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顔面核爆弾さん のコメント

ラノベ関連の仕事を求めて他者に営業しに行っても全く相手にしてもらえない顔面核爆弾です!

>元から彼らのガールフレンドたちには担ぐにふさわしい、社会的地位や知名度、何よりもオタクリテラシーを持った腐女子フェミニストが大勢いらっしゃったのです*1。彼らが今に至るまで彼女らを担がないのがどうにも不自然であり、いざとなったら切り捨てられるおばさんたちをわざわざ探し出してきたのだろうとの想像が、そうした不安の根拠となっておりました。

プロフェミの方よりもどこの馬の骨とも知らない自称フェミを信じる表現の自由クラスタには毎度うんざりさせられますよね。
表現の自由クラスタの中にはチンポ騎士のことを『名誉女性と呼べ』とか真面目に言っちゃう人がいるのでホントに笑えますwww
『広がるミサンドリー』に「女はヒーローとして扱われ、男が肯定されるのは、改造され、去勢され、名誉女性になることによってのみのだ」と記述されていたのを思い出します。
「王子様というのは、女の子がお姫様になるために必要な装置である」と、『少女革命ウテナ』の脚本家・榎戸洋司が脚本集で述べていましたが、元々弱者男性は白馬に乗った王子様(女)に救ってもらうことを望んでいたお姫様だったんですよね。弱者男性界隈の中でもお姫様属性が強い赤木さんも著書で『専業主夫になりたいから養ってくれ』と女性に懇願していましたが、彼はフツーの女性以上に女性ジェンダーを内面化した男性といえる(BLで例えるならウケ役ですね)。
兵頭さんが前に『オタクは元々、「女性的アイデンティティ」を持ったちょっとオカマっぽいところがあり、それはむしろ「男として生きがたい」からこそだと思うのです』と仰っていましたが、まさにこれはオタクの本質をついた指摘だと思います(私は子供の頃、よく『オカマ』と呼ばれていた)。
名誉女性になりたいオタクは勝手になればいいと思いますが、萌えキャラに欲情するのは止めてもらいたいですねwww

>ぼくがずっとツイッターレディース、まなざし村を案じていたことも、皆さんご存じかと思います――などと書いて、頷いてくださる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。というのも、社会的地位のあるフェミストたちと彼女らには、主張も品性もほとんど差異がないにも関わらず、表現の自由クラスタの彼女らへの憎悪は半端ない。彼らは彼女らを、お姫様に対して感じた不満を代わりにぶつける存在として選んでいることは、端から見れば自明だからです。

彼らって結局は単なる権威主義者なんですよ。
故エタ風が表現の自由クラスタのことを『チンシコ軍団のアンチフェミニズムって、要するにすべてがアニメでチンチンシコシコ批判されてることへのイラツキに過ぎず、国連がどうだろうが主張がどうだろうが関係ないの。要するにオナニー認めてくれればいいってことだから。多摩湖先生には「リベラル・フェミニズムの存在意義」みたいなことで批判してるけど、「チンシコ軍団」とはそういうやりとりするきもない。だって、彼ら現実社会生きてない人で、引きこもってネットでアニメみってチンシコできるかどうかにしか関心ない連中だもの。そんな論争無意味』と仰っていました。おそらくですが、エタ風の考察は正しいんじゃないでしょうか。
その証拠にチンシコ軍団は法規制には反対の立場であるフェミ様をまるで神が降臨されたかのように『真のフェミ』だと喝采します。彼らのことは相手にするだけ無駄でしょう。

>駒崎師匠が炎上した理由、それは彼を叩いているのがKTBアニキのそれと同様、「チンポ騎士」の地位を狙って彼を羨む層が主であった点にあります。「ツイフェミ」の反対語は「プロチンポ騎士」であり、彼らは「チンポ騎士」志願者から狂ったような憎悪を向けられる運命にあるのですね。

