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ぼくは、自分で言うのはなんだが飛び抜けた美的センスがある。そうなった理由はさまざまあるが、やはり多摩ニュータウンに生まれ育ったことの影響は大きいと思う。

多摩ニュータウンは、宮崎駿や荒木経惟といった当代一のアーティストがそれをテーマに作品を作るような美しい景観だった。そこで生まれ育ったおかげで、自然と美的センスが育まれたのである。

この美的センスというものは、遺伝よりも後天的なものの方が大きいのではないだろうか。ぼくの好きな藤原正彦さんという数学者が、歴史上の偉大な数学者の伝記を書くため、世界中に散らばる彼らの生まれ故郷を取材で訪れたとき、ある一つの共通点を見つけたという。それは、その景観がどれも素晴らしく美しいものだったということだ。

数学に、美的センスは不可欠のものである。偉大な数学者は、どれもアーティストに勝るとも劣らない美的センスを有している。そんな彼らの故郷がいずれも美しい
太平洋戦争を始めたのは誰の責任か。
それは間違いなく日本の愚かな民衆だ。民衆が始めた。この民衆に押し切られ、陸軍も天皇も戦争を始めざるを得なくなった。

では、戦後に「戦争反対」を声高に叫んでいるのは誰か? それは皮肉なことに、戦前に「開戦」を叫び続けた愚かな民衆である。民衆はいつでも長期的なビジョンを持たず、そのときの気分で右往左往する。ぼくが戦後の、そして今の戦争反対に与しないのはそのためだ。

『はだしのゲン』という素晴らしいマンガに鮫島という男が出てくる。戦中には町内会長を務め、民衆の参戦意欲を煽るだけ煽った。逆に、戦争に反対するゲンの父親やゲンにはあの手この手で嫌がらせをした。

その鮫島は戦後どうなったか? なんと戦争反対を叫んで国会議員に立候補し、しかも見事当選しているのである。これが戦後の実相である。戦後に戦争反対を叫ぶ人々の実相だ。

つまり戦後あるいは今、「戦争賛成」を
1979年2月1日木曜日、池田高校は甲子園の出場校に「センバツ」された。

その夜、監督の蔦文也は関係者や後援会のメンバーと夜遅くまで祝宴を挙げた。そしていつものように二次会にくり出そうとしたときだった。それまで隣の部屋にじっと待機していた妻のキミ子が、やおら飛び出してきた。そして文也の腕を強い力でつかむと、そこにいた皆に向かってこう言った。

「みなさん、申し訳ないが今夜はここでしまいじゃ。先生は帰らせてもらいます!」

そう言って、文也を強引に家に連れて帰った。これにはさすがに文也も従わないわけにはいかなかった。

このときの甲子園出場は、キミ子にとっても久しぶりで、また待望のものだった。1975年の春以来、4年ぶりだ。

そのため、文也が酒席で何か問題を起こし、出場取り止めになったらたまったものじゃないと思ったのだ。そうなったら、誰に対しても申し開きができない。そのためこのときだけは
ハックルベリーに会いに行く

『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。

著者イメージ

岩崎夏海

1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。東京芸術大学美術学部建築科卒。 秋元康氏に師事し、放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、『もしドラ』を著し41歳で作家に。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。

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