の政治家は沖縄選出だろうと誰だろうともっと怒って当然だと思うのですが、本気で怒っているのは沖縄選出の議員と野党の一部議員だけで政府も与党もケネディや沖縄駐留の米軍のトップと会談して「遺憾の意」とやらを言ってるだけという体たらくぶりですね。
それならそれでいっそのこと「わが日本国はアメリカ合衆国日本州になります」とでも宣言してくれた方がまだすっきりするんじゃないですか?今回のこの事件はそれこそ日本の仕組みやシステムがひっくり返ってもおかしくないレベルだと思いますが。
やあ、『民主主義という病い』くん。
( ´∀`)σ)∀`)
わざわざハ…もといリゾート地から御挨拶をどうもありがとう。楽しいかい、ハワ…リゾート地は。わいも行きたいな、ハワ、ハワ、♪わわわわあ~~ ♪はわわわ~~
五月末に会えるのを楽しみにしているよ、わい♪
( ´∀`)σ)∀`)
編集長、リゾート感がビシバシ伝わってくん写真をどうもありがとうございます☆☆☆
m(_♪_)m
木蘭先生、腰の具合は如何でしょうか。神経を使い過ぎると腰に来てしまいます。早く調子が良くなることをお祈りいたしますね。
小林先生が居られない今、木蘭先生は責任を背負い込んでしまわれているのかも知れませんね。
ミエテル=ヲ=ミチャッテル状態、すごく良くわかります。隣の顔も解らない人間関係の中だと、お互いの疑心暗鬼が増幅していくばかりで、起こらなくてもいいトラブルまで呼び込んでしまったりして。向こう三軒両隣とか、長屋みたいな暮らしの出来る一昔前に戻ればいいなあなんて思ったり。でも、あんましヅカヅカ入ってこられるのは正直好きじゃあなく…。
日本に公が再び根付き、国民同士の信頼関係が甦れば、暮らしやすい世の中になるのになあと思います。
ミエテルの彼氏(?)登場にビックリするとともに、少し安心し、アヅマさんのささやかなお花見に、人間へのいとおしさみたいな物を感じてしまいました。
(*´-`)
『民主主義という病い』楽しみですね、如何に血生臭い内容で人間なんか進歩なんかしないと言う事を曝け出してくれるんだと期待しています。
民主主義なんて血で血を洗うが如く人間の犠牲により革命により偶々生まれただけの存在です、
所詮は通過点ですからね、この後は共和制国家や帝国主義復活国家や、
共産主義・全体主義的国家がまた生まれ来るだけですからね。
今の日本人にそんな感覚なんか皆無でしょう、他人に対してプライベートには過干渉しながら、
いざ、自分が対象になれば、人権侵害だ!だとか騒ぐだけですからね。
その人権つーのが正に「病」なのに。
亡くなった沖縄の女の子、本当にかわいそうです。まだ二十歳で、これから楽しい事もいっぱいあっただろうに。
何の罪もないのに、いつも通りにウォーキングしてただけなのにこんな目にあうなんて…。
この事件を与党は『タイミングが最悪』とか言ってるんですか?保身の事しか考えてないんですか?もう、政治家としてというよりも人として終わってる。
自主防衛というと、生活のレベルが下がると脅されるんだろうけど、全然構いません。(税金はもっと富裕層や大企業から取ってよとも思うし、使い方にも問題あると思うけど)
それより日本の税金使って贅沢して、日本人を舐めているアメリカ軍に本当に腹が立つ!
アメリカ追従を一刻も早く止めて、 日本は真の独立国になってほしい!
こんばんは。ライジング号外の配信ありがとうございますvv
うるま市の20歳の女性は、日本が独立国家の基本である自主防衛すらできない情けない国だから命を奪われた。そうとしか言いようがありません。
愛する娘を奪われたご家族や最愛の人を奪われたパートナーからすれば、彼女の命を奪った男や男のいた米軍基地だけでなく、その存在を容認し続けた日本政府も同じくらい憎くてたまらない存在でしょう。
米軍基地が日本に沖縄にあり続ける限り、この悲劇は繰り返され続けます。米国がなんと言おうと米軍が考えた再発防止策の効果の無さは、今に至る歴史が証明しているからです。
木蘭さんの言うように、「思いやり予算を中止する!即刻日本から出ていけ!!」と米軍を撤退させて自衛隊がその名の通り自国を沖縄を守ることが、今考えられる最善の再発防止策に違いありません。
それができなければ日本は表面的にはきれいな国になれても、内面からにじみ出る美しさを持つ国には決してなることはできません。内面に溢れる汚さがにじみ出て、表面のみのきれいさはかき消されていくのみです。
同胞の女性の命を奪われておきながら、彼女の命を奪った米軍にいい子ちゃん気取りしかできない輩に日本を守ることなど出来る訳がないのです!
熊本在住の私ですが、今(5/21 22:00)東京の某所からコメントをしております。
久しぶりに東京へ来て山手線に乗ったのですが、山手線の東側の日暮里や新橋は良くも悪くもまだ猥雑さが残ってて、西側の池袋や新宿や渋谷は小綺麗な印象がします。東京の美しさはある意味、人口密度の高さから生まれる芳醇な猥雑さにあると思うので、本当に東京らしくて「美しい」のは日暮里や新橋なのかもしれません。
渋谷も7~8年くらいは猥雑な街だったのですが、何となく綺麗にまとまってる気がしてなりません。
それにしても、熊本もそうだけど東京の街の夜中って若者が減ってますね。みんなたむろするよりもスマホで繋がってる時代なのでしょうか?週末の夜なのに山手線はガラガラでした。少子高齢化もあるのかもしれませんが若者に元気がないのでしょう。それが街並みが美しいよりも綺麗な方向に行ってることと無縁ではないのかもしれません。
東京に来たのは渋谷での河西智美のライブを見るためでした。
前回の大阪ライブよりもこなれてて歌声にも安定感が増していました。
しかし河西智美もMCで今のAKBへの不甲斐なさに少し触れていました。もっとやれるはずだ、という期待の裏返しであるのかもしれませんが。
河西はしばらく、アメリカでボイトレと英会話の武者修行をするそうです。
先生のリゾート地での写真、どれもこれも幸せそうでいいですね♪ そのまま、もうしばらく…いっそのこと『おぼっちゃまくん』をそこで完成させてしまうとか! …心地よすぎて仕事になりませんかね。
『民主主義という病い』くんを届けて下さるなんて、なんともニクい演出ですね、志儀さん。読者へのサービスを怠らない作家と、作家へのサービスを怠らないに編集者、どちらもプロフェッショナル☆
先生のブログを読んで、昔の日本では、どの職業でも、質を重んじるのが当たり前だったであろうのになあ…なんて思いました。
あっ、『民主主義という病い』くんへコメントを書いて、ゴー宣道場のブログを見たら、木蘭先生も書かれていて、非常に舞い上がりました♪☆
(ノ* ̄∇ ̄)ノ
今回の沖縄での女性殺害事件、犯人は「在日」米国人でしたが
それについてネトウヨはじめ保守は全く意に介してないようですね。
これが「在日」の韓国・中国人だったら烈火のごとく怒りを表明していたのでしょうが
しかし相手が米国人だと途端に「タイミングがー」「日米関係がー」「安保がー」と
気味の悪い冷静さを見せるんですね。どんだけアメリカ様に飼い慣らされてるのか。
「在日」韓国・中国人の「陰謀」とやらには目くじらを立てるくせに
明確に日本人、特に沖縄県民に危害を加える米国にはとことん甘い現在の日本を
どうやって誇りに思えっていうんでしょうか。
最悪のタイミングだ、なんて最悪の発言のできる
最悪の思考回路を持った最悪な議員ばかりにつくづく腹が立つ。
岡本太郎の言葉。【「きれい」は相対的価値しかもっていない。その時代の承認済みの型、味わい、つまり流行に当てはまって、抵抗がない。ほんとうに生きようとする人間にとって、人生はまことに苦悩に満ちている。矛盾に体当たりし、瞬間瞬間に傷つき、総身に血を吹き出しながら、雄々しく生きる。その姿はほとんど直視にたえない。最も人間的な表情を、激しく、深く、豊かにうち出す。その激しさが美しいのである。高貴なのだ。「美」は人間の生き方の最も緊張した瞬間に、戦慄的にたちあらわれる。】
昔のAKB48の子らの姿を思い出しましたし、
ゴー宣道場で、手を震わせ、声を震わせながらも、公心を振り絞って質問に立つ門弟さん達の姿を思い出しました。
他人の『美しい』を最大限すくい取ってくださり、また『きれい』を選ぼうと思えばいくらでも『きれい』に生きられるはずなのに、あえて『美しい』を人生をもって示してくださる小林よしのり先生のことが私は大好きです。
高森先生の「寛容さを取り戻すには、人間の複雑性に耐える、
強靭かつ柔軟な精神が欠かせない。」
ハッとさせられました。私自身にも多少当てはまるところがあるからです。
懸命にやろうとしている時ほど、他人に寛容になれない…。
いろいろ考えているうちに美智子様が以前お話しされていた言葉をおもいだしました。
私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。
人と人との関係においても。
国と国との関係においても。
ゴー宣道場、楽しみにしています。
『孤独を貫け』にPYGの名前が出てきて、おおってなりました。
あれは良いバンドです…
そういや音楽にも「きれい」なのと「美しい」のがあるよな、って思いました。
また居たかい、『民主主義という病い』くん♪
( ´∀`)σ)∀`]
セレブの広~いお部屋に、なんだかポツンと佇んでいたねえ。
(*´ω`*)
先生も、その居心地良さそお~なお部屋で寛いでおられる…かと思いきや、すでに仕事モードに。
( ̄□ ̄;)!!
その代わりかな、『民主主義という病い』くんが、みなぼんさんとマイタイ飲んで満喫しているね、ハワ…、♪はわわわあ~~ ♪ドゥわわわあ~~
(; ̄Д ̄)σ)∀`]
木蘭師匠と少し違い、わいが一番笑わせてもらったのはマイタイ飲んでるところでした。
(^◇^)
後ろ姿、見てえよ~~い!
( TДT)σ)∀`]
東京にいる間にアイドルの冨田真由さんの傷害事件が起こり、安易にアイドルなんかの有名人と普通の素人がネットで繋がれる社会の闇を感じました。おそらく犯人は普通の人ときちんとしたコミュニケーションを取る能力がなく、自分の妄想の中にある架空の恋人像を勝手にアイドルに投影して、それが現実にならないことに憤っての犯行だと思えます。
そもそもアイドルやタレントという存在は庶民からすると雲の上の存在だと思います。しかしそれではあまりにも味気ないのでアイドルやタレントがファンサービスのために庶民の側に降りる手段として、ブログやツイッターを使ってるだけの話なのです。
アイドルがファンに対して「愛してる」とか言うのはあくまでも恋愛対象としてファンを見てるわけではなく、どちらかと言えば同志愛に近いものだと思うのです。アイドルが庶民の日常生活に踏み込まないのは、ファンもアイドルの日常に踏み込まないという暗黙の了解のもとに成立する約束みたいなものです。
だからアイドルがツイッターやインスタグラムで見せてる日常って、公に出せる範囲のことなのです。
しかし、思い上がったバカ大衆は、ちょっとアイドルの私生活の一部を知ったからと言って、アイドルの実存の全てを我が物にしたと思い上がってしまうのです。ネット上のコミュニケーションは表面的なのに、その本質は獣のようなドロドロとした部分を安易に発信できちゃうので、例えば目に見えてる普通の赤の他人の第三者のお嬢さんには言わないようなことをツイッターなんかでアイドルに投げつけてしまうのです。
要するに、自分の歪んだ性慾のはけ口を一方的にアイドルに求めてしまい、それが叶わないと逆ギレして恨んでしまうのです。
例えばこれがアイドルでない普通のお嬢さんだったら、一方的に思いを寄せても向こうがこちらを思ってなければ恋愛は成立しません。そこからどうやって相手の気を惹くとか、好かれるようにするとか色々考えて悩むと思うのです。そこで等身大の自分と向き合い、実存の苦しみを味わい、悩みながら青年は大人になるのです。
古今東西の恋愛を扱った文学には、若いということが決して恵まれたことではなく、苦悩と難しさに満ちた季節であることが描写されているのです。
ところが今のネット社会では、苦悩もなく安易に自分の感覚や感情をネットに書き込んで全世界発信できてしまっています。内省も思慮もない平板的な人間が、恋愛感情さえも排泄か何かと同じ感覚で捉えているのです。だから好きなアイドルが自分の排泄の手助けをしてくれなかったから不快になって殺しちゃえ、って幼児的な感覚で簡単に一線を超えちゃうんだと思うのです。
ネットの発達で、感情の排泄がやりやすくなり、深く沈思黙考することが時代遅れになったことは、大問題なような気がします。
そもそもよしりん先生との間でさえ、安易にこうやってブロマガのコメント欄で繋がれることは正直おこがましい、なんて常に思っていたりします。まだ例えば便箋にペンでしたためて郵便で送るといったプロセスを踏んだ方が、何か自分の実存と上手く向き合えるような気がするのですが。
私も音楽表現をやってますが、例えばライブで直に繋がれるので、あえてブログやツイッターでファンとコミュニケーションを無理矢理取るのは何か違うなあ…と思ってしまうのです。
例えば冨田真由さんと同じことが河西智美にも起こらないとは限らないです。
一方的に河西智美に思いを寄せてる一人の異常な人間が、例えば河西がアメリカ行ってしまうことに逆恨みして刃傷沙汰を起こさないとも限らないし、その時一ファンとして彼女をどこまで守れるのだろうか、と悩んでしまいます。
極端な話、河西が誰かと恋愛して結婚したとしても、それを認めて祝福してあげてずっと応援してこそ本当のファンではないか、と。
昨日のライブに足を運んだファンは皆、口では寂しがってたけど心の中では河西の挑戦を応援して日本で留守番する覚悟を決めていると思います。
AKB卒業後、色々あったけど河西智美はいいファンに恵まれてて、同じミュージシャンとして少し羨ましいです。
「きれい」と「美しい」の違いについて。
知り合いのカメラマンは昔からその事についてよく語っています。
なので、馴染みのある話が出てきてびっくりしましたが、よしりん先生の作品も「美しい」ですもんね。改めて認識しました。
ものの創り手、表現者の心得のひとつだと思います。
私も「きれい」も良いですが「美しい」を目指していきたいです。
ライジング号外・配信有難うございます。
「ゴー宣」拝読しました。『きれい』と『美しい』の違い。過去に何処かで聞いたような気もしましたが、判っていませんでした。
それと岡本太郎の言葉が、こんなに「わかる」ものだとは知りませんでした。私の中で氏は、「ゲージュツはバクハツだ!」のCMの印象が強く、判ったよーな判らないよーな事を生前仰っていたのではないかと勝手に思っていたもので。
あと、「茶魔語と単なるダジャレの違い」も判っていなかった。目から鱗です。「茶魔語はやはり絵と共に完成するのである。」なるほどです。私は「コロコロ」からではなく、アニメで初めて知った者です。子供の「はがき」から生まれていたとは驚きでした。自分は「美しい」ものが分からない人間なのではないかと思っているのですが、「コロコロアニキ」は楽しみです。
「ザ・神様!」拝読しました。もくれんさんがベランダで深呼吸するあたりの前後の描写が、ある種の小説風でニヤリといい感じがしました。それにしても、もくれんさんがそんな人だったとは!ミエテルさんに初めて共感しました(笑)今後の展開が楽しみです。
ところでブログの話ですが、よしりん亡き今?もくれんさんのブログの怒涛の更新と切れ味が鋭くて、手が切れそうです。(<生意気な表現で恐縮です)師範・師範代の皆様のブログ、興味深く拝見しています。
時浦さん、お帰りなさいませ。台湾、さぞや堪能されてきたのでしょうね。
和昌茶荘の話を聞くと、お茶が飲みたくなりますね♪
新北投の温泉博物館、『千と千尋の神隠し』を思い起こさせてくれますね。日本統治時代の文化は、とても面白そうで興味が沸きます。
国生みの物語の真っ最中なんですものね。台湾だから、静かな中に熱い物が沸々とみなぎっている感じなのでしょうか。
どこに行っても通掛聞造さんが居て、優しく教えてくれるという話は感動的ですね☆ 本当に、御先祖様には、いくら感謝しても足りませんね。
長旅、お疲れ様でした♪
配信、ありがとうございます。
「きれい」と「美しい」の違いについて、ふと思い出したのが先月亡くなったプリンスの曲とPVでした。彼が日本で知られるようになったころ、彼の独特な曲とあの爬虫類を思わせるような彼の容姿をすんなり受け入れられた人はあまりいなかったと思います。ある意味「異型」の存在。私もそうでした。正直、「きれい」じゃなかった。でも、なぜか彼の曲とPVはずっと現在まで目と耳に残っていました。そのときはその理由がわかりませんでしたけど、今回の号外を読んで気が付きました。彼の作ったメロディってすごく「美しい」のです。PVも色彩など細部までこだわっていて「美しい」のです。同じ時代に「きれい」な曲やPVを発表したアーティストいたはずなんですが、それが誰か?言われなければなかなか思い出すことができません。
「美しい」ものはいつまでたっても人々の心に残ってゆくものだと思います。逆に「きれい」なだけのものはすぐに忘れ去られてしまう。現在、絵がストーリーが「きれい」な漫画家さんたちがたくさんいます。精密な絵を描く人や「友情や仲間」を「きれい」に描く漫画家さんとか。でもあと20年して彼らのことを覚えている読者の方はどれくらいいるのでしょうか?そういった意味でも小林先生の作品は何年たっても語り継がれる「美しい」名作ぞろいだと思います。少なくとも私の中では「おぼっちゃま君」「戦争論」他、はずっと心に残っている名作です。
主観的な話を長々とすみませんでした…。
よしりん先生のセレブ休暇ブログ、正直「っか〜〜、うらやましか〜〜!!!」という気分で楽しませてもらってます。
羨ましいのはその通りですが、365日、常にストイックに、それこそオリンピックを目指す選手のような過密スケジュールに支配され、かつ世間の的外れな批判にも曝され、さらに、よしりん企画の社長として社員を養わなければという責任感や、スケジュール通りに作品の製作が進んでいるのかということに対する不安や、自身の才能が枯渇するかもというクリエイターとしての不安にも曝されるというハイプレッシャーな生活を送っている中での数日間の休暇だと思うと、これくらいの贅沢は必要経費の範疇だよなあと思ってしまいます。
それどころか、そこそこの給料でも、たまにそこそこの贅沢や旅行ができるほどほどに堕落した自分の生活の方が、トータルで考えると幸せなのかもとか思ったりしてます。
スンマセン!!
