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「体操競技には体罰が必要ではないか?」小林よしのりライジング Vol.284
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第284号 2018.9.11発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】

第292回「体操競技には体罰が必要ではないか?」
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
今週も配信ありがとうこざいます!
よしりんデー第三弾!
2ばん
3番?
お忙しいのにありがとうございます。
楽しんで読みます。
サンバイザー
でん
今回のQ&Aでロッキーさんの質問に対する、小林先生の回答に「柏原発」と書いてる箇所が有りましたが、泊原発を「柏原発」と間違えているネトウヨが多いと知り、驚いてます。
今まで生きてきて、泊原発を「柏原発」と間違える人なんて初めて知りました。「柏原発」って、柏レイソルみたくなってるし(笑)。
この時間帯(23時)で編集後記による【飯テロ】とは・・・、おのれ、みなぼん編集長、非道なり!
《絶妙な硬さの細麺に、濃厚かつミルキーな汁》
ぐわ、ヨダレが止まらない!
食べたーーい!!
お腹減ったーーー!!(泣)
ケンカツに松本まりかが出てますね
(* ̄∇ ̄)ノ
9番!
食べる前に写真撮れる人を、密かに尊敬しています。
みなぼんさん、いつもありがとう❤️
美味しそうですねぇ。
SPA+FLASH+ライジングと、ものすごく贅沢な一日でした。
小林先生が仰る体罰について、ちょっと前にテレビで見た航空自衛隊で上官が部下が操縦などで
へまをしたらボコボコなぐる映像が流れていました。
まぁヘルメットしているから痛くはないのかもしれませんが、こう言うのもヤメさせられるような
状況になると事故に直結することになるかもしれません。
それでいて私も違和感を覚えていた速見佑斗コーチのやり過ぎ体罰にもちゃんと触れているのは
さすがでした!
必要な体罰でも、もしやるなら後遺症などを残さないように訓練が必要ですね。
あと泉美木蘭先生が掲載しているキラキラ陰謀論者の顔は夢に出てきそうで
怖すぎます。何度も載せないで下さい。(笑)
Jack!
ランスロット!
こんばんは 後藤です
私は少年野球で コーチをしています。
はじめは 「怒らず褒めて伸ばそう!」と
思っていましたが それだけでは 規律が保てません。
自分の指導力不足もありましょうが・・・。
Q&Aにもありましたが
まず「信用されること」と自覚はしています。
今回のライジングで改めて
「信頼関係」の大切さを感じました。
十六小節のラブソング。
わたしは学生時代に柔道をやっていて、気合が入っていないと、さんざんぶん殴られたり馬騰されていました。当時は、先生に対しては怒りと憎しみだらけでした。死ねばいいのに・・と、正直思っていました。おそらく、先生はそんなことも覚悟の上で厳しく指導したのだろうと思います。格闘技という性質上、ピリッとした緊張感がなければ、すぐに怪我に繋がる。アドレナリンを出しておかなければならない。もちろん、今はそのような時代ではないですし、今回のような暴力に対して、一定の批判があるのは、健全なことだと思います。今にマッチした指導があるのなら、そちらをやれば良い。ただ、体操にしても柔道などの格闘技にしても、危険であるということは、指導者として、選手に認識させなければならないと思います。指導者が喝を入れて緊張感を出すことが許されないのなら、選手自らが自分に厳しくしなければならない。そういう意味では、今のほうが、昔よりも、危機管理面では大変なのかもしれないですね。宮川選手がコーチにぶん殴られている映像を観ましたが、わたしが学生時代は、あれくらいは普通でしたので、それほど酷いとは思えませんでした。彼女もアスリートなので、あの程度では音を上げないような気がします。もちろん、一般的には、充分に批判のマトとなる映像ではありますが。。わっ・・長くなってしまった(汗
写真はアナベル人形かとおもた。
今週も配信ありがとうございます。
最近スポーツにおける体罰について話すことが多いです。
51歳の自分も教師は暴力を振るうのが普通でした。
小学校時代は宿題を忘れたり授業中喋ったりすると
ケツ竹刀、または平手打ち。
中学校時代は竹刀に変わりバットやテニスラケットで
叩かれました。
おかげで殴られることへの耐性はできました。
ただ自分は長々と説教されたり、2時間正座させられるより
「いっそ殴って終わりにしてくれ」と思ってましたので、
暴力による恐怖の効果があったかは疑問です。
父は一切手を上げない人だったけど説教が怖かったので
暴力より説教が怖くなったのかもしれません。
よしりん先生と同じで自分は人を殴ったことすらありません。
なまじ力がついたので暴力を振るうのが怖いです。
人を指導するのに暴力を使うこともできないでしょう。
しかし言ってわからないヤツはいるのです。
それが人の命にも関わる重大なことだとしても。
殴られたことがないと痛みや恐怖を理解できません。
骨折や捻挫でも殴られたより何倍も痛いです。
ですので時には暴力も必要だと思うのです。
速水コーチの殴り方はやりすぎですが。
「天使と悪魔」読みましたよ。
イルミナティというのをこれで知りましたね。
「やりすぎコージー」見てますよー。
陰謀論大好きなんです。
権力者を陰謀論者にしたてて想像するのは多少リアルだし、
ありえないことではないのかと思って楽しんでいます。
しかし、今は権力者と結びついた陰謀論なんですね。
それが日米とも権力を増大させている・・・・
こんなバカなことを言っているのは日本だけかと思いましたが
アメリカはもっとバカなこと言っているんですね。
他国もそんなに変わらないのかな・・・
毎回報告読むたびに思うのですがガックリきます。
長いものには巻かれるんですね。
それにしてもこの陰謀論者の顔!
じっくり見ると気持ち悪くなるのでもう見ません。
宗教に(どっぷり)ハマった人の顔そっくりです。
よく聖書持って子供連れて説明しに来ていたなあ・・・
心底気持ち悪いです。
信じたいものだけ信じているとこんな顔になるんですよ。
これはどんなに暴力に訴えてもわからないでしょうね。
ニセただしさん
13回目のしゃべくりMVP!
