顔面核爆弾さん のコメント
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ここしばらく、ぼくがずっとピル師匠、多摩湖師匠を案じていたことは、皆さんご存じかと思います――などと書いて、頷いてくださる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。 「 2016年女災10大ニュース 」などでぼくは彼女らを「面白半分にバラエティ番組で担がれた、田舎のラーメン屋」であると形容しました。というのも、表現の自由クラスタは「ポルノに寛容なフェミニストがいるのだ、いるのだ」と絶叫しつつ、その「真のフェミ」の具体例を提示できずにいた。そこに渡りに舟で出現したのがピル師匠、多摩湖師匠であったと言える。 しかしよく考えれば、元から彼らのガールフレンドたちには担ぐにふさわしい、社会的地位や知名度、何よりもオタクリテラシーを持った腐女子フェミニストが大勢いらっしゃったのです *1 。彼らが今に至るまで彼女らを担がないのがどうにも不自然であり、いざとなったら切り捨てられるおばさんたちをわざわざ探し出してきたのだろうとの想像が、そうした不安の根拠となっておりました。それは丁度、「オタク界のトップ」やサブカルがオタクを特攻要員くらいにしか思っていないのではないかとの不安と、全く同じに。 そしてまたここしばらく、ぼくがずっとツイッターレディース、まなざし村を案じていたことも、皆さんご存じかと思います――などと書いて、頷いてくださる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。 というのも、社会的地位のあるフェミストたちと彼女らには、主張も品性もほとんど差異がないにも関わらず、表現の自由クラスタの彼女らへの憎悪は半端ない。彼らは彼女らを、お姫様に対して感じた不満を代わりにぶつける存在として選んでいることは、端から見れば自明だからです。幾度も指摘することですが、彼らが彼女らを好き放題に叩いているのは、彼女らが何ら後ろ盾を持たない個人だから、という面が大きいことは、どうしたって否定できないのです。 いずれにせよ、両者とも表現の自由クラスタに選ばれたスケープゴートである、というのがぼくの見立てであり、そうなると、彼女らの未来がどうなるかも明らかです。 『人造人間キカイダー』に出てくる悪の組織が失敗した戦闘員を処刑するシーンが、ふと思い出されます。「首領様、お許しを!」「チャンスを! もう一度チャンスをお与えください!!」と哀願する戦闘員たちがプレス機で押しつぶされ、廃棄処分にされてしまうシーンはぼくの心に深いトラウマとなって残っています。 大変に、恐ろしいですね。 ところが最近、よりにもよって、宮台真司師匠がピル教に入信してしまったのを知って *2 、上の推理は修正を余儀なくされてしまったのです。考えてみれば確かに、表現の自由クラスタたちのピル神に対する崇拝心は天然であったようにも思います。「利用して捨てる気だ」などというのはいささか、彼らの知性に対する過剰評価だったかも知れません。 しかし更に困ったことに、よりにもよって宮台師匠は上野千鶴子師匠を「ラディカルフェミニスト」と断言してしまいました。表現の自由クラスタの皆さんはこれからも安らかに呼吸ができるのだろうかと思ったのですが、こちらの心配をよそに、気にしている方はどこにもいらっしゃらない様子。そもそもが上野師匠のデタラメ極まる著作を自分たちの都合のいいように解釈し、ピル神が「おっぱい募金」に反対したことも一切気に留めない方々です *3 。 彼らの信仰心は「事実」などによって、いささかたりとも揺るぎはしません 。 どうぞ長生きなさって下さい。 ――さて、ところで、しかし。 上のまとめで宮台師匠が「糞フェミ」などと罵倒しているのは、アンチポルノ運動をしているフェミニストのようです。そうしたフェミを、本稿では略して「アンポルフェミ」と呼称しましょう。もちろんポルノを認めるフェミなどいないのですが、これはあくまで便宜上のものです。 さて、確かに宮台師匠はずっとアンポルフェミたちともめておりました。ぼくもよく知らないのですが、「実際の強姦を記録した」との疑いのあるAVについて宮台師匠が擁護した、という(確かもう、十年以上前の)ことで執拗に「粘着」されていたという経緯があったかと思います。 