
何だかタイトルがわけのわからないことになっておりますが、上野千鶴子師匠の著作、『女ぎらい』のレビューです。
再掲は二度目、そしてレビュー自体が三つ目のものなので、こうなっています。
ただし初出(2016年1月24日)の時には他のレビューと時を置いて執筆したものであるためタイトルに(その3)はついていませんでした。再掲に当たって便宜上、つけたわけです。
内容としては、表現の自由クラスタが「上野千鶴子はオタクの味方だ」と嘘をつき、オタクをオルグしていたことについて。
ともあれ、今となってはほぼオタクの支持を失った表現の自由クラスタですが、こうした歴史があったことは、しっかりと記憶に留めておきましょう。
だってColaboの動きを見ても、マンガワン事件などを見ても、こうしたフェミの性への厳格化はいよいよこれから激しくなっていくばかりだと考えるしか、ないのですから。
* * *
『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』は、上野千鶴子師匠の比較的近年の著作です。
比較的近年でありながら、そしてまた「ミソジニー」というナウい片仮名言葉を掲げながら、内容は旧態依然とした千年一日の、古拙で偏狭で低劣なフェミニズムが語られるだけの本なのですが。
なのですが先日、togetterにおいていわゆる「表現の自由」を標榜するリベラル君たちが、よりにもよって本書を根拠に「上野千鶴子はオタクの味方だ」論をぶち上げておいでだった*1ので、久し振りに本書を読み返す機会を持ったのです。
本書については出版当時にも、詳しく触れました*2。
しかし今回は、先のような事情から専ら上野師匠の「ポルノ観」を推し量る目的で、本書をレビューしてみましょう。
さて、リベラル君たちは本書の80pを根拠に「上野師匠はポルノを否定してはいない」と断言しました。
想像力は取り締まれない――それが多数派のフェミニストが暴力的なポルノの法的な取り締まりを求めることに、わたしが同調できない理由である。
日本でもポルノ規制をめぐって、一部のフェミニストとコミックライターや作家とのあいだに「表現の自由」論争が起きたが、わたし自身は、フェミニストのなかでも「表現の自由」を擁護する少数派に属する。
との箇所ですね(師匠が少数派ということはフェミニストの多数は敵ということになる気もしますが……)。
師匠は近年、この種の発言を繰り返す傾向にあり、「うぐいすリボン」という「表現の自由クラスタ」の総本山とも言える組織の集まりでも、近しいことを言っていました*3。
――なるほどなるほど、確かにそれは彼ら「リベラル君」たちの方が正しいのではないか。
さて、どうでしょうか。
ぼくは幾度も主張してきました。
上野千鶴子師匠はポルノを全否定している、と。
そしてその根拠として、ぼくもまたやはり、本書を挙げてきました。
何しろ本書の57pで師匠ははっきりと
売買春とはこの接近の過程(引用者註・男女のおつきあい)を、金銭を媒介に一挙に短縮する(つまりスキルのない者でも性交渉を持てる)という強姦の一種にほかならない。
とおっしゃっているのですから。
言うまでもないことですが、ポルノは「売買春記録物」です。
つまり、上野千鶴子師匠はあらゆるポルノは強姦だと断言なさっているのです。
何しろ別の記事ではもっとすさまじく、
たとえば、売春業が「強姦の商品化」だとすれば、キャバクラは「セクハラの商品化」である。
やはり、風俗は完全になくすべきだという結論以外にない。
とまでおっしゃっているのですから*4。
しかし、一体全体どうしたことか、先の引用を目の前に突きつけられても、表現の自由を人命よりも尊いと考えるリベラル君たちは、上野師匠は味方だと頑迷に主張し続けました。電鋸雛菊という御仁などは特にすさまじく、こちらを「ノロマ。愚図。印象論者。デマ野郎。ゴミ論者」などとただひたすら口汚く罵り続けました。そのヒステリックさ、幼児退行ぶり、自らに逆らう者への憎悪、過剰な攻撃性は、見ていて心配になるほどです。
客観的事実を提示されてもそれを受け容れることが決してできず、自分たちのついた嘘を押し通そうとその嘘を指摘した者に殴りかかり、「『ヤツはデマを流しているのだ』とのデマ」をあちこちに垂れ流すというのはフェミニストやその信奉者の共通の、もう、本当に、唖然とする、呆れ返る、これまでに何億回となく繰り返されてきた振る舞いです。
果たして、彼らの狂信性は一体、何に端を発するものなのでしょうか?