40代vs60代のブログを読みました。
書きたい物を書いて売り上げは後から付いてくると書かれたのを見たら、何故か視聴率40%を取れるのは、おぼっちゃまくんしかないと言われてTV化を了承したとコロコロに書いていたのを思い出して嬉しくなりました。やっぱり小林先生は変わらないですね。
私は小林よしのり作品は優れていると思っているので、4/28に書かれた「プライドと偏見」がない層に読ませる事が出来れば必ず小林よしのりは正しいと評価してくれると思っています。
よく小林先生は子供は作家の名前じゃなく作品で評価すると仰いますよね。
ゴー宣を読める大人にも小林よしのりに何の関心もない(偏見のない)人もいます。
私の知り合いにもいて、大東亜論の1巻を2人に来島恒喜のところを読んでくれと渡したら、花の慶次みたいにカッコよかったと言ってくれて2巻と新戦争論を2人とも自分で買ってくれました。そのうちの1人は最近では「戦争論2が面白いんでしょ?」と言ってきました。
しかし逆に読んだ事もないのに小林よしのりへの偏見を持ったすごく仲の良い友人もいます。ニュースも新聞も見ない全く社会に関心がない人だったのですが、2年前にガラケーからスマホに変えてからネトウヨ系のブログに影響され所謂ネトウヨになってしまいました。
じつは私の父もスマホに変えてYouTubeを見るようになって関連動画にあった反韓動画を見て私に韓国は酷いと伝えてきた事がありました。
ノンポリの人もパトリを持っているので日本人が虐げられていると言われればネトウヨになってしまいます。
私はその人達が偏見が出来る前に小林先生の本を見ていればネトウヨにならずに済んだと思っています。
だから、書き下ろしじゃなく幅広い層に読まれている新聞雑誌に連載してから単行本を刊行して欲しいと思ったのです。
長くなりましたが、これからも応援します。
私には本を買う事と大東亜論を大河ドラマにして欲しいとNHKに要望を出す事しか出来ませんが。
一つ書き忘れました。
宮台氏の「見えない化」はゲンロンカフェでの発言です。戦争をする道徳にも載っています。
メルマガは辞めませんが、コメントするのは今回で最後にします。文章は書くのが本当に大変です。
号外の配信ありがとうございます。
『きれい』と『美しい』の違い。
前号で質問させて頂いた「絵の下手な私の子どもについて…」と併せて深く考えさせられました。
デッサンが整ったきれいな絵を描かなければ…。
絵心が無い自分のコンプレックスにとらわれ過ぎて、子どもを傷つけた事に改めて気が付きました。
『 【回答・よしりん】
デッサン力があることと、絵が上手いことは違いますから、子供の絵を上手い下手で評価しない方がいいと思いますよ。
嘘をつくというより、他人と比較しないで、自分の子の絵の素敵なところを、発見してあげた方がいいです。』
先生から回答を頂いた後、娘に女の子の絵を描いて欲しいと言われ、渋々書いたところ、娘は「お母さん上手いやん!」と言って「これ取っておこう」と、引き出しにしまいました。
娘は下手な私の絵を褒めてくれたのです。
娘には美しい心があり、私は相対的価値しか持っていない…。恥ずかしくなりました。
美しいものが分かるようになるには、心も美しくなければならないと気が付きました。
私はおぼっちゃまくんのアニメは妹が見ていたので一緒に観たことはあるのですが、コミックは読んだ事ありません。
だからコロコロアニキでの新作が初めてのおぼっちゃまくんです。(わしズム以外)
ぜひ娘と一緒に読みたいと思っています。
そして(応募は抜きにして)娘がどんな茶魔語を考えるか、どんな絵を描くか。楽しみです。
そしてどんな絵を描いても沢山褒めてあげようと思っています。
>>54
No.54・くろぴくさんのご意見に、5/21のブログ「30代のわしと60代のわしの真剣勝負」で、よしりん先生は長文で答えておられ、作品を描く姿勢・覚悟を再確認して、自他に示されています。
先生の作品をどんなに愛読しておられるか伝わってくるようなご投稿と思いました。だからこそ、丁寧で重要なブログを先生は書かれたのだと思います。
>---「蛸壺化」するのは、自分自身がまだまだなのだと考えます。
その蛸壺をぶち破って、他者の蛸壺に手を突っ込んで、掻き回すくらいの作品を描こうと常に思っています。
「売り上げ」が目標なのではなく、「作品の質」が目標であり、結果として「売り上げ」がついてくるというのが、わしの考え方であり、これは信念なので曲げられないのです
>まだ描きたいものがあるんです。----------
(先生の上記ブログより)
どこまでも作品の質を求め、束縛から解き放たれ、自由(自ら由とするもの)を追求していく。常に評価として状況を受け止め、自らを研ぐ---それは「蛸壺」から一番遠い表現姿勢と思います。
(壺になんかに収まらない元気な蛸が泳ぎ回り、そこら中の「蛸壺」に手を突っ込んでグルグル掻き回して引きずり出している様子を想像しちゃいますよね ((^o^))>;;)
しかし同時に新規の読者への細やかな配慮も進行させておられ、今度出た新書サイズで手に取り易い「孤独を貫け」(清水克衛氏と共著、イースト・プレス刊)はまさにそれだと思いました。
>>83 くろぴくさんへ。
くろぴくさんの考え方も文章も、私は超・好きです☆
「書き下ろしのおぼっちゃまくんには反対」というご意見は考えるキッカケを頂きました。
誠実で、理路整然としていて、そして勇気があって、
私には絶対に出せない貴重なご意見です。
だから、くろぴくさんが「コメントするのは今回で最後にします」とおっしゃったのには、ショックでハゲあがりそうです(笑)
確かに、誠実な気持ちがあればあるほど、文章を書くのって大変ですよね・・・。
それならば、お気楽なカンジでも良いと思いますので、これからも投稿して欲しいです☆
私の残り少ない髪の毛のためにもよろしくです(^O^)
よしりんさんが日本を離れている間に
岡崎体育さんがデビューしてしまった
あー、面白いなーこの人
真剣に作品作ってるなー
30代の『おぼっちゃまくん』
60代の『おぼっちゃまくん』
とくれば当然
90代の『おぼっちゃまくん』も期待してしまう
30年後もきっと
面白いだろーなー
わくわくガー
よしりん先生にもっとびっくりするようなニュース。
『笑点』の桂歌丸さんが笑点の司会を勇退して、後任の司会に春風亭昇太さんがなることが決定しました。
日曜日の生放送『笑点』で発表され、会場内は『え〜!』の声でその意外さに驚いていました。
わたしもびっくりぽんでした。
配信ありがとうございます^^
今回のゴー宣を拝読して、ブルーハーツの「リンダリンダ」という曲の歌詞を真っ先に思い浮かべました^^;
たぶん、笹師範ならご存じだと思うんですが・・・
でもな~チェッカーズラブのようだったから、ご存じないかなぁ~
最近の美男美女ばかりのアニメや漫画は、少々「お腹一杯」的なかんじですねぇ~w
「ザ・神様」は、基地外を警戒するあまり、いつの間にか、基地外からストーカー扱いされているなんて・・・
何て面白い・・・いやいや、気の毒な展開なんでしょうか^^;
木蘭師匠に幸多からんことを祈り申し上げます(∩´∀`)∩
>カレーさん 諫議大夫さん
第四の人物のことを、「大悪党」だの「性悪」だのと、なんてひどいことをおっしゃるんですかぁ~
たぶん、その人物は、「照れ屋なナイスガイ」だから、心配しているなんて言えない方なんですよぉ~
そんな方をつかまえて、「大悪党」だの「性悪」だの「すね毛がない」だのと・・・んっ?
茶魔語の応募はしてませんがなるほどです。
ネットで応募するにしても絵付きは必須の方が良かったんですかね。
スキャナーが無くてもケータイのカメラで撮って添付するくらいのことは
出来たでしょうし…。
おぼっちゃまくんが単行本で出る際はよしりん先生の今までの作品の
慣例からいってA5サイズで出る可能性が高いと思うのですが
現在文庫で出ている過去のおぼっちゃまくんも
大きいサイズで出ないもんかなぁと思っております。
ブログで書かれているように私も子供時分はコロコロで読んでいただけで
単行本は買ってませんでした(そういう慣習のない子供だった)。
それでのちに文庫で出た時に第1巻は買ったのですが
漫画を文庫で読むのが嫌いな私はそれきりになってしまいました。
ゴー宣も揃ってますが、加筆が気になりつつ文庫だけは
1冊も持ってないです(すみま千円)。
おぼっちゃまくんは電子書籍が出てるようなので
文庫で読むくらいなら電子書籍の方がいいなという感じなのですが
現物ならゴー宣等と同じA5サイズで出てくれないかなぁ
という思いがやはりあります。
今回のおぼっちゃまくんをきっかけに最近流行りの「完全版」でも
出ないもんかなと。出版社よ、動け!m(_ _)m
あとアニメのおぼっちゃまくんは「きれい」ですね。
先生も仰るようにアニメでの認知が一番高いのかもしれませんし
私も普通にアニメ毎週見てましたが、アニメと漫画はやっぱり別物です。
これは他の漫画のアニメ化に対しても同じで、
アニメにはさして思い入れがない性分です。
そうなると私は「おぼっちゃまくんファン」ではなく
「小林よしのりファン」なのだろうなぁと自覚しました。
なんか橋下クンがまた「米軍の風俗活用」だの言い始めたようでして・・・
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-284251.html
単に自分がそういう店に行きたいだけじゃねえの?感も正直しますが。
もっといえば今これ言うなら3年前に同じこと言ってアメリカに袋叩きにされた時に突っぱねりゃ良かったのにとも思いますが。
おや。またまた登場したねえ『民主主義という病い』くん。
[´-`] !!(゜ロ゜ノ)ノ
ヤッシー♪
『民主主義という病い』くんも、しっかり満喫しているねえハ… ♪はあぁぁ~~ん! ♪はぁん はぁん はあぁぁん! 急にコブシを回したくなるほど、何とも愛おしい後ろ姿だったよ♪ 何かいっぱい書いてあるのも人気者の証拠だね☆
病いくん…縮めると病気の人みたいになるからやめるね…『民主主義という病い』くんが、ポツンとハイビスカスを眺めていたり、キチンとテーブルでハワイアンダンスを見ていたり、ベンチチェアにちゃんと寝転んでいたり、プールサイドでゴロリと空を見上げていたり、みなぼんさんとシャンパン飲んでグッタリしていたり、どれもこれも何ともいえない可愛さと可笑しさで、読む前から愛着が沸いて仕方ないんだけど。
[´-`]\(*´ω`*)
…チェアかな僅差で。
最後の夜も、しっかり楽しんできてね☆♪
もう帰国とは、あっという間ですね。帰国されてから、取材がどこで生かされるのか、楽しみにしております。
毎日新聞に、熊本地震のボランティア活動に専念するために神戸大学を1年休学する学生の話が載ってました。
はっきり言って、この大学生は馬鹿です。
私自身、単位が揃えられなくて大学に5年通ったのですが、バブル景気の当時でさえ企業の新卒採用の人事は留年や休学には厳しかったです。就活にも影響して公務員試験を受けた記憶があります。
新卒一括採用のあり方には是非があるとは言え、たとえボランティアが理由とは言え安易に貴重な大学の一年間を無駄にするのは、思慮があまりにもない判断なのではと思うのです。
ボランティアの理由が純粋な人助けのためだとしても、自分がやってる行為が自分の原罪ややましいことを全て浄化できると思うのは、ボランティアの名を借りた思い上がりです。そんな傲慢な理由で被災地で人助けをされても迷惑千万なだけです。
一時期、大学生の間でボランティアや政治活動のサークルに入って、意識高い系を目指して有利な条件で就活に臨もうということが流行った時期がありました。結局そんな学生はシールズに絡め取られて普通の社会人にさえなれなかったのです。
被災地の大学には、校舎が被災してまともに授業さえできないところも多数あります。そんな学生にしてみれば、大学を休学してボランティアに専念するこの人って、時間にもお金にも困っていない贅沢な人なんだな、って鼻で笑われるだけだと思いますが…
そしてそんな半人前の学生を安易に持ち上げる毎日新聞も、変だと思いますが。
私は年齢的にちょうど「非おぼちゃまくん世代」なのだと思います。
告白しますとマンガでもアニメでもあまりおぼっちゃまくんは見たことがなく、大学生のころにゴー宣と出会ったのが小林先生との出会いになります。
ゴー宣との出会い以来はずっとファンであり続けているのですが、ファンならおぼっちゃまくんぐらい読めよ!と言われると思います。
コロコロアニキは買って読みますので、ご容赦を。
茶魔語というのがハガキ応募だからこそ生まれたというのはなるほどです。
文章だけの情報ではなく、絵をかいての視覚情報から言葉のニュアンス、言葉に込めた気持ちを伝えられるのがポイントだと思います。
人の書いた文字はその人柄を表して、心を込めて書いた絵は気持ちがふんだんに含まれているということでしょう。
現代のネット社会はとても便利ですが、やはり気持ち的なものはネットだけでは伝わりにくいと思います。
仕事でも感じますが、メールでのやり取りよりも電話で話した方が何倍も伝わるし、また直接会って話せばさらに何倍も気持ちは伝わります。
このあたりは何をするにも人間のコミュニケーションの基本として肝に銘じておかなければならないと思います。
それにしても・・・
外界からの脅威に無力であるがゆえに供犠を捧げて収めようとするあたり、昔話の世界と変わらぬな、と感じます。荒ぶる神(のふりをした妖怪)に若い娘を捧げて安寧を得る。そんな因習に文句を言っても、おらが村では何十年もそうしてきただ、これからもそうしていくだ、文句はいわせねぇべ、というわけです。そうしないとおっかない海の向うの妖怪たちに皆殺しにされる。そう言われると、最初は怒っていたみんなも、戦う勇気がないので黙りこみます。
落ち目になった神様の代表が、かつて天界に弓を引いて業火で滅せられた土地に訪れます。いや~あのときはちょっとやりすぎたかな、でも君たちが我々に逆らったからいけないんだよ、まあごめんね~とでも言う気なのでしょう。すると、「神様が過ちを認めてくださったぞ!」と滂沱する村人たち。生き残りに握手を求める神様。なんと感動的な光景でしょうか。神様は配下が生贄を(あまり)とらないようにすると約束もしてくれました。業火?ええ。もちろん、世界の平和のためには業火だって必要なのです。神の兵隊も!いけないのは神様に逆らう連中なのです。村の若者だけじゃあ平和を守れないに決まっています。
こうして、日本村は末永く、米国神の庇護下で清らかに繁栄していくのでした。
・・・犠牲者たちの怨嗟が、本物の祟り神となり、全てを飲み込むその日まで。
糞喰らえですね。ほんま糞を投げてやったらいいのにと思います。
お邪魔します。
『孤独を貫け』拝読しました。興味深い内容が盛りだくさんで楽しく拝見しました。
特に、「公」・「公共心」を考えるなら、今の時代をあきらめなければならないとの話にはハッとさせられました。この点で、何かで読んだ林業の方の話を思い出しました。自分の代では伐採し収入に出来ないが、30年後・50年後・100年後の世代のために木を植え手入れを続けていると仰っていました。
そして私は、この本も数十年後の日本の為に植えられた木の一つではないかと思いました。
ともすれば誤解されがちな「小林よしのり」を、読んだことのない人にも僭越ながらお薦めしたいです。また同時にそう言う自分自身が、色々と孤独に読書しなくてはと深く恥じ入りました。
長文失礼
オバマが何しに日本に来るのかなあ?なんて呑気な事を考えてたんですが、
今年伊勢志摩でサミットなんかやるからなんだなあ〜と今頃気が付いてしまいました。
しかし、オリンピックもサッカーのワールドカップもですが、
別に日本でサミットなんかしなくて良くね?とか昔から思ってしまうんですよね、
日本なんか別に「先進国」じゃねーし。
大体気に食わないのは白人資本主義国家のお情けで「先進国にいれてやってるぜ!ニヤニヤ」みたいな感じがスケスケなのが一番ムカつくんですよね〜
日本人東洋人の白人コンプレックスを擽ってるだけで、
上から目線しか無いでしょう、しかも日本なんか貯金通帳扱いにしか見えませんしね。
金出せよ!オラァ!って会議で毎回言われてるんじゃねーの?歴代首相さまは?