正直、ぼくはこの問題にあまり立ち入ろうとは思いません。フェミニストのことだから無理矢理な文句を言っているんだろうな……といった感想は抱きますが、実際に悪質なAVもあるわけで、まあ、細かい査定は当事者同士でやっていただくしかない。少なくとも宮台師匠もまた重篤なフェミ信者である以上、冷静な判断力があるとは思えない(ことは、今回の入信騒動で思い知らされました)。どっちが勝とうと知ったことかという気にしかなりません。ノイホイ氏や鳥越氏の件についてあんまり舌鋒荒げる気になれなかったのと、同様な理由です。 が、いずれにせよこの「糞フェミ」が「ツイッターレディース」やら「まなざし村」やら「ツイフェミ」やらと同様の恣意的で幼稚なレッテルであり、宮台師匠の行いは上野師匠たちを「まだ、話せるフェミニスト」として延命させようとするだけの行為であることは、言うまでもないところです。 ところで、実は最近他にも、AVにまつわるフェミ同士のバトルがありました。 田中美津師匠がAVについて語った記事に、アンポルフェミが噛みついていたのです。 田中師匠と言えば、上野師匠の師匠に当たるようなフェミニストの中の大師匠。フェミニズムが「時流を解さない」ことをテーマにしているだけあって、記事のずれっぷりはハンパありませんが *4 、同時にこの中で、 やりたくないと言いながら結局、AV出演契約をしてしまう人というのは、そういう深いところで倒錯した自己肯定感を持ちながら仕事をしているのではないでしょうか。数百本も出演して「強要だった」と訴えた人を「何を今さら?」と非難する人もいますが、そういう心の病があることを分かっていないと理解できませんよ。
と、女優側を擁護しつつも「強要」に懐疑的な見方を示していて、それにアンポルフェミが噛みついた、という一幕があったのです(ちなみにこの箇所は抗議を受け、現時点では 削除されてしまっています )。 むろん、常識的に考えれば、田中師匠の方がまだしも正しいことでしょう。 しかし同時に、女性の側の主体的な判断すらも「ジェンダー規範の刷り込みがあったのだ」として否定してきたのがフェミニズムです。 『 部長、その恋愛はセクハラです! 』を読むと、「セクハラかどうか、女性にもよくわからないので、その時点で合意があっても 後づけでセクハラだと思ったのなら、それを尊重せよ 」などとものすごいことが書いてあります *5 。 そして大変残念なことに、この主張は「真のフェミニスト」であらせられるはずの上野師匠からも発せられ、同書に引用されたものなのです。 そう、女性に主体は認められない。 その時に何を言っていようが、本人は自分が何を言っているのかもよくわかっていない。 だから、女性の発言や主張は後から自在に撤回する権利を与えよ。 それがフェミニズムなのです。 アンポルフェミを憎む正義の味方たちは彼女らを「女性の主体性を認めない」と罵っておりましたが、上野師匠こそがそれだったのですね。 あ、いや……逆に「女性は発言の責任を持たなくていい」という前提を導入すれば、やはり彼女らは正しいのか……? なるほど、田中師匠の判断は間違っていて まなざし村こそが正しいこと が、そしてまたぼくの指摘は間違っていて ピル神を崇拝する表現の自由クラスタや宮台師匠こそが正しいこと が明らかになりました。 めでたしめでたし。 ――終わってしまいました。 もう少し続けましょう。 「女に主体など認めてはならんのだ」とは、一体どこまで非人間的な主張なのかと思いますが、しかしこの問題、よく考えればセクハラ問題ともジェンダーフリー(即ち、ジェンダー規範は男にすり込まれたのだとするフェミの妄想)とも全く同じ構造を持っていることが、おわかりになるのではないでしょうか。何しろジェンダーフリーこそ、「あらゆる人間が主体的判断だと信じ切っているそれは、実はジェンダー規範に操られてのものであり、正されねばならない」という、人類史上最大の人権無視の思想なのですから。 全く途方もない考えで、呆れる他はない……と言いたいところですが、実のところぼくは女性のメンタリティを考えた時、それは実は、ある種のリアルをすくい取っていると言えるのではないか、と思うのです。 