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ろすぱすさん のコメント

> ローマ・クラブは、『雇用のジレンマと労働の未来』(一九九七)と題する報告書のなかで、”楽園のパラドックス”という次のような興味深い議論を行っている。
> それによれば、技術革新とその帰結としての大幅な労働生産性の上昇により、われわれは以前のように汗水たらして働かなくてもよくなり、”楽園”の状態に少しずつ近づきつつある。
> ところが困ったことに、「すべてのものを働かずに手に入れられる」楽園においては、成果のための給与が誰にも支払われないということになり、結果として、そうした楽園は、社会的な地獄状態―現金収入ゼロ、一〇〇%の慢性的失業率―になってしまうことになる

> これは、一見納得しがたい議論のようにも映るが、考えてみれば当然のものであり、つまり「生産性が最高度に上がった社会においては、少人数の労働で多くの生産が上げられることになるので、その結果、おのずと多数の人が失業することになる」ということだ。
> まさにパラドックスであり、しかし紛れもなく現在の先進諸国において現に起こっている事態である。
(『創造的福祉社会:「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』18-19ページ)
No.9
88ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
岩崎書店の社長になって今10ヶ月くらいだが、始めてみてその必要性を最も痛感したのが「働き方の改革」だ。 ぼく自身は、ここ10年ほどフリーランスとして働いてきたのだけれど、そこでは「働かないこと」を一つのコンセプトにしてきた。働くことをコンセプトにしてしまうと、生産性が下がりアウトプットが減ってしまうと懸念していたからだ。 ただ、それでも対外的には「働く振り」をしてきた。なぜなら、働く振りをしていないと、周りや社会や咎められると思っていたからだ。そのため、働いていないことは隠していた。幸い、フリーランスなので誰かに見られているということは少なく、それは隠しおおせてきた。 ところが、ここ1、2年は社会の方が大きく変わった。働かないことが推奨されるようになったのみならず、むしろそれを積極的にアピールしなければならなくなったのだ。働かないことを社会が求めるようになったのである。 なぜなら、社会全体が生産性を重視するようになったからだ。そして生産性と「働かないこと」の間には、深い相関関係がある。 例えば、ある一つのミッションがあったとき、これまでの社会だったらそれを「完璧にやり遂げること」が求められていた。そのためには、やるべきことはたくさんあった。おかげで、とても忙しくしていた。 ところが、それが生産性を阻害していた。仕事がいつまで経っても終わらないから、たとえ完璧にやりおおせたとしても、成果としては非常に少なかった。 その上、そんなふうに成果を生み出せていないのにもかかわらず、人々には「ミッションを完璧にやり遂げる」という大義名分があったため、そこに安住してしまっていた。そうして、成果をそっちのけにして働いていたのだ。 また、これは一面には都合がいいところもあった。どういうことかというと、働きさえしていれば成果を上げなくても咎められないから、能力が低いこともバレなくて済んでいたのである。おかげで、能力の低い人ほど率先して働き、それがまた評価されるという変な世の中になっていた。 このこともあって、生産性は低下の一途を辿っていたのだが、さすがに限界が来た。このままでは存続できなくなる企業がたくさん出てきたのだ。 おかげで、日本人にありがちな「コペルニクス的転換」が起こり、一気に成果が求められるようになった。それに伴って、働くことはさほど重要ではなくなった。いやそれどころか、むしろ「働かないこと」が求められるようになったのだ。 なぜなら、前述したように働かないことと生産性は深い相関関係にあるからだ。 例えば、成果を上げなければならない条件下で働く総量が制限されていたとする。そうした状況においては、生産性を上げる以外に解決策がなくなる。つまり、働かないからこそ生産性を上げるという結論に辿り着けるのだ。 ただ、頭ではそうと分かっていても、まだそういう考え方、働き方に移行できていない人は多い。これまでの働き方がすっかり身についてしまっているからだ。 そのため、ぼくは岩崎書店において、社長自らが働かないようにし、またそれを積極的にアピールしている。そういうふうに社長が実践すれば、みんなもそこに移行しやすいと思ったからだ。 また、タイムカードも廃止した。これも、「会社は働くことを求めていない。それよりも成果を上げることを求めている」ということを伝えるためである。 さらには、残業も原則的に禁止した。これはしかしなかなか実現されず、どうやって成し遂げるか、今思案しているところだ。 そんなふうに、タイムカードを廃止したり残業を禁止したりすると、「当てにしていた残業代がもらえないので生活設計が狂う」という人が出てくる。しかしぼくは、むしろ狂うべきだと思っている。そこで生活設計が狂うことによって、初めて「もっと生産性を上げ、給料そのものを上げてもらわなければならない」という発想につながると思うからだ。 あるいは先日、「ある手紙を取引先100人ほどに送る」という話になったとき、「最善を尽くすためにはお一人お一人に合わせた文面を作成した方がいい」という意見が出た。しかし、ぼくはこれを却下した。なぜなら、それは確かにベストの策かもしれないが、しかし生産性が著しく損なわれる。それよりは、次善の策である定型文を一斉送信する方が、たとえ気分を害する人が現れたとしても生産性が損なわれず、結局得るものが大きいと判断したからである。 これまでの会社には、そういう視点が欠けていた。ベストを尽くすのが当たり前と思って、いつの間にか成果が蔑ろにされていた。 しかしながら、それを続けていたのではもう会社が潰れてしまう。今や、賽は投げられた。働き方を、本腰を入れて変えなければならなくなった。 そのことを、岩崎書店をはじめ多くの人々に伝えていくのが、ぼくの目下のミッションとなっている。 ここでお知らせです。 8/19に岩崎書店から、作・みなもと太郎先生の『マンガの歴史 1』が発売されます。 『マンガの歴史』 - Amazon これを記念して、作者のみなもと太郎先生と、みなもと先生が尊敬するマンガ界の大御所・ちばてつや先生のトークショーを開催します。 詳しくはこちらまで。 ちばてつや・みなもと太郎、マンガの歴史を語る このように、会社のプロモーションにはブログをはじめ積極的にインターネットを活用するよう、現在鋭意移行中です。これも、働かないで生産性を上げるという取組みの一環としてやっています。 みなさま、ぜひお越しください! ■関連記事 ちばてつや先生・みなもと太郎先生によるトークショー開催のお知らせ!~みなもと太郎先生がちばてつや先生に話を伺いたい3つの理由~(2,843字)
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『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。