おめでたまきーーーん!
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
3人の表情とセリフがピッタリ合ってますね
(σ≧▽≦)σ
Vol.284の配信、ありがとうございました!
暴力にしてもセパハラにしても、もうずっとモヤモヤ感がありましたが、「暴力=絶対ダメ」という単純図式にハマっていては、絶対に気づくことのできない視点で、本当に恐れ入ります。よしりん先生くらいの探求力が、全国紙にもあって欲しいです。
今回書いて下さったように、個別に全部違うのに、単純図式を教科書的絶対善にするから、暴力!セクハラ!パワハラ!なんでもかんでも全部はんたーい!!という単純機械脳に仕上がってしまうんでしょうね。教科書的正否と道徳的善悪は、無関係(混ぜるな危険)です(´・ω・`;;
いつごろが分界点なのか分かりませんが、拙者も家庭や学校で暴力を受けて育った世代で、日常的にひっぱたかれてました(笑)。高二のときの授業中、たまたま宿題・予習をやらなかったのがバレて、たったそれだけで前に出され、「三味線ともあろう者が!」とか訳の分からん理由で、バッシーン!!と。普段からバカで不真面目な方が得だわ、とは思ったものの、他者からバカと諦められて逃避するのは、何かイヤでした。
もっとも、いまの我が堕落っぷりを顧みると、誰かに(とくに女性に)叩いて叱って欲しいくらいなので、体罰の効果はわかりません。あ、直属の課長をグーで殴ってしまったコトもあったっけ(^^;
戦争体験者の年寄りや先生は、みんな優しかったナァ〜
スタンリー・キューブリッ子カワイイもくれん先生の『トンデモ見聞録』、目のキラキラ感がチャッキーとか『時計じかけのネトウヨ』かと(笑)。自由意志をコントロールされたキモさは、オウム信者や安倍信者とソックリです。(x_x;;
「陰謀論を真剣に語る現役ネトウヨのインタビューもしてみたい」もくれん先生の好奇心の旺盛さに驚愕です。目は口以上にものを言いますね。(^^;
陰謀論も、エンタメとして見聞きする分には楽しいんですが、とてもマジガチでソレを信じて動く気にはなれません。ましてや、ウンコ色で書かれた彼らの荒唐無稽すぎる信仰には、呆れるだけです。
資本主義が行き過ぎると常識が溶解して、線香のような弱者のルサンチマンが、煽り煽られて大火事になっていくんでしょうね。(´・ω・`)
生放送も楽しみです(≧▽≦;!!「自分が言える範囲の意見」が気になります(^^;;
暴力か、しつけか、指導か、愛情があるのか、単に痛みつけることが目的か、これらを区別するには本来は庶民の常識で解決できるはずなのだが、「暴力は何でも悪い。」のように思考停止したほうが劣化した教養では楽なのでしょう。
悲しいな。
CTUのジャックバウワーだ!の24!
過去を振り返ると、教育や指導の場で自分を殴った奴らはみんな(と言っていいほどおおよそ大体)腹いせからかいだったなあ。あの教師もあの先輩も
そう思えてしまうのは自分の運がたまたま良かったor悪かったのか、リスペクトは無意識に行うタイプなのか
ただの体罰がダメなら殴られた側にも殴った側を殴り返す義務(権利ではない)を課すというのはどうだろう
殴られるより殴る方が辛いものがあるという場合もあるというし(昔ハウス名作劇場でそんなのがあった
権利では無く義務で「やらされる」となればなお辛かろう、それが何よりの罰になるかなと
宗教的思想に毒されちゃった人たちって万国共通で同じ目つき顔つきの「歴史を断絶させられた人」になるのね
我が国にもこういう顔の人種が少なからずいて、いつか「世間、日常、常識、伝統」と衝突するんだろうか
そうならないようにするための「客観」を持てない人たちって「客観というものが必ずしも今抱えている思想を否定するものではない」ということが今ひとつわかってないのかもしれない
何でもいいから他に忙しいこと、手間をかけたい、掛けねばならぬと思えるものをいくつか抱えておけばいい
たったそれだけのことで「それだけの人間」にならずに済むから
自分はそのおかげでゴー宣誤読者のネトウヨに落っこちずに済んだのですから
地方ゴー宣道場推進隊長のカレーせんべいです。
さて11月11日は京都ゴー宣道場です!
