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  • 次回配信予定
    • 2022/08/12
      今は亡き遙かなる男の娘へ

    サ○の命を救ってくれなかった○モへ

    2022-08-05 01:55
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     お騒がせしましたがみなさん、ひと月ぶりにツイッターに復帰することができました。
     新アカウントは(@Frozen_hyodo)になります。
     これからもどうぞご愛顧の程、よろしくお願いします。
     さて、復帰とは別に関係ないのですが、ツイッター上でちょっと嬉しい出来事がありました。ピル神(ピルとのつきあい方師匠)が『WiLL』様の記事を評価してくださったのです。おかげで結構昔の記事ながら、目下ランキングの三位になっているのだから、ありがたい話です。

    これはよい論稿。ジェンダ―イデオロギー/トランスジェンダリズムのもたらす害悪が社会問題になり、ジェンダーフェミニズムは滅ぶことになるというのが私の見立て。
    兵頭新児氏を肯定的に紹介することになるとは複雑だが。
    https://t.co/51LCkubUwr

    ― ピルとのつきあい方(bot) (@robot_pillton) August 2, 2022


     未読の方は読んでいただきたいのですが、LGBT運動の暴走と欺瞞についての記事であり、ピル神はこの点についてはぼくとスタンスを同じくすることを、表明してくださっているのです。
     ピル神が否定的に見る「ジェンダーフェミニズム」とはWikiによれば性役割の全廃を目指すフェミニストのこと。言わば「ジェンダーフリー強硬派」といったところですね。
     ぼくは今まで「表現の自由クラスタ」に対して、「ジェンダーフリー」などのフェミの主要概念に対するスタンスを明らかにしないので信頼できぬ(明らかにしないのはどうせ、フェミニズムに親和的な本音を持っているのを隠しているからだろう)といった批判をしてきました。
     しかしピル神は基本、ジェンダーフリーに否定的と言ってよさそうです。
    (ただし、本当に「ジェンダーフリー」を全否定してしまってはフェミニズムはほぼ、支柱となる理論を失ってしまうわけで、そうなるとその人物はもうフェミニズムのほぼ全てを捨てるも同然であり、正直ピル神が論理的整合性を保ったままこのスタンスを維持しているかとなると、疑問です。Wikiの同項ではこの言葉は「異常に女性中心で男性差別的なフェミニズムを批判するために作られた」との記述もあり、この言葉自体がフェミニスト同士の派閥争いの中で、自分たちだけを正当化するために作られたもの、つまり「ツイフェミ」程度の意味しか持っていない言葉、との感もあります)
     さて、ともあれ、いずれにせよそんなピル神が近年、「ターフ」として表現の自由クラスタと亀裂を生じさせたのはご存じの通り。
     誉めてもらっておいて貶すのはナンなのですが上の括弧内に書いたような疑念もあり、ぼくもピル神の全てを肯定するわけでは全くありませんが、それにしてもあそこまで敬愛し、盲愛し、妄愛していたピル神とオカマとを秤にかけてあっさりとピル神を放り出す表現の自由クラスタの恐ろしさには慄然とさせられます。
     彼らにとっての第一の目的はフェミニズムの一番過激で、先鋭で、反社会的な部分を延命させることであるということがはっきりとわかります。それで性表現なんか守れるわけがないんですが。
     さて、それではその「表現の自由クラスタ」がピル神以上に畏怖し、畏敬し、盲従するLGBT運動とはどのようなものか。
     それを探った記事を今回、マガジンにまとめることにしました。
     順に読んでいただければ、彼ら彼女らがいかに恐るべき存在かが理解できるようになりましょう。

     ――というわけで、以降は過去記事の解説ということで、noteの課金コンテンツになります。お気が向けば、覗いてみていただければ幸いです。


  • 「新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク」を読む(再)

    2022-07-29 23:364

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     さて、またも再録記事。

     ただ、今回のこれは前々回の記事と相互補完関係にあるもの。

     ・敵の死体を兵器利用するなんて、ゾンビマスターみたいで格好いいね!(再)


     是非、上のものとあわせてお読みいただきたく存じます。
     上の記事を要約すると、「ある、政治的意図を持って、オタクをセクマイの一派に位置づけたい人がいるが、そいつらはヤバい」というもの。
     今回の記事は、それを裏書きしたものになっております。
     では、そういうことで……。 