私見ですが、駒崎師匠がそんな変なことを言っているようには思えませんでした。表現の自由クラスタってチンポ騎士相手だと鬼の首を取ったように叩きますが、フェミ女相手には平身低頭するんですよね。下心丸出しのキモい連中ですwww
いつだか漫画家のよしながふみさんも『少女漫画には「女の子はやっぱりおしゃれで恋をしなくてはいけません」という暗黙のメッセージがあふれており、それをシャワーのように浴び続けるのは大きなストレスである』と駒崎師匠と似たような主張をしておりましたが、これは正しい(フェミニズムを絶対普遍の究極真理であると仮定するならば)。
この間の駒崎弘樹師匠の『仮面ライダーゴーストでは、戦う理系ヒロイン、あかりちゃんがいたのに、エグゼイドではパッピーという不思議「守られ」キャラ。しかも今回は「男になれよ」とジェンダー感満載のセリフ。こういうのがダメだ、って言ってんだよ。』という彼の指摘もフェミニズム的にはド正論以外の何物でもありません。
2月26日に放送された仮面ライダーエグゼイド第20話でバグスターウイルスに感染している冴えない高校生の男の子に対してニコが『女にモテないよwww』とからかったシーンは明らかに駒崎弘樹師匠が仰るように男性ジェンダーの押し付けと言わざるを得ない。あまりにも不愉快になったため私はプリキュアが始まるまでテレビの電源を切ってしまいました。
アンチフェミの私でさえ完全にフェミニストモードに入ったのだから、本家が黙っている訳がない。むしろフェミ的には正論しか言っていない駒崎弘樹師匠を批判している表現の自由クラスタの方が不誠実です(アンチフェミの私や兵頭さんの方が彼らよりもフェミの理解者なんじゃないかすら思えてきますwww)。

>「糞フェミ」が「ツイッターレディース」やら「まなざし村」やら「ツイフェミ」やらと同様の恣意的で幼稚なレッテルであり、宮台師匠の行いは上野師匠たちを「まだ、話せるフェミニスト」として延命させようとするだけの行為であることは、言うまでもないところです。

宮台さんは典型的な新自由主義者ですからガールフレンドであるフェミ様を(内心ウザいとは思っているけど)延命させたいんでしょうね。
宮台さんの本音としては『ネオリベのおかげで女性の社会進出が進んだのは良かったが、まさか糞フェミのような連中が現れるなんて想定外だった』といった感じでしょう。で、大慌てで宮台さんが自称リベフェミのピル師匠に縋ったという訳ですね。はたから見てと笑える光景ですwww
そういえば、ピル師匠が兵頭さんに『各個撃破が基本戦略のエタ風氏がいなくなって、アンチフェミ界隈の劣化は不可避だね。兵頭新児氏クラスの頭では、上野氏も山崎マキコ氏もリベフェミも同種同類だという括りでまとめて叩く戦略みたいだけど、いくら何でも無理があるだろう。兵頭氏のますますの活躍に期待したいね』と戦線布告をしていましたwww
正直ピル師匠って上野千鶴子と本質的に変わらないし、山崎マキコにいたっては清々しいほどにフェミの本音を代弁してる人やないですかwww
むしろ山崎マキコってラノベによく出てくる暴力系ヒロインを三次元に具現化したような人ですよねwww
あそこまで露骨な構ってちゃんはフェミ界隈でも珍しいですがwww
とりあえずマキコはエタ風と結婚したら良い夫婦になるんじゃないでしょうかwww
つか、この二人って性格的にそっくり過ぎて笑えるwww
マキコと同様に反男性差別クラスタも『甘えの裏返しのツンデレ行動』が空振ってる人が多数いらっしゃいますね(ツンデレ失敗というよりヤンデレ失敗か?)。フツーの女に対しては『ぼくのママになってくれないヘタレ女への苛立ち』といった感じでしょうか。
とりあえず彼ら彼女らのような明らかな恋愛不適合者はバーチャルの世界で引きこもってて下さいwww

>ジェンダーフリーこそ、「あらゆる人間が主体的判断だと信じ切っているそれは、実はジェンダー規範に操られてのものであり、正されねばならない」という、人類史上最大の人権無視の思想なのですから。