などと、正に島国根性的なニヒリズムが脳髄を埋め尽くすんですが…
広島に来るなよ、アメリカ人は。
配信ありがとうございます。
『東大一直線』は「日本一へたな絵」と言われていたそうですが、
じゃぁいざ描こうと思っても描けるわけがないのですよね。
結果だけしか見えない人には漫画が出来上がる過程を想像することは出来ないかも知れません。
これって行間が読めない人と同じなのでしょうねぇ。
大天使と接触すると人はミエテル・ヲ・ミチャッテルに進化するかもしれませんね。クワバラクワバラ。
今週もありがとうございました。
次号も宜しくお願いします。
原爆投下に関してはパール判事が広島で開かれた世界連邦アジア会議で怒りをぶつけてますよね。
「いったいアメリカは原子爆弾を投ずべきなんの理由があったのだろうか。日本は既に降伏すべき用意ができていた…彼らはそれを充分知っていたにもかかわらず、悲惨なる破壊力を持つところの爆弾を一種の実験として、この日本に投じたのである」
アメリカの公式見解である「原子爆弾を投下しなかったから被害は拡大化していた」についても怒りを震わせています。
「それを理由に罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を、幾数万、幾十万人、殺してもいいというのだろうか…こんな説明で満足しているような人々によって、人道主義だとか、平和だとかというような言葉が弄せられていることを、われわれは深く悲しむのである。われわれはこうした手合いと、ふたたび人道や平和について語り合いたくないのである」
もう60年以上過ぎたパール判事の言葉ですが、いまだにアメリカは原爆投下について謝罪しません。
しかもアメリカ人捕虜をつれて日本に謝罪を求める形での広島訪問になっています。
日本政府、国民がパール判事のような怒りを持ってアメリカと対峙できていないことに悲しくなります。
こんにちは。
そういえば、今週はゴー宣が配信されない週でしたね。
なんか暇ですな~。
しかしもうすぐ伊勢志摩サミットが開かれますが、こういう時期の漁業関係者が受ける打撃って相当なものがします。ちなみにわたしは漁師じゃないから、現場の状況がどうかは私には見当がつきませんが。
「警備がしやすいから」が賢島が選ばれた理由だそうですが、そのためだけに島の住民に不便を強いるなんていかがなものか。
しかもオバマは賢島が終わったら広島へ行くから、少なくとも警備の面からしていえば、これでは何のために伊勢志摩をサミットの候補に選んだのか「???」です。
だったら最初から広島で開催すれば良かったという話になります。
勿論、さまざまな交渉を経てのオバマ、現職米大統領の広島訪問が実現したから、関係者の努力には敬意を払いたいのですが、早くも米国側は広島訪問の意義を相対化させようとしています。
最初から広島でサミットをやると政府が決意表明しておけば、果たして米国が姑息な手段に出たかどうか。
何につけて日本は米国に甘い顔をする、その卑屈根性に歯痒くなります…。
アイドル襲撃事件の犯人の素性について産経新聞が報じています。それによると、犯人は中学・高校と柔道部に所属して優秀な成績を収め、庭師になりたいと高校を中退して京都に移住して会社員をやっていたそうです。非常に礼儀正しい青年だったらしいのですが、どうも恋愛の経験がなく、仕事か何かの挫折を味わって人格が破綻し、一種の人格障害を患っていたようです。
おそらく、生まれて初めて好きになった女性が襲われたアイドルであり、擬似恋愛と本当の恋愛の区別さえつかずに性欲が暴走したまま犯行に及んだと思われます。
若者の中には、いろんな快楽を断ち物にして何かにストイックになり過ぎるあまり、周りの快楽に正直で遊んでいそうな他の若者に嫉妬心を持ち、それがエスカレートして精神を病んで事件を起こすケースが少なくないと思われます。
今回のアイドル襲撃事件の原因を、アイドルとファンの間の敷居が低くなったせいだとマスコミは報じていますが、その根っこにあるのは大人の縦社会に従順になりすぎて、個を失って自分の実存を殺してしまう純粋まっすぐ君の若者の存在もあると私は思います。そうなると、若い頃に恋愛や失恋を経験して、傷つくことで自己を内省することはとても大事だな、と思います。
純粋まっすぐ君ほど、挫折に弱く上手く愛情表現できなかったりします。失敗を恐れるあまり、思考が極端になりがちなのです。そうなると幼少時に親がつかず離れずに上手に愛情を子供にかけてあげることって大事だな、と思われます。
この犯人が礼儀正しくて優秀な子供だったのなら、それこそ大人の顔を見すぎて自分の個を失っていたのかもしれません。
そもそもこの事件、犯行現場となったライブハウスに警官をあらかじめ派遣して警備に当たらせたら起こってません。
私もライブハウスで音楽活動をしてますが、ストーカーはともかくも痴漢や薬物事件などを防ぐために、ライブハウスやクラブなどの夜間に若者が集まる場所には警護のための警官を常駐させてもいいくらいなのですが。
沖縄の女性暴行殺人事件について、毎日新聞が社説で、「抜本的な対策を」と書いておりますが、抜本的な対策ならば、米軍基地の撤退と自主防衛しかありません。こういうと「自主防衛には金がかかる」という人が必ず出てきますが、いったい殺された女性のことをどう考えているのか。そもそも米軍がいなければ起こり得なかった犯罪です。
思い切って思いやり予算を廃止すれば、その分を自主防衛に回せるだけのことなのに、です。「このような悲劇を二度と繰り返さない」ならば、「憲法9条」の欺瞞的平和から脱却すべきです。護憲派の平和主義では沖縄の女性は守れないことを国民ははっきりと認識すべきです。
アイドル襲撃事件について、犯人のネットへの執拗な書き込みにぞっとします。19年前の神戸児童殺害事件も加害者の異常な性格が問題になりましたが、今回の事件も女性を刃物でメッタ刺しにして、「殺すつもりだった」と供述していることから、素人目ですが小金井の犯人は相当精神を病んでいると思います。
ネットが普及した現在では、精神を病んだ「ファン」から大なり小なり逃れることは不可能に近いと思います。芸能を志望する人は自分の身を守るようあらかじめ用心したほうが良いですね。
>>89 ボンさん。
これこれ、わたしは「すね毛がない」なんてひと言もいってないぞよ(笑)
たしかに、思春期の頃になると、いわゆる「毛」の処理について大いに悩むものです。
恥ずかしながら、私も若いころ体の各部から生えてくる「毛」について、大いに悩みました。
若さゆえの無知から、初めて「毛」が生えた時はものすごく驚愕しました。それがモジャモジャと生えてきた段に至っては、私は熊とかの獣になってしまうんじゃないか、と本気で思っていました。
両親には言えませんでした。友人にも相談できませんでした。言えば絶対からかわれると思ったので。
そうしているうちにどんどんわらわら毛が生えて、鬱陶しいと感じるようになりました。真剣に悩んだ挙句、私は決断しました。「剃ろう!」
入浴の際に、安全カミソリで脇から腕、下に至るまで、生え初めし毛という毛を全部剃ってしまいました。
顔から下、頭以外の毛をさっぱりなくしてツルツルにしました。
今から考えるとなんてバカなことをしてるのでしょう、中学3年当時の私は「これで小学生の時代に戻った」若返られるなんてバカなことを考え付いたものです。
数日後剃った部分から新しい毛が生えてきて、新しい毛が下着とこすれて、剃って剃刀負けした柔い皮膚に食い込んで、数日間ヒイヒイ言う羽目に陥りました。
ものの見事に「バチ被りました」。
「バチ被る」ようなはかない抵抗、大人になることへの抵抗はしないのがいいですね(笑)
中学生の時のどーでもいい私の体験談でした(笑)
結局「今回は一人犠牲になっただけだけど、沖縄から米軍がいなくなって中国が攻めてきたら何万何十万が犠牲になるんだぞ!それでもいいのか!」っていう、以前ビートたけしか誰かの言った「交通事故で何千人・自殺で何万人死んでるから戦死者出てもたいしたことない」と一緒の歪んだ弱肉強食論というかアホな理屈なんじゃないですかね?
そもそも「沖縄の米軍撤退=替わりに自衛隊が守る」にならず「沖縄の米軍撤退=防衛スカスカで中国あたりにやられる」って発想がそもそも「愛国者」じゃなくて単なる「売国奴」であり「自称ホシュ」「従米ホシュ」でしょと思うのですが。
5月24日現在、またしてもゴー宣ネット道場のサイトへアクセスしづらい状況となっています(また、「攻撃」か?)。
次回道場の申込期限が迫っているだけに、まだ申し込まれてない方はお気をつけください。
もっともライジング購読されている方々には、いらぬ心配なのかもしれませんが。
『民主主義という病い』くん、黒線の手足や日よけの麦わら帽子が見えそうでカワイイですね。分野は全く違いますが、拙者にとってはデザイン(設計)成果や論文は、やっぱカワイイもんです。異形なアイディアが上手くいけば尚更愛おしい(笑)
表面的に見える物質的な「きれい」なものしか見ようとしない、ポジション知識人やネットの群塊にも、今号の「『きれい』と『美しい』の違い」が広く浸透して欲しいと思います。しかし、よしりん先生の「下流老人の解決方法」に対するネットの単純反応をみると、生きる意味や死ぬ意味、生と死の一体性、堀部先生の仰った「名こそ惜しけれ」など、今の彼らが冷静に真剣に思考できるのか、途方もない困難さも感じてしまいます。(+_+;;
もくれん先生の「人情ある正直な普通の人のシンプルな意見」にも大共感ですし、ここ何回かSAPIO掲載の安楽死のレポートを読んでも、それを選んだ老人や周囲の人々には素直に共感できます。個人的な美的感覚に照らせば、目的も実存もなく生きながらえて周囲に迷惑や負担をかけたり、私的な存在証明のために虚勢を張る自称保守みたいな社会的汚物になるくらいなら、さっさと死んだ方が世のため人のためでは?とも思います。
盲目的に「長生き=正義」「悪=徹底排除」「強姦合衆国=正義」「ゲリゲリ君=正義」「民進党=悪」などと信じて疑わない潔癖な01デジタル猿に、果たして価値ある人間性をとり戻す処方箋はあるのか、知的貧困に陥る原因は何か...『言論の自由と潔癖王国』、仕事で参加できず申し訳ありませんがm(_ _)m、超絶楽しみです。
スマホ(iPhone)からではサイトの閲覧は可能です。
ヘイトスピーチに関してですが、あれ、出版物の規制をせよとまでしていたんですね。
旧カウンター勢は先生の事を相変わらずネトウヨの生みの親という認識は捨ててないですよね。
ネトウヨの生みの親でありアベ政権のキングメーカーみたいな認識ですよね。
あの対策法案には「アイヌ民族否定論もヘイトスピーチにせよ」とまで入れ込ませようとしていました。
あの対策法に「本邦外出身者」と限定させたのは幸か不幸か定かではないですが、他のもごったになって出版物規制となると先生の著作までも「ヘイトスピーチ」とされてしまいかねません。
学術的見地よりもイデオロギーになってしまったらそれこそ歴史教科書の近隣諸国条項によって書き変えさせられる可能性だってあります。
ネイションとステイトをごっちゃにしているような連中に歴史や國體を翻弄される訳にはいきません。
「本邦外出身者」てのは「旧外地出身者」という事です。
まさか参政権反対までもヘイトスピーチとさせるんじゃないだろうな。
政治的イシューまでもがそのような事に還元される事態にはなってほしくない。
連合生理軍は先生の発言までもヘイトスピーチにさせるのかな?
