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shinkimuさん のコメント

こんにちは。

小林先生直々よりすぐにお返事をいただけたようで感謝いたします。
私の「承認欲求」は満たされましたよ。(笑)

しかし、残念ながら、拙稿で申し上げさせてもらいました、
「(ご批判は受け付けますが)本質的な話をせずに枝葉末節や個人攻撃で揚げ足を取ることはお控えください。」
というご要望にはお応えいただけなかったと感じました。

まず、私が申し上げました「スマートフォンを持つ貧困」について、「感性」「洞察力」の劣化などと仰られていますが、
私がいつ「感性」や「洞察力」の話をしましたか。
私は「貧困」について議論をするなら、その相手と「貧困」の定義について共通認識を持たなければならない、と申し上げたのです。
議論するにあたって前提条件が全く共有されていなければ議論になりようがないですよね。
「スマートフォンを持つ貧困」「自動車を所有する貧困」「クーラーを持つ貧困」あるいは「パチンコに通う貧困」もあるかもしれませんが、
救済されるべき「貧困」その線をどこに引けばいいか、まず合意形成をすることが必要なのではないかと申し上げたのです。
「感性」とか「洞察力」といった曖昧なものをベースにして議論はできませんし、話が噛み合うわけがありません。
また、そのような心許ない議論では、何よりも、「救済されるべき」貧困者を捕捉し、救済することはできません。
(議論の目的は、何よりもそのことですよね。)

小林先生のお話は小林先生独自の「感性」と「洞察力」に基づくもので甚だ曖昧なものだと思います。
たとえば、
「食料確保に不安がある6人に一人の子供達がいる」
「住居と生活様式がとっくに崩壊していて共同体が壊れているがために孤立している者たちがいる。介護殺人も増える一方だ。」
「家族形態や職業選択などに対する希望を経済的理由で諦めねばならぬものがいる」
「少子化が「貧困」のせいで起きているのは明らか。」

こういう事例が全く皆無だとは私も思いませんが、問題にしなければいけないのは、それら小林氏のおっしゃる現象が「貧困」に起因するどのくらいの「規模」と「範囲」で実際に存在するのか、
という具体的な「事実」に他なりません。
なによりもその「根拠」を示されなければなりません。(相対的貧困率というものがかなり怪しい指標だということは前に申し上げました。)
たとえば、「食料確保に不安がある6人に一人の子供達がいる」という場合、それが本当に貧困によるものなのか、親のネグレクトによるものなのかということも慎重に見極められなければなりません。

従軍慰安婦の問題で、「日本軍にさらわれ暴力で強制連行されたものがいる」
という左翼側の「感性」と「洞察力」に基づく甚だいい加減なお話に、議論をするためには、まず「根拠」が示されなければならないと強く反論されていた小林先生が、
この問題ではすっかり「マイノリティ憑依」になってしまい、かつての左翼のような杜撰な議論をしているのが不思議に思われてなりません。

>わしは「3年で日本を変える」と言ったが、それは不可能だった。
保守派がこれほどまでに馬鹿とは思わなかったのだ。
人をまだまだ信じすぎていたし、絶望が足りなかった。

前稿で申し上げたように、私は「アンチ」ではないのです。
小林先生の「コアファン」です。
コバンザメとかストーカーのつもりはありませんが(笑)
小林先生のお書きになるものは今も楽しみながら拝読しています。

ただし、小林先生の政治的なお話はどうしても「極論」ですから、いくら私のような「コアファン」でも相容れないことはあります。
利口な人ならそういう時は余計なことを言わないでじっと黙ってるのかもしれませんが、私は利口ではないので、
当然、今回のように「それは違うんじゃないか」と申し上げることはあります。
全然違うと思えば「全然違うと思います」と申し上げることもあるでしょう。
バカですから。

ゴー宣道場という場所は、そもそもはそういう場所だったと記憶しております。
創設当初に当時の師範だった宮城先生が作成された「道場心得」にはその第一条に
「道場とは切磋琢磨の場である」とありました。
「道場はお客様ではなく、志高き共同作業の場所である。礼節を守りながら互いの向上のために議論をし合おう」
との旨が書かれていたはずです。
「できるだけ空気を読んで師範への批判めいたことは言わないようにしよう」
とはひとことも書いていなかったと思います。

ひとつお聞きしたいのですが、小林先生のお考えになる「公論形成」の「公」とは、どこからどこまでの範囲を指すものなのでしょうか。
まさか、「小林よしのりファンクラブの内輪のみ」ということではないですよね。
当然この「日本国」全体の範囲を考えていらっしゃるのだと思います。(世界全体ということではないとは以前に仰っていましたが。)

