希蝶さん のコメント
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第284号 2018.9.11発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしの人たち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…今度は体操界でパワハラ騒動である。今回の騒動は、まず宮川紗江選手に速見佑斗コーチが暴力を振るい、それを利用して、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長が速見コーチを排除し、宮川選手を自分のクラブに引き抜こうと企て、その過程でパワハラがあったという構図らしい。パワハラ問題はまず横に置いておいて、そもそも暴力を振るって行うスポーツ指導は是か非かという問題について考えてみたい。
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…従来、「あの権力者は秘密結社イルミナティの一員で、国民の家畜化を行っている」とか「王家や権力者たちで構成されるフリーメイソンが、大規模な人口削減のために疫病や人工地震を引き起こしている」というような、権力者=敵とみなす陰謀論が多かった。しかし現代では、逆に権力と結びついた陰謀論がトレンドのようである。その最先端、アメリカの現状をレポート!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!オウム事件について左翼リベラル知識人と直接対談しないの?北海道地震後に原発再稼働を主張する意見をどう思う?若者を中心にアナログ文化が復権しつつある!?仲の良い友人から「SNSで政治的な意見を書くのは止めろ」と説得された場合、どうすれば良い?心霊現象やお化けは怖いと思う?同郷として誇りに思う作家やマンガ家は?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第292回「体操競技には体罰が必要ではないか?」
2. しゃべらせてクリ!・第241回「怖賀リータに生産性はありましゅか?の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第96回「権力と結びつく陰謀論・米国QAnon」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第292回「体操競技には体罰が必要ではないか?」 今度は体操界でパワハラ騒動だ。もうスポーツ界にマトモなところはないのかと思わされて、ひたすら再来年の東京オリンピックへのうんざり感が募っていく。
今回の騒動は、まず宮川紗江選手に速見佑斗コーチが暴力を振るい、それを利用して、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長が速見コーチを排除し、宮川選手を自分のクラブに引き抜こうと企て、その過程でパワハラがあったという構図らしい。
だがここでわしが気になるのは、暴力を振るって行うスポーツ指導は是か非かという問題だ。
暴力、あるいは体罰、あるいは愛のムチ、あるいはシゴキ、のような指導は、今の時代ではもう古いとされている。だが、特に体操という競技の指導においては、暴力を一切使わないことにしてしまっていいのかという疑問が湧くのだ。
そもそも体操は、超危険な競技である。
体操選手は、こんな無茶なことをやってていいのかと思うような競技をやっている。鉄棒から飛んで、空中で体をひねりまくり、足元がピクリとも動かないように着地するなんて尋常じゃないし、平均台の宙返りなんか、足を滑らせたら半身不随か死をも招くほどの危険性があり、見ていてハラハラしてしまう。
ちょっとでも気のゆるみがあったら、選手は人生を終えてしまうほどの無茶な競技なのだ。
油断したら死ぬぞということを思い知らせるためには、選手が気を抜いているようなところを見つけたら、コーチは「おまえ何をやってるんだ!」とぶん殴るくらいのことをやらなければならないのではないか。
体罰によって、緊張感を取り戻し、集中力が高まる。体操は100%の集中力が必要な競技であり、そこまで集中力を高めるために暴力・体罰というものは役に立つとわしは思う。
選手のことを考えたら、体操の指導で暴力を使うことを封じてはならないのではないか?
わし自身にはあいにく暴力に対する嫌悪感ができあがっていて、妻に対しても一度も手を挙げたことはないし、絶対に人に暴力を振るいたくはないと思っている。
それなのに、なぜ体操の指導においては暴力を肯定するのかというと、わし自身の幼少時の経験があるからだ。
わしの父は、わしに暴力を振るってしつけをしたため、そのせいでわしは暴力を憎むようになり、決して暴力は使わないようになった。
だがその一方で、わしは父の暴力によってストレスを感じながら、そのストレスが同時に緊張感や、集中力というものに繋がっていたように感じられるのだ。
わしは家庭だけでなく、学校でも暴力を受けていた。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
斎藤美奈子さんの記事をよみましたが、恐らく「ハルチカ」とか「ユーフォニアム」あたりの影響もあるのだろうと察します。しかし、医療はミスがあったら患者の命に即つながりますが、音楽や演奏で他者の命を奪うといったら、少年ジェットかSF小説の世界になってしまいます。比較すべき事例ではないのでしょう。失礼を承知で申しますが、男の人が変な気分になって、手術を失敗するなんて話は聞いたことがないです(そもそもそんな人は医師にはなれない)。
確かに女の人は(これも失礼だけれども)月に一度は血を見るのでしょうが、それゆえに、命を預かる重大性も理解できるのではないか、自身の突発的な健康状態で、医療ミスが生じることは極力避けなければならないということも判断できるのではないか、と思います。
話題をかえますが、私が体罰を受けた例として記憶にあるのは、小学校の避難訓練の際、「さあ、はやく机の下に隠れなきゃ」とか騷いで、先生にピンタをくらった、というのがあります。それは学研の学習雑誌に載っていることを何となく口にしただけで、みんなの役に立つと思ったからなのですが、先生からすれば緊急事に騷ぐことの方が問題だ、と判断したのでしょう。こういうのも教育だ、と今にして思います。頭でっかちの知識だけでは、人の命は救えないのだろうということでしょう。
小学校時代は、高学年の時の先生が体罰派で、宿題を忘れた時に「実は…」と言った時に「実は、じゃない、ばかやろう!」と言われて同じくピンタをくらっています(以前に書いた、四線譜の時の先生です)。何か偉そうなことを自分が言っていると思われたらしく、私は当時、小学館の雑誌にのっていた「てんとう虫の歌」のセリフにあった言葉をそのまま言っただけなのですが、こういうところでも、他者との信頼関係は問われるのだろうと思います。
何かまとまりのない話になりましたが、私はまづは言葉で理解し合える状態があれば理想的だろうと思います。しかし、世の中には言葉を越えた、超論理のようなものがあって、それは言語化するのは不可能で、体で覚えさせるしかないのだろう、たとえそれが理不尽なものであっても、と理解しています。
言葉の暴力と言えば、親の言うことをきかなかった時に、「お前は橋の下から拾ってきた子供だ」とか言われた人はいないのでしょうか?私は暴力は嫌いですが、良かれ悪しかれ、しつけとしてこういうのが容認されてきた時代もあったのだ、という記憶は残しておいた方がよいと思います。
少しとりとめのない話を記しました。ライジング感想などはまた改めて。
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