デマが悪意と重なって人を攻撃する材料となる。
人の発言や感想全てが悪意としてしか捉えられない人にとってヘイトスピーチになるんでしょう。
先生たちがいくら「これこれこういう意図があって発言した」としてもああいう手合いは悪意としてしか感じないのだと思います。
Q&Aでも書きましたが、女性専用車輌がもはや偏見車輌の様相を呈する有様になりつつあるように、ヘイトスピーチ対策法もアベ政治を許さない派にとっての棍棒になりかねないのかなと感じます。
人を守るのではなく、人を叩く材料として。
連投ですが、罰則規定こそはないのですが、真っ先に先生が「ヘイトスピーカー」として攻撃されるのではないかと思います。
もくれん先生の最新のブログ、読みました。
もくれん先生は「議論をした」人までは責めていないと思います。
ただ、「初めから結論ありき」で論争を仕掛けて、自分の思惑通りに議論を「誘導」するのをみっともないと断じている、わたしはそのように思っています。
そんな論争仕掛けの仕方が他の第三者特に女性を納得させられますか?と、もくれん先生は問うておるのだと、わたしはそう、考えています。
独りよがりで悦に入る人の醜悪さはもくれん先生がたぶん人生で何度も目にした光景であるだろうし、これまでのゴー宣の作品の中でも散々描かれてきたし、師範方がその独善さに警世を発するのですが、その度に、同じネットの空間でありながら、ここ(コメント欄)だけは奇跡的に「公」に戻ろう、と読者さん達ががんばった。おかげで、ヤフコメやほかの掲示板とは一線を画した「秩序」が保たれた。これはすごいと思います。
>>112 であっちゃんさんが仰ったことと今日の高森先生のブログと少々関係のあることなのですが、自称保守はどうして米軍が沖縄から撤退することを異様に恐れているのですかねえ?そんなことよりも、交通事故で何千人・自殺で何万人死んでるという現実の日本社会がよほど異常なのに、「中国人が攻めてくる」と妄想を駆り立てて喚き散らす自称保守の頭の構造の異常さよ。
結局自称保守とは名ばかりで、憲法9条を護りながらアメリカに抱きついて自分の地位を守りたいだけだから、護憲派サヨクとなんら変わらないのです。自主防衛と口にすればアメリカ様が怒る、そんな精神構造ではもはやアメリカ様の奴隷になったも同然です。憲法改正して自主防衛、最早待ったなしです。
>ふぁんたんさん。
>>84 にわたし、すごく感動しました。
コメントの中で、貴女は「相対的価値しか持ってない」と御自身を卑下されておいでですが、とんでもない!
あの大阪道場開催の日に、師範控え室に花を生けて差し上げるという感性、とても私には及びません!笹さんが、「ふぁんたんさんに弟子入りしようかしら」と道場開催直後にブログに書いていたことを私は今でも憶えています。わたしはそのとき、あらためて、ふぁんたんさんが素敵な女性の方だと認識しました。
ふぁんたんさん、是非、娘さんと一緒に絵を描いてほめあってください。
そして『コロコロアニキ』のおぼっちゃまくんで、わたしがリアルで読んだ当時には見つけることができなかったものをぜひ、見つけてください♪
茶魔語
「半ケツを言い渡しましゅ!」
茶魔が半ケツを見せる。
顔はゴルゴ13のような渋い顔。
間もなく、大物俳優のXデーが近付いているそうですね。
過去に紅白に出場し、大河ドラマにも出演したそうですね。
誰でしょうか?
笹さんのブログ「バッシングされた日のこと」を読みました。
笹さんの記事を猛バッシングした元米兵達は、ただ自分たちの鬱屈した感情のはけ口が欲しかっただけじゃないかなと思ってます。 多分元米兵達は、か弱い(かどうかは知りませんけど)笹さんへのバッシングを、今で言うネトウヨのヘイトスピーチが如く楽しんでいたのではないでしょうか。
過酷な環境で、何時死ぬかわからない状況に置かれた人間が、そこから生還したとしても精神が正常であるかどうかは極めて疑わしく、私は「死の行軍」を経験した元米兵を、判断力が無くなった半病人みたいなものだと思ってます。
オバマ大統領が「死の行軍」を経験した男性を連れて広島を訪問するそうですが、原爆を落としたことを正当化させるべく、男性にその気持を代弁させて反論を封じようという思惑がありありと見て取れます。反論すれば「被害者を批判するつもりか」と返すのでしょうね。
私はオバマの広島訪問を反対しません。むしろ歓迎したいくらいです。先の大戦で戦略的意味は何もなく、人体実験と共産圏への威嚇のために原爆を落としたという事実を、半病人の口を借りて正当化しよう等と、知性も品性もないマネをやれば、アメリカが恥をかくだけですから。
こんにちは。
オバマ広島訪問の件について。
バターン体験者を連れての訪問とのこと。そんなハンパなことだったらやめちゃえばいいのに。オバマの「核なき世界に」はやはりポーズと見做さざるをえません。
バターンについては、数万人の捕虜を収容所に移動させるためのことであって、結果的に亡くなった米兵もいますが、犯罪と言えるのかどうか。言っても、管理不行き届きですね、死なせちゃいました、っていう。原爆や空襲は民間人の殺戮を目的とした歴とした犯罪。
個人的にはアメ公には広島に足を踏み入れて欲しくもないです。広島だけでなく、長崎にも東京始め空襲を受けたところも、というか日本に。謝罪も不要。そういう思いを胸に秘めておかないと外交にもなりゃしないです。今の政治屋、外務官僚のどれほどが秘めているのやら…
ミンヤマ君のデビュー!いよいよ明日ですね。ヒジョーに楽しみです。明日の晩御飯はミンヤマ君をおかずに白飯をかっ喰らう(T . T)
小林先生、みなぼんさん、『民主主義という病い』くんも、お帰りなさいませ。
1度、もう休暇はいらね~よってなるまで休暇をとってきてもらいたいですね。何年でも。働きてえ!って思うまで。
それには、小林先生以外の人が、もっともっとしっかりしなきゃダメなんでしょうね。申し訳ありません、みなぼんさん。
こんにちは。
舛添都知事の件について。
お恥ずかしながら、都民でありながら彼の都知事としての功績がわかりません。
都民の血税を浪費しておきながら、まだ続けたいと宣っているとか。
辞任して選挙して更に血税を使われるくらいなら、次の条件で続けてもらってもよいかな。
・残り任期は報酬を全返還(無給)
・残り任期の出張やら経費は全部自腹
・毎週の湯河原通いは自家用車で
出張のペースも移動・宿泊のグレードも今までと同じくファーストクラス、スイートで。
勿論かかった費用はすべて公開。これでどれだけの無駄遣いをしたか身に染みるでしょう。
退任(辞任)のときは次期都知事選と抱き合わせの住民投票で自腹費用を返還するかどうか決定。よい仕事をすればよいだけだし、報酬は145.6万/月だそうなので26か月で3785.6万円(‼︎)も得ているわけですから、訳ないですよね。
これってイジメでしょうか?
吉田豪氏が仰っていましたが、被害に遭われた人は「シンガーソングライター」との事。
アイドルとドルオタのプレゼント交換の話とかの関係に矮小化されると見えてこないそうです。
吉田豪氏のつぶやきのまとめです。
http://togetter.com/li/978498
http://togetter.com/li/979194
本人のつぶやきです。
https://twitter.com/WORLDJAPAN/status/734724145657745408
https://twitter.com/WORLDJAPAN/status/735058356415528961
本人のブログです。
http://n-knuckles.com/serialization/yoshida/news002249.html
シンガーソングライターの作った詞がどうも自分たちに当て嵌まるんじゃないかと言う「錯覚」を起こすそうです。
アイドルが歌う歌は作詞が別の人、ここではおっさん(つんくとか秋元康とか)が作っているので、一種の隔たりを作らせる「壁」となっているみたいです。
吉田豪氏が一連の事件の呟きをRTしてたりするので見応えはあります。
https://twitter.com/WORLDJAPAN
件のこれ。
吉田光雄 @WORLDJAPAN 5月22日
https://twitter.com/WORLDJAPAN/status/734468763853062144
以前、「女性シンガーソングライターのヲタはヤバい」って噂は聞いたことあったんですけど、その理由が「本人作の歌詞を自分のことだと思い込みやすいから」と聞いて、アイドルの場合は作詞家(つんく♂、秋元康ほか)がそういう妄想を抱きがちな人の壁になっててくれてる面もあるんだなと思いました。
何れにしてもストーカー事案なので恐ろしいことには越したことはないですが。
「民主主義という病」フラゲしました!
これからじっくり読もうと思います!
フラゲ!フラゲ!
私も今から読ませていただきまーす
新刊のタイトルを「病い」としたのはよしりん先生では無かったのですね。
どうもこの「病い」というのは最近出てきた医療用語らしく、「疾患」と対になる言葉だそうです。
「疾患」とは病気の原因にあたり、「病い」とは症状であり、患者個人の主観の事を指すとか。
新刊のタイトルに「民主主義という病い」とつけたのは、病いを罹っている患者(日本人)の生き様やメンタルに踏み込んだ内容になっているのでしょうか。戦争論は西洋医学でいう「特効薬」でしたが(それ故副作用も起きましたけども)、今度は東洋医学の視点からアプローチしたスケールの大きな思想書、というより医療書のような作品になるのでしょうか。
そんなこと勝手に予想をしながら発売日を心待ちにしています。
ニコニコのメンテナンスが終了したので、やっと書き込めるようになりました。
「民主主義という病い」、『当日に正規の書店で』購入しました!
後でじっくり読みます。
>>132-133叢叡世さん
吉田豪氏のブログやツイッター見ました。まったく私も吉田氏と同感で、最初はAKBの岩手の時と同様イベントでアイドルが襲われた事件だと思っていたのですが、事件翌日の報道ステーションサンデーで現場の様子とか被害者の最近の活動を知ってから「これ単にインディーズのミュージシャン(富田真由さんのこと)がライブ会場に向かう途中にストーカーにつきまとわれて断ったら刺されたって事件じゃないの?」って思ったので、それ以降「ストーカー事件」ではなく「アイドル襲撃事件」と伝えているマスコミ(特に民放テレビ)の報道ぶりには違和感を感じざるを得ません。AKBの時だって単に「有名なやつなら誰でも良かった」って輩が起こした事件ですし、今回でもライブハウスに向かうのに最寄駅まで電車で行ってそこから徒歩で行くなんてインディーズならごく普通のことですからね。だから「イベントやめろ」とか言ってるのは完全に言いがかりかなと(AKBGのメンバーですら自宅から秋葉原・難波・栄といった劇場の最寄り駅まで電車通いしてるのが多いみたいですし)
吉田氏が丁寧に説明してもアイドルの握手会がどうのこうの聞いてきてるバカなスタッフもいるみたいですし、これも形を変えた「ポジショントーク」なのかなという気がします。
お邪魔します。
笹さんのブログ:5・23付「バッシングされた日のこと」を拝見しました。私は、「バターン死の行進」について名前ぐらいしか記憶になかったので、どうバッシングされたのかネット上を少し見てみました。その過程で「バターン死の行進」については、恐らく「左」であろうと思われる人と、「右」であろうと思われる人とで認識・評価があまりにも食い違っている様に思われました。
済みません、「死の行進」そのものの評価については、ネット上をつまみ食いしただけでは私には判断保留としか言えないと正直に白状します。それに、そもそも笹さんの記事全文を読めていませんので。ただ断片的な引用記事を読む限り、不当なバッシングがあったとは想像しますが。
ただ、2008・9年に日本の駐米大使が、2010年に外務大臣が元捕虜に謝罪しているようですが、キチンと検証した上だったのでしょうか?どの点を謝罪したのでしょうか?
今回のオバマ大統領の広島訪問に元捕虜の方が同行する様ですが、その辺り日本政府はどういった認識で迎え入れるつもりなのか不安に感じました。
と、以上のコメントは、昨日下書きで書いていたものです。で、今頃道場のブログを拝見。「誰もが見たい!?時事楽論」で、高森先生と笹さんが、「バターン死の行進」について収録されたとの事。俄然注目です!
長文失礼
「民主主義という病い」読了しました。
読み終えて、自分は民主主義の本質や成り立ちをほとんど理解していなかったという事を、痛感させられました。
人類は民主主義を使いこなせず、振り回さればかりいる。そういう点で民主主義は、インターネットに似ている気がしました。
本ではたくさんのご馳走が紹介されてましたが、「民主主義という病い」という作品こそが、脳味噌のご馳走だと思います。「知の富裕層」「知の美食家」になれるよう、何度も読み返そうと思いました。
民主主義という病いを読みました。
これを読んで感じるのは民主主義について、戦後の日本人は真剣に考えたこともなく「よく分かんねーがありがてーもんだ」と全くの無知であることです。
明治時代の日本人は藩閥政府も自由民権運動家も近代主義、民主主義について真剣に考え、問題点なども分かっていたんだなあと思います。
藩閥政府が民主主義を嫌っていた理由は「人民に主権を渡すと衆愚政治になり、国を誤る。だから我々元老が陛下を輔弼し、日本の独立を守る」と考えていたはずです。結果的にポーツマス条約の後の暴動が見られるように民意=正義ではないことが証明されました。
大正デモクラシー、政党政治を経験していくうちに政府も民意には逆らえなくなり、軍の暴走である満州事変も事後追認する形になりました。民意が関東軍を支持したからです。
その後に近衛文麿が首相になったのも近衛が国民、政党、軍部に人気があったからであり、調停役として期待されたからです。
そして、近衛は民意に従い支那事変を泥沼化させ
日独伊三国同盟を結び、南進政策を取りアメリカとの開戦を不可避にしました。これも民意に従った政策です。昭和天皇、西園寺公望もそれが間違っていることは分かっていてもどうしようも出来なかったのは近衛文麿が民意を代表してたからです。
そして敗戦を迎えるわけですが、当時の日本人が戦争について正しく認識できていたならば「民主主義によって戦争は起こる。軍部がいくら強力とはいえ民意には逆らえない」です。
しかし、敗戦責任を負いたくない国民は責任を全て軍部に負わせ、自分たちは被害者であると強弁しました。こういう国民だからこそGHQの占領政策にハマり、民主主義万歳になったのだと思います。
自分たちに責任を負いたくないから、天皇、軍部の戦争責任に躍起になる。こーゆう国民が民主主義について正しく理解できるはずがありません。
先生の本を読んで民主主義は実に血なまぐさい危険なもの、暴走するものと理解できる国民が増えることを望みます。
ただいま『民主主義という病い』読書中です。
途中まで読んで気づいたのですが、p.31の『シェフも気の毒だ。わしに食してもらえないなんて。』とよしりんが言ったコマで、よしりん先生に睫毛が生えていますが、これは何か狙いがあってのことですか?
一瞬、みおりんのような女の子キャラに見えたもので…。
また続き読んで報告します。
後、横井小楠が理想とした堯舜政治による民主主義は「人民のための君主政治」だと思います。
堯舜は常に身を慎み、徳を治め、人民のために政治を行った。人民は堯舜を見ること父母の如く、君臣水魚の交わりの理想政治を実現したと史記で司馬遷は書いています。
また、湯王武王が桀紂を放伐したのは人民を苦しめた暴君であり、湯王武王は人民の為に放伐したとされています。
だから堯舜湯王武王を崇拝する孟子は「君主の人民ではなく、人民の君主だ。人民を苦しめる君主は君主に非ず」と言ったのです。
日本において古代から渡来人から支那の思想、文献は輸入され、民の父母であることが君主の理想であると考えられました。それを具現化したのが天皇陛下であると思います。
支那においてあまりに皇帝の力が強すぎる為に血なまぐさい闘争が行われたことにより、君主による独裁は結果的に君主を亡ぼすことになると権威と権力の分離が行われたことは極めて先見的、イギリスよりも遥かに早く行われたことは凄いと感じます。
「民主主義という病い」書店で購入しました!!