ここの部分を読んで思い出したんですが、前に自称レズビアニストの柴田英里師匠が『萌えを含むキラキラかわいい系の少女表象を、それであるだけで叩くのは、いい加減、自分のコンプレックスの投影なんじゃないの?と思うけれど、これ以上は言えない……』と仰っていました。これはフェミの本質をついた指摘です。
彼女らは『萌えを含むキラキラかわいい系の少女表象』、つまり女性ジェンダーを憎んでいる訳ですからフェミニズムの使徒である表現の自由クラスタは本来ならば女性ジェンダーから解放されたダンガンロンパの大神さくら様に萌えなくてはいけませんwww
大神さくら的な女キャラが複数登場するエロゲを楽しめるほどの萌えリテラシーを表現の自由クラスタが持っているのであるならば、私は彼らに文句を言いません。自称名誉女性の彼らなら、ペニスバンドをつけた大神さくら様に喜んでケツを掘ってもらうことでしょうwww
確か『百合系作品は女性差別的である』と主張するフェミ系論者(誰が言っていたのかは思い出せませんが)もいたと記憶しているので、フェミ様にはBLしか許されないんじゃないでしょうかwww
それでも百合厨の皆藤禎夫さんは「そ、そ、そんなバカなッ! 真のフェミ様なら許してくださるのだ‼︎」って言うでしょうけど……。
表現の自由を守ると標榜している上野千鶴子大先生もBLのことは命をかけて守るかもしれませんが、萌えにはぶっちゃけ興味ないでしょうwww
もう一つ思い出したことがあるんですが、『常に強く、弱音を吐かず、仕事は出来て成功しており、受動的ではなくリーダーシップを発揮し、女子供を養えてるほどの気概があり、女の年齢や容姿、経済状況も気にせず結婚できる器を持ち、女との関係で不能ではないイケメンで富を手にした頭脳明晰スポーツ万能な身長180センチ体重50キロ台のモデル体型なオシャレ男性』が女性の理想らしいです(ananより抜粋)。
ジェンダーフリーであるならば、私も『常に強く、弱音を吐かず、仕事は出来て成功しており、受動的ではなくリーダーシップを発揮し、弱者男性を養えるほどの気概があり、男の年齢や容姿、経済状況も気にせず結婚できる器を持ち、男との関係で不能ではない美女で富を手にした頭脳明晰スポーツ万能な身長180センチ体重50キロ台のモデル体型なオシャレ女性』を所望したいですねwww
いや、もういっそホモになった方が楽かな……。
No.1
93ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 ここしばらく、ぼくがずっとピル師匠、多摩湖師匠を案じていたことは、皆さんご存じかと思います――などと書いて、頷いてくださる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。 「 2016年女災10大ニュース 」などでぼくは彼女らを「面白半分にバラエティ番組で担がれた、田舎のラーメン屋」であると形容しました。というのも、表現の自由クラスタは「ポルノに寛容なフェミニストがいるのだ、いるのだ」と絶叫しつつ、その「真のフェミ」の具体例を提示できずにいた。そこに渡りに舟で出現したのがピル師匠、多摩湖師匠であったと言える。  しかしよく考えれば、元から彼らのガールフレンドたちには担ぐにふさわしい、社会的地位や知名度、何よりもオタクリテラシーを持った腐女子フェミニストが大勢いらっしゃったのです *1 。彼らが今に至るまで彼女らを担がないのがどうにも不自然であり、いざとなったら切り捨てられるおばさんたちをわざわざ探し出してきたのだろうとの想像が、そうした不安の根拠となっておりました。それは丁度、「オタク界のトップ」やサブカルがオタクを特攻要員くらいにしか思っていないのではないかとの不安と、全く同じに。  そしてまたここしばらく、ぼくがずっとツイッターレディース、まなざし村を案じていたことも、皆さんご存じかと思います――などと書いて、頷いてくださる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。  