現時点で予約が可能なホテルの情報をお知らせしまーす♪
《条件》
●11月11日から1名で1泊。
●予算は7300円〜12000円。
●ゴー宣道場の会場近く。
・・・
◆ホテル名:京都ホワイトホテル
◆住所:京都府京都市下京区東洞院通塩小路上る東塩小路町556
◆宿泊料金 ¥6,759(税込 ¥7,300)
◆URL:https://www.jalan.net/yad384976/?screenId=UWW1402&distCd=01&contHideFlg=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&stayCount=1&roomCount=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&adultNum=1&roomCrack=100000&childPriceFlg=0,0,0,0,0&smlCd=260502&pageListNumArea=1_1&pageListNumYad=12_1_1&yadNo=384976&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:旅館 松亀
◆住所:京都府京都市下京区不明門通り塩小路上ル
◆宿泊料金 ¥7,000(税込 ¥7,560)
◆URL:https://www.jalan.net/yad307774/?screenId=UWW1402&distCd=01&contHideFlg=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&stayCount=1&roomCount=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&adultNum=1&roomCrack=100000&childPriceFlg=0,0,0,0,0&smlCd=260502&pageListNumArea=1_2&pageListNumYad=12_1_2&yadNo=307774&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:お宿みつば
◆住所:京都府京都市下京区不明門通七条下ル東塩小路町735
◆宿泊料金 ¥7,731(税込 ¥8,350)
◆URL:https://www.jalan.net/yad353912/?screenId=UWW1402&distCd=01&contHideFlg=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&stayCount=1&roomCount=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&adultNum=1&roomCrack=100000&childPriceFlg=0,0,0,0,0&smlCd=260502&pageListNumArea=1_3&pageListNumYad=12_1_3&yadNo=353912&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:山城家旅館
◆住所:京都府京都市下京区東洞院通七条下る塩小路町517番地
◆宿泊料金 ¥8,000(税込 ¥8,640)
◆URL:https://www.jalan.net/yad385516/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=385516&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:ホテル飯田
◆住所:京都市下京区不明門通り塩小路上ル717
◆宿泊料金 ¥8,000(税込 ¥8,640)
◆URL:https://www.jalan.net/yad328404/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=328404&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:ホテルエクセレンス京都駅前
◆住所:京都府京都市下京区油小路通木津屋橋下ル北不動堂町519-1
◆宿泊料金 ¥9,259 (税込 ¥10,000)
◆URL:https://www.jalan.net/yad322604/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=322604&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:京都第一ホテル
◆住所:京都府京都市南区東九条下殿田町45
◆宿泊料金 ¥10,185(税込 ¥11,000)
◆URL:https://www.jalan.net/yad328693/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=328693&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:アパホテル<京都駅堀川通>
◆住所:京都市下京区油小路通塩小路西油小路町1番
◆宿泊料金 ¥10,185 (税込 ¥11,000)
◆URL:https://www.jalan.net/yad353904/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=353904&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:なごみ宿 都和
◆住所:京都市下京区東中筋通七条上る文覚町395
◆宿泊料金 ¥11,100(税込 ¥11,988)
◆URL:https://www.jalan.net/yad329941/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=329941&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:エルイン京都
◆住所:京都府京都市南区東九条東山王町13
◆宿泊料金 ¥11,111(税込 ¥12,000)
◆URL:https://www.jalan.net/yad326110/?screenId=UWW1402&distCd=01&contHideFlg=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&stayCount=1&roomCount=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&adultNum=1&roomCrack=100000&childPriceFlg=0,0,0,0,0&smlCd=260502&pageListNumArea=1_1&pageListNumYad=12_1_1&yadNo=326110&callbackHistFlg=1
