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ハックルベリーに会いに行く

ブロマガ

  • [Q&A]プラスチックがなくなりそうな世界にどう備えればいいのか?(2,348字)

    [質問] 新しい戦争が始まってから、日本について考えております。長渕剛さんの『JAPAN』という歌について質問させていただきます。歌詞の中に「弱い者に真実を語る時は少しだけ気をつけろ。裏目裏目に愛が転がる」という箇所があるのですが、以前の質問で岩崎先生は真実は残酷だと仰りましたが、良い真実、美しい真実は言っても大丈夫でしょうか? 例えば、弱いのだけれど、イケメンだとしたら、イケメンを褒めても大丈夫でしょうか? 危険性はないでしょうか? [回答] 質問をいただいて気づいたのですが、真実にはどこか「隠された」というニュアンスが含まれていますね。例えば太陽は西から登るというのは真実ですが、これを真実というと違和感を覚える人は多いでしょう。どちらかというと「事実」の方がしっくりきます。 しかし「月は実は昼間も空にある」というのは、太陽が西から登るという真実より、より真実っぽいですね。それを多く

    12時間前

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  • 建築の学び方:その26(1,660字)

    ぼくは、自分で言うのはなんだが飛び抜けた美的センスがある。そうなった理由はさまざまあるが、やはり多摩ニュータウンに生まれ育ったことの影響は大きいと思う。 多摩ニュータウンは、宮崎駿や荒木経惟といった当代一のアーティストがそれをテーマに作品を作るような美しい景観だった。そこで生まれ育ったおかげで、自然と美的センスが育まれたのである。 この美的センスというものは、遺伝よりも後天的なものの方が大きいのではないだろうか。ぼくの好きな藤原正彦さんという数学者が、歴史上の偉大な数学者の伝記を書くため、世界中に散らばる彼らの生まれ故郷を取材で訪れたとき、ある一つの共通点を見つけたという。それは、その景観がどれも素晴らしく美しいものだったということだ。 数学に、美的センスは不可欠のものである。偉大な数学者は、どれもアーティストに勝るとも劣らない美的センスを有している。そんな彼らの故郷がいずれも美しい

    1日前

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  • 石原莞爾と東條英機:その132(1,718字)

    太平洋戦争を始めたのは誰の責任か。 それは間違いなく日本の愚かな民衆だ。民衆が始めた。この民衆に押し切られ、陸軍も天皇も戦争を始めざるを得なくなった。 では、戦後に「戦争反対」を声高に叫んでいるのは誰か? それは皮肉なことに、戦前に「開戦」を叫び続けた愚かな民衆である。民衆はいつでも長期的なビジョンを持たず、そのときの気分で右往左往する。ぼくが戦後の、そして今の戦争反対に与しないのはそのためだ。 『はだしのゲン』という素晴らしいマンガに鮫島という男が出てくる。戦中には町内会長を務め、民衆の参戦意欲を煽るだけ煽った。逆に、戦争に反対するゲンの父親やゲンにはあの手この手で嫌がらせをした。 その鮫島は戦後どうなったか? なんと戦争反対を叫んで国会議員に立候補し、しかも見事当選しているのである。これが戦後の実相である。戦後に戦争反対を叫ぶ人々の実相だ。 つまり戦後あるいは今、「戦争賛成」を

    2日前

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  • 野球道とは負けることと見つけたり:その73(1,663字)

    1979年2月1日木曜日、池田高校は甲子園の出場校に「センバツ」された。 その夜、監督の蔦文也は関係者や後援会のメンバーと夜遅くまで祝宴を挙げた。そしていつものように二次会にくり出そうとしたときだった。それまで隣の部屋にじっと待機していた妻のキミ子が、やおら飛び出してきた。そして文也の腕を強い力でつかむと、そこにいた皆に向かってこう言った。 「みなさん、申し訳ないが今夜はここでしまいじゃ。先生は帰らせてもらいます!」 そう言って、文也を強引に家に連れて帰った。これにはさすがに文也も従わないわけにはいかなかった。 このときの甲子園出場は、キミ子にとっても久しぶりで、また待望のものだった。1975年の春以来、4年ぶりだ。 そのため、文也が酒席で何か問題を起こし、出場取り止めになったらたまったものじゃないと思ったのだ。そうなったら、誰に対しても申し開きができない。そのためこのときだけは

    5日前

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  • 令和の恋愛事情:その8(1,836字)

    1970年代に起こった恋愛ブーム。それは『ベルサイユのばら』を起点に燃え上がった。 しかしその前の60年代から、実は下地として熾火のように恋愛への憧憬が少女たちの間に広がっていた。そのときに参照されたのは、日本のコンテンツではなかった。日本のコンテンツは旧来からの文化的規範から外に出なかったからだ。 そこで参照されたのは、海外の二つのコンテンツだった。 その二つとは何か? 一つは『アンネの日記』、もう一つが『赤毛のアン』である。 この二つのコンテンツが、60年代の日本の少女たちに新たな恋愛像を投げかけた。この二つのコンテンツを読むことで、少女たちは自身の恋愛ロールモデルをそこに見出した。これはなかなか興味深いことである。 そうしてぼくが中学生になった80年代に入った頃には、『アンネの日記』と『赤毛のアン』はともに定着した古典としての風格を既に備えていた。両者は「思春期の女の子が読む

    6日前

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2014/01/30 11:01

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