というのも、社会的地位のあるフェミストたちと彼女らには、主張も品性もほとんど差異がないにも関わらず、表現の自由クラスタの彼女らへの憎悪は半端ない。彼らは彼女らを、お姫様に対して感じた不満を代わりにぶつける存在として選んでいることは、端から見れば自明だからです。幾度も指摘することですが、彼らが彼女らを好き放題に叩いているのは、彼女らが何ら後ろ盾を持たない個人だから、という面が大きいことは、どうしたって否定できないのです。  いずれにせよ、両者とも表現の自由クラスタに選ばれたスケープゴートである、というのがぼくの見立てであり、そうなると、彼女らの未来がどうなるかも明らかです。 『人造人間キカイダー』に出てくる悪の組織が失敗した戦闘員を処刑するシーンが、ふと思い出されます。「首領様、お許しを!」「チャンスを! もう一度チャンスをお与えください!!」と哀願する戦闘員たちがプレス機で押しつぶされ、廃棄処分にされてしまうシーンはぼくの心に深いトラウマとなって残っています。   大変に、恐ろしいですね。  ところが最近、よりにもよって、宮台真司師匠がピル教に入信してしまったのを知って *2 、上の推理は修正を余儀なくされてしまったのです。考えてみれば確かに、表現の自由クラスタたちのピル神に対する崇拝心は天然であったようにも思います。「利用して捨てる気だ」などというのはいささか、彼らの知性に対する過剰評価だったかも知れません。  しかし更に困ったことに、よりにもよって宮台師匠は上野千鶴子師匠を「ラディカルフェミニスト」と断言してしまいました。表現の自由クラスタの皆さんはこれからも安らかに呼吸ができるのだろうかと思ったのですが、こちらの心配をよそに、気にしている方はどこにもいらっしゃらない様子。そもそもが上野師匠のデタラメ極まる著作を自分たちの都合のいいように解釈し、ピル神が「おっぱい募金」に反対したことも一切気に留めない方々です *3 。 彼らの信仰心は「事実」などによって、いささかたりとも揺るぎはしません 。  どうぞ長生きなさって下さい。  ――さて、ところで、しかし。  上のまとめで宮台師匠が「糞フェミ」などと罵倒しているのは、アンチポルノ運動をしているフェミニストのようです。そうしたフェミを、本稿では略して「アンポルフェミ」と呼称しましょう。もちろんポルノを認めるフェミなどいないのですが、これはあくまで便宜上のものです。  さて、確かに宮台師匠はずっとアンポルフェミたちともめておりました。ぼくもよく知らないのですが、「実際の強姦を記録した」との疑いのあるAVについて宮台師匠が擁護した、という(確かもう、十年以上前の)ことで執拗に「粘着」されていたという経緯があったかと思います。  正直、ぼくはこの問題にあまり立ち入ろうとは思いません。フェミニストのことだから無理矢理な文句を言っているんだろうな……といった感想は抱きますが、実際に悪質なAVもあるわけで、まあ、細かい査定は当事者同士でやっていただくしかない。少なくとも宮台師匠もまた重篤なフェミ信者である以上、冷静な判断力があるとは思えない(ことは、今回の入信騒動で思い知らされました)。どっちが勝とうと知ったことかという気にしかなりません。ノイホイ氏や鳥越氏の件についてあんまり舌鋒荒げる気になれなかったのと、同様な理由です。  が、いずれにせよこの「糞フェミ」が「ツイッターレディース」やら「まなざし村」やら「ツイフェミ」やらと同様の恣意的で幼稚なレッテルであり、宮台師匠の行いは上野師匠たちを「まだ、話せるフェミニスト」として延命させようとするだけの行為であることは、言うまでもないところです。  ところで、実は最近他にも、AVにまつわるフェミ同士のバトルがありました。  田中美津師匠がAVについて語った記事に、アンポルフェミが噛みついていたのです。  田中師匠と言えば、上野師匠の師匠に当たるようなフェミニストの中の大師匠。フェミニズムが「時流を解さない」ことをテーマにしているだけあって、記事のずれっぷりはハンパありませんが *4 、同時にこの中で、 やりたくないと言いながら結局、AV出演契約をしてしまう人というのは、そういう深いところで倒錯した自己肯定感を持ちながら仕事をしているのではないでしょうか。