◆ホテル名:アパヴィラホテル<京都駅前>(アパホテルズ&リゾーツ)
◆住所:京都府京都市下京区東洞院通七条下ル塩小路町533
◆宿泊料金 ¥11,111(税込 ¥12,000)
◆URL:https://www.jalan.net/yad302414/?stayCount=1&rootCd=041&stayYear=2018&stayMonth=11&stayDay=11&roomCount=1&adultNum=1&minPrice=7000&maxPrice=12000&distCd=01&smlCd=260502&childPriceFlg=0,0,0,0,0&roomCrack=100000&screenId=UWW1402&yadNo=302414&callbackHistFlg=1
戦争論出版時も主に反権力を自任する左派から「これは明らかに国家権力による右傾化工作の一環だ!背後に内閣の陰謀だ!首相の陰謀だ!」と言った批判があったような・・・・。中にはオカルト系の人もいて、「これはユダヤの陰謀だ!フリーメイソンの陰謀だ!イルミナティの陰謀だ!三百人委員会の陰謀だ!CIAの陰謀だ!ロックフェラーとロスチャイルドの陰謀だ!米政府と英国王室の陰謀だ!タヴィストックの陰謀だ!ナチス残党の陰謀だ!天皇家の陰謀だ!自民党清和会の陰謀だ!統一教会の陰謀だ!」なんて頭の痛くなりそうなことを平然と言っている人もいたような・・・。で、その根拠はというと、「戦争論の内容にアジア諸国が反発している!明らかにこれは日本とアジアの対立を煽る為の西側(主にNATO)とそれを背後で操る影の世界政府(主に多国籍企業(特に軍需産業))の陰謀だ!」とのこと。
今週も配信お疲れ様です!
ありがとうございます。
「ゴー宣」読みました。
こうして読んで考えてみると、
いわゆる「体罰」と一括りにされて称されているものにも、
「セクハラ」と同じで、グラデーションがあるのではないかと思いました。
私自身も、暴力に対する嫌悪感が自分の中に強くあるので、
体罰でも、よりグラデーションの濃い、暴力に近いものには嫌悪感を抱きます。
しかし、確かに、ダメージが深刻に残るようなものは問題外としても、
時には手をあげるような厳しい接し方が必要になる局面はあるな、と、
今回の記事を読んで、また、自分自身の細やかな体験を振り返って、
改めて思いました。
体操選手の例も、軍隊の例も、一瞬の油断が死や大怪我に繋がるものがあるので、
(軍隊の場合ですと、その人個人だけでなく、部隊全体の生死にも繋がって来る場合もありそうですし)
厳しく律する必要があるところは、どうしても出てきてしまいます。
自分は文科系の人間だったので、スポーツの経験は殆ど無く、
体育会系の部活動の経験もありませんが、
それでも親や教師にぶん殴られた経験はあります。
ただ、自分の場合も、流血したり頭痛を起こしたり、顔が腫れたりというところまで、
殴られた経験はありません。
中学校の時の体育の先生が、軍隊の経験がある年配の先生で、
忘れ物をした時に尻を木の名札みたいなもので叩かれて、蚯蚓腫れみたいになってしまったことはありましたが・・・。
でも、それくらいですかね。他には無いです。
勿論、当時は嫌で嫌で仕方がなかったですけれども。
今回の記事で一番響いたのは「音を響かせる」=「体罰を受けている当人以外にも緊張感を意識させる」という点です。
これを、当人への身体的ダメージは最小限にして、全体を引き締めることが出来る人(かつては沢山いたと思います。ただ、同時に、問題のある人も多々いたと思いますが)
の存在というのは、とても貴重なんじゃないかと思うところです。
そういう指導者が育つ環境というのも、一切合切「体罰」を禁止した中では決して育まれることはないでしょう。
「体罰」と称されるものが一切合切禁止になり、指導者は物凄く気を使って接しなければならないようになってしまったら、
一歩間違えば自分や他人の生死や大怪我に繋がるものは、全て無くさなければならなくなってくるでしょう。
無くさずにやっていたら、大事故に繋がるケースがどんどん頻発してしまうようになりそうです。
また、そうでなくとも「コペル君」的な接し方こそが正しい!と世の中がなってしまったら、
ぬるい環境でぬるく育った者がどんどん溢れ、
秩序の崩壊も加速度的に進行していくように思えます。
「トンデモ見聞録」読みました。
QAnonについては全然知りませんでしたが、不気味ですね。
アメリカのネット民も、カルト化した馬鹿が跋扈しているところは日本と同じですが、
発狂度合いは日本よりも深刻ですね。
いや、日本もいずれこうなってしまうのかもしれません・・・。
5ちゃんねるなどの匿名掲示板で延々と愚にも付かないことを言い続けている人達もそうですが、
他のtwitterやSNSでも、顔見知りだったら、まだ書き込んでいる相手の顔が浮かびますが、
相手の顔が分からないというのは、よくよく考えてみると怖いですね。
文章からヤバさが滲み出ていることも多々ありますが、
実際に書き込み者の顔を見ると、このQAnon応援サイト運営のアメリカ人夫婦のように、
いっちゃってる人が結構いそうな予感がします。
現役ネトウヨのインタビュー、見てみたくはありますが、
実際に相手をする人が感じる嫌悪感やおぞましさを想像すると、
怖いものがあります(汗)。
そして、ネトウヨにしても、ネトサヨにしても、極端に行き着いてしまっている人達は、
どちらもぶっとんでしまっているんでしょうね。ある意味。
陰謀論やオカルトと結びつくようになりがちなところも、似ている気がします。
ぱっと見、ベクトルが逆に見えるだけで、似た者同士かなと思います。
しかし、今回の記事の中で怖かったのは「投稿の中には、政権中枢の人間でなければ知りえない情報が混ぜ込まれており」というところですね。
日本でも、米国を100%追従している現政権が真似したいところではないのでしょうか。
追従対象が、米国でなくても、中国でもロシアでも同じことです。
この辺の怖さが、共謀罪の怖さなどに繋がって来ると思います。
他国に依存して体を為している情けない我が国が、先祖のことも子孫のことも考えずに、今の自分達だけのことを考えてやっていることですから。
危機感を感じなければならないと思います。
追伸:Q&A回答ありがとうございます。
私も、好きな俳優さんが出ているので、つい「リング」を見てしまいましたが、怖かったです(汗)。
他の方々の質問で個人的に印象に残ったのは、ふぇいすさんの質問と、がんTさんの質問です。
また、北海道のブラックアウトの件に関することで、泊原発にまつわることは、
自分自身とても関心のあるテーマなので、
今日の生放送を楽しみにしております。
しゃべクリは、らっこフェスティバルさんの投稿と、monmonさんの投稿が個人的にツボでした。
40代後半のおっさんの私です。
私は若い頃、不良高校に入ったせいで、護身のために空手部に入りました。
その教師の指導方法がまさに、スパルタで殴る蹴るでした。
大学まで空手をやりましたが、当時は暴力やパワハラは当たり前でしたね。
顔をはらしたり、鼻血出すなんてしょっちゅうで、