これから読みます!
「民主主義という病い」わたしも金沢市の書店で購入して、早速クルマの中で読みました。
冒頭のアランパッサールの料理はステキですね、あと、メニューさえフランス語で読めれば注文は何とか出来そうですが、
ワインリストは絶対無理ですね、ペリエかエビアンで私は良いかも…。
木蘭さんのブログ「今の庶民に値上げなんてムリムリ」痛感しています。
お馬鹿な経営コンサルタントなんかは、「付加価値の高い商品を販売するにはある程度の高価格を提示しなければならない!」なんて狂った事をのうのうと垂れ流します、
まあ、アベノミクス心酔派はまさにその尖兵ですが、
元々低価格帯で商売をしている会社が、付加価値の高い商品を出したところで、
なんでこんなに掛かる(お金が)の?と、足を運ばなくなるのは、
大手外食産業や大手アパレルのみならず、近隣の電化量販店・スーパーや果てはコンビニでも全く同じです。
安売りの度合いやキャンペーンやポイントやセールなどで客引きを繰り返し、
自転車操業を繰り返すだけでしょうね、それを金融機関も自治体も後押ししている現状が続いている訳ですから。
賃金が万が一上がる職種があれど、消費には回さず只管貯蓄になるのも当たり前です、
今の季節などガンガン庶民には税金や年度更新の督促が来ます、市民税・固定資産税・国民保険・社会保険料の更新・自動車税・任意保険の更新・年金の督促などなど…アタマが痛いです。
こんなにお金が飛んで行くのに、やれ商品力やら高価格商品やら、
一般庶民にはなーんの関係も有りません。
例え、このまま物価が上昇しようが、身体に害が有りそうな生活必需品ばかりが陳列され様が、
懐が寒いのですから、死にたくなければ安価な商品を買うしか有りません。
結局のところ、庶民が自身のライフスタイルを見直す以外には生き延びる道は無いでしょうね。
もくれんさん~
メレンゲのブログ、楽しく読ませていただきました。
もうすぐお誕生日ですね。
おめでとうございます!!!
大瀧詠一の「恋はメレンゲ」と「お花見メレンゲ」で
踊り狂ってお祝い申し上げます。
6月2日楽しみ。
『民主主義という病い』拝読致しました。
大学時代にヨーロッパの政治思想史を勉強したのですが、徴兵制と民主主義がワンセットであることは、フランスをはじめとするヨーロッパでは当たり前のことだと学んだ記憶があります。そして公共心がない大衆が民主主義を金科玉条の手段として盲信することは衆愚主義を生み、大衆による反知性主義からなる恐怖政治を生むのは洋の東西を問わないのでしょう。
民主主義は奴隷の平和であり、危険を冒しても自分の責任において自由を追求する覚悟の方がこれからの私たちに必要であり、そのためには自分の領分を弁え公的な領域での営為をなし、時には命をかける覚悟も必要なのかな、と思ってます。
戦後の学生運動から今のシールズ、ネトウヨに到るまで、生産の営為の現場から逃げる目的で奴隷の民主主義の運動ごっこに走る若者とそれを甘やかす馬鹿な大人は、この本が提示してるテーマを直視できないでしょう。
日本特有の寄り合い民主主義は、周囲を海に囲まれていたうえに侵略する国もなかった江戸時代までのある意味、恵まれすぎた条件の下でしか成り立たなかったやり方でもあったのかもしれません。武士が日本型の民主主義を定義して、それが明治維新の頃までは生きていたのかもしれません。しかし、安易な西欧化と個人主義の台頭で日本と西欧の政治思想の相違を咀嚼できないまま大東亜戦争で欧米とぶつかり、敗戦後安易にアメリカの価値観を無批判に受け入れてしまったのです。アメリカが提示する思想は全て新しいという考えは現在のグローバル礼賛主義に相通じています。
日本の政治の理想としては、様々な知性と公共心を持った少数の賢者が、象徴としての天皇陛下を補弼しながら悠々と進めていくやり方を私は提案します。少なくとも今の愚民主主義では、どの党が政権を取っても一流の国家になれないと思うのですが。
それから公のことも大事ですが、自分の暮らしをきちんとやるという範囲で私的なことも疎かにしないのも、バランス感覚を失わないために大事なんだな、と思います。政治思想のことを語りつつ美味しいフレンチの話をするのも大事だと思いますね。
私は昔から少食で、もう年齢が年齢なのでよしりん先生みたいな高級フレンチはもう全て食べれないくらい胃が小さくなってます。
ですが地元の綺麗な水で育った美味しいお米で出来たご飯に、これまた地元の美味しい地鶏から産まれた美味しい卵を掛けて毎朝食べてます。ある意味一番グルメな食事を毎日食べております。
それから昨今はスタバもドトールもお客の回転率を上げるために長居できないという世知辛い商売方法を取ってます。
モスバーガーくらいです。長居して勉強とかしても追い出されないチェーン店は。
街の喫茶店、もっと復活させてもいいのにね。
>>151
手前味噌ですが、ウチの店はオープンから閉店まで、此方からお帰りを願う事をしない様にしています、
何故ならば「居心地」もお店の価値だからです、料金に入ってると見なしているからです。
食事が終わっても、会話を楽しんでもらうのもお店の商品価値だと考えているからです、
だから、回転率は上がりません(苦笑)正直な銀行さんにも色々と苦言は貰いました、が、
やはり頑固なのかも知れませんし、商売下手なんでしょうが、其処を料理と共に価値にしたいと思うので、
何年続けられるかは分かりませんが、それを貫きたいですね、
お金儲けは大事ですが人を入れ替える事が利益に繋がるとは思えないので。
大切なのは顧客を常連さんを少しずつでも増やす事だと考えてますから。
笑点の新司会者が春風亭昇太になりました。
まさか・・・
視聴率が・・・
下がるんじゃないだろうなぁ?
話は変わって、Xデーの大物俳優はT置の可能性が高い。
ガリガリ君、当たりおめでとうございます\(^^)/
T置か、あり得ますな…消えそうに燃えそうなワインレッド…
お邪魔します。
「誰もが見たい!?時事楽論」・『15分でわかる「バターン死の行進」』を視聴しました。時浦さん迅速・丁寧な配信有難うございます!
前回のコメント>>141 で「死の行進」に関する論争を、「まるで『南京大虐殺』論争を見ている様だ」と一旦書いたものの、「行進」そのものは有った様なので削除しておりました。しかしこの問題も議論する価値が色々と有るようですね。詳しく知りませんでしたので、概略が判りました。有難うございます。例えば「行進」の距離に関する諸説も、笹さんの体験を聞いて驚きました。
ところで、件の元捕虜の方のオバマ大統領・広島訪問同行は無くなったそうですね。沖縄の事件を刺激したくなかったのか、良く判りませんが。いっその事、来て頂いてとことん議論になっても良かったかもしれません。私は「死の行進」の深層が知りたいです。
それにしても、過去に日本政府が「謝罪」したのが本当ならば、何を謝罪したのでしょうか?
【「民主主義という病い」の感想文】
昨日フラゲして、たった今読了いたしました。ゴー宣スペシャル本は一気読みしてしまうガサツな私ですが、今回はフランス料理がシンボルになっている本ということで、有り難く噛み締めるように読ませて頂きました^^
本を読んでショックを受けたのは「民主制」と「共和制」の違いについて私は全く理解していなかったことです。
「共和制は天皇制を否定するもの」と考えていました。そして民主主義の原則が直接民主主義であり「人間には到達不可能である」という根本的な理解が不足をしていました。
【民主主義という病い】というタイトルを聞いた時、シールズやそれを持ち上げる連中を批判する本なのだろうと予測していたのですが、私自身も「民主主義という病い」にかかっていたようです。無念!
昨年11月8日。大阪で開催されたゴー宣道場で、小林よしのり先生は「民主主義は完成しませんよ」とおっしゃっていました。半年以上経過し、ようやくその意味が分かりました。
私は「どうにかして民主主義を機能させなければならない」と考えてきましたが、これからは「公民主義の確立」という観点から物事を考えてみたいと思いました。
祖先から受け継ぎ、
子孫へ引き継ぐべき
「公」とは何か?
それは絶えずバランスを取りながら、
模索し続ける努力が必要であり、
そのために『議論』が必要なのだと感じました。
ところで、長年のゴー宣ファンとしては「よしりん奥様」の登場にマックスハイテンションですo(^o^)o
想像していた通り、素敵な方だなぁぁ♪
みなぼんさんと、奥様と、最高級フランス料理の旅行!
「充実した庶民は嫉妬しない」だなんて先手打つように言われても、嫉妬せざるを得ない!とにかく羨ましい!!それが庶民の本心だ!!
・・・嗚呼。私の「公民」への道のりは、まだまだ遠い。
AKB48が大喜利をやると、必ずこうなる。
指原「私司会の指原と、私の部下でーす。」
小嶋、入山、柏木、山本、渡邊、北原、みおりん「あんたの部下になった覚えはなーい!」
ちなみに、座布団運びはみおりんです。
みおりん「幸せと愛を運ぶ、天使の座布団係でーす。」
そして極めつけはこれだ。
柏木「サシコババ ゲスな恋愛 スキャンダル」
指原「ちょっと!それはお互い様じゃない!みおりん、座布団全部持って行きなさい!」
柏木「なんでさもぉー!」
みおりん「地獄に落ちろ!バカ野郎!」
嗚呼、書いちゃった・・・
どうしましょう・・・
でも・・・
書かずにはいられなかった。
これ、名誉毀損になります?
「後追いの如く」ですが、行きつけの書店にて『民主主義という病い』購入しました(しかしビジネス書の棚はどうかと思う)。
熟読の値打ちがある濃い内容、1章ずつの感想も試したいのですが、全体を通しての感想を2つ。
「よしりん先生とみなぼんさんの掛け合い形式でリズミカルに読み進められる」
「やはり主張の織り込みが、並の歴史研究家より説得力がある」
私は世界史を挫折したものですが、加えて誤解もしていたのかなと思うには十分な啓蒙の力を感じました。
これは先生なりに、民主主義の「過去・現在・未来」の三題噺を作られたと思いました。
個人的には「日本も共和制と言っていいんだ!」のくだり、共和制が天皇制(一般的概念として)に抵触すると考えていたために、結構な知的刺激として頭に残りました。
休日にまた熟読してみようと思います。
時浦さんがブログに書いているシールズの若者が唱えている「民主主義を守れ!」はGHQが作り出した民主主義を守れですよね。
先生が描いていますが占領初期にGHQは「日本を軍国主義から民主主義に変える!」と宣教師の気分で実験的に占領改革を行いました。
民主主義を正確に教えるならばまだしも「世界で危険なのはナチスドイツと日本だ。その二国が敗戦した以上は世界で戦争が起こるはずがない」という
ユートピア幻想のもとで行われたことです。
ポツダム宣言では「日本国政府ハ日本国民ノ間ニ於ケル民主主義傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」と規定されていました。
アメリカでさえ帝国憲法下でも民主主義は行われていたと思っていたのに、サヨクが「明治憲法は民主主義でない!」と言っているのは滑稽ですね。
天皇の地位についても「象徴」としていることから
押し付け憲法とは言え天皇を蔑ろにしていないことは分かるはずなんですがね。
とは言えGHQ左派であり新憲法を主導したケーディスは天皇の神格性を剥ぎ取ろうとしていました。
「新しい憲法を起草するにあたって主権は完全に国民の手にあるということを強調しなければならない。天皇の地位は社交的君主の役割のみとされるべきである。1946年の元旦の天皇の人間宣言があるように天皇の地位はどのようなものであればよいか国民の考えはできつつある」としており、「天皇は新しい存在として護られるけれども、神格化された天皇制は払拭されなければならないのは一貫したマッカーサー元帥の考えだった」と回想しています。
このケーディスの主張を受け入れる形で憲法第1条が出来ますが、「象徴」という規定はどちらかというと保守的なアメリカ人から考えられ「天皇は国を支配する権力を持たなくても、国民からは尊敬できる存在になればいい。それは単なるお飾りであってはいけない。ただし、過去に軍人に天皇の大権を利用された状況を防ぐ為に天皇には政治的権力を持たせてはいけない」としていました。
と見てみると天皇が象徴であるは「天皇は象徴に過ぎず、主権は国民にある」と「天皇は象徴であり
国民の尊崇の対象である」の二面性があるのだと思います。
文部省で出された「民主主義」が天皇は象徴に過ぎないと書いたのは当時GHQを牛耳っていた左翼に媚びた内容だなと感じます。
共産党が国会の開会式にボイコットしていたのは
ケーディス寄りの解釈で天皇を見ているからです。
象徴という存在から見たら「何が問題なんだ?」になるんですがね。
GHQに媚びた形での民主主義しか語れないことが
シールズを産んだんだと思いました。
「孤独を貫け」を読みました。読みやすくて面白い、しかも深いです。
個人的にとりわけ印象に残ったのは、世界大の公論に触れた部分。
「公論として大事なのは、どうすればいちばん中東を安定させられるかを考えること(p200)」
今まで先生が他の著作でも何度も発言されていることとは思いますが、「公や公論って何だろう?」と最近ぼんやり考えていた自分にとって、上記の言葉はハッとさせられるものがありました。まだまだまだまだ私の理解は浅いとは思いますが、公論とは『公が最も安定する方法について思考し議論を重ねること』と今は解釈しています。
ドラマ「重版出来!」にて、高田純次(主人公のいる出版社の社長)が「私は本のおかげで人間になることができたんです」といったことを言ってましたが、小林先生の著作には「人間に成れる」滋味が詰まっていると思います。
今は「民主主義という病い」を、主に通勤電車の中で、ちょっとずつ読んでます。ワクワクしながら読み進めてます。
26日の朝、懇意の本屋さんが「民主主義という病い」を届けて下さいました!☆。
帯の絵---ワイン掲げてフレンチを食す先生の
下からライトの不気味な笑い?!::
その意味はこれだったんですね
言葉と絵で食べ物のお味を表現するのってたいへん;;
自分で食べてみるしかないけれど・・・
せめて せいいっぱい想像するのだ
土づくり、撒く種、そこで手ずから育てる野菜
そうやって穫れた一つ一つの食材
「素材が発する声に耳を傾け創作する」
すべての「創作」「優れた作品」は
こうした“あえかな声”が聞こえるかどうかにかかっている
あはっ 約束は果たされた((^-^))
辻本清美さんとの対談でなさった や・く・そ・く☆
キリッとした短髪
生き生きした眼差しに快活な口元
何と素敵な美人なんでしょう!