数百本も出演して「強要だった」と訴えた人を「何を今さら?」と非難する人もいますが、そういう心の病があることを分かっていないと理解できませんよ。  と、女優側を擁護しつつも「強要」に懐疑的な見方を示していて、それにアンポルフェミが噛みついた、という一幕があったのです(ちなみにこの箇所は抗議を受け、現時点では 削除されてしまっています )。  むろん、常識的に考えれば、田中師匠の方がまだしも正しいことでしょう。  しかし同時に、女性の側の主体的な判断すらも「ジェンダー規範の刷り込みがあったのだ」として否定してきたのがフェミニズムです。 『 部長、その恋愛はセクハラです! 』を読むと、「セクハラかどうか、女性にもよくわからないので、その時点で合意があっても 後づけでセクハラだと思ったのなら、それを尊重せよ 」などとものすごいことが書いてあります *5 。  そして大変残念なことに、この主張は「真のフェミニスト」であらせられるはずの上野師匠からも発せられ、同書に引用されたものなのです。  そう、女性に主体は認められない。  その時に何を言っていようが、本人は自分が何を言っているのかもよくわかっていない。  だから、女性の発言や主張は後から自在に撤回する権利を与えよ。  それがフェミニズムなのです。  アンポルフェミを憎む正義の味方たちは彼女らを「女性の主体性を認めない」と罵っておりましたが、上野師匠こそがそれだったのですね。  あ、いや……逆に「女性は発言の責任を持たなくていい」という前提を導入すれば、やはり彼女らは正しいのか……?  なるほど、田中師匠の判断は間違っていて まなざし村こそが正しいこと が、そしてまたぼくの指摘は間違っていて ピル神を崇拝する表現の自由クラスタや宮台師匠こそが正しいこと が明らかになりました。  めでたしめでたし。  ――終わってしまいました。  もう少し続けましょう。 「女に主体など認めてはならんのだ」とは、一体どこまで非人間的な主張なのかと思いますが、しかしこの問題、よく考えればセクハラ問題ともジェンダーフリー(即ち、ジェンダー規範は男にすり込まれたのだとするフェミの妄想)とも全く同じ構造を持っていることが、おわかりになるのではないでしょうか。何しろジェンダーフリーこそ、「あらゆる人間が主体的判断だと信じ切っているそれは、実はジェンダー規範に操られてのものであり、正されねばならない」という、人類史上最大の人権無視の思想なのですから。  全く途方もない考えで、呆れる他はない……と言いたいところですが、実のところぼくは女性のメンタリティを考えた時、それは実は、ある種のリアルをすくい取っていると言えるのではないか、と思うのです。  例えば、昭和時代のアイドルの決まり文句に「私は興味がなかったけど、友人が(オーディションに)応募した」というのがあります。もちろん、そのアイドルを清純に見せたい事務所によって作られた「設定」という側面もあることでしょうが、「自分から能動的にことに及んだわけではない、しかしあまりに可愛いので相手側から求められたのだ」という物語は女性にとって何よりも切実に希求する、この世で一番大切なものでしょう。  AV女優というのは90年代の頃から「芸能人志望」、つまりそのステップとしてAVに出演しているのだと称するのがお約束でしたが、これも上に近しい心理が働いているわけです *6 。そうした発言について、  1.バカだから騙されている  2.わかった上で、ある種の見栄として芸能人志望と称している  といった「分析」が可能ですが、恐らく本人の中で上のいずれかの心理状態にあるというわけではなく、この二つが不可分に混ざりあっている。その上でAV界でちやほやされることで芸能人なりたい欲はほぼ満たされている、とでもいったことになるのではないでしょうか。  こうした曖昧さは「AV女優は主体性を持って、自らの意志でAVに出演しているのだ」としたくてたまらない表現の自由クラスタ(及び、リベサーの姫型フェミニスト)の主張とは極めて親和性が悪い。  