となれば、たとえば、「貧困者は救われなければならない」と小林先生が主張されて、
それを「公論と為すべき」と考えたなら、まず話をしなければならない相手は誰でしょうか。
あうんの呼吸で何を言っても理解してもらえる内輪の仲間でしょうか。
ワインを飲みながらそういう人たちとだけサロン的に話をしていれば万事よろしいですか。

それは違いますよね。
話すべき相手は「話のまったく通じない相手」でしかないのではないでしょうか。
それは何を言っても通じないでしょうし、疲弊もするでしょうし、徒労感に打ちひしがれることもあるかと思います。
しかし、それを忌避していては、永久にコップの中の議論、議論のための議論にしかなりません。

以前の小林先生は、それを恐れずに敢然と立ち向かっていかれましたよね。
「従軍慰安婦問題」で、左翼5人と、小林先生がたった1人で討論するテレビ番組がありました。
今のように「従軍慰安婦はでっちあげ」と知られるより遥か昔の、社会が今よりずっと左巻きだった時代の番組です。

その番組は今でもYouTubeで見られます。
その時の小林先生はかっこよかったです。
全く話の噛み合わない左翼論者に取り囲まれた完全アウェイのスタジオで、
「わしがどうしても納得できないのは、あなた方はどうして、そうやって自分の祖父世代を侮辱できるのだ!」と、
「真実だけが持つ」火のような迫力で相手をねじ伏せていました。
5人の左翼たちは最後は完全に負けを認めていました。
私はその奇跡のような瞬間を見ました。

ところが、その小林先生が今はどうでしょう。
異論があり対談を申し込む論者には、自分のフォロワーに囲まれた道場のフィールドに来ることを要求し、
それを断られると誹謗中傷とともに対談を断ってしまう。
意に沿わない相手にはすぐに、「相手はバカだから話が通じない」と片付けてしてしまう。
内輪の人間かと思っていた人間に反論されると、
「裏切り者」「スパイ」「アンチ」「ネトウヨ」とレッテル貼りをして誹謗中傷する。
ファンから批判されれば、
「嫌いなら読まなければいいのにストーカーなのか?」とまで言われてしまう。

これでは、誰も何も言えなくなってしまうのは当然ですし、心ある人は離れていってしまいます。
それが「公論形成」を志す者のふるまいとして正しい態度でしょうか。

「カルト」という言葉の意味は別に「サリンをまく団体」という意味ではありません。
ググってみますと「特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりすること。また、その集団。異端的宗教。」とありました。
率直に言って、現在のゴー宣道場はまぎれもなくこの語義通り
「小林よしのりをを熱狂的に崇拝したり礼賛したりする異端的集団。」
になっていると私は感じます。

仮にそれは言い過ぎだったとしても、少なくても小林先生がおっしゃるような「熟議」の場ではないです。
言うなればサロン的予定調和の場ではないですか。
少なくても外から見る限り、そのことを否定できる人は少ないのではないでしょうか。

これを言えばまた激怒されるかもしれませんが、議論の打ち合わせとしてイタリア料理店でワインを飲みながら師範方が打ち合わせ、師範の一人は酔っ払って狼藉をはたらく、
別の師範は「小林先生また連れてってくださいね」と公私混同を意にも介さない。
そのあらましを平然とブログに上げていたりします。

こういうことを何の気もなくブログに上げているのが信じられません。
私は何もピューリタン的に真面目にやれというつもりはありません。遊び心もいいでしょう。お酒を飲みながらも悪いとは言いません。
しかし一方では、門弟だろうと誰だろうと問答無用で切り捨てるようなことをやりながら、少々タガが外れてはいませんか。
「切磋琢磨の場」というのには程遠い不真面目さだという気がします。

やはり、長く続けすぎたのではないですか。
名著『脱正義論』の中で「運動」というものは必ずそのように堕落していくものだ、と喝破されていたのは
他ならぬ小林先生自身だったのです。

同じ話を何度もするのは誠に恐縮ですが、最後に大事なことを一点。
小林先生にご意見を申し上げるのは、ただゴマをすっているだけの人間より、はるかに深い「感性」と「洞察力」で小林先生の書くものを感じとっている者たちです。
私が申し上げた「コアファン」というのはそういう意味です。
そのような本当のファンは、今でもたくさんいます。
沈黙している者も多いですが…。
怖い存在だと思いますよ。それは当然です。小林よしのりのファンなのですから。
そのことだけは肝に銘じてお忘れになりませんように。
そして耳に痛いからといってそのようなファンのことだけは決してないがしろにはされませんように。

僭越ながら最後に申し上げさせていただきます。
数々の非礼な言葉をお詫びいたします。今後もお体に気をつけて、末永くご活躍してください。私は小林先生に受けた恩を今でも忘れてはおりません。