『民主主義という病い』、昨日読了しました。
今まで学校で教わった『民主主義』『国民主権』なるものがいかにイデオロギーで価値に値しないものかがよくわかる一冊でした。
これからは「公民主義」、「国家主権」という言葉を頭に入れて、生きていこう。
今日から、未だに『民主主義』『国民主権』という言葉を使い続けている人は、化石化した脳の持ち主だと判断します。
沖縄女性強姦事件と女性アイドル襲撃事件の違いについて、よしりん先生、よくぞ言ってくださった!との思いです。
マスコミが襲撃事件ばかり取り上げる状態に実のところわたし少々うんざりしていました。
地下アイドルとはある意味生き残りをかけた競争であり、ファン獲得の過程でストーカーが出てくるのもある種止むなしですが、沖縄の強姦はまったく理不尽なままに殺されたのですから、本来こちらが許せない、世論がもっと騒いでいい事件のはずです。
わたしの家族や恋人がもし同じような目に遭えば、犯人を絶対虐殺します。それくらいの覚悟がなければ、日本人として生きていけません。先祖同胞に申し訳ありません。
【NMB48渋谷凪咲ちゃんが、小林よしのり先生にメッセージを送っていました】
渋谷凪咲@_Nagisa_Shibuya
ただいま総選挙ガイドブックが絶賛発売中です。
そして凄く嬉しい事に、小林よしのりさんが総選挙の順位予想で私を4位にして下さっています。
よしりんさん、ありがとうございます!
本番も4位ランクイン出来るくらい頑張ります!
こんにちは 後藤です
今更ながら
『民主主義という病い』 というタイトルの深さ、タイムリーさに うならされます。
これから 熟読します!
そういえば、もうすぐ総選挙ですね。
今年は新潟で行うそうですね。
新潟といえば、ハンドルネームに”ニ”が付く人ばかりが思い出されます。
しかし、多分、多分ですよ、その人は当日仕事をしていらっしゃるんじゃないかと∑(゚Д゚)そんな予感がするんです(T_T)
わたしは現地から遠く離れているばかりでなく、わたしも仕事で、生放送で見れないっと… 。・°°・(>_<)・°°・。
総選挙といえば!
AKB48総選挙賭博がまたやってくる。
暴力団の資金源が増えてしまう。
一位二位三位の三連単を当てるのである。
「民主主義の病い」を読みました。 思ったことはたくさんあるけど、長くなるので今回は一言だけにします。
「次に飛行機に乗ったら、気合を入れてフォースをはりめぐらせるぞ!」
・・・もうちょっとマトモなことを書いておくと、堅っ苦しくなりすぎないように、ところどころでギャグを挟むのはさすがだと思いました。
消費税増税再延期、安倍総理は「リーマンショック以来の深刻な事態が発生した」とヌケヌケと言い訳しているのですが、どうして素直に「アベノミクスの失敗でした」と言えないのでしょうか?
そしていい加減朝日新聞も毎日新聞も、消費税増税に拘るのをやめてほしい。
朝日新聞も毎日新聞も、そんなに3党で決めた政治公約の方が大事なのでしょうか?
増税がもとで喘ぎ苦しんでいる庶民のことは目に入らないのでしょうか?
もくれん先生のブログの通り、もうこれ以上値上げはできない街のお店屋さんは着実に増えているのです。
NHKのニュースでも、民法のニュースでも、報道されていますが、増税でなくても、食用油や小麦粉、バターなど、多くを輸入に頼っているので、それらが皆値上がりしますと確実に影響を受けるのが個人商店の事業主さんです。値上げ分を買い主さんに転嫁させるわけにはいかないと、包装紙の量を減らすなど、涙ぐましい努力をしているのです。
そういった努力は、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞といえども全く目に入らないのでしょうか?
3紙はいつから権力の味方になったのでしょうか?
なんだか今日はたて続けに書いて恐縮ですが。
この頃よくニュースでリニアのことが話題になります。
リニアとは、リニアモーターカー、あと十何年か先に、品川と名古屋を結ぶあれ。
あれが、大阪や関西の政治家や経済団体が、「大阪まで延ばせ!」と、エライ揉めてはります。
正直、今となって、わたしには、リニアなんか無用の長物と思っています。
リニアを造るお金は全部、保育所や幼稚園、その他子供を育てるために回してほしいのです。
リニアなんて、老人の楽しむジェットコースターじゃないですか。
たった数十分間時間を短縮するために馬鹿デカい費用をかけて、地方の鉄道は赤字だからと切り捨て。毎日のように踏み切り事故で失わなくていい命が奪われているのにその対策は及び腰。
一方、リニアを動かすのに使う電気は原発で作る電気を頼みにするとかでJRの社長は原発再稼働に賛成とのこと。
リニアに飽き足らず、今度は羽田空港と成田空港を最短で結ぶ地下鉄新線を建設して、途中に「新」東京駅を設置するのだとか。
わたしの頭の中は「⁇?」でいっぱいです。
まず、どこにそんな金があるのかと問いたいです。
次に、それは今どうしても作らなければならない必要なものなのかと問いたいです。
その次に、それは誰が乗るのかと問いたいです。
そのまた次に、なんで東京駅に乗り入れさせる必要があるのかと問いたいです。
最後に、それは果たして完成するのかと問いたいです。
財政赤字、少子化、貧困層と富裕層の二極分化に加え、新宿や渋谷、池袋や上野、品川など、東京には至る所ターミナルがあるのに、東京駅こそ東京のターミナルだという幻想、耐震偽装や手抜き工事、落盤事故の可能性など、問題ありありです。
この国をデザインする人は本当にこの国の現状が分かっているのでしょうか?
ライジングの感想でないのですが。。。
舛添は本当に酷いですね。
私利私欲に奔り私腹を肥やす明治の藩閥政治のようです。
1,2年の間に購入した美術品は約90点にのぼるとか。
これって完全にマネーロンダリングの手口ですよね。
公金を自分の財産にするために「資料」と称して美術品を
買い漁っているのが見え見えで「せこい」で片付けて
良いレベルなのか、個人的にはその異常性にびっくりぽんです。
まあ、庶民は完全に見抜いていると思いますので
自・公が舛添を放置すれば彼らが信頼を失うだけなので、
それで良いのかもしれないんですが。。。
首都の恥事がこれ以上外国に行って注目を集めない事を願うばかりです。
さて、先だって物語調でオバマ訪日を揶揄したら、果たしてその通りになっているから嫌になります。ネットでは感動しただの涙が出ただの、お人よしが多いんだな、と思います。ベッキーにもその優しさを分けてやればいいのに、と思います。
酷いことを言うようですが、生き残った人々がゆるしを口に出来ても、亡くなった方々はそれを口にできません。それを錦の御旗にすることは私は控えさせて頂きたい。憎しみだけで歴史に向き合うことはいけませんが、現状を振り返って頂きたいのです。米国は戦後、日本以外の国をどれだけ踏みにじってきたか。また踏みにじり続けているか。オバマはなぜ米国で支持されなくなったか。原爆を正当化するトランプがなぜ一番支持を得てしまっているか。先日、いや戦後ずっと沖縄で起こってきたことの全てを。
そして、何より、被爆国でありながら、それを落した国に跪き、核に守られてきた戦後の平和主義という偽善を直視しなければならないでしょう。核なき世界を実現しようというのなら、まず日本は自主防衛をすべきなのです。原発も廃炉にすべきでしょう。でもしない。やる気もない。ハリウッド映画の見すぎの大衆は、コロッと感動を演出する演説に騙される。いや騙されたいのでしょう。一生そうしているが宜しい。
と書いてしまいましたが、先生に先を越されましたね。私も出来ないことを言って期待を持たせるというのが一番の罪であるのだと、齢を重ねて気づきました。それは最初は人を感動させますし希望を持たせますが、最後には不信と虚無へと突き落とすのです。だから偽善は罪なのです。できもしない「いいこと」を戦後言い続けた結果どうなりました?
不信に満ち満ちた大衆社会を生み出すに至ったのは、オバマのような、あるいはそうした発言に共感や感動を抱く、偽善的な人間たちのせいだと思います。だから失望した大衆はスーパーパワーを求める。トランプのような。もううんざりです。
地獄への道は善意で敷き詰められている。誰の言葉でしたでしょうか?
実際に被爆された人は、あの時に正にこの世のものとは思えないほどの「醜さ」を体験されたから、『きれい』なものに縋りたくなるのでしょう。どんなに広島の街が復興しようとも、どんなに戦争のない期間が続こうとも、被爆者にとって『美しい』ものは2度と還って来ないのです。
『美しい』ものを見る機会と感動を、あの原爆が奪ったのです。
「卑怯者の島」に代表されるような戦争の美醜、日常の中でも繰り広げられる人間関係や生活風俗の美醜、あの原爆は微妙な空気が醸し出す美醜の粋というのを一瞬で打ち砕き、地獄一色に染め上げたんだ、と私は思います。
今のアメリカが日本をグローバル化一色に染め上げるのも、原爆の”成功”に味を占めたアメリカの傲慢さの表れなのかもしれません。
AKB総選挙ガイドブックの、小林先生の独断順位予想見ました。
僕には順位予想というよりも、王道アイドル・渡辺麻友を中心にして、この16人を軸に新生AKBを創り上げてほしいという、小林先生のメッセージのように読めました。あとNGTとNMBに対するイレコミ方が、半端ないと感じました。
「このコに注目」では指原莉乃を挙げてましたが、彼女は個人としては成功しているのだから、今後はその能力をAKBグループという公の為に発揮してほしい、という期待なのかなと思いました。
今年のAKB総選挙ですが、僕は指原の二連覇はほぼ間違いないと思ってます。彼女は「アイドル界の白鵬」化しているように見えます。
指原率いるHKTも独自路線で成功を収めており、AKBグループに満州国ができたような感じです。小林先生はかつて指原を「地獄の黙示録」のカーツ大佐に例えてましたが、今の指原は「アイドル界の石原莞爾」と呼んでもおかしくないと思います。
今思えば、指原がスキャンダルをものともせず、初めて総選挙1位になったのは、満州事変のようなものだったかもしれませんね。
敗戦直後、7年間の占領期間は、皮肉にも美醜の感性を持っている大衆が大勢いた。アメリカを許さない『美しさ』を。
ところが占領期7年の間にすっかりアメリカに洗脳されてしまった日本人が、占領期間終了後に、『美しい』の感性がわかる同胞をピンセットで摘むように排除して、アメリカを許しましょうという『きれい』な言葉を吐く人を表に出しちゃったのですね。
結果、アメリカは許せるという人を大量に作り出したわけですが、その”選別作業”をしたのは他ならぬ我々同胞日本人なのですね。
だとしたら、我々日本人はアメリカ人を喜ばす”同胞選別作業”をやめて、”同胞愛”の精神に立ち返る、すなわち自主防衛をよしとしなければならないですね。
原爆投下を謝らないのに、なぜ広島に来た!
オバマの広島訪問は、ニュースを見ててムカムカして仕方がなかったですね。アメリカに限らず、核保有国は他に核保有国がいれば、対抗するために持ち続けるしかない。もしも核保有国が自国だけになったら、こんな優位な立場を捨てるわけがない。
そして、もしもオバマが本気で率先してアメリカから核兵器を無くしたら、みんなどうするのでしょう。いくら核廃絶を訴えようと、日本がアメリカの核の傘を期待しているのは明らかです。イラク戦争に加担した理由は北朝鮮がいるからだと、福田元官房長官が白状してましたし。
アメリカが核を捨てたら一番困るのは、今の日本人です。こういった事態まで覚悟して核廃絶を訴える人は、どれほどいるのでしょう。
アメリカが謝罪すべきかという件については、私はその必要はないと考えます。今は事件からかなり時間が経ち、当時を知らない人がほとんどになっています。そういう人たちに対して、「謝罪」を求めるのは無理があると思うのです。これは原爆投下に限ったことではないです。
しかし、原爆投下が「民間人を大量に虐殺した、悪魔の所業」であることは、認めるべきです。これは単純に多くの同胞を失ったからでもありますが、そうしないとアメリカ自身が「正当化された理由」によって、核攻撃を受けても「仕方がない」ということになるからです。
「自国民の被害を減らすため」という理由で核攻撃が許されるなら、アメリカは既に4、5回は核攻撃されてていいんじゃないかと思います。世界中で戦争を行い、人を殺しまくっているんですから。こういうことも無視して、オバマも日本側も感動ドラマのようなものを演じているのだから、非常に不愉快でした。
まあオバマが被爆者をハグしたシーンはいい光景だなとは思いましたが、それは実際に被爆された方の立場で考えたらそう思うだけで外野から見たら「何を美談にしようとしてるんだ?」って感想ですね。実際広島市の前市長の方も「核廃絶しないならいちいち来るな」みたいなコメント出してるみたいですし。
それとオバマが広島のヘリポートから平和記念公園に向かう途中の車列の異様さに惹いてしまったのは私だけですかね。テロ対策なのはわかりますが、なんかやり過ぎ感もしてしまいましたが。
オバマの広島訪問でのスピーチの生中継を苦笑しながら見ていましたが、あれに感動した人が大勢居るなんて、日本人の感覚というものを激しく疑ってしまいます。
オバマのスピーチはただ綺麗事で、どこか他人事のように語っているようでした。あと、オバマの斜め後ろで神妙な顔つきで立っている安倍ちゃんの姿に「付き人かよ!」とTVの前で突っ込んだのは私だけでしょうか。
スピーチのあと、オバマが原爆投下について謝罪しないことについて怒る人は居ませんし、中には「謝罪を求めないことが、品位の高さ」等と語る小説家が出てくる始末です。
日本が辿った歴史も、主権を奪われている現状も直視せず、美辞麗句と欺瞞まみれの平和の願いに感動することは、品性なんてものじゃなく、単なる現実逃避です。
オバマもその辺解っていて、あのスピーチを行ったのでしょうね。
演説しているオバマの横で、神妙そうな顔をして突っ立っていた人に、胡散臭さと薄っぺらさを感じました。見ていられなかったです。
CNNのサイトでは、オバマの広島訪問はトップニュースではなかったです。むしろリオ五輪のゴタゴタをトップに取り上げてました。海外の反応はそんなもので、どうも日本のメディアだけ大騒ぎしてる印象があります。
安倍は今の世界経済をリーマンショック直前の頃の危機だ、などとサミットで発言して他国の首脳の失笑を買ってたとか。そりゃ去年よりも円高だし株安ではありますが新卒の大学生の97%の就職が内定してる日本経済の現状を危機だと言ってるのもおかしいし、日本の不況っぽいムードが世界経済に波及してるという認識もおかしいし…。
あれだけ経済界のブレーンをつけて、世界経済を先導した経済学者をわざわざ呼んでまでアベノミクスを検証したにも関わらず、安倍という人間には経済的な感性もなく自分の主導した経済政策がちょっと上手くいかなかったからメルケルやオバマに泣きつこうという姿勢は、一国の首相としてどうだか…
こんな馬鹿総理をよいしょした自民党・マスコミ・財界人、それから何となく自民党に投票しちゃった自称保守系無所属支持者の選挙民は、結局安倍と同じ穴のムジナなのでしょうね。政治理念とか経済哲学よりも目先の金と安楽しか考えてないし、それが炙り出されたことが今回のサミットの最大の成果ですな(苦笑)
安倍は消費税増税を止めるらしいです。まあ参院選対策です。
でもじゃあ消費税増税を止めたらみんな今以上に消費を増やすでしょうか?どうもそうじゃないでしょう。
小手先の経済政策で安易にインフレ誘導してもむしろ庶民は物価が上がって苦しいだけ。デフレの方がいいと思いますね。
円高でガソリンが安くなったので、地方在住の私は交通費が安く済んで去年よりも暮らしは楽です。
右肩上がりの経済成長神話をもう見直す時期なのに、安倍は結局日本の財界とアメリカの方しか向いてないんですね。
各国首脳は帰国後一斉に「リーマンショック前」を否定し、安倍は赤っ恥をかいていますね。
安倍の売国行為で日本が馬鹿にされているのは、腹立たしいです。
オバマを真似したい安倍の次の一手は電撃南京訪問じゃないですか。
「71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。(中略)その未来では、広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして知られるだろう。」(オバマ大統領のスピーチ・地方紙より抜粋)
文学的な美しい出だし 人類史を俯瞰した格調高い文言 楽観的な未来志向のまとめ
全文を読んでみて、スピーチライターは良い仕事をしていると思う。しかし、これでは遠い過去の歴史書の中の出来事を、回顧録的に、感傷的に振り返っているだけではないか?アメリカは当事者ではないのか?黙って聞いていた日本も当事者ではないのか?死者はどう見ているのか? …何か居心地が悪いです。
「民主主義という病い」を購入、一旦読了しました。
全篇通して溢れる優雅さと知性の中に、よしりん先生得意の毒とユーモアが混じっていて、非常に美味しく頂くことが出来ました。文句なく五つ星です。
作品の中で目からウロコだった所を3つ程挙げてみます。(本当はもっとありますが、キリがないので)
① 本当に充実している庶民は嫉妬しない
② ナショナリズムが下地にあってこそ、民主主義は機能する
③ 女性は本当に嬉しいことが立て続けに起こると「ふんぎゃあああ!」と叫ぶ
ざっとこんなところです。3つめはウロコというより涙だったかもしれませんが。
最後に、私はよしりん先生が提案する「寡頭制」に賛成します。そのためには国語力は当然の事、日本史、出来れば世界史にも通じた人が増えると良いのではないかと思っています。
産経や地方紙などにも出始めましたから、本当に増税延期でしょうね。
それにしてもリーマン前がどうこうとかより以前に、一旦やるといった増税を2回も延期するってどうなんですかね。いま総理やってる方って「決められる政治」とやらをやる人とかいうことでなったし国民も選挙で投票したんじゃなかったでしたっけ?