しかし、人間心理がそんなに明確にくっきりはっきりとしたものである、という考え方こそ、フィクションではないか、とも思います。  精神科医の木村敏教授は「人間」とは「人の間」なり、みたいなことを言っています。 「主体」とは「人と人の間」にこそあるのだ。  A君とB君が食事に行った。「何を食う?」と、ああでもないこうでもないと話しあっている間にいつの間にかカレー屋に入っていた。場合によってはどちらかが強力なリーダーシップを取ることもあり、また両者の思惑がぴたりと一致することもあろうが、少なくとも日本においては「何とはなしのその場の空気」によりメニューが決定することが多いのではないか。言わば「人と人の間」こそが主導権を握っている。  まあ、そんな論法です。  何しろ何十年も前に読んだことを記憶で書いているので、厳密さには欠けますが、アウトラインは間違っていないと思います。  日本人の人間関係は受けと受けしか存在しない、 腐女子が泣いて悲しむBL であり、「強固な、毅然とした主体的自我」などといったものは「西欧文明」の生み出したフィクションであり、そんなものは存在しないのだというわけですね。この考え方にはそれなりの説得力があると同時に、男性よりは女性に、より当てはまるのではとの印象を持ちます。  つまり、この木村教授の理論を前提した時、「AV出演を強制されたのだ、仮に自らの意志で出演しますとの契約書が残っていても」というアンポルフェミの言い分にややリアリティが増し、一方、AVに賛成するフリをしているリベサー姫がデートの時に男の子から教えてもらった「近代的自我」を前提とした物言いが、やや不利になる。  そうなると、必然的に上の『部長、その恋愛は――』などにおける「女は自分が何を言っているのかもわかってないから男たち、とにかく責任を取れ」といった言いがかりが浮上してきてしまう。  しかし、当たり前のことですが、女性に主体というものを認めないのなら、男性にだって主体はなく、責任能力はないとしないことには平等ではない。  いえ、『部長、その恋愛は――』が平然と出版されているという事実は、そうした平等の原則など歯牙にもかけず、男だけが無制限無条件無思考で全責任を負え、とのコンセンサスがこの世に根づいていることの表れでもあります(実のところ「チンポ騎士団」とは、フェミニズムに平身低頭すれば自分たちだけはそうした「女子力」の恩恵に与れるのだ、との宗教運動でした)。  確かに、この状況で男女平等を導入すれば社会は完全に立ち行かなくなり、全人類がやったあらゆる悪行の全てが「 何か、安倍さんのせい 」みたいなわけのわからないロジックが横行するディストピアしか成立し得なくなる。  そう、どう考えても詰んでいる、わけです。  将来的に、「近代的自我」というフィクションには限界があるのだということが明らかになった時、それを超克する社会パラダイムやら何やらかんやらを見出す必要に迫られるのかも知れませんが、今、パラダイムという言葉もよくわからずに書いているぼくレベルの手には余る話です。  ひとまず、AV出演強制問題に立ち戻りましょう。  パラダイムはともかく、今ここでこの問題にうまい具合に対応するには、もう少し女性のメンタリティの曖昧な性質に肉薄するノウハウを確立し、うまく手綱を握るしかない。  もっとも、そうした性質は現代の価値観からはあまりポジティブな評価を下し得ないものでしょう。そこをまあ、何とか当たり障りのない形で現実にソフトランディングする知恵が、ぼくたちには求められます。  現代の社会は(フィクションだろうと何だろうと)近代的西洋的自我というものの上に成り立っているのだし、女性ももう少し努力することで多少なりともそこに適応していただく他は、ありません。  いずれにせよ、その時にはフェミニストたちの曖昧模糊としたデタラメな言動を「兵器利用」しようとするだけのリベラルのやり方は、「女災」として厳に戒められることになりましょう。  彼ら彼女らの未来は暗いようです。 ■補遺■  実は本稿の「人の間」に近しい論法が、ピル神の信徒の口からも聞かれました。  