例えば、昭和時代のアイドルの決まり文句に「私は興味がなかったけど、友人が(オーディションに)応募した」というのがあります。もちろん、そのアイドルを清純に見せたい事務所によって作られた「設定」という側面もあることでしょうが、「自分から能動的にことに及んだわけではない、しかしあまりに可愛いので相手側から求められたのだ」という物語は女性にとって何よりも切実に希求する、この世で一番大切なものでしょう。 AV女優というのは90年代の頃から「芸能人志望」、つまりそのステップとしてAVに出演しているのだと称するのがお約束でしたが、これも上に近しい心理が働いているわけです *6 。そうした発言について、 1.バカだから騙されている 2.わかった上で、ある種の見栄として芸能人志望と称している といった「分析」が可能ですが、恐らく本人の中で上のいずれかの心理状態にあるというわけではなく、この二つが不可分に混ざりあっている。その上でAV界でちやほやされることで芸能人なりたい欲はほぼ満たされている、とでもいったことになるのではないでしょうか。 こうした曖昧さは「AV女優は主体性を持って、自らの意志でAVに出演しているのだ」としたくてたまらない表現の自由クラスタ(及び、リベサーの姫型フェミニスト)の主張とは極めて親和性が悪い。 しかし、人間心理がそんなに明確にくっきりはっきりとしたものである、という考え方こそ、フィクションではないか、とも思います。 精神科医の木村敏教授は「人間」とは「人の間」なり、みたいなことを言っています。 「主体」とは「人と人の間」にこそあるのだ。 A君とB君が食事に行った。「何を食う?」と、ああでもないこうでもないと話しあっている間にいつの間にかカレー屋に入っていた。場合によってはどちらかが強力なリーダーシップを取ることもあり、また両者の思惑がぴたりと一致することもあろうが、少なくとも日本においては「何とはなしのその場の空気」によりメニューが決定することが多いのではないか。言わば「人と人の間」こそが主導権を握っている。 まあ、そんな論法です。 何しろ何十年も前に読んだことを記憶で書いているので、厳密さには欠けますが、アウトラインは間違っていないと思います。 日本人の人間関係は受けと受けしか存在しない、 腐女子が泣いて悲しむBL であり、「強固な、毅然とした主体的自我」などといったものは「西欧文明」の生み出したフィクションであり、そんなものは存在しないのだというわけですね。この考え方にはそれなりの説得力があると同時に、男性よりは女性に、より当てはまるのではとの印象を持ちます。 つまり、この木村教授の理論を前提した時、「AV出演を強制されたのだ、仮に自らの意志で出演しますとの契約書が残っていても」というアンポルフェミの言い分にややリアリティが増し、一方、AVに賛成するフリをしているリベサー姫がデートの時に男の子から教えてもらった「近代的自我」を前提とした物言いが、やや不利になる。 そうなると、必然的に上の『部長、その恋愛は――』などにおける「女は自分が何を言っているのかもわかってないから男たち、とにかく責任を取れ」といった言いがかりが浮上してきてしまう。 しかし、当たり前のことですが、女性に主体というものを認めないのなら、男性にだって主体はなく、責任能力はないとしないことには平等ではない。 いえ、『部長、その恋愛は――』が平然と出版されているという事実は、そうした平等の原則など歯牙にもかけず、男だけが無制限無条件無思考で全責任を負え、とのコンセンサスがこの世に根づいていることの表れでもあります(実のところ「チンポ騎士団」とは、フェミニズムに平身低頭すれば自分たちだけはそうした「女子力」の恩恵に与れるのだ、との宗教運動でした)。 確かに、この状況で男女平等を導入すれば社会は完全に立ち行かなくなり、全人類がやったあらゆる悪行の全てが「 何か、安倍さんのせい 」みたいなわけのわからないロジックが横行するディストピアしか成立し得なくなる。 そう、どう考えても詰んでいる、わけです。 将来的に、「近代的自我」というフィクションには限界があるのだということが明らかになった時、それを超克する社会パラダイムやら何やらかんやらを見出す必要に迫られるのかも知れませんが、今、パラダイムという言葉もよくわからずに書いているぼくレベルの手には余る話です。 