「民主主義という病い」読了しました。
第19章を読んで、GHQによる民主主義は悪い宗教染みている様に思えました。
教科書、政治、ニュース、サブカルに深く食い込まれたGHQ式民主主義を、日本人の多くは心地よく感じるようになる。
このため、原典に触れた際、まさに「法悦」を感じてしまうのではないかと。
良くない宗教との戦い、小林先生のオウム戦争がどうしても頭を過ぎります。
昔のオウム信者は今の知の貧困層でしょうか。
しかしこの戦争には、対オウム戦と違い国家権力が役に立ちません。
そうなると、非常に大変な戦いになる事が予見されます。
制度を変えるにしても、現制度によって利益を得ている強者との戦いは、避けられない様に感じました。
【描きたい作品を描くには】読みました
よしりん企画に金をっ!!
超大作の為にお金をっ!!
ほんとに勿体ないと思うのは
過去のよしりん作品群たち!
買えない
売ってない
見付からない
1億ぐらいすぐ売り上げるだろうになぁ
漫画onWebで、売り出さないかなぁ
よしりん企画に金をっ!!
超大作の為のお金をっ!!
「民主主義という病い」ただいま読んでいる最中です。感想は読了後に。とりあえず言いたい事は、先生の漫画家としてのレベルの高さ。さすがです。会話主体の漫画は、途中でダレてしまいがちですが、先生のコマ割りは飽きさせない。キャラの表情や仕草におかしみがあり、思わず微笑んでしまいます。だからハードな内容にもかかわらず、グイグイ惹き付けられてしまう。見事。実は私はお坊ちゃまくん世代ではないので、書き下ろし単行本は今一つ購買意欲がそそられなかったのですが、がぜん興味が出てきました。先生のこれからの活躍のためにも、購入しようと思います。
配信ありがとうございます。
私も『民主主義という病い』を只今読んでおります。
しかも『孤独を貫け』も併読中ですので、
読了するのにけっこうかかりそうです。
あげんぼさまじゃありませんが、よしりん企画に金を!
そして先生にたくさん名作を世に問うてもらって
世の中、知的にしようじゃありませんか。
実は、わたしも、ねこまるさまじゃないですが、
おぼっちゃまくん世代じゃないんです。
『東大一直線』の頃は生まれたばかり、
『おぼっちゃまくん』の頃はすでに大学生と
まったく、小林先生のギャグ漫画とは縁の無い世代で
『戦争論』で頭を打たれ、
『ゴー宣』で社会を学び今があります。
小林作品を私の薄給から少しでも買おうと思います。
私も『おぼっちゃまくん』書下ろしは、
頭の固い私でも読めるか心配でしたが、
絶対買いたいと思います。
よしりん企画の作品を愛していますので。
私は逆に、雅子様が御成婚と相成った時に初めて小林よしのり先生が『ゴーマニズム宣言』を描いてらっしゃることを知りました。
それまでは、『おぼっちゃまくん』の小林よしのりしか知りませんでした。
少年サンデーの読み切り漫画で、先生がチラッと『ゴー宣』を宣伝していたのがきっかけで、「SPA!」で『ゴーマニズム宣言』を連載していることを初めて知りました。
あの『おぼっちゃまくん』を描いている人が何で? と、当時は思ったものでした。
でも、ゴー宣を描いている人がよしりん先生で本当によかったと、今では思います。
だって、面白いギャグ漫画を描く人が知的な漫画も描くなんて、なんか得した気分。
私もコロコロ、ジャンプのヘビーユーザーで尚且つゴー宣は最初から読んでる男です( ´ ▽ ` )ノジャンプに至っては子持ちなのにまだ定期購読している、恥ずかしさを禁じ得ない社会人です(苦笑)
そんなマイノリティーなんですかねぇ?
先生、そんなことはないと思いますよ!(笑)
先生の作品を見て最近痛烈に再認識することは、「どのジャンルの仕事も、知性と知識欲と情熱がないと大成しない」ってことですね。ギャグ漫画の作者もパープリンだと絶対成功しないと思います。
先生にはいつも刺激を受けています。
おぼっちゃまくんの新作、超楽しみにしています(o^^o)ちなみに子供は妖怪ウォッチ世代なんでまたコロコロも家に積み重なるのかという輪廻みたいなもんを感じ始めております(笑)家中漫画だらけで嫁がいつも怒ってます(ちなみに嫁も漫画も活字も読みますが…笑)
ブログ読みました。
『小林先生=おぼっちゃまくん』の図式はある程度世代を越えて認知されているのは何となく解りますが、
『小林先生=おぼっちゃまくん=ゴーマニズム宣言=あさ生』の図式を知らない方が多いのには私も「へぇ~」という感じでした。
私が小学生の頃におぼっちゃまくんが大爆発して、その後はゴーマニズム宣言、或いは厳格に訊けだったような気がします。その中であさ生でお見かけするような感じでした。
正直、小林先生の他の作品を知らないのもあるので、これから他の作品も取り寄せて読んでみたいと思います。
みんな色々なんだね~~。
私のよしりん先生の印象は「『戦争論』の人」だな~。。当時、本屋さんに山積みされた『戦争論』を見て、怖そう。。とか思っていました。後年、『ゴー宣』を楽しみに読むことになるとは、その時は思ってもいませんでした。
私は子供の頃は少女漫画しか読まなかったの。『りぼん』と『なかよし』を愛読していました。
人の縁って、ホント不思議。
描きおろしの『おぼっちゃまくん』、絶対買って読みますよ~♪
『民主主義という病い』は1回読み、今は読み直し中です☆ (内容を理解するため、私はいつもこの読み方なの)
ルイ16世とマリー・アントワネットが可哀想になっちゃったわ。。映画『マリー・アントワネット』を思い出していました。この映画はオシャレで豪華絢爛な映像ばかり話題になりましたが(批判ばかり)、ラストのベルサイユ宮殿襲撃の場面のキルスティン・ダンストの静かな表情が印象深いです。
今回の本を読み、映画も観直したくなりました。
「民主主義という病い」「孤独を貫け」二冊同時に購入しました。二冊ともページをめくる手が止まらず、読み終えると貧血をおこし一日寝込みました。
「日本の民主主義の歴史」大伴部博麻のエピソードが一番心に残っています。
先生の仰る「公民主義」が一番日本人に合っていると感じました。
『民主主義という病い』、もう一度読み直そっかな。
『孤独を貫け』まだ途中なんだな。
今日は仕事だったので、いつか休みが取れたら、一気に読みたい。
感想が遅れましたが、まずは茶魔語の画像ありがとうございます♪なんか得した気分です。
僕は自分と子供二人で茶魔語を考えて投稿しましたが、絵で投稿するやり方がわからずに文字だけでした。でも、今にして思えば、投稿できなくても、絵を描かせれば良かったと思います…。
「きれい」と「美しい」の違い、ごまかしのあるかどうかの違いでもあるのでしょうね。子供は無心に自分の想いを叩き込むようにして描くけども、大人になるとどうしても体裁を整えようとしてばかりで、描いても楽しくないんですよね…。
先月、のむらしんぼ氏の漫画を夢中で読んでいた子が大人になってそっぽを向くのをよしりん先生は「堕落した」と言いましたが、「きれい」にばかり目を向ける大人も「堕落した」と言っていいのでしょうね。
安倍内閣の支持率上昇って本当なんでしょか。
「民主主義」の問題点噴出ですね。
しかし、左派の連中の情けないこと。オバマは巧妙ですよ。被爆者さえ丸め込めれば、彼らを担ぎ上げて反核の正当性を確保してきたサヨク共は大義を無くします。いつも被害者を盾に反知性的な偽善を垂れ流してきた連中の哀れな末路ですね。そういう手口を見抜かれて逆手に取られたんですよ。馬鹿にされていることにさえ気づかず、加害者である米国に擦り寄って未来志向だの核なき世界だのいうのは滑稽を通り越して吐き気がします。
これからは世界最大の核保有国の後ろ盾をもって、反核運動をする被爆国民という大いなる矛盾を満天下に晒してくれることでしょう。あ、これは今までもそうか。
今後は、米国に対して彼らの非道に異議申し立てをすることすら憚られる世の中になるかもしれません。幸い?トランプのような愚物が大統領になるかもしれませんから、その場合は米国の対日戦略も変化があるでしょう。ただヒラリーが大統領になった場合、オバマの遺産たる「映画的脚色による世論操作が日本人に覿面に効くという知見」を大いに利用する可能性があります。つまり、左右両方の言論を味方につけて、最大限に米国の国益のために日本から搾取する手はずが整えられる可能性がある。GHQの再来ですね。
どう転んでも地獄。偽りの蜘蛛の糸を断ち切って己が手で脱獄はありやなしや。
「民主主義という病」何度も読み返してます。
読んでいて強く感じるのは、「民主主義」「国民主権」という言葉を迂闊に使ってはいけない事、リベラル知識人やシールズが守りたい「民主主義」はGHQが捏造したものではないかという事です。吉野作造は「民主主義」ではなく「民本主義」という言葉を使ったそうですが、まさにファインプレーです。
この作品は「戦争論」くらい社会現象になってもおかしくないと思います。いや、ならなければおかしい。
今後は作品の参考文献にも挑戦してみたいです。「社会契約論」は一度読んだのですが、あまり理解出来ませんでした。改めて再読しようと思います。
ただ、Amazonで橋場弦「丘の上の民主政」を調べたら、高橋源一郎推薦と書かれていたので、読む気が失せそうになってます。
「民主主義という病い」は、知的好奇心を刺激される、凄い作品です。
切通理作さんの件ですが、私も気になっておりました。最近ブログ更新しておられないから、病気をされているのかと思いました。
フェイスブックには書かれているとは知りませんでした。
ここのコメント欄に全然切通さんの話題が書き込まれていないから、もしかしたら拗ねているのでは?
ならばライジングの読者として、切通さんに「公心」を取り戻してもらうためにも、もっと切通さんの話題に触れて、応援しなければならない。
切通さん、ちゃんと見てますから、たまには『ゴー宣』のブログに書き込みましょうよ。
来月の『ゴー宣道場』、パソコンの前でしか参加できませんが、非常に期待しています。
笹師範がおっしゃるように、当日は各師範方の熱々(ネチネチ)とした議論バトルが繰り広げられるだろうと思うと今からワクワクします。
各師範方におかれましては、どうかお身体を大切になさって、道場に臨んでください。楽しみにしています。
『大東亜論第二部 愛国志士、決起ス』をたった今、読み終わりました。どんどん物語としての面白さが加速して行っていましたね。魅力的な人物がわんさか出てきて、読んでいて、とても楽しくワクワクしました。昨年末にキャラクター人気投票を企画したdaiさんの真意に、ようやく追い付いた思いです。途中までしか読んでいないのに、簡単に投票してしまった自分の行為をとても恥ずかしく感じました。daiさん、そして小林先生、申し訳ございませんでした。
平野国臣・高場乱・前原一誠・江藤新平・越知彦四郎・武部小四郎、そして西郷隆盛…本当に魅力的な人物だらけでした。前原一誠と、江藤新平はカッコいいなあ♪ “出来る人”の魅力、あと、優しい人の魅力でしょうか。非常に勿体無い、日本の国の為を考えると、非常に貴重な人材を失ってしまったのだと思えてなりません。
越知彦四郎は、感性で生きる天才肌の人物といいましょうか。その輝きと供に儚さも、また魅力的ですね。最後の生首は、越知らしいなあ♪
冷静沈着で決して無謀な事はしない、頼れる存在の武部小四郎も、最期は義の為、また友の為に立ち上がり、命を落とす事になってしまう。最期の咆哮の場面の描写には、身体の芯を打ち抜かれた気分です。まだ身体の中に残っている感覚があって、奈良原至の気持ちに少し触れられたのかも。小林先生と、スタッフの方々の画の力の凄さをまざまざと見せつけられた思いです。
凄い越知と武部の師匠であり、頭山や来島の師匠でもある高場乱は、なんと女であるという。これはもう、歴代の優秀な天皇には女帝が多いという事実や、遡って高祖神の天照大神、または邪馬台国の卑弥呼などを思い起こしました。小林先生が男尊女卑だったら、世間ではあまり知られていない高場乱を登場させないんじゃないかと思いました。
平野国臣は、もう少し時に好かれていたらと思うと、残念ですね…。こういう偉人や才人が、幕末から明治に掛けて、本当はまだいっぱい居るのかも知れませんね。そう考えると、これからの大東亜論への期待が、ますます高まります!
それにしても、この時代には、優秀な人材が次々と死んで行ってしまいますね。頭山のセリフにあった『道義は合理に負けるのか』。現代でも、たびたび考えさせられる命題ですよね。頭山が、これから、どのように戦って行くのか。どのようにして“道義”を貫く尊さを現代まで繋げ残してくれたのか。まずは板垣との対峙シーンの続きがどうなるのか、第三部を楽しみに待とうと思います。
小林先生のブログを読みました。オバマの広島訪問により、先の大戦でのアメリカ批判が言いにくくなった、とかでしょうか。日本にも言い分がある、と言えなくなった。アメリカそのものへの批判がやりにくい状況になった。
普段の生活からも感じることですが、自分の気持ちを言葉にすることを怠って、波風立てないように周りに合わせてばっかりいると、考えることそのものが出来なくなってきてしまう。自分の考えすらも解らなくなってきて、善悪の判断すらもつかなくなってきて、ただ皆が行く方へなびくだけになってしまう。これを危険と言っているんじゃ?!