丁度このテキストを書いている最中だったので驚きましたが、フェミニズムがそもそも、こうしたロジックであったことは上に書かれている通りです。  彼女らの言い分はぼくが上でしている「ならば男性側もあらゆることから免責されなければならないし、そんなことは非現実的な空論だ」との指摘を全く織り込まないものでした。それでは自分が不利になった時にだけ、ちゃぶ台返しをしてもいいという身勝手な言い分にすぎません(しかしそもそも、ジェンダーフリーもこれと全く同様のグレートリセットであり、ポストモンダンクラスタの言い分って、基本、この程度のものなんですね)。  実はピル神がおっぱい募金を否定していることを指摘された時の言い訳もこれと同様の論法であり、いずれにせよこの種の「自己決定能力あるかどうかわからない論」を持ち出せば持ち出すほど、彼ら彼女らはアンポルフェミに限りなく近づいていくのですが、どういうわけか、それには全く気づいていらっしゃらないご様子です。  とにかくあの人たちはロジックを「自分の都合にあわせて倒すべき敵にだけ好きな時に好きなようにぶつけていい どくさいスイッチ 」としか思っていないのですね。 *1 そうした腐女子フェミが「ポルノに寛容」なのは一応、事実です。しかしそれはリベサーの姫として場当たり的に言っているだけだということもまた、幾度も指摘してきた通りです。例えば藤本由香里師匠がドウォーキンの「全てのセックスは強姦」との主張を肯定的に引用するなどしていて、彼女らが「ポルノに寛容」というスタンスとフェミニズムの理論をどう止揚しているのか、全くの不明なのですから。 *2 「 宮台真司首都大学東京教授、ネット上で流れている自称フェミの誹謗中傷のデマを否定する 」 「 宮台真司氏による、日本的フェミニズムの「妄想のホメオスタシス」批判 」 「 宮台真司が妄想とデマの糞フェミ退治!'2017 みんなー!宮台先生の授業が始まるよー! 」 *3 「 おっぱい募金への反対論者との議論 」。  ちなみに上の「宮台真司氏による、日本的フェミニズムの「妄想のホメオスタシス」批判」ではピル神の言い訳と、それについてのぼくのツッコミが記されています。こうしてみても表現の自由クラスタは一切、ポルノを守る気がないことがよくわかりますね。 *4 「 AV問題 男の力誇示にNO「女性のための作品を」 」  BLがどうのといったツッコミはここではしませんが、考えると田中師匠が静かに主張を取り下げたことと、同様なずれっぷりを示した 駒崎師匠があれだけ炎上したこと とは、極めて対照的です。駒崎師匠が炎上した理由、それは彼を叩いているのがKTBアニキのそれと同様、「チンポ騎士」の地位を狙って彼を羨む層が主であった点にあります。「ツイフェミ」の反対語は「 プロチンポ騎士 」であり、彼らは「チンポ騎士」志願者から狂ったような憎悪を向けられる運命にあるのですね。 *5 兵頭新児の女災対策的随想「 部長、その恋愛はセクハラです!(接触編) 」 *6 「女性たちは主体的にAVに出演しているわけではない」とのロジックに対する反証として、昨今ではAV女優たちが自主的に、嬉々として立ち上げているブログやツイッターなどが挙げられましょう。が、同時に、引退した彼女らが以前のブログを消し、「やりたくてやっていたのではなかった」と手のひらを返す現象も恐らく日常的に見られているはずです。AVマニアというのはそういうのに「粘着」したりはしないものなのか、ちょっと疑問ではあります……などと書いていたら、出て来ました。 「 「AV女優の手のひら返しに戸惑い…」AV出演を“強要”したとされる男たちが、ついに重い口を開いた 」  彼らも商売ですから、黙ってはいないことでしょう。
兵頭新児の女災対策的随想
「女災」とは「女性災害」の略。

男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。



このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。