ひとまず、AV出演強制問題に立ち戻りましょう。 パラダイムはともかく、今ここでこの問題にうまい具合に対応するには、もう少し女性のメンタリティの曖昧な性質に肉薄するノウハウを確立し、うまく手綱を握るしかない。 もっとも、そうした性質は現代の価値観からはあまりポジティブな評価を下し得ないものでしょう。そこをまあ、何とか当たり障りのない形で現実にソフトランディングする知恵が、ぼくたちには求められます。 現代の社会は(フィクションだろうと何だろうと)近代的西洋的自我というものの上に成り立っているのだし、女性ももう少し努力することで多少なりともそこに適応していただく他は、ありません。 いずれにせよ、その時にはフェミニストたちの曖昧模糊としたデタラメな言動を「兵器利用」しようとするだけのリベラルのやり方は、「女災」として厳に戒められることになりましょう。 彼ら彼女らの未来は暗いようです。 ■補遺■ 実は本稿の「人の間」に近しい論法が、ピル神の信徒の口からも聞かれました。 丁度このテキストを書いている最中だったので驚きましたが、フェミニズムがそもそも、こうしたロジックであったことは上に書かれている通りです。 彼女らの言い分はぼくが上でしている「ならば男性側もあらゆることから免責されなければならないし、そんなことは非現実的な空論だ」との指摘を全く織り込まないものでした。それでは自分が不利になった時にだけ、ちゃぶ台返しをしてもいいという身勝手な言い分にすぎません(しかしそもそも、ジェンダーフリーもこれと全く同様のグレートリセットであり、ポストモンダンクラスタの言い分って、基本、この程度のものなんですね)。 実はピル神がおっぱい募金を否定していることを指摘された時の言い訳もこれと同様の論法であり、いずれにせよこの種の「自己決定能力あるかどうかわからない論」を持ち出せば持ち出すほど、彼ら彼女らはアンポルフェミに限りなく近づいていくのですが、どういうわけか、それには全く気づいていらっしゃらないご様子です。 とにかくあの人たちはロジックを「自分の都合にあわせて倒すべき敵にだけ好きな時に好きなようにぶつけていい どくさいスイッチ 」としか思っていないのですね。 *1 そうした腐女子フェミが「ポルノに寛容」なのは一応、事実です。しかしそれはリベサーの姫として場当たり的に言っているだけだということもまた、幾度も指摘してきた通りです。例えば藤本由香里師匠がドウォーキンの「全てのセックスは強姦」との主張を肯定的に引用するなどしていて、彼女らが「ポルノに寛容」というスタンスとフェミニズムの理論をどう止揚しているのか、全くの不明なのですから。 *2 「 宮台真司首都大学東京教授、ネット上で流れている自称フェミの誹謗中傷のデマを否定する 」 「 宮台真司氏による、日本的フェミニズムの「妄想のホメオスタシス」批判 」 「 宮台真司が妄想とデマの糞フェミ退治!'2017 みんなー!宮台先生の授業が始まるよー! 」 *3 「 おっぱい募金への反対論者との議論 」。 ちなみに上の「宮台真司氏による、日本的フェミニズムの「妄想のホメオスタシス」批判」ではピル神の言い訳と、それについてのぼくのツッコミが記されています。こうしてみても表現の自由クラスタは一切、ポルノを守る気がないことがよくわかりますね。 *4 「 AV問題 男の力誇示にNO「女性のための作品を」 」 BLがどうのといったツッコミはここではしませんが、考えると田中師匠が静かに主張を取り下げたことと、同様なずれっぷりを示した 駒崎師匠があれだけ炎上したこと とは、極めて対照的です。駒崎師匠が炎上した理由、それは彼を叩いているのがKTBアニキのそれと同様、「チンポ騎士」の地位を狙って彼を羨む層が主であった点にあります。「ツイフェミ」の反対語は「 プロチンポ騎士 」であり、彼らは「チンポ騎士」志願者から狂ったような憎悪を向けられる運命にあるのですね。 *5 兵頭新児の女災対策的随想「 部長、その恋愛はセクハラです!(接触編) 」 *6 「女性たちは主体的にAVに出演しているわけではない」とのロジックに対する反証として、昨今ではAV女優たちが自主的に、嬉々として立ち上げているブログやツイッターなどが挙げられましょう。が、同時に、引退した彼女らが以前のブログを消し、「やりたくてやっていたのではなかった」と手のひらを返す現象も恐らく日常的に見られているはずです。AVマニアというのはそういうのに「粘着」したりはしないものなのか、ちょっと疑問ではあります……などと書いていたら、出て来ました。 「 「AV女優の手のひら返しに戸惑い…」AV出演を“強要”したとされる男たちが、ついに重い口を開いた 」 彼らも商売ですから、黙ってはいないことでしょう。