切通さん、元気そうみたい。よかった。
我が国首相に真珠湾へ行かせるプランがあるようですが…これ、謀られたんじゃないんでしょうかと思ってしまいます。
今の閉塞感溢れる現状を打破することについて、もっとも効果があるのは「国民が自らの生活に余裕を持たせること」ではないでしょうか。日々の生活に汲々としているのでは、世の中のことに目を向ける余裕もありませんから。
生活が苦しくなると、それこそ現実逃避で誰かしら「敵」を作り、ネットで誹謗中傷して鬱憤を晴らす「残念な人」になってしまいます。こういう人々の「政治談議」は、世の中を悪くするばかりです。
でも、今の政治状況を変えるような実のある「議論」は大切だと思います。
今は節約している人が多いので、その中でも気分を上げるために、私的な趣味に没頭するのもアリかな~~と私は思います。気持ちを高揚させることって大事だよね、やっぱり。
頑張って貯金をして資産を蓄え、気持ちに余裕を持ち、バカ政権の亡国政策に負けないように準備しておかなきゃ。
とっくに絶滅種だと思ってたのに、身勝手な思い込みから自由になれないネット民(嘲笑主義の高見猿)みたいな、恥ずかしい認識をもった「恥識人」がいまだに生息しているのですね。「小林氏の認識の大半は思い込み」というなら、どのような認識が正当なのかを一部だけでも説得力ある論拠を挙げて示せばよいだけです。
ツイッターでの嘲笑が通用すると思い込む幼稚性は、基本的な社会経験が不足しているからでしょう(ネットなら簡単に逃げられ誰かに守ってもらえるとでも思っているのでしょうか?)。世間も恥も知らない甘えん坊「恥識人」の公害講義を聴かされる学生さんたちがたいへん気の毒です。
しかも実学実践重視の東工大なら、このような真実性や論理性を蔑ろにする自滅行為や逃避行為はクビにしてもおかしくないくらいの絶対悪ではないでしょうか。甘えん坊の大学職員に汚染された新卒を、社会の第一線で戦える有能な戦士に育てあげる社会的負担を少しは知って欲しいものです(怒!)
おぼっちゃまくんのショートコント
茶魔「沙麻代ちゃんって、アロガントでしゅね。」
沙麻代「アロガントってどういう意味よぉぉぉぉ。」
茶魔「そ、そ、そ、そりは、エレガントの最上級って意味でしゅよ!」
柿野「アロガントっていう意味は、傲慢という意味だよ。」
沙麻代「なんですって!私が作者と同じ性格で、傲慢という意味なの!?」
袋小路「そういえば、沙麻代ちゃんってそういう所あるよなぁ。」
貧保「同じく。」
今日はあまりお見せしたくないものをお見せします。
スミソニアン博物館にB29「エノラゲイ」が展示されているのは皆様ご存じのことかと思います。この展示を下げさせることすらも、オバマにはできません。ちなみに、国内の反発を恐れ、キャプションはありません。展示だけです。
さて、もう一機、B29はあったはずです。長崎に原爆を投下したほうです。
皆様、私はこちらのサイトの画像を見て怒りに打ち震えました。体が熱くなって涙を流しそうになりました。
https://a6m3zero.wordpress.com/2012/07/30/デイトン空軍博物館(b-29「ボックスカー」)/
このボックスカーの下品なノーズアートこそが、アメリカ人の本性でしょう。こういうものがアメリカでは野放しです。オバマと抱き合って水に流そうという被爆者の方々は、これをご存じなんでしょうか? こちらには当然、原爆投下を正当化するキャプションがあります。
というか恐ろしいのは、誰も「長崎には訪問しないの?」と言わない点です。原爆は一発でしたっけ?私はパラレルワールドに居るのでしょうか?
ちなみに、デイトン博物館、正式名称はNational Museum of The United States Air Force
です。つまり「国立」です。田舎の私営博物館ではありません。れっきとした米国空軍の公式博物館、つまり米国民の税金と有権者の支持で運営されているものです。偽善者オバマに責任がないとは言わせません。
こんな素人が30分で調べられることすらも、マスコミは報じない。狂っているのか無能なのかその両方なのか分かりませんが、いずれにしろ天罰が下るでしょう。
よしりん先生のブログ
『小川栄太郎が公開討論を申し込んできた』を拝見しました!
言論界隈ではこのような事が常識なんでしょうか?
保守って「分際を知る」って大切な要素と思うのですが
無名の小僧が巨匠といって良い人物に無礼を働けるんですね。
どんな業界でも極める人、ヒット作を出す人ならば
よしりん先生の凄さはすぐに理解して己の分際を知ると思うのですが
保守を名乗る人物が平等主義に陥っているんでしょうか?
あるいは所詮漫画家と軽くみているのか。。。
いち読者としては腹が立ちますね。
小川榮太郎氏の件は結局「自称ホシュ」の方々にありがちな「声はデカいがそもそもヘタレで相手のホーム(今回ならゴー宣道場の会場)では討論したくなく自分のホーム(例えば正論とか産経とかWiLLの紙上)じゃないと出てこない」ってことじゃないですかね。
日本時間の昨日朝にサッカーの欧州CLの決勝がありましたけど、あれと一緒でそういう大一番に本当にホームもアウェイもあるかと思いましたが。
よしりん先生のブログ『小川栄太郎が公開討論を申し込んできた』を読んで、とあるエピソードを思い出しました。
かの、ブルース・リーがアメリカで道場を開いていた頃のことです、彼が人種を問わずに武術を教えることを快く思わない中国人武術家達が、一番の使い手(名前忘れた)をぶつけようと考えました。
当日、道場にやってきた彼らの話を聞いたブルースは、落ち着いて「分かった。挑戦を受けよう」と答えました。すると途端に挑戦者が慌て始めて、「今日は技を披露するだけにしないか?」「軽くスパーだけに・・」「顔面は無しってことで・・」とあれこれ注文を付け始めたのです。何のことはない、彼らは一番の使い手が挑戦すれば、ブルースが言うことを聞くと思い込んでいたのです。
イライラしたブルースはついに「いい加減にしてくれ!あんた達はオレが怖気づくと思ってきたんだろう!挑戦してきたのはあんた達なんだから、ルールはオレが決める!それはルール無しの決闘だ!」と言い放ちました。
言論にしても、殴り合いにしても、実力の裏付けがある人は落ち着いているもので、そうでない者は軽率に喧嘩を売るものなんですね。
尚、結果はブルースが挑戦者をタコ殴りにして終わったそうです。
お邪魔します。
『民主主義という病い』一旦読了しました。取りあえずの感想…
読んで目に嬉しい様々な色彩に富み
複雑で芳醇な香りに包まれ
繊細かつ大胆で重厚な噛み応えがあり
読後は深い余韻が残る…
以上のような、脳を刺激する充実した読後感がありました♪
私は国語力に乏しく一読では咀嚼出来ないので、再読してから真面目に感想をコメント出来ればと思います。
それにしても、富裕層の「旅」と「食」がこの様なものとは!と驚きつつ、疑似体験も楽しみました♪私としては『病い』を咀嚼して、せめて知の富裕層の足元にでも近づきたいです。
プライベートな長期休暇を断念し、仕事に徹して任務を遂行したみなぼん編集長、お疲れ様でした。
ガストロノミーーー!
『小川栄太郎が公開討論を申し込んできた』を読みました。
自分の有利な場所で戦うというのは「兵法の鉄則」かもしれませんが、安全地帯で声を上げるだけの輩は「野戦」を戦うことができないヘタレたとみていいでしょう。ちなみによしりん先生は相手が圧倒的多数で不利な場所でも相手を完膚なきまでに論破してしまう「野戦」のプロですが。この後、小川何某はどうするんでしょうか?このまま逃げを打って後で一人で勝手に「勝利宣言」をして悦に入るのが目に見えていますけど…(笑)
配信ありがとうございます。文章でどんなに長く書いても伝えられないことがあっても、絵なら一発で伝えられることもありますからね、このコメント欄も絵は添付できないようだけど、茶魔語に絵を投稿しておけばよかったな、あー!ヘタこいたっしゅ!最近の漫画やアニメは、きれいな絵ばかりで、何の息吹も感じられないものばかりになりましたね。『おそ松さん』も『くん』の時にあった、6つ子を始めとした奇人変人が大活躍する、シュールなストーリーがまったくなくなって、これじゃあ赤塚先生に失礼ざんす!と思いましたが、今の視聴者はキャラ萌え、声優さん萌えですからね。
『民主主義という病』拝読しました。民主主義がいかにろくでもない事か、本当の民主主義とはどのようなものであるかを気づかされ、まだまだ自分は勉強不足でした、自分も、昔は民主主義こそは素晴らしいものであると感じていましたが、それが謝りであることに気づくことは大切なこと、失敗を踏まえた上で成長していくのが『思想』というものであるのに、それを自分は間違ってないと、凝り固まることが『イデオロギー』なのである。まさに『民主主義』をありがたがって崇拝している連中が、今の愚鈍な政治家を生んでいると思います。仁徳天皇こそ本当の為政者の姿であって、『トップが2流ホテルに泊まるなんて恥ずかしい』なんて抜かす、舛添のアホっぷりは、もう情けなくて、父ちゃん涙が出てくらあ!!
ポカQさん、洋ゲーの『fallout』やってらっしゃるんですねー、アメリカの自分たちの価値観を押し付けるやり方は嫌いだけど、ゲームまでは嫌いじゃない、『グランド・セフト・オート』とかもよくやりましたし、そこは受け入れられるものと、受け入れるものはあります。
『fallout』も不発弾の核爆弾を起動して、町を吹っ飛ばすミッションがあって、日本では削られたそうですけど、(その町の女の子がケロイド状の化け物になって、喜ぶシーンがあるらしいけど・・)アメリカ人って、やっぱ原爆の本当の恐ろしさってわかってないってことですね、オバマが広島訪問したって何も変わらない、黒人が大統領になろうと、女性が大統領になろうとアメリカという国は何も変わらない、だからこそ日本も自主防衛の道を取るべきだ、それでも『地獄の黙示録』などの名作を生みだしちゃう感性は、ある意味うらやましいでしゅね
よしりんしゃんは
漫画の苦労話になると突然に
弱気?諦め?ニヒ?
な発言をされるなぁと思いました
『どうせ分からんだろうなぁ』と
んなこたないど!
【あいうえお】と
キレイに書くのでさえ一苦労
まして漫画となったら
目・鼻・口、輪郭・胴体・手足、
動作・背景・擬音・台詞・見開き、
気が遠くなる作業の連続だなぁ
と思っております
でもまぁ『これ、苦労して描いてるんだなぁ』なんて思わせちゃいかんとも言ってたような気もするので、分からないままの方がいいのかなぁと思ったり
漫画大変ブログ
楽しみにしております
『とと姉ちゃん』を見て、常子の仕事への気持ちも解るけど、女子部の早乙女さん達の気持ちも解るなあと思いました。回された仕事を何でも請けると、次第に際限が無くなり、自分の部署の仕事が増えると言う経験があります。自分の仕事も終わらせていないのに、安請け合いする人に厳しく言ったこともあります。ただ、まだ何も解らない新人さんなら、その人にではなく、仕事を回した人間に直接言わなければならないのだと思います。『とと姉ちゃん』の時代は、女性の地位もまだまだ低く、会社内でも能力に見合った扱いなどされていなかったのでしょうね。
公開討論か…毎度のネタ振りですよね、このパターンは飽き飽きする程見て来ましたからね。
大体相手に申し込むなら自分が合わせなきゃ意味が無いんですよね、
最初からヤル気が無いなら言わなきゃ良いんですよ。
しかし、毎日だったかの世論調査では、安倍内閣と自民の支持率が上がったそうです、
オバマグッジョブなのかは知りませんが、更に消費税先送りだとか、なんざんしょ?
解散総選挙やりたいのですかね、本気の本気で。
ま、但し野党のネガティヴキャンペーンも、最早ネタ切れで、
そもそも先生がブログで書かれている通り、ニヒリストの中のニヒリストに埋没している、
今の日本人には「安倍晋三に丸投げ!自分の私生活だけ良ければイイのだ!」
みたいになってるので、最早此れ迄な感じもします。
解散総選挙しても、どうせ選挙には行かない日本人ですし、投票率が更に下がる=自民マンセー投票が占有率を高める=自民の大勝は見えてますから、
安倍内閣、いや、政府与党が更に色んな悪政をやっても放置丸投げプレイになるのでしょう。
これなら、それこそ、徴兵制や社会保障制度を廃止とかガンガンやっても大丈夫なんじゃないかな?
とか思わずにはいられませんね、
ワイハにでも移住したいですねえ。
もくれんさんのブログ見て思ったのですが、そもそも「言って説いて回った」を「言つて説いて回つた」とか「たくさんいる」を「たくさんゐる」とかいちいち古典みたいな書き方してる輩に現代のマスメディアを語れる資格あるの?って気がしてきましたが(笑)
その割にこの流れなら「報道機関」と書くべきところを「メディア」と書いたりとか、他にも「ベクトル」だの「エリート」だの他に変換できる日本語があるにも関わらず外来語で書いたりとか何なんですかねこの方は。香山リカの極右&自称ホシュ版で単なるイタイ人なだけなんでしょうか?(笑)
なんか田原総一朗・鳥越俊太郎・岸井成格あたりにも公開討論申し込んで断られたそうで産経がいつだったかその件で田原とかを叩いてましたが、そりゃ田原とかもこんなのと関わりたくないでしょうね。産経もこんなバカ早く見切りつけた方が今後のためですよ。
えっさほいさ
えっさほいさ
お輿に乗っけて えっさほいさ
落ちぶれ左翼に 評論家
皆んな乗っけて えっさほいさ
ついでに化石化した保守と
マスコミ乗っけて えっさほいさ
オレ様偉いと威張る猿
お輿を担いで えっさほいさ
民主主義という価値を
ひたすら担いで えっさほいさ
えっさほいさ
えっさほいさ
お輿を担いで えっさほいさ
(高森師範の「輿論」考察の最新のブログにヒントを得ました)
杉並区の保育園設立に反対する住民には公の感覚が無いです。民主主義は私的な人間を増やしてしまうのだと思います。みんなが自分の権利を正当な物だたと主張しますが、公の視点が無ければ、より正当な真理は見極められないです。その公の視点のみを持ってくれている存在が天皇であり、それを主とすることで公の感覚が生まれるのだと思います。
まだ私の感覚の方が多い子供を議論の場に置いて発言させる大人には、話の解るいい大人ぶりたいという偽善と、反論させ辛くさせようとする欺瞞を感じました。保育園に子供を入れられない母親にとっては死活問題ですが、サッカーなんかが出来なくたって死にはしないです。
「民主主義という病い」、読ませて頂きました。
私も公民主義を成し得たい。世論や私論の洪水を、治水する事こそ、公論を志す者の務めと、勇気づけられました。
こんな私でさえも、いずれ私刑を被るかもしれないとビビりつつも、公民たり得たいのなら、がんばる他ないでしょう。
公民主義の具現化。現場で、潰されるかもしれないけれども、孤独に耐えても、体現せねばならない…出来るかな。
もう一度、読ませて頂きます。ありがとうございます。
ああっ! 民主主義という病いくんが木蘭さんのお部屋で手作りスイーツ食べさせてもろてはる!!
[´-`]( ̄□ ̄;)!!
生クリームとフルーツたっぷりのパンケーキに紅茶まで!!
[´-`]Σ( ̄∀ ̄;)
器用にフォークを使いこなしているね♪
( ´∀`)σ)∀`]
ウチにも早く遊びに来てほしい…けど、やっぱし女の子優先だよね☆
( ・∀・)σ)∀`]