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野球道とは負けることと見つけたり:その10(1,624字)
蔦文也は1951年に池田高校の野球部監督に着任した。27歳になる年のことであった。池田高校野球部は、戦後すぐの1946年に発足した(当時はまだ旧制の池田中だった)。はじめは同好会だったが、翌年の1947年から正式に部としての運営をスタートし、甲子園を目指す公式戦にも参加した。当時の徳島県の公式チームは15校である。夏は、このうちの2校までが南四国大会に進める。つまり3回勝てば進める。そこで高知代表2校も含めた4校で、甲子園出場をかけた勝負をする。このとき、勝ち残った1校しか出場できない。そういう狭き門であった。県大会に参加し始めてからの池田は、しばらくは連敗が続いた。それでも、2年後の1949年の夏の大会で、初めての勝利を記録する。さらに1950年は躍進し、夏の大会の県予選で2回勝った。もう1勝で南四国大会に出場できたが、名門鳴門商業に大敗する。文也が着任したのはその次の年である。 -
1994:その34(1,637字)
1994年は今年2024年のちょうど「30年前」だ。しかし2024年はもうすぐ終わってしまうので、やがて「31年前」ということになる。ぼくはもともと1994年を舞台に小説を書きたいと思っていた。だから1994年について調べ始めたのだが、調べるのが終わらなくなってしまった。1994年を知るにはその前の1980年代のバブルを知らなければならないし、バブルを知るにはその前の1970年代を知らなければならない。そんなふうに、どんどん脇道に逸れていったからだ。そうして連載を続けてきて、今は1991年まで来た。ここまで来て分かったのは、今思うと1991年の日本というのは大分「金属疲労」を起こしていたということだ。金属疲労というのは、古い文化のまま新しいテクノロジーを受け入れ、キメラ的な社会を作っていたという意味である。しかしその木製の部品と金属製の部品の接合部分の摩耗が激しく、上手く機能しなくな -
[Q&A]モンスターペアレンツにどう対処するか?(1,729字)
[質問]岩崎さんはChatGPTなどの生成系AIは何かお使いですか? 使っていたらどのように使うことが多いか、知りたいですね。[回答]ぼくは生成系AIは使っていないです。話題になったとき、一応触ってみたのですが、長続きしませんでした。そのときはイラストを描きたいと思って触りました。自分でマンガやアニメを作ってみたかったんです。AIでイラストを描けるかなと思って試したんですが、どれもいわゆるAIっぽい絵になる上、希望の構図で作ることも難しいので、思っていたようにはできませんでした。それで、今は様子見といったところです。そのうち、時間ができ、またイラストの描き方のTIPSなども確立したら、再チャレンジしたいですね。一方、テキスト系のAIにはほとんど食指が動きません。それはきっと、自分が書いた方が早いからというのがあるでしょう。また翻訳も試したのですが、いまいちでした。それで今は放置
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