「女災」とは「女性災害」の略。
男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。
このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。
男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。
このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。
いえ、むしろ彼らは好んでそのように自称していますが、実際には(例えばオタク界のトップがろくでなし師匠を擁護したように)エロ全般をフィールドにしているし、また、ピル神への崇拝を続けていることからも自明なように、実は「エロを否定していようと、フェミなら盲目的に追従する」わけです。
ではレディースとやらを何故罵るのかというと、おっしゃるように単に権威がないからでしょう。
なるほど、言われてみると確かに彼らは二次エロ以外にもAVやら何やらと総括的に表現の自由を擁護しているイメージがありますね。逆に表現の自由クラスタの中で二次エロだけに焦点を当てている人って皆藤さんぐらいでしょうか。
>駒崎師匠もそうですね。
「オタクの欲望は一般的なジェンダー規範に根差したものだ」ということは否定できない。例えば妹が好きだったりメイドが好きだったり。
そこに皆藤師匠のような方は「オタク界には男の娘などの表現があり……」と言い出すわけですが、ならばメイドを否定しなければリクツにあわない。
結局、彼ら彼女らにとってオタクは頭数の戦闘員なんですよ。
まさに仰る通りで、私も彼らに対してそこが引っかかるんですよね。
ほら、駒崎師匠が女らしさの呪い云々言ってた時に表現の自由クラスタがやたらとプリキュアやセーラームーンを持ち上げてたじゃないですか。
正直これらの作品がジェンダーから解放された作品であるかといえば、かなり微妙なところではあると思うんですよ。
今年の『キラキラ☆プリキュアアラモード』はスイーツが題材で、「女の子は可愛いらしく、お菓子作り‼︎」といった古典的ジェンダー規範をバリバリ感じさせる作品です。主人公のいちかちゃんのお父さんは今までのプリキュアシリーズに出てくるような優男ではなく、マッチョ的な男らしさを漂わせる空手家という設定であり、これもまた超古典的なジェンダーロールです。
そもそも変身アイテムが化粧品だったり、男が喜びそうなフリフリでヒラヒラな格好になったりする訳でリアルの女性以上にプリキュアの女の子たちは女性ジェンダーに適応した女性といえるでしょう。
今の平成ライダーだって駒崎師匠が仰るように結局は一般的なジェンダーロールに根差したものに過ぎない。
平成ライダーの主人公を女にするとか、プリキュアのように男がフリフリでヒラヒラなロリータファッションに身を包んで戦うとか、それくらいジェンダーから逸脱したことをやらない限り、ジェンダーから解放されたとは言えないと思うんです(これはこれで面白そうな作品が出来そうですがwww)。
最近はネット上で『戦隊やライダーも家事、育児をするべきだ!』とか『子供にジェンダー規範を刷り込む洗脳番組はやめろ!』とか様々な声を聞くようになりましたが、ダンガンロンパの大神さくらのようなプリキュアが出てくる時代が来るんじゃないかと私は心配しておりますwww
>う~ん、フェミはずっと昔からエロを撲滅しようとしてきたんですが、宮台師匠、ご存じなかったんでしょうかねえ。
むしろ上野師匠などの「リベサーフェミ」をここまでかかって懐柔したのは宮台師匠に思え(詳しくは知らんのですが、世代的に)、いきなりピル神に帰依したことが不思議でなりません。