当時の感覚では、恐怖は感じましたが、パワハラだとかは感じませんでした。
道場では、相手をKOしても残身といって、相手に気を残すくらい
緊張していましたが、それが当たり前だとおもってました。
そんなおじさんの私ですが、運動不足が祟り、キックボクシングのジムにいきました。
空手みたいに殴られるのを覚悟して通ったんですが、教え方はうまいし、何故か楽しい。
選手への健康管理も行き届いています。なによりみんな明るい。
きついだけで、すぐ指導者がぶん殴っているようでは、
今の時代、練習生は増えないんですよ。
それでもそのジムからは、チャンピオンクラスの選手が出ますので、トレーナーや
館長は教え方がうまいのでしょうね。
空手とキックボクシングは違うのかもしれません。常在戦場の武道と
格闘技は違うのかもしれませんが、複雑です。
危険だから暴力容認とかちょっとおかしい。
それなら毎年何万人も殺傷している運転手には鉄拳制裁が必要でしょう。
たまたま自分の父親が暴力でしつけて、たまたま成功したご自身の小さな
体験だけで語るものではないです。戦争を例にも出されてますが、そうし
た非論理的なやり方が通用しなかったんでしょうに。
危険を理解できないなら辞めさせる。どんなに実力があったとしても害悪
なだけです。
今週も配信有難うございますm(_ _)m
命がけの現場で指導の手法として暴力を否定できないという点には、私自身の経験からも全く同意ですが、私も指導的立場となった現在、暴力を用いずに立派な後進を育てている指導者を尊敬し、暴力を用いない指導に徹する毎日です。
「体操競技には体罰が必要ではないか?」
書かれていること、ごもっともだと思います。
辻説法、読みました。
LGBT、分かりやすくておもしろかったです。
ゴー宣、
改めて戦争論の意義、まとめておくのが良いですね。
右によって以前より良かったとは救いです。
高森先生が書かれていた皇后陛下の読書について
すごいの一言です。
北海道の電力、
前の号の最後に道民の方が書かれていた(返信もさせていただきました)
ので調べてみました。
大丈夫そうです。
(だいたいで書きます)
地震前最大需要量は380万kw、これは明後日にも供給できる見通し。
冬の最大需要量は520万kw程度。
苫東厚真火力発電所4号機までが11月中に復旧すれば元通り、
4号機が冬に間にあわなくても1、3号機の分で1割程度節電すれば、
つまりは今程度の節電で充分足りるようです。
そもそも全部復旧しても、古い発電所を使っても、冬はあまり余力がありません。
そんな状態でよく何年もほっといたなあ。
よっぽど原発が動かしたかったのでしょう。
調べて改めて分かりました。
また、ということは古い発電所も使っていたようです。
故障のリスクは従来程度、長年使っていなかった関西の発電所が
故障だらけだったこととも違うようです。
やはり報道よりはだいぶ大丈夫そうです。
さて、生放送楽しみです。
生放送、スタンバイ完了です。
さて、部活指導と体罰、
私は中学校でバドミントン部を見ています。
強かったのですが、以前の50代監督は
実績もあり、まだまだ殴っていました。
本人納得の上でないと殴らないと言っていましたが。
その監督転勤後、30代の監督になって、
蹴ったら訴えられ、新聞に載り、指導停止の上転勤。
いろんな人から「殴るなんてよくあるのになぜ訴えられた?」
と聞かれましたが、信頼関係がない中で殴っています。
管理職にも「暴れていて身を挺して止めたとか、危険だからとか、
それほどひどいことをしたとか、殴らないとダメなやつとか、
そんな必要性は全くありません」と報告しました。
その後競技を知らない先生が1年以内で入れ替わり立ち替わり、
生徒たちが勝手に活動する部になってしまいました。
当然それだとできないことはできないまま、しんどいことや
自分ができないこと、単純でおもしろくないことはしません。
競技力の向上もありませんし、部活を通して学ぶこともありません。
テレビのコメンテーターが、
「指導者は選手のやる気に寄り添わなければいけない」などと
言っていましたが、そもそも中学校の部活でやる気があり、
ほっておいてもきちんとできる者などごく少数です。
オリンピックを目指す、競技で生きていく、というような
強烈なモチベーションがないとただやっている者が大多数です。
昔はいっぱい入っていっぱい辞めたりしていました。
それも具合悪いのならやるやつとやらないやつに分けたりしています。
私は「ついてこないなら希望者は活動させてやるから勝手にやれ」
と言って、段取りだけして一応ついて管理はしています。
もちろん連絡や競技以外の注意はすることもありますが。
もう殴れないし、元々キャラでもないし、やる気のない奴らに
ずっとどなっているのもしんどいし。
この流れだとエリートスポーツ選手と、
だらだらと部活をする大多数とに二分されるのではないでしょうか。
さあ、生放送です。
生放送お疲れ様でした!
これから大東亜論のコンテを描くというタイトなスケジュールの中、
サービス精神たっぷりで面白かったです。
しかし泉美先生の連載に対してのネット民の抗議(?)は、
狂っててぶっとんでましたね。
ぶっ飛び過ぎてて笑ってしまいました。
辻説法、拝読致しました。
作中に何度も出てくる『宿命』という言葉が最も印象に残りました。私も小林先生のように、宿命を受け入れて生きる人生にしたいと思いました。同時に、周りに対しても、それぞれの宿命を尊重するスタンスを持ち続けようと思いました。
生放送お疲れ様でした。今回も面白かったです。特によしりん先生とタクシー運転手とのやり取りが最高でした。よしりん先生に原発の話を振るとは迂闊でしたね~。
とはいえ、タクシー運転手にまで原発擁護に染まっているとは(たまたまかもしれませんが)。ネトウヨ思想の影響が予想以上に広がっている様で、とても危険だと思います。
ライジンク感想です。
文章を読む限り、よしりん先生が体罰を嫌っているのは、よく分かります。通常ならその好き嫌いに論理が引っ張られてしまうものなのに、そこから考えを進めて、緊張感を保つという暴力の効用を認めていて、この思考の強靭さは目を見張るものがあります。
確かに体操は危険な競技。練習中にだって、怪我をして半身不随という恐れすらあるから、常に気を張ってないといけない…。だから、緊張感のなさから、或いは手抜きから危険へと向かう子たちを暴力使ってでも止めるのは、致し方ないことでしょう。
ただ、よしりん先生はコーチを全面的に擁護するわけではなく、やはり、選手への体罰は明らかにやり過ぎだと釘をさしています。
よしりん先生はこういうことを丁寧に説明していると思います。
それでも、僕の捉え方が誤読なら申し訳ありません…。
ちなみに、その誤読についてですが、通常の漫画で誤読をされ、ツイッターや掲示板などで見当違いなことを書いても、漫画家さんはいい気分ではないかも知れませんが、まだご愛嬌で済むでしょう。
しかし、ゴー宣は社会問題を扱っているわけですから、自分のメッセージが全く違ったようにとられて、さらにそれを流布されるのは、致命的です。
よしりん先生は一人でも多くの人にメッセージがきちんと伝わるように、言葉を費やしています。だから、僕はそれを邪魔するようなことは絶対したくありません!
