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スティーブ・ジョブズは、アメリカ、カリフォルニア州のパロアルト近郊で育った。彼の育った家は「アイクラーホーム」だった。アイクラーホームとは何か?

アイクラーホームとは、不動産開発者のジョセフ・アイクラーが経営していた建設会社、及びそこが建てた家々の名前である。1940年代から70年代にかけて、アイクラーはカリフォルニアを中心に1万戸以上の住宅を建てた。

その最大の特徴は、中流家庭向けで安価な造りの平屋ながら、空間的に質の高い住宅であることである。アイクラーは、当時勃興しつつあった中産階級向けに質の高い住宅を提供しようと、アイクラーホームを作ったのだ。

そしてこのアイクラーホーム設立の原点になっているのが、フランク・ロイド・ライトの住宅なのである。特に彼が建築家としての後期に手がけた、いわゆる「ユーソニアンハウス」だ。

ユーソニアンハウスとは、ライトが1930年代から手がけた、一般的
御聖断が下った1985年8月14日、唯一心を許せる児玉誉士夫に愚痴を述べた後、大西瀧治郎は矢吹一夫のもとを訪れる。矢吹は1899年生まれでこのとき46歳の政治活動家である。大政翼賛会の理事だった。

大政翼賛会とは話せば長くなるので簡単に言うと戦中に強大な力を持った政治結社だった。その理事だった矢吹は強大な力を持った政治フィクサーだ。その矢吹の元を訪れ、今度は酒を酌み交わしている。

大西は、特攻を始めて以来自重して酒を断っていた。だからこれが久しぶりの酒だった。もちろん、このときには死を覚悟していた。死ぬ前に酒を飲もうと思ったのだ。飲むなら旧知の矢吹にしようと思った。

児玉にしろ矢吹にしろ、軍や政府には近いが民間人である。これを見ても分かるように、大西はもう国も軍も信じられなくなっていた。

これはもうずっと前からだ。特攻を始めるずっと前からである。大西は、国にも軍にも頼らず、ほとんど
池田にとって絶体絶命のピンチに思えたこの場面。しかしマウンドの橋川正人は驚くほど冷静だった。彼は強打でならす優勝候補の浪商にも、あるいは甲子園の数万の浪商応援団にも、一歩もひるむところがなかった。

この池田の「ひるまなさ」はどこから来るのだろう。それこそがおそらく、蔦野球の真骨頂ではないか。蔦文也は、池田町にルーツを持ちながらも、徳島市で生まれ育ち、当時まだ希だった大学に通うため大阪に出た。その後、徴兵され特攻隊員として全国の基地を周り、さらにはプロ野球選手として東京にも一年間暮らした。

この時点で、蔦文也はすでに「世界を一周」しているといっていいだろう。都会から地方まで、天国から地獄まで、栄光や挫折、生と死も含めて、この世のほとんどのものは全て体験済みだった。

その経験値の深さが、文也の人間性の深さとなっていた。文也は人間そのものは確かに小さかった。巨大な世界の前に、虫のようなちっ
ハックルベリーに会いに行く

『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。

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岩崎夏海

1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。東京芸術大学美術学部建築科卒。 秋元康氏に師事し、放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、『もしドラ』を著し41歳で作家に。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。

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