No.144
95ヶ月前
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第182号 2016.6.28発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…「日本の格差社会や貧困問題は大したことない」と主張する者は、生活保護にも潔癖を求める。曰く「生活保護を不正受給し贅沢している者がいる!」「貧困に落ちた原因は本人の怠惰のせいで、なるべくしてそうなったのだから自業自得だ!なぜそんな奴を税金で助けなければならないのだ!」…。果たして「生活保護」の実態はどうなっているのか? ※「ザ・神様!」…6回に亘ってお届けしてきた「となりのおじさん孤独死事件」もいよいよ最終回。そう、あれは去年の7月、うだるような蒸し暑い日のこと。モクレンヒメの隣に住む、重度のアル中独居老人・アヅマさんの孤独な最期。この凄惨な現実を、あなたは直視できるか?? ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!ライジングを書籍化する予定はないの?今、議論をしてみたいと思う相手はいる?日本文化の欠陥は何だと思う?ルーヴル美術館で見惚れてしまうような作品はあった?参議院選挙に立候補した青山繁晴氏、どう思う?スペインで開発された「青ワイン」、飲んでみたい?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第177回「生活保護に潔癖を求めるせちがらい世の中」 2. しゃべらせてクリ!・第142回「リッチなあいさつ、ともだちんこぶぁ~い!の巻〈後編〉」 3. もくれんの「ザ・神様!」・第83回「孤独の最期~となりのおじさん孤独死事件・最終回」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 第177回「生活保護に潔癖を求めるせちがらい世の中」   世知辛い (せちがらい)という言葉が最近使われなくなった。  暮らしにくい、心にゆとりがない、金銭に細かくてケチくさいという意味だ。舛添都知事の細かいカネの使い道に目くじら立てて、辞職にまで追い込むという不寛容さも、尋常ではない。  格差社会の貧困層が、自分の分かる範囲でのセコいカネの無駄づかいに、「ずるいぞ、ずるいぞ」と嫉妬しただけのことである。セコい知事に対してセコい追及をする世の中だから、せちがらいと言うしかない。  石原都知事なら都政には関係ない友人と高級料亭で数十万円の会食を何度もおこなってもOK。ガラパゴス諸島に150万円のファーストクラスで行って、高級宿泊船クルーズで4泊してもOKといった調子で、海外視察には数億円を乱費し、新銀行東京に1400億円を注ぎ込んで失敗してもスルーなのだ。貧乏人が把握しきれない高額ならスルーされるのである。  傲慢な金持ちには逆らえないが、傲慢な貧乏人は袋叩きにするのが貧困層である。なんとも、せちがらい世の中になったものだ。  社会のせちがらさは、なんと生活保護費にまで目をつけて、不寛容になる。貧乏人こそが貧乏人に不寛容になるのが格差社会である。  山形大の戸室健作准教授が1992年から2012年までの20年間の日本の貧困率の推移をまとめているが、それによると、全国の子育て世帯の貧困率を示す 「子供の貧困率」は1992年に5.4%だったのが、2012年に13.8%と、20年で2倍以上に拡大している!  また、子育て世帯に限らない全国の貧困率も、1992年の9.2%から、2012年には18.3%と倍増していた。 「貧困率」については先週号で泉美木蘭さんが詳細に書いてくれたとおり、地球規模で貧困国の分布を示す「絶対的貧困率」と、国内の貧困の実態を示す「相対的貧困率」がある。  ネトウヨや曽野綾子的な人が「絶対的貧困率」を持ち出して「日本には貧困はない」などと言っているのは完全な暴論であり、 先進国の国内における貧困問題は「相対的貧困率」に表れるものである。  相対的貧困率では、世帯収入から税金・社会保険料を引き、世帯1人あたりが自由に使えるお金を出し、それを低い方から並べた時に、ちょうど真ん中にあたる人を基準とし、所得がその半分に満たない人( いまの日本では単身世帯年間122万円、2人世帯173万円、3人世帯211万円未満 )を 「貧困」 と呼び、厚生労働省・総務省が相対的貧困率調査を公表している。   これに対して戸室准教授の研究では「相対的貧困率」を使用せず、代わりに 「生活保護基準の収入以下で暮らしている世帯」 を 「貧困」 として、貧困率を算出している。  生活保護に着目することで、具体的な貧困層拡大のイメージがつかみやすくなっているのが、この研究の特徴といえよう。   日本では、生活保護基準以下の収入で暮らしている人が、以前は全世帯の9.2%、子育て世帯の5.4%だったものが、20年経ったら全世帯の18.3%、子育て世帯の13.8%に激増したのである!  さらに地域別に子供の貧困率を見ると、最も高い 沖縄県では37.5%というから、3人に1人以上の子供が貧困 ということになる。これは驚くべき実態だ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!