*1 次の「火のないところにフェミが放火する案件」京都市営地下鉄戦(http://togetter.com/li/926415)
*2「女ぎらい――ニッポンのミソジニー(http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/dc90697177363f41f96dc39e97bc0afb)」
「女ぎらい――ニッポンのミソジニー(その2)(http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/95f2f4056c4af4fa29d1bab7fea658bc)」
また、上野師匠のオタク文化に対するスタンスについての、当時のぼくの見解は「チェリーボーイの味方・上野千鶴子の“恋愛講座”(http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/96a9d5b36e737a4e69b17831efbdefc9)」
*3 堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る(http://www.jfsribbon.org/2012/10/bl.html)
*4「上野千鶴子氏 売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化(http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130609/Postseven_191042.html)」
ぼくに先の箇所を突きつけられた時の、リベラル君たちの反応は以下のようなものでした。
1.エロ漫画、エロアニメなど現実の女性の関わらない表現であれば、「売買春記録物」とならない。師匠がポルノを「全」否定している、というのは兵頭のデマだ。
2.実写などでも「写真集」などは「売買春記録物」ではないものもあり得る。
なるほど、先の『女ぎらい』出版当時のブログでもぼくは
仮にですが、上野センセイのお考えが、「あらゆるポルノを女性差別として否定する、しかし非実在少女をモデルとしたエロ漫画、エロゲーだけは認める」というものであれば、筋が通っているとは思います。
と注釈を入れはしました。
しかし、では、「上野師匠はポルノを“全”否定はしていないのだな」とお感じになるでしょうか?
少なくとも、映像を記録する技術が開発されて以降は、「売買春記録物」、即ちセックスをしている場面の記録が、ポルノのメインと言えるはずです。そこにいくつかの抜け穴があるから“全”否定などしていないのだ、と言われて、納得できるでしょうか。
「写真集」で「売買春記録物」でないものもあるというのもまた、おかしなリクツです。師匠は「風俗」を全否定しているのですから、「風俗」の中に「本番」のないものもあるからいいのだといった抜け道を認めていないのは自明です。そんな師匠が「性交に至らない写真ならばOK」といった抜け道をお認めになるとは、とても思えません(しかし彼らは、上野師匠の言を無理やりにねじ曲げて、「彼女はぼくたちの味方なのだからこれこれのようにお考えに違いない」とただひたすら根拠のない妄想を繰り広げ続けるのです)。
そもそも、では、一億歩譲って、師匠が彼らの言う通り「本番のない実写ポルノ」、「アニメなど二次元のポルノ」だけは認めておいでだとして、しかし「性交している実写ポルノはNG」だとする師匠を、彼らは首肯するのでしょうか。児童ポルノの単純所持が禁じられようとした時は、あれだけ「実写の禁止を容認すれば、今度はイラストなどの禁止もなされることは明白だ」と何でもかんでも反対していた人たちが、フェミニストの言うことになるととたんに寛容になるのは、不思議としか言いようがありません。
彼らは「たっ君ママ」です。
彼らはたっ君を溺愛するママであり、一方、近所のムカつく宮本のガキ*5を憎悪しています。彼らはたっ君がテストで10点取ったことを、宮本のガキの7点に比べ大変な好成績だとして、先生に合格点をつけることを強要します。ですが実のところ、クラスのみんなはもっと努力して平均点は80点を超えていたのです。
だってそうですよね、一般の女性はポルノにそこまでの拒否感を示しはしない。ましてやオタク界には、自らものすごいエロ漫画を描いてくれる女子が大勢いる。つまり秀才揃いの「オタク学校」にはテストで100点を取る女子が大勢いるにもかかわらず、彼らはたっ君と宮本のガキにしか目が行かず、周囲の現実がどうしても呑み込めないのです。