おそらく宮台さんもチンポ騎士と同様で単にええかっこしいな男だっただけではないでしょうか。宮台さんは空手自慢をしてたことがありますが、彼の背丈は165センチないくらいで、小学生の頃は運動が全く出来なかったと仰っていました。知力に長けていても、身体能力は極めて劣悪なガリベン君だった訳です。
ガリベンな自分に男性的魅力がないことを悟った宮台さんは自らのルサンチマンを満たすために性的劣等感の塊であるオタクをバカにしながら、未成年の少女とヤりまくることで青春コンプレックスを克服しようとしました。宮台さんがこんなことをやっていた頃は法律も整備されておらず、今みたいな厳しい法律は遡及しないから、彼が凶悪犯として扱われることも残念ながらありません。
前に兵頭さんがサブカルとオタクの関係を『昨日まで童貞仲間だった男が何かの加減で風俗で童貞を捨てて、急に童貞仲間に「女っていいもんだぜ……」とプレイボーイぶりだした、みたいな図』と形容していましたが、宮台さんはまさに上記のパターンといったところでしょう。ただ単に女の前で格好つけたいだけでしょうから、フェミの主義主張に関して実はそんなに興味ないというのが宮台さんの本音ではないでしょうか。
>いや、外的要因でなるものでもないですし……。
もちろん、そこは冗談ですよwww
でも、ホモって本来ならばアンチフェミなんじゃないかと私は思うんですよ。
ピーターティールやグザヴィエ・ドラン、マイロ・ヤノプルスなど海外ではゲイで尚且つアンチフェミな著名人は多くいらっしゃいます(実際に私の知り合いのホモで女嫌いのオッサンがいますしねwww)。
LGBTが必ずしもリベラルなのかといえば正直微妙なところだと思います(特にホモ)。
前に朱緋真ちゃんぺろぺろ用botが『BLって女を排除/疎外した関係性を描く試みであり、ホモソーシャル・男の友情を讚美賞揚する試みであり、書き手読み手の腐女子は傍観者にしかなれないから、実は極めてアンチフェミ的な側面があるだろうと思ってたりするですよ(´・ω・`)』と言っていたんですが、実は腐女子ってネトウヨなんじゃないかと思えてきます。要するに彼女らってイケメンによる家父長制を望んでいるんでしょう。
フェミ社会の理想であるイケメンを頂点とした一夫多妻制非皆婚社会を目指すには私たちのような非モテ男の存在はさぞかし目障りなんでしょうね。
日本のフェミ界のトップに立つ上野千鶴子大先生の『オナニーして死ねばいい』は永遠の名言であり、これこそがフェミの本音です。
今の日本社会には明らかに非モテ男を異常者扱いする風潮がありますし、非モテ女は同じ境遇の非モテ男のことを擁護するどころか殺しにきますからね……。
非モテ女を含めた殆どのヘテロ女性は一夫一婦制という名の異性均等配給制度を望んでいないといっても過言ではありません。一夫一婦制は弱者男性のための制度だったんでしょうね。でも、フェミは弱者男性が嫌いだったがためにネオリベという名の妖精の力でプリキュアに変身し、プリキュアの怪獣(弱者男性)を倒すことに成功した訳です。
プリキュアの怪獣に残された選択肢は5つ。
①努力してリア充になり、プリキュアを落とす
②自らのチンポを切り落とし、キュアビートやキュアスカーレットの如くプリキュアに仲間入りする(名誉女性にしてもらう)
③大人しくプリキュアに降伏する(モテない男に生まれてきたことを懺悔し、重税を払いながら孤独死)
④プリキュアに今すぐ浄化される(自殺する)
⑤プリキュアを倒す‼︎
表現の自由クラスタには①と③が多いですかね。自称二次元性愛者の皆藤さんやまつもむしさんは②ですね。「我々は生まれてくるべきではなかったのだ!」とか言っちゃうような頭イッテる人は④でしょうかwww
顔面核爆弾「ウルッフフフwww 世界よ、アンチフェミな結末! アンチフェミに染まれ! 白紙の未来をアンチフェミに塗りつぶすのだ! フェミ共が発したバッドエナジーがアンチフェミの皇帝ヒョードー様を蘇らせていくのだッwww」
>星野源とか高橋一生とか特に美男子でもない30代も半ばを過ぎた男性芸能人が持て囃されているのを見ると、日本て男性に対してはルッキズムもエイジズムも女性とは段違いに甘い社会なんだなと思う。彼らは女性ならばメジャーな作品で主演することはまずない容姿でしょう。
これ、私の周りにいる女たちも言ってましたよwww
星野源や高橋一生レベルで不細工なら私なんかもはや人間ですらないんじゃないかwww