     *     *     *

     今回は新年企画として、ワタクシこと大予言者が年末に唱えた「予言」の成就について、ご報告したいと思います。
     上の表題にある、山口浩師匠の手によるシノドスの記事*1がそれです――といっても、ぶっちゃけこの文章、ぼくが「予言」した以上の内容はありません。要は「オタクはセクシャルマイノリティだ」と言っているだけです。
     ですが、ツイッター上ではinumashという人物がこの意見に対し、「オタクがセクマイ利権に預かろうとはフリーライドであり、けしからぬ」とわめいたりしており*2、それら「オタクの側を自認する人々は哀れなことこの上ないと思った*3」ものです。
     しかし……何と言いますか、inumash師匠の主張は期せずして、この「オタク=セクマイ」論に対する、極めて優れた「オチ」足り得ているのではないか、とぼくには思えるのです。

    *1(http://synodos.jp/society/15869
    *2 「「オタクは性的少数者」はLGBTムーブメントへのフリーライド? 董卓(不燃ごみ)さんの議論をまとめました」(http://togetter.com/li/923342)ただし、これについてはぼく自身は未読です。
    *3 わかりにくいので書いておきますが、「のうりん」騒動の時の昼間たかし師匠の物言いのマネであります。

     もうちょっとだけ細かく見て行きましょう。
     件の記事は1p目(という表現でいいのでしょうか。要は記事の前半です)では「世田谷区が同性婚を認可したの何の」といったセクシャルマイノリティについての豆知識が語られ、2p目(つまり後半)ではオタク問題について、「表現の自由がどうたらこうたら」といった話題が語られています。
     昨今、セクシャルマイノリティがLGBT、つまりレズホモバイオカマの頭文字を取った略号を名乗ることが多いことは、みなさんもご存じかと思うのですが、記事の1p目で、山口師匠はその四種以外にも様々なセクシャルマイノリティがいるではないかと指摘し、以下のように言います。

    似たようなことを考える人はいるようで、他の類型の人たちも含めようという話が出ているわけだが、何しろ性的少数者は実に多様なので、頭文字を集める方式だと、略称はどこまでも長くなる。

    LGBTQ(LGBTにqueerを加える)やLGBTI(intersexを加える)あたりはまだ短い方で、長くなるとLGBTTQQIAAP(LGBTにtranssexual、queer、questioning、intersex、asexual、ally、pansexualを加える)とかLGBTTQQFAGPBDSM(LGBTにtranssexual、queer、questioning、flexual、asexual、gender-fuck、polyamorous、bondage/discipline、dominance/submission、sadism/masochismを加える)とか、とても覚えられそうにないところまでいく。これでも全部ではないだろう。


     そう、「あらゆるセクシャルマイノリティ」について語ろうとすればするほど、略号には無限にアルファベットがくっついていくのです。こうなったら「AtoZ」とでもしたいところですが、上にも「A」や「Q」が複数ある以上、もうキリがないとしか言いようがない*4。永遠にアルファベットを並べ続けていくしか、手はないのです。
     師匠自身は一部で提唱されている「GSD」(Gender and Sexual Diversities)という表現を「包括的」だと誉めているのですが、ていうか、「セクシャルマイノリティ」は「セクシャルマイノリティ」でいい気がするのですが。
     では、師匠はLGBTの運動を否定しているのかと思うと、どうもそうではないようです。
     上の引用の直後、師匠は

    繰り返すが、LGBTの運動自体を否定するものではない。しかし現在のあり方は、社会における多様性を認めていくべきとする旗印に沿ったものとはなっていない部分があるように思う。


     と批判、その理由をLGBTたちが「性的嗜好の主を仲間に加えようとしない」ことである、としているのですから。
    「性的嗜好」とはですね、えぇと……すみません、よくわかりませんが、「性的指向」と区別されなければならない概念のようです。後者の「指向」が例えば「男性を指向する」といった言葉にするとニュアンスがわかりやすいように、例えばホモセクシャルなどを指すものであり、前者の「嗜好」は例えば「SMを嗜好する」といったように「行為」、プレイ関係を想像するとわかりやすいようです。
    (そうなると「小児性愛者」は明らかに「指向」であろうに、師匠を信ずるならWHOは「嗜好」としているようで今一わかりませんが、まあそこは置きましょう)
     師匠はLGBTには「嗜好」に対する蔑視があるのでは、と糾弾します。

    中には小児性愛や窃視のように、実行すれば犯罪となりうる行為も含まれていて、これらを権利問題の論点とすれば自分たちが批判されるかもしれない、という点も、排除したくなる要因だろう。