*5 彼らの「仮想敵」として決まって彼らの口から出て来るのが宮本潤子師匠です。正直この人がどれだけの影響力を持つのか、ぼくにはわからないのですが、彼らの村には上野師匠と宮本師匠以外の女子が一人もいないということが、大変よく理解できますね。
本書を読めば読むほど、上野師匠が(あくまで、法的規制に賛同していないだけで)徹底的なポルノ否定派であることが伺い知れます。
何しろ、本書を開くとまず一番最初のページ(7p)で、
ミソジニーの男には、女好きが多い。「女ぎらい」なのに「女好き」とはふしぎに聞こえるかもしれない。それならミソジニーにはもっとわかりやすい訳語がある。「女性蔑視」である。女を性欲の道具としか見なさないから、どんな女にもハダカやミニスカなどという「女という記号」だけで反応できる。おどろくべき「パブロフの犬」ぶりだが、このメカニズムが男に備わっていなければ、セックス産業は成り立たない。
などと書いているのですから、ぼくたちが女体に性的興味を覚える以上、ぼくたちは「ミソジニスト」の誹りを免れないのです。
いえ、そればかりではありません。254pでは、男性が女性を「守りたい」と考えることすらもが女性を蔑視した、許されざる差別的な考えだと主張なさっているのだから驚きます。そんなの、男性に守られたがる女性が悪いんじゃないでしょうか(これについては先に挙げたぼくのレビューの一番最初のものを参照)。
9pでは、吉行淳之介『驟雨』がやり玉に挙がり、
おどろくほど通俗的なポルノの定石どおりに展開する。
(13p)
それはつまり、男が女を快楽に導くことで支配するという幻想であり、
あまりこの種の幻想がまき散らかされているために、ほんとうに信じこむ人たちがいるのじゃないかと心配になる。吉行はそういう性幻想をまき散らかした戦犯のひとりである。
(14p)
と全否定を続けます。
こういう人がエロを認めていると、どう考えれば思い至れるのでしょう。はっきり言うと、この『女ぎらい』は壮大な「ポルノ否定」の(いえ、「男性否定」であり「女性否定」の)書であり、彼女がポルノに寛容というのはオタク界のトップがオタクの味方であるというのと同じくらい、ムチャクチャなのです(比喩になっていないことをお詫びいたします)。
先の80pの発言は「児童性虐待者のミソジニー」という、小児愛者を批判した章のものなのですが、この後師匠は
それならいっそのこと、かれらが性関係から撤退し、性行為をマスターベーションに限定し、自己完結した性的欲望のファンタジーのもとにとどまってくれているほうが、ずっとよい。ヴァーチャルなシンボルで充足できる「二次元萌え」のオタクや、草食系男子のほうが、「やらせろ」と迫る野蛮な肉食系男子よりましだ。
(中略)
たとえ二次元平面のエロゲーや美少女アニメが、誘惑者としての女がすすんで男の欲望に従うあいもかわらぬ男につごうのよい男権主義的な性幻想を再生産している、としても。
(86p)
と言い出します。つまり、彼女は「ポルノを全否定」した上で、「オタクは二次元にしか興味がない」との仮定の上で、ようやく、ぼくたちのことを「まし」であると言ってくれているだけなのです。
次のページでは実写ポルノについて、
トラウマ的なポルノを演じることでもたらされる影響を無視することはできない。
と、「仮想のストーリー」をも悪だと難じています。
(繰り返すように本章自体が小児性愛者についての章であり、全体的にはチャイルドポルノが批判されているのですが、上の文章はその直後に「とりわけ子どもの場合には」とあるように、ポルノ全体を批判する文脈で書かれたものであることを、お断りしておきます)
先の吉行淳之介批判もそうですが、上野師匠はラディカルフェミニストの一人であり、ラディカルフェミニズムは根本の部分で「我々の性意識は他者によって教え込まれたもの(なのであるから、それを覆さねばならない)」という考え方をしており、ポルノを絶対に許すはずがないのです。
以前ツイッター上で、青識亜論師匠(「表現の自由」派の中の有力な人物)と話していて、面白いことを言われました。
バトラーなどは、ポルノの自由を認めた上で、ポルノを構成する表徴を転倒させ、反差別の力にしてしまおうという豪快なロジックを使いましたが、上野女史もこうした流れを汲むのではないかと勝手に思っています。
要するに、フェミニスト様にポルノを差し出し、ご自由に査定、改訂していただこうというわけです。一体何で、そんな人権保護法案みたいなメンドくさいことをしなきゃいけないんでしょう。
