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1943年、パイロットの不足を補うために一つの映画が作られた。その題名は『決戦の大空へ』という。この映画は、戦時中であるにもかかわらず、いや戦時中だからこそ大ヒットした。そして主題歌の『若鷲の歌』も大ヒットした。この二つの大ヒットによって、予科練への志願者が激増したのである。

政治目的で思考や行動を特定の方向に誘導する宣伝行為を「プロパガンダ」という。そしてこの『決戦の大空』はまさにプロパガンダで、しかも大成功した。

成功した理由は、皮肉なことに映画の内容自体に政治臭さが薄く、すぐれたエンタメになっていたことだ。多くの少年たちは、これを政治映画ではなく、娯楽活劇として見た。だからこそ、多くの少年が予科練に志願したのだ。

『決戦の大空へ』は、現代でいえば『シン・ゴジラ』のようなものだ。だから、娯楽のない当時の少年たちには痛快でたまらなかった。娯楽への強烈な渇きをこれ以上なく癒やしてくれ
第61回全国高校野球選手権大会徳島大会準決勝は、1979年7月26日に行われた。対戦相手は鳴門工であった。場所はやっぱり県営鳴門球場で、いうならば鳴門工のホームだった。池田からは汽車で二時間強の距離だった。

そういう不利な状況下だと、これまでの池田だったら比較的簡単に負けるところがあった。とにかく勝負弱いからだ。しかしこの年の池田は明らかに違った。これまでの池田にあったひ弱さがない。むしろしぶとさが目立つチームだった。

それは後年の強い池田、打ちまくる池田、のびのび野球の池田の萌芽ともいえるような姿だった。とにかく横綱のような貫禄があるのだ。まだ夏は一回しか出場したことのないチームには見えなかった。

この試合、池田は初回表に相手に二死満塁のチャンスを作られるが、なんとかしのぐ。するとその裏、二つのフォアボールから送りバントと犠牲フライで、無安打で一点を先取する。特に犠牲フライで一点を
話は少し逸れるが、最近ではアメリカ社会も恋愛から遠ざかっているらしい。


そしてアメリカでも1980年代から1990年代が、やっぱり恋愛の時代だった。確かに恋愛映画がたくさん作られていて、ぼくもたくさん見た。

しかしその頃は、「今が恋愛の時代」だとは思わなかった。そして「このブームはいつか終わる」などとは予想だにしなかった。そもそも恋愛は、人間の本能で流行ったり廃れたりするものではないと考えていたからだ。

しかし確かに、当時も「戦前戦中は恋愛がなかった」ということは知っていた。祖父母は見合い結婚だったし、当時から戦争のコンテンツなどにも触れていたからだ。そこではたびたび今のような恋愛がなかったということが書かれていた。

しかしそのときは「昔は抑圧されていたからみんな恋愛で
ハックルベリーに会いに行く

『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。

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岩崎夏海

1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。東京芸術大学美術学部建築科卒。 秋元康氏に師事し、放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、『もしドラ』を著し41歳で作家に。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。

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