    しかし、あえて悪い言い方をすれば、このようなやり方は、自分たちだけ特別扱いで権利を主張し、そこから漏れた人たちを切り捨てる「名誉白人」型アプローチであるともいえる。


     なるほど、例えば障害者が自分よりも重篤な障害者により蔑視の視線を向けるなどといった例は、普遍的に存在します。「セクシャルマイノリティ」の仲間にしてもらえない「小児性愛」者や「窃視」症者の方がより弱者ではないか、と師匠は言いたいようです。

    *4 更に言うならば、本来は「クィア」という表現自体が、「あらゆるセクシャルマイノリティを包括するための表現」だったはずです。しかしそうした表現を「政治的に作り出す」こと自体が、彼らの運動の「仲間割れ」を前提としているわけですね。
     更に更に言うならば、上に並んだ英単語、意味不明だと思う方も多いかと思います。ぼくも初めて見たものが多いのですが、例えばpansexualなどは「全性愛者」とでも訳すのでしょうが、しかしそれはバイセクシャルとどう違うのか、判然としません(「動物性愛者」などがカウントされていない以上、この「pan」には人間の男女以上の意味はないと思います)。また察するにally、flexual、も同義に思え、こうしたネーミングが多くなされること自体が「自他を区別したい」という政治的な動機づけに支えられているとしか、ぼくには思えません。
     ここには彼らのアンビバレントな心性が、生のまま、あまり省察されないままに放り出されているように思えます。

     言っていることはよくわかります。そこで、「だからLGBTの運動には欺瞞がある」と主張するのならば大賛成なのですが、この後師匠は、「オタクもセクシャルマイノリティの仲間に入れろ」と言い出すのです。つまり、上の長ったらしい略号にまた(要らない余計な)アルファベットをつけ加えろというのが、師匠の主張なのです。
     そうした「利権に乗っかり隊」の意見に、ぼくは首肯できません。
     それは「何か、漠然と上を向いて『おまんじゅうをよこせ』と言うだけの運動」であり、果たして国庫に、ぼくたちに回ってくるだけのおまんじゅうがあるのかが、ぼくにはどうにも疑問です。無限に並ぶアルファベットに均等におまんじゅうを分けるとしたら、おまんじゅうは限りなく小さくなるのが道理です。仮に回ってきたとしても、LGBTの食いかけの歯形のついたものがせいぜいなのではないでしょうか。
     おおそうだ!!
     国民の稼ぎは全部国庫に納めさせ、エラい人がそれを均等に分配すれば……(察し)。

     さて、先にも書いたように、記事の2p目では「オタク的表現が規制されようとしている」動きが滔々と述べられ、(そして、「表現の自由」という名の「正義」を掲げるだけでは規制反対運動はジリ貧ではないかとの指摘をして)最期の最後で、師匠は以下のように主張しています。

    これまでの表現の自由論に加えて、彼ら一部オタクを性的少数者の一部であると位置づけ、そうしたコンテンツを消費することを性的少数者の権利であると主張してみてはどうであろうか。かつてそうだったように、性的少数者の中に、性的指向や性自認における少数者と同様、性的嗜好における少数者も含める、ということだ。