(ちなみに先のバトラーのロジックは、フェミニストの口からよく聞くものです。上野師匠の弟子である千田有紀師匠もまるきり同じことを言っていて、その意味で彼の「上野女史もこうした流れを汲むのではないか」との想像は、恐らく当たっていると思われます)
ここまでで、大体のことはわかったかと思います。
彼らリベラル君たちの言い分は、彼らの運動を「ただひたすらに自民党と戦うことを目的としたもの」と規定した時、極めて論理的なものとして立ち現れます。
フェミニストたちがいかにポルノを否定していても構わない。彼女らが実際にあちこちにクレームをつけ、「表現の自由」を阻害しようと、いっこうに構わない。ただ自分たちはフェミニストとデートをして、そして自民党が悪だと言いたいだけだ。
どうやら、彼らの言を演繹していくと、そのようなものになってしまうようです。
事実、彼らは悪名高い「行動する女たちの会」を「法規制には反対の立場だ」というだけの理由で称揚しています*6。
彼ら「表現の自由」クラスタは「国家大嫌い芸人」であり「フェミニスト大好き芸人」ではありますが、大変残念なことに「エロ大好き芸人」でもましてや「アニメ大好き芸人」でもなかったのです。
漫画もアニメも消え果ててもいい。ただボクはフェミニストとデートをして、現政権の批判だけを続けたい。
そうお思いの方はどうぞこれからも、足繁く彼らのライブに通い続けてください。
*6 フェミニスト団体「行動する女たちの会」の悪質さと、オタク界のトップが彼女らを称揚する様は「『ポルノウォッチング』ウォッチング(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar855897)」を参照。

てなわけでまー、ほら、昭和を懐かしがると死刑やないですか。
とにもかくにも昭和は悪。
アップデートせよアップデートせよの大合唱が鳴り止む日はありません。
その風潮の理由を教えてあげましょう。
そこに「答え」があるからです。
「答え」とは。
この世の「あるべき姿」の答えと言いたいところですが、一歩譲歩して、「世の中がいかに壊されてしまっているか」の答え、とでもしておきましょうか。
それこそYouTubeなどでも「懐かし昭和チャンネル」みたいなのは無限にありますが、その「本当の懐かしさ」、言い換えれば「今の世と当時との隔絶」について、精度高く語ってくれる人はどこにもいない。
例えば、ぼくは時々、『ダメおやじ』について語りますが、それも「昭和」の「答え」を示した作だからなのです。
しかしそうした「答え」に溢れたかつてのコンテンツはもう、これ以降は抹殺されていくしかない。
それを危惧し、かつての作品を掘り起こすのが当シリーズのテーマなのですが……今回は星新一。
みなさんご存じであろうショートショートの大家で日本SFの開祖とも言うべき人物。キャラクターたちは「エヌ氏」などと匿名性を極めた形で現され、硬質な文明批評が展開される作風――と思っている人が多いでしょうが、意外や人間くさい機微に溢れた作品も多く残しています。
もっともショートショートという性質上、ファンでもおそらく、一個一個の作品に対する解像度はあまり高くない。
今回はそんな中から、兵頭が扱うにふさわしいものをいくつか。
そんな性質上、ネタバレはバンバンします。
興味のある方は是非、該当作を一度読んでから以下に当たってみてください。
まずは以前、Xでも書いたことなのですが、これについて。
1.「うるさい相手」『マイ国家』所収
主人公がロボットにつきまとわれるところから、話は始まります。
お手伝いロボットが普及し、ロボは街に出て人々に自らを売り込むという社会になっていました。彼らは非常に巧みにプレゼンし、しかし当然、購入しないとその恩恵には与れない。
主人公は疎ましく思い、何とか追っ払おうとしますが、当然ロボットは法律を熟知し、そのギリギリの範囲で彼につきまとい、また住居には入れないが、何時間でも平気で外で待機している。
追い払おうとばかりしていた主人公、しかし何かのきっかけで、「いつかはロボットも無駄だと悟り、立ち去るだろう。しかしそうなると他の顧客を狙ってつきまとい、町で偶然俺に会ったところでスルーされてしまうだろう」と感じて何やら寂しくなり、ロボットの購入を決意する。
ところが買ったとたん、ロボは前宣伝と異なり、言葉を左右にし、労働を拒否する。それには専用のパーツが必要だ、別売のアプリが必要だ、云々。