体操競技を少しかじったことのある者です。
確かに暴力はありました。私も靴の裏でぶん殴られたこともあります。
率直に言うと、どちらが正しいとか言い切れないですね。実際経験した感想として、新しい技に挑戦する時は極度の緊張感がありましたけど、確かに慣れてしまって緊張感が薄れた結果手首捻挫しましたし。(鉄棒に手が絡まり変な方向に曲がりました)
その先生はいるだけで選手全員に緊張感が走るくらい恐怖の存在でした。
でも3年生になってその先生が異動になり、緊張感が薄れた結果あっという間にチームは弱くなりました。
しかし、暴力なしでも強くできる指導者は確かに存在します。
ようは「選手に緊張感を与えられる存在になれるかどうか」ではないでしょうか。
今週も配信ありがとうございます。
命に関わる体操競技では、集中力を途切れさせないためにも体罰は必要ではないか、というよしりん先生の主張、非常に説得力がありました。
実際に問題となったコーチの体罰が、明らかに行き過ぎであり、「体操指導者は、まずアントニオ猪木の殴り方を研究した方がいい」という示唆も、ユーモアが交えてあってなるほどと思いました。
「派手な音はするけど、そこまで痛くはない。ケガもしない」という殴り方――いわば「気付かせ」「意識付け」ということが目的であり、それで真っ先に思いついたのが座禅です。
心が乱れると、それを察知した僧侶がパシッと背中を棒のようなもの(警策というそうです)で叩いてきますが、すごくいい音がしますよね。
あれで本人のみならず、周りの人間も自己を戒めながら、座禅に取り組むのだろうと思いますが、恐らく「ムチャクチャ痛い」わけではないようです(やったことありませんが)。
やはり、「心が乱れてしまった」ということを意識させてくれる、ひとつの装置なのだろう、と。
つまり、指導される側の「意識付け」を目的とするならば、体罰にもグラデーションがあって当然、ということになるのでしょう。
「殴る蹴る」というのは、指導者が感情的、諧謔的になっている可能性があり、目的から大きく逸脱してしまっています。
まずは指導者が己をコントロールできるのかどうか、というのが、問われるべき資質なのだろうと思いました。
51歳の私の中学時代の吹奏楽部でも暴力恫喝による圧力は日常的に行われていたんですが、当時は恐怖心いっぱいで逃げる事も考えても逃げた跡が怖くて結果3年間全うしちゃいましたが、
今なら絶対逃げるだろうなぁと思います(苦笑)
その後料理人の世界にも入りましたがやはり暴力日常茶飯事、私は後輩や部下に暴力を振るった事は有りませんが言葉で罵倒はしたかも知れませんので、今考えるとアレも言葉の暴力ですね、いや、反省。
ところで例の体操選手とコーチの関係性ってなんだかやりがい搾取の居酒屋甲子園(所謂ブラック企業)と被る面を感じてちと違和感がありました。
しかしながらある程度手を上げ手を出す必要性は確かに有るのかな?とも思いましたね、万が一の危険性を未然に防ぐ為にカラダで覚えさせるみたいなものかな?
とは言え、柔道や体操では特に受け身の撮り損ねや落下による衝撃などで障害が残る例も多々あると思われます、柔道は指導者や環境の問題もあるのかも知れませんが死亡事故も年に数件は必ず有るし。
ともかく加減と言うものが大事でその加減を知らないでの指導は結局事故を防ぐ処まではいかない可能性もあるのかもなぁと、今号のゴー宣を拝読して思いました。
配信お疲れ様です。天変地異が相次ぎます。日頃の備えが欠かせませんね。
体罰に限らず、人を傷つけることは、原則論では「ダメ」でしょう。ただ、これも原理主義化してしまうと、あらゆるコミュニケーションは断絶せざるを得ませんね。だって、何を言おうが何をやろうが、「傷ついた!」と言う人はいるから。
体罰が「絶対ダメ」なら、言葉の暴力だって「絶対ダメ」です。実際、教師に叱責されたことが原因で自殺したという子供はしばしばニュースに出ますね。こういった出来事を参考にすれば、人に圧力をかけるような言葉、しかりつけ、怒鳴り飛ばし、全部ダメになります。だって死んじゃうかもしれないですし。
要は、程度の問題だったり、TPOだったり、相手との信頼関係だったりと、複雑な事象を検討することをかなぐり捨てて、とにかく「絶対ダメ」と言うと、現実は混乱するだけで、害ばかり多くなる。でも、そういう単純化したことしか理解できないし、したくないという知的怠惰が世界の潮流になりつつある。恐ろしいことですね。
生放送、タイムシフト視聴しました。
後半のネトウヨいじり、笑い転げました。
脊髄反射からの、「脊髄――指」なる単細胞的な例え、お見事です!
木蘭先生の「脳を介して下さい」というツッコミ、おっしゃる通り!
元ネトウヨとしましては、確かに「あの頃」を思い返すと、「脊髄――指」だったなあ、と実感します。
うつ病真っ盛りの状態で、ネットにハマってしまうと、生放送のコメントでも書かれていましたが、前頭前野の活動が著しく低下してしまうんですね(「脳トレ」の川島隆太先生も指摘されています)。
前頭前野は人間的な感情や気持ちを司っていますので、それらが欠けた単細胞的な行動パターンになるのでしょう。
ただ、つまらぬプライドを抱えているので、自己への批判は即座に「反論」しないとアイデンティティが保てないんです。
「読んですぐに○○と分かった」みたいに、中身に踏み込まずに自分の方が上とアピールするしかないんですね。
あと、「読解力」ということなのですが、新井紀子氏著『AI vs. 教科書が読めない子供たち』が思い浮かびました。
同書では教科書レベルの文章の意味を理解できない小中学生が増えている、これは子供だけではなく大人も含まれる、という「堕落もここまで来たか……」という恐ろしい内容が綴られています。
AIは意味を理解することが出来ませんが、それ以外の数的処理は当然ながら人間の能力を遙かに上回るため、読解力が低い人間はAIに仕事を奪われてしまうのでは、と危惧されています。
一方、川島隆太先生の『スマホが学力を破壊する』という本では、スマホ等のデジタルデバイスを使用することそのものが、明らかに学力を低下させている、というデータを紹介しています。
スマホやLINEを一日4時間以上使用していたり、スマホを机において「ながら勉強」をしてしまうと、たとえ2時間以上勉強しても、スマホ不使用で勉強時間30分未満の生徒に成績で劣ってしまう、というショッキングなデータもあります。
このデータは中学生の追跡調査ですが、当然ながらスマホの過度な使用は大人にも何らかの影響があると考えてしかるべきでしょう。
私も自己を戒めて、必要以上にPCやスマホを使うことはやめよう、と思いました。
ネットしか見ない人たちは、将来は極端な貧困層に陥るかもしれませんね。
そこまで落ちて、やっと気付くのでしょうか。
びんぼっちゃまの凍傷ネタをギャグとして扱えるのは日本だけではないのか?