     何というか……師匠は完全に天然なのだと思います。
     天然であるが故に、何だかTSUTAYAの会員になるみたいに気軽に、ぼくたちにLGBTへの「入会」を求めてきます。
     そしてそんな天然であるが故に、この提言は図らずも、種々の問題へと光を照射してしまっているのです。
     まずLGBTの運動が、専ら「政治的なもの」でしかないと、吐露してしまっている点。
     師匠はあくまで、最初っから政治的戦略として、こうした提言をしていますが、それを果たしてLGBTが受け容れるはずがあるのでしょうか。
     例えば、彼ら彼女らがレズビアンやゲイとしてのアイデンティティ、歴史性、文化などに真摯に考えている時に、ぼくたちが「綾瀬タン萌え~」と言いながら入っていって、いいものでしょうか。だって逆にぼくたちが「黒猫タン萌え~」って言っているところに彼ら彼女らが入って来て「キリスト教がゲイを弾圧し……」とか言い出したら、やっぱりムカつくでしょう。
     そう、ぼくがいつも「LGBTの運動はフェミニズムの影響を受けている」と言っている通り、この運動の根底には「ヘテロセクシズムへのカウンター」という動機が横たわっています。彼ら彼女らが「小児性愛者」を仲間に加えないのは、そもそも「小児性愛者」が「シスヘテロ男性」*5の仲間だからであって、その意味において「仲間に加えない」のは当たり前すぎるほどに当たり前です。
     逆に表現するならば、山口師匠の意見は実のところ、大変に正鵠を得たものなのです。
     要するに、彼の主張は突きつめれば「シスヘテロ男性」は「セクシャルマイノリティ」である、との「正論」となってしまうのですから(むろん、師匠自身は意見の「正しさ」に気づいていないことでしょうが)。
     彼ら彼女らの運動は「抑圧者」という敵を仮想するところにその醍醐味がある。そして、「オタク」は明らかに、その「抑圧者」の側なのです。しかし、その「抑圧者」であると仮想された中で、更に地位の低い者であると言うことはできる。即ち、ぼくがよく言う「プアファットホワイトマン」が「被差別者として認めてもらえないが故の、最弱の者」であるのと同様、「オタク」は「被差別者として認めてもらえ」るはずがないのです。
     inumash師匠のフリーライド論に対しては、「お前らもフランス革命へのフリーライダーじゃん」といった批判がなされていますが、この反論には「元々のLGBTがぼくたちを仮想敵にしている」という視点が欠落しているのです。
     去年、当ブログではずっと「男性学」について語ってきました。
    「男性学」者たちは踏んでも蹴られても、「いつかフェミニスト様がボクを愛してくれるようになる」と盲信を続けている人々でした。
     その意味で山口師匠もまた、「男性学」者たちの仲間の一人であると言えます。
     inumash師匠の意見は、そうした山口師匠へと冷や水を浴びせました。いや、じゃあ師匠はフェミニズムの欺瞞を理解しているのかとなるとそうではなく、単に「フェミニスト様に鞭打っていただく権利は俺だけのものだ」と言っているに過ぎないのですが……。
     山口師匠の言は、政治的な立ち回りだけを考えたある種の打算的な、しかもその打算自体も荒さの残る、申し訳ないけど粗雑なものでした。
     inumash師匠の反論は、「おまんじゅうの分け前を減らしてなるか」とのある種の打算的な、しかしならば「フェミはオタクの味方」などとアナウンスするのは止めろと言いたくなる、申し訳ないけど正直すぎるものでした。
     両師匠の発言が反面教師となり、オタクたちがLGBT運動と距離を取らせる方向に進めば、むしろwin-winでしょう。
     しかし最悪を考えるなら、両師匠の失敗を鑑みた「悪の大首領」が新たなる怪人を送り込んでくる、という展開もあり得ます。その怪人は意に添わぬ者を「自称オタク」と呼び捨てつつ、「オタクをセクマイ様の舎弟として飼い慣らす」ための洗脳作戦を企むのではないでしょうか?
     何か『シャイダー』の話みたいですが。

    *5 シスジェンダー、即ち男性ジェンダーを持った、性的志向もヘテロセクシャルの男性。小児性愛者がセクシャルマイノリティなのかどうかは知りませんが、「シスヘテロ男性」であることは、確かです。

    ★オマケ★
     また「新怪人」の新たな作戦として、小児性愛者は置いてオタクを「二次元性愛者」と規定、「絵に描いたおまんじゅうだけを与えて馬車馬のようにこき使う作戦」が考えられますが、それについては「敵の死体を兵器利用するなんて、ゾンビマスターみたいで格好いいね!」を参照してください。

     *     *     *

     ――以上です。
     一応、一つだけ補足しておくなら、当時は「ally」の意味を知らず、「パンセクシャル(全性愛者)」と似た意味だと想像しているのがご愛敬。
     これは「アライ」、つまり「LGBTの理解者」を指す言葉ですが、「オーリィ」、つまり「全ての」みたいな言葉だと想像していたわけですね。
     もっとも、アライがLGBTの理解者なら、そもそもLGBTの中に加わるのはおかしいんですが。

  • 風流間唯人の女災対策的読書・第35回「伊集院光――ようこそ、男の子たちの秘密基地へ!」

    2022-07-22 19:14
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     ツイッター復帰の目処も立たぬまま、ともあれ第三十五回目です。



    『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』はTBSラジオのラジオ番組。
    非モテのカリスマ、伊集院光がパーソナリティを務める人気番組で、少し前までは女性にかなり辛辣な「ブスネタ」が多用されていましたが、それもご時世で少なくなって……。
    弱者様に気を使い、表現が狭まっていくばかりの「ダイバーシティ」社会はそんなにも素晴らしいモノなのでしょうか……?