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野球道とは負けることと見つけたり:その16(1,553字)
蔦文也の1951年から1983年までの32年間の年表を見てみたい。その人生がいかにジェットコースターだったか分かる。その谷の深さと、頂の高さは他になかなか比肩するものがない。1951年(28歳)池田高校の監督になる。1952年(29歳)ベンチで指揮を執り始める。1953年(30歳)目立った成績を残せず。1954年(31歳)目立った成績を残せず。1955年(32歳)秋の県大会、鳴門を初めて破り、決勝まで進む。しかし、惜しくも徳商に敗れる。1956年(33歳)目立った成績を残せず。1957年(34歳)夏の県予選で準優勝。南四国大会に初出場を果たす。しかし、一回戦で高知に敗れる。1958年(35歳)目立った成績を残せず。1959年(36歳)目立った成績を残せず。1960年(37歳)春の県大会、念願の初優勝を飾る。四国大会に初出場。しかし、一回戦で宇和島東に -
1994:その41(1,863字)
おニャン子クラブは1985年にデビューすると、瞬く間に国民的な人気を獲得する。グループとしてはもちろん、そこから数々のメンバーやユニットがソロとしてレコードデビューし、毎週のようにシングルを発売する。すると、そのことごとくが大ヒットを記録し、オリコンの週間1位になる。1986年、オリコンのシングル1位は46曲あったが、そのうちなんと30曲がおニャン子クラブ関連曲だった。おニャン子クラブはフジテレビが夕方の帯番組として放送していた「夕やけニャンニャン」のレギュラーメンバーだった。若い女の子(その多くが女子高生)を集め、番組のマスコットとして出演させた。常時20人くらいのメンバーがいたため、いつも決まったメンバーが出るわけではなかった。20人もいると、なんらかの理由で欠席するメンバーも多かったのである。「夕やけニャンニャン」は、フジテレビが土曜日の深夜に生放送していた「オールナイトフジ」 -
[Q&A]佐々木朗希投手についてどう思うか?(2,416字)
[質問]最近、ビジネスの詐欺広告に知人のコンテンツが勝手に使われていました。抗議したいのですが知人は実名でやっている手前、報復が怖くてまだ行動に移せていません。無視しておけばいいのかな、とも思っているようです。漠然とした質問になっていますが、どうしたらいいか、いい知恵を授けていただければありがたいです。[回答]これは、これからあらゆる人にとって起こる可能性のある話だと思いますね。ネットである日、自分が不正に搾取されたり、不当に貶められたり。子供の画像をアップしていたら、その顔を使ったAI制作のヌード画像が作られ、広まるなどということも予想できます。これに対して、ぼくの結論は決まっています。それは無視するということです。悔しいですが、それが一番の得策です。ぼく自身、ネットで生きるのはやめました。ネットは郵便の代わりに、知り合いに情報を送るのはとても便利です。電子書籍もとてもいい。し
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