ブログを拝読してそう思い立つと身の毛がよだってたまりません。
(超久しぶりの投稿ですが元気に拝読してます)
配信ありがとうございます。
猪木さんのビンタの話が出たので
ふと思いましたが、昔の新日本プロレスの映像を見ると猪木さんや山本小鉄あたりが
竹刀を持って、バシバシやってましたよね。プロレスみたいな受け身をとれなければ死んでしまう競技では体罰は必要かな?とは思います。
逆に猪木さんが力道山から受けたシゴキは
体罰とかのレベルではなく単なる暴力、
逆らえない相手から受けるリンチに見えてしまいます。
相撲や他の競技もそうですが、やむを得ない体罰と単なるリンチ、シゴキは別物と
見たほうが良いですな。
単なるリンチ、シゴキを愛の鞭とするのは間違いだと思いますし、戸塚ヨットスクールみたいなのを科学的体罰とはとても
思えません。
結局は個別ケースで考えてみたほうが
良いかな?が今回の感想です。
そーいえば民法822条には親の懲戒権が認められていて、懲戒には体罰が含まれるというのが学者の考えらしいですな。
つまりどんな体罰もダメだ!は非合理的なんですよね。
建前論んとして体罰は駄目は基本理念とした方が良いとは思う反面、恐らくは決して無くならないとも思います、犯罪者が刑罰を厳罰化しても無くならないと同じで。
少なくする方向に向かう、少しでも行き過ぎない様になる為、リンチスクールリンチ共同体化を防ぐ為には。
そういえば体罰肯定論で思い出したのは、橋下徹ですね、彼奴は確か「知的障害は叩けば治る!親が厳しく育てれば治る!」とか垂れ流して大顰蹙を買ってましたな。
反知性の悪しき設計主義の流れがあると、あんな基地外が跋扈する可能性が高くなるので要注意かも知れませんね。
麻原彰晃や嘗ての赤軍とも共通点が多いので気を付けないといかんなぁと。
まあどうせ誤読する奴がいるから
書いておきますが
「小林よしのりは体罰肯定論だー。自分の成長には体罰が必要だったとかほざいているぞ!俺は幼少期にこれだけの虐待を受けたんだー。
心に傷を負っている被害者はたくさんいるんだー」
まず、先生は体罰全体を肯定はしていません。一部の競技には必要では?と中間説をとっています。
体罰を虐待と見るのが日弁連の見方ですが、あまりに設計主義になりすぎですな。
どうせ体罰は根絶はできない。被害を最小限にと考えるのが現実的な姿です。
それに人の家に介入すること自体が余程のことがないかぎり慎むべきです。
結局は体罰全面否定論の行き着く先は
監視社会であり、政府のマインドコントロールになります。1984年の世界です。
それをどうも国民が無関心?に受け入れていることが非常に気がかりですね。
40代後半の私が、教育実習に行った時ですからもう20数年前です。
私の世代は兎に角、教師から殴る蹴るの体罰を受けた世代ですが、
まさか、母校の中学に教育実習にいったら、体罰は禁止、叱責も禁止に
なっているではないですか?あのカルチャーショックは相当でした。
私の世代の母校は、教師の暴力はしょっちゅうでしたが、
治安が良く、学習に専念できました。
ところが、10数年ぶりに母校の中学に教育実習で
戻ったら、体罰も叱責も禁止です。
しかも、荒れに荒れていて、トイレの戸まで破壊されています。
学級崩壊しているクラスだらけです。
私は指導教諭に、何故殴らないのですかと聞きました。
君は体罰肯定論者かと言われて終わりました。
当時人権教育がはじまった時代でもありましたが、
私は、現場の混乱を見て、教員にはならないと誓って、
公務員になりました。教育員会にいって必ず
現場変えてやるからなと思った20代の春でした。
もくれんさんの記事の写真、とても怖いですね。スティーブン・キングの世界みたいです。
これはヤバいやつや。
普通の人間が陰謀論を信じないのは、「世の中そんなに簡単じゃないよ」ということが経験則で分かっているからでしょう。その一方で「世の中なんて所詮こんなもんさ」と理解した気になりたい人が相当数いる。通常、物事の複雑さを理解するには、様々な文物に触れて思考を深化させ、また多くの経験を積む必要があるでしょう。そういった努力なしに、全部分かった気になりたいという需要が世の中にあって、それが陰謀論として形成されていくのではないでしょうか。全部何とかの陰謀のせい、ということにしておけば、もう余計なことは勉強もしなくていいし、考える必要もなくなりますからね。その癖、そんな知的怠惰に安住しながら偉そうにしてられるわけだから、陰謀論は止められません。
この陰謀論と真逆なのがゴー宣道場でしょうね。議論しましょうというスタンスだから。
陰謀論者が何より嫌うのが議論でしょう。自分の正しさを確認できるような、講演やらセミナーやらデモが好きな彼らは、議論はできません。話し合った結果、あちこちボロが出るのが一番困るのです。彼らが信じているのは真理の体系のはずで、もう見直されない公理とやらですから、議論なんてものはその思い込みを崩す邪魔者でしかない。思い込みを取り払って物事を見ないと真理には辿りつけない、とかは考えないあたり、端的に言うと陰謀論者=バカなんでしょうね。身も蓋もありませんが。
もうこうなったら、ビッグマグナム黒岩先生を呼ぶしかないよ。
いつも楽しく拝読しています。
私も軍トリ拝見して、アッツ島の山崎部隊長について、ぜひ学ばせて頂こうと思います。
私も、日常的に色々と頭に来ては、自分の力量不足にイラついてばかりいる身ではありますが、「暴力」が無いと秩序は保たれず、皆が善くも悪くも好き勝手に行動するハメになる、あるいは私的感情を露にした自己チューな輩が幅を利かせるようになり、いわゆる「正直者がバカをみる」結果になる、あるいは、その時々の誰かと誰かのお互いの「正義」あるいは「ワガママ」のぶつかり合いになり、組織が分裂の危機を迎えてしまう、etc…
だから軍隊も憲法も必要、リーダーや指導者にも、信頼を前提とした部下や教え子への、指示や命令などが必要、という事になるのかなと、ここまで書き連ねてしまいました。