まあ私は彼らに対して特別愛着がある訳ではないので何とも言えませんが、兵頭さんが仰るように今は何かとブスでも女の方がチヤホヤされてる感じはします。
私の90キロ近くあるデブ姉が会社でオッサンからアプローチされているところを見ると、むしろ女より男の方が性的魅力を求められているんじゃないかとすら思いますよ。男の場合は性的魅力も社会的魅力も両方求められるということが、この間行ってきたオタク向け街コンでも痛感させられましたね。
私は普通の街コンにも何度か参加したことがあって、その度に爆死してきたんですが、今回のオタク向け街コンではまあまあの結果を残せましたwww
オタク向け街コンに関するネットのレビューでは『参加している女の子たちはアニメにあまり詳しくない』と書いてあったので女性人気が高い有名作品(黒バス、銀魂、うたプリ、おそ松さん辺り)だけを見て参戦してきたんですが、実際に現地で女の子たちと会うとガチ勢ばかりで驚きました……。
もう何と言いますか、「俺って実はオタクじゃないんじゃね?」と本気で思ってしまうほどに皆さんアニメや漫画に詳しい……。
オタサーの姫っぽい女が好きだと言ったアニメ一覧
ガンダムSEED、ガンダムOO、鉄血のオルフェンズ、あの花、艦これ、化物語、エヴァ、けいおん、マクロスΔ、コードギアス、進撃の巨人、東京グール、サイコパス、楽園追放、まどマギ、ガルガンディア、Fateシリーズなど
いやはや全然興味ない作品ばかりで話が噛み合わないwww
オタサーの姫としての地位を狙っている女性ばかりだったせいか、男性向けの作品を挙げる人が多かったです。
後、Key系エロゲ作品の話題であからさまに男受けを狙おうとする女性もいたので正直あざといなあ〜と思いましたねwww
ぶっちゃけ、私はエロゲとか全く興味がないので女性陣に「お前こういうの好きなんだろ?」的な感じで詰め寄られても、そのなんだ……困る。
私としては変に男側に合わさずに自分の趣味全開な感じで、まさに腐女子を絵に描いたような女性との会話が一番楽しかったです。BL系作品に私が仕事で携わったことがあると言ったら、コミュ障っぽい腐女子がテンションマックスで凄まじい勢いで食いついてきましたよ。特にオススメのBL作品に関して鼻息を荒げながら語るリアルもこっち的な女性が一番インパクトがありましたね。
リアルもこっち「オウフwwwこれはBLの中でも屈指の奇策であると評価しているでありますが、あまり人気は出なかったのですwwwこういった作品が埋もれていくのはホントに残念でありますwwwえ〜と、確かこの辺に……あったです‼︎」
私にBL本を手渡してくる。
私「あぁ、『ノーパン★チアボーイ』だね。ボクも読んだことあるよ。背が高い男の子が犯されるヤツだよねwww もっとオススメ教えてよ」
リアルもこっち「ドプフォwww昔のJUNE掲載の作品は退廃的な雰囲気を醸し出す名作が多くてですなwww基本レイプ三昧でずるずるとあちら側の世界に引きずりこまれてく系の作品が当時主流でありましてwwwこれらの作品は今の少女漫画的BLとは区別して論じられなければなりませんなww」
という感じにオタ特有の熱い語り口調でマシンガンのように喋るので途中から全く話の内容が頭に入ってこなくなりましたが、とりあえず気に入られたようでライン交換は成功しました。
最後に集計結果カードがスタッフから手渡されて、女性陣からの好感度が分かる仕組みになっているんですが、私は男性陣の中で4番目に人気だったようです(やっぱりリア充イケメンには敵わなかった……)。
オタサーの姫は最終的にリア充イケメンが手駒にしていましたねwww
他の池沼っぽい感じの男性陣は途中で帰ってしまいましたが……。
全体的に男性陣のレベルが低かったおかげで私のような非モテでも生き残れましたが、正直女性陣もリアルもこっち率が高かったですね(楽しかったですがwww)。
今回は髪型をリア充っぽくセットし、肌の手入れもバッチリやり、服も女性向けファッション雑誌で研究し、BMI20くらいまで体重を落としたので外見に関しては自分なりに努力したんですが、それでもリア充イケメンには永遠に追いつけないんですよね……。
非モテの未来がハッピーエンドになることを心から望んでおります(o^^o)
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