ここまでで商業主義を風刺した作品だと、誰もが思うことでしょう。そもそも高度成長期に出てきた作家で、そうしたテーマの作品も多く、ことに本作ではロボットのせいで主人公はノイローゼ気味になり、精神安定剤を飲もうとするが、その製薬会社がロボットメーカーと同系列であると気づき、馬鹿馬鹿しくなって止める、といった下りまであるのですから。
ところがオチが奇妙なのです。
同僚にやはりロボにつきまとわれていると相談された主人公、どう答えたものか、思案する。
答え1.自分だけがこんな目に遭うのもシャクだ。こいつも非道い目に遭わせてやれ。
答え2.いやいや、今のところ、まだ俺がロボを使いこなせていないだけだ、決して悪い買いものではない。
いずれの場合も、相手にロボを勧めるという結論に変わりはない。
――以上、ぼくはこれを凡作だと思っていました。
今一これぞというオチが思いつかなくて、取り敢えず思いついた二つを並べたと。
言うならウルトラマンが強敵をやっつけるネタが思いつかなくて、必殺技を二発打ったといった感じです。
しかし、これ、よく考えると違うのです。
要はロボって嫁のメタファなのですね。
『ルパン3世』ファーストシーズンの第13話「タイムマシンに気をつけろ」で、ルパンはタイムマシンを使う敵に生命を狙われ、万策尽きて「自分の名前だけでも残そう」と峰不二子に求婚します。「種さえ仕込んじゃいない(と冒頭で本人が発言します)」ので遺伝子は残らないが、名前だけでも継いでもらおうと。
ところが何やかやで敵をやっつけ、オチは「結婚してくれるんでしょ」と迫ってくる不二子から逃げ惑い、エンド。
ぼくは子供の頃、これが不思議でした。
ルパンって、不二子が好きなはずなのに、と。
言うまでもなくそこが男女の心理の差で、あたるがラムから逃げ回るのといっしょなのですが、男女関係がこうも変わってしまうと、今となってはこれらもピンとこない描写かもしれません。
いえ……むしろ今の方がわかるでしょうか。
男がいざとなると結婚を拒むのは、一つには一人の女に縛られるのは嫌だという精神的な要因がありますが、もう一つは当然のことですが妻帯者となり妻の、生まれてくる子供の生活に責任を持つことが煩わしいという経済的実利的要因です。
むしろ今の男性たちの非婚化は(泥棒や学生で、生活に追われていないルパンやあたるの、純粋に女性からの自由を求める心理と違い)そうした心理によるところが大きいかもしれません。
そして、しかし、だからこそ、昭和の独身男性は何かのきっかけで「そろそろ年貢の納め時だ」と理解し、結婚することがイニシエーションとして成り立っていた。
本作はそんな心理を、コミカルに描いたものだったのです。
これにはたと気づいたワタクシは、エラいのではないでしょうか。正直、かなりの星新一マニアでもこれ気づいてないのではないかと。いえ、もうちょっと昭和どっぷりの世代には、むしろ直感的に全部わかっていたのかも知れませんが。
何しろ、ロボットなので女性的なところは何一つない。性的なニーズに応えられるわけでもありません。それこそセクサロイド、美少女アンドロイドとは違い、カタカナ言葉でしゃべるようなロボットですから(いえ、実際にカタカナで表記されてるわけじゃありません、メカメカしい感じという意味です)、女性のメタファーであると感じるのは難しいのではないでしょうか。
興味深い描写があります。いざ買うと働こうとしないというのは上述の通りですが、同時にロボットはやたらとメンテナンスだ修理だで莫大な金を食う、何だかロボットは自分のことばかりしているかのようだと主人公が感じるというシーンです。旦那の稼いだカネを遊びや美容に浪費する妻のようではないですか。
ロボットのなすべきはずの料理だ庭仕事だ(後者は家の美観を保つ作業で、掃除や何やに近いと考えていいでしょう)といったものは「女の仕事」です。いえ、昭和なら当然女の仕事だったのが、そうでなくなって数十年の時の経過したものです。
つまりこの時代の女とは、そうした仕事をしてくれるありがたい相手であり、しかしいざ結婚してみると――といった「あるある」があったわけです。「釣った魚に餌をやる馬鹿はいない」はこの時代においては女のセリフだったのです。
2.「視線の訪れ」『午後の恐竜』所収
実のところ、星新一にはもう一つ、近しい作があります。
主人公は仕事のできる、女性にもモテる男。女と遊び歩き、身を固める気になれない。が、ある時、背中に視線を感じるようになる。どれだけ探しても、誰に見られているかはわからない。が、ある日、その正体は妖精であったとわかる。美人の女性の姿の妖精は何者で、何が目的かなどを一切明かさず、主人公を不安にさせる。何しろ主人公が小銭を得るために会社の秘密を産業スパイに売っていなどといったことを、その妖精は知っているのだから。
妖精は何も要求もせず、ある時は朝食を用意したりもするが、主人公としては心穏やかではない。
が、ある時を境に妖精は姿を消し、主人公は妖精の姿を探し求め、どうしても見つからず、医者である友人にことを打ち明ける。「何だか、厄介な、しかし面白い、懐かしい体験だった気がする」。その言葉に、医者は諭す。「そろそろ結婚する時期ってことじゃないか」。
つまり、これも「年貢の納め時」ネタと言えるわけです。
妖精が伴侶を象徴していることは言うまでもありませんが、女性を漁っていた主人公が「視線を注がれる」、即ち女性に「求められる」経験を経て、それを煩わしく思うものの、やがて消えた相手を恋しく思い、探し求める。
ようやく落ち着く気になったことが、そうした心情の変化を現しているわけです。
妖精が主人公の悪事を知っているというのも象徴的で、この悪事も元を正せば妖精の視線でノイローゼ気味になったことが原因であり、言うなら共犯と言えなくもない。
実のところ(これまたネタバレになりますが)星新一の作には大は国家から小は家庭に至るまで、あらゆる組織の本質は共犯意識だ、といったものもあり、まさにこの両者の「共犯」こそが二人の関係性を象徴しているわけですね。
3.「春の寓話」『妖精配給会社』所収
ある時、主人公は言葉をしゃべる美しい小鳥と出会う。小鳥は江戸時代のお姫様であると名乗り、自分の美貌を妬む姉に呪いをかけられ、こんな姿にされてしまったのだという。主人公は小鳥の「自分を人間に戻してくれたら、あなたの妻となる」との申し出、その貞淑な様子に、それなりの手間を投じて呪いを解く薬を調合する。
ところがいざ人間に戻った姫は、さほど美しくもない。しかし江戸時代の人間であるため婚姻の約束は絶対のものと思い、主人公につきまとう。主人公は彼女を「自分を江戸時代の姫と思い込んでいる精神異常者」として精神病院に入院させてしまう。
ここでは、「古来の女性の美質である貞淑さ」こそが既にこの時代で失われた、稀少なものとして認識され、主人公はそこにこそ魅力を憶えるのですが、いざとなるとそれこそが厄介さとなっているわけです。
最後に教訓として、以下のように述べられます。
「女は全て自らを美人と思い込んでいる。また、男の結婚の約束は政治家の公約のごとし。」
つまりここでも、「現代的な女性」がかつてと変わってしまったことを描きつつも、まだ「男は結婚から逃げるもの」という世界観が共有されているわけです。
ともあれ、ここで描かれているのは「女は男を追い、男は女から逃げる」という一昔前の男女ジェンダーの普遍性です。
そしてまた、こうした「独身男性」像は『サザエさん』のノリスケを見るとよくわかります。
彼はお調子者で、図々しすぎる挙動に出て、時おりネット民のヘイトを買っていますが、実のところ原作では独身で磯野家の居候として登場しており、その時のキャライメージをいまだ引きずっているがため、結果、あのように描かれているわけです。その役どころは既に妻帯者であるマスオさんを誘い、ろくでもない悪戯をしでかしたり、カツオたち子供の相手をしてやるものの、悪いことを教える(失恋したカツオをバーに連れて行く話があります)といったものでした。
この種の「独身であり、まだ社会への帰属意識が低いおじ」というのはキャラの一つのテンプレだったんですね(近年こうしたキャラはすっかり少なくなりましたが、唐沢なをき『がんばれみどりちゃん』のろくでなしのおじさんは、おそらくこれを意識して描かれたキャラクターでしょう)。
男にはそうした独身時代があり、しかしいずれ結婚して社会へと回収されていく存在だった。
だからこそルパンは、あたるは女から逃げ回るのです。
4.「きっかけ」『悪魔のいる天国』所収
主人公はとある女性とずっとつきあっているが、なかなか結婚する踏ん切りがつかない。そんな中、裕福な美人と劇的な出会いをし、夢のような時間を過ごすが、すぐに手非道くふられてしまう。
主人公はその美人を恨みつつ、美人でも裕福でもないが誠実に自分を愛してくれる元の恋人のところへ舞い戻り、平凡だが幸福な家庭を築く。
が、実はこの美人との出会い自体が、恋人によって仕組まれたものだった。美人は「男には結婚を決意させるきっかけが必要。と同時に、分不相応な夢を叩き潰してやる必要がある」と語り、まさにその機能を果たす、言うなら尻叩き屋とでも称するべき存在だったのだ。
――以上、本作は今回挙げた諸作品共通のモチーフである「年貢の納め時」について、真っ向から描かれた作品なのです。
男にしてみれば独身時代の気楽さを捨て、結婚するというのはある種の決意を必要とする。同時に、(今の婚活女さんがそうであるように)相手に対するある種の見極めというか、いい意味での妥協、諦念も必要とされる。それが本作のテーマです。
ここでぼくがここしばらく、高橋留美子について言っていたことを思い出してください。『うる星やつら』において、本来のヒロインであるしのぶを差し置いて人気となったラム、『らんま1/2』でやはりヒロインであるあかねの影が薄く、らんまやシャンプーが人気を博した。作者も読者人気を柔軟に取り入れ、人気キャラを前に出した。
これをぼくは、「男の子たちは『星から来た女の子をガールフレンドにしたい』と望んだのだ」と形容しました。その意味で、ラムやらんま、シャンプーこそが男の子の精神世界に寄り添ってくれる「萌えキャラ」なのだ、とも。そう、現実の中で女を養うという義務を果たしていかねばならない男性の内面世界をささやかに延命させるために生まれた存在、それが萌えキャラだったのです。
それと、冒頭の「うるさい相手」についてもう一つ。
主人公が精神安定剤を飲むが、すぐに止めるといった描写についてお伝えしました。また、何故だか急にロボットに見放される不安に陥るという下りについてもご説明しました。が、後者は前者の直後に起こっており、作中でも「それは薬の副作用のせい」と暗示されているのです。
いかがでしょう、星新一と言えば星製薬の跡取り息子で、作中でもロボットなどのメカニック以上に薬剤が重要なアイテムとして登場します。
奇妙な心境の変化は、おそらく薬のせいであり、そこには製薬会社、否、それを操る政府の明確な意図があるのでは……。
結婚とは男に女という負担を強いることで女に出産させ、国家を継続させようとする、政府の陰謀である。
そんな読みが、ここからは可能なのです。
しかしロボットのせいでも、薬のせいでもなく、フェミニズムのせいで社会は変わってしまいました。
もはや結婚とは男の方がロボとなることであり、男はもう、それを拒絶し続ける以外の選択は、なくなってしまいました。
先に「釣った魚に餌をやる馬鹿はいない」という言葉をご紹介しましたが、そう言っている(ことにされている)男って考えれば釣った魚の生活のためにずっと働いてますもんね。
誰がこんな馬鹿な言葉を広めたんでしょうかね。
風流間唯人の女災対策的読書・第79回 女災対策的エプスタイン論――エプスタられようとする、“女さん”たち

第七十九回です!
全世界をひっくり返すような騒ぎに陥れたエプスタイン事件。
男女の対立、分断の進んだ現代の日本で、ぼくたちはこの事件をどう咀嚼し、消化するべきなのか。いっしょに考えていきましょう。
さて、まずその前に『WiLL Online』様では「エプスタインファイルはどこまで本当?」が公開されています。どうもSNSの情報があまりアテにならないようで……未見の方はまず、これをチェック!
「記憶戦争」については以下を。
風流間唯人の女災対策的読書・第77回「記憶戦争」――史上最大の男性への冤罪を支持する人たち
【sm45768450】
フェミとペドファイルが親和的な件については以下を。
風流間唯人の女災対策的読書・第47回「少年愛者とショタが全然違った件」
【sm42513622】
TERFとTRAについては以下を。
風流間唯人の女災対策的読書・第45回「オールジェンダートイレから見える狭い風景」
【sm42246751】
「女災」とは「女性災害」の略。 男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。 このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。
兵頭新児
女災アナリスト。 ウソです、本当はアキバ系フリーライターです。 オタク出版界の最底辺を長年鳴かず飛ばずで徘徊、萌えブームにもギャルゲーブームにもラノベブームにも乗れず、『電波男』の二番煎じで起死回生を計るも玉砕、依然、最底辺を徘徊するハメに。 連絡はshin_2_h☆ybb.ne.jp(☆→@)へお願いします。 以下もよろしく! http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=57255
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