コペルくん的な自分も意識せざるを得ず、なかなか眠れなくて、でも考えてばかりいると朝になってしまうから、とりあえず早く寝て、生活や仕事に最低限、支障はないようにせねばなりません。
失礼しました。今週も、配信ありがとうございます。
今号も配信、有難うございます。生放送は、タイムシフトであとで見ます。
斎藤美奈子さんの記事をよみましたが、恐らく「ハルチカ」とか「ユーフォニアム」あたりの影響もあるのだろうと察します。しかし、医療はミスがあったら患者の命に即つながりますが、音楽や演奏で他者の命を奪うといったら、少年ジェットかSF小説の世界になってしまいます。比較すべき事例ではないのでしょう。失礼を承知で申しますが、男の人が変な気分になって、手術を失敗するなんて話は聞いたことがないです(そもそもそんな人は医師にはなれない)。
確かに女の人は(これも失礼だけれども)月に一度は血を見るのでしょうが、それゆえに、命を預かる重大性も理解できるのではないか、自身の突発的な健康状態で、医療ミスが生じることは極力避けなければならないということも判断できるのではないか、と思います。
話題をかえますが、私が体罰を受けた例として記憶にあるのは、小学校の避難訓練の際、「さあ、はやく机の下に隠れなきゃ」とか騷いで、先生にピンタをくらった、というのがあります。それは学研の学習雑誌に載っていることを何となく口にしただけで、みんなの役に立つと思ったからなのですが、先生からすれば緊急事に騷ぐことの方が問題だ、と判断したのでしょう。こういうのも教育だ、と今にして思います。頭でっかちの知識だけでは、人の命は救えないのだろうということでしょう。
小学校時代は、高学年の時の先生が体罰派で、宿題を忘れた時に「実は…」と言った時に「実は、じゃない、ばかやろう!」と言われて同じくピンタをくらっています(以前に書いた、四線譜の時の先生です)。何か偉そうなことを自分が言っていると思われたらしく、私は当時、小学館の雑誌にのっていた「てんとう虫の歌」のセリフにあった言葉をそのまま言っただけなのですが、こういうところでも、他者との信頼関係は問われるのだろうと思います。
何かまとまりのない話になりましたが、私はまづは言葉で理解し合える状態があれば理想的だろうと思います。しかし、世の中には言葉を越えた、超論理のようなものがあって、それは言語化するのは不可能で、体で覚えさせるしかないのだろう、たとえそれが理不尽なものであっても、と理解しています。
言葉の暴力と言えば、親の言うことをきかなかった時に、「お前は橋の下から拾ってきた子供だ」とか言われた人はいないのでしょうか?私は暴力は嫌いですが、良かれ悪しかれ、しつけとしてこういうのが容認されてきた時代もあったのだ、という記憶は残しておいた方がよいと思います。
少しとりとめのない話を記しました。ライジング感想などはまた改めて。
しかしブログでよしりん企画のスケジュールを見ていると頭が下がります。
「働きバチ」と言われたのはいつの日か…今の日本はスマホ触るのが仕事かい?って思うほど怠惰に感じますね(笑)
もちろん過労で死ぬのは勘弁ですが、「頑張れる」人間の足を引っ張って低いところで平均化するのはホント勘弁ですね!
そもそも労働基準法に則って仕事をするとなかなか仕事が回りません(苦笑)
それでも40代になってだいぶと余裕は出てきました…月の半分くらい当直してた時が懐かしいです(笑)
よしりん先生見習ってわたくしもアンチエイジングのために(?)仕事をバリバリしていきたいと思います!
今回のライジングは、よしりんの意図を誤読しないで読み取れるか?
誤読のテクストとして研究できますね!
よしりん師範の記事で10月はかなり修羅場の様でお疲れ様です。
軍事トリビア、拝見しました。
美しい打電、公の言葉です。
戦争論を読んでいるので分かる部分もあるのだと思いました。
徒然草 気まま読み、見ました。
率直に書かれてあるなあという印象です。
偉人の 本性が垣間見られた気がします。
健康で文化的な最低限度の生活、見ました。
厳しい実態があるのできれい事では済みません。
児童虐待は子育ての経験から、人ごととは思えません。
妻がほとんど育ているのですが。
お邪魔致します。
FLASH「辻説法」やっと読みました。今回は、よしりん先生の漫画表現の威力が活きてテーマが咀嚼され、伝わる事において(「ゴー宣」含めた時評漫画作品の中で)トップクラスの出来栄えではないか?と思いました。
描かれた、ドルガバの二人の「宿命」を背負い、自然状態を壊してまでの「一般的な幸福」までは望まぬと受け取れる、覚悟の上での「意見表明」は感動的ですらあります。
まずベースに母親、父親の間に子供が育つ「自然な」社会が揺るぎなく在り、その社会が「宿命」受け入れた少数者を(特に持ち上げる事無く)有るがままの存在を認め、許容してくれれば良いのだと受け取れ、賛同出来ます。
(言わずもがな、で付け加えれば助けが必要な「弱者」には手を差し伸べる。それこそが豊かな社会でしょう)
それにしても「良き習慣と伝統を守りながら、時代の変化に合わせて斬新的改革していく態度」という「保守」の在り方。これは物凄く平たく言えば「分別ある大人の態度」そのものではないか?と考える様になって参りました。
《9月15日配信 門下生チャンネルの番組表》
◆【ザ談会 ー天皇と憲法ー】
・第3回「天皇はロック!」
https://www.youtube.com/watch?v=AI-ekYlaNuQ&list=PLWOOmgQXPZkwTrBuMUjHMVd69D9YKbf5q&index=4&t=0s
平成30年7月15日、京都にてゴー宣道場門下生が12名が集まり、「天皇と憲法」というテーマで座談会をしました!
【天皇と自分の繋がり】について、門下生たちが自分の言葉で語り合います。
どうして歴史教育で「天皇」のことを正しく教えてくれなかったのか?
庶民にとって天皇とは「からかいの対象」だった?
思春期時代に「天ちゃん」と呼んでいた担任教師や、『アナーキー』というロックバンドから感じてしまったカッコよさ。
しかし本物のロックンローラーとは、道なき道を切り拓き、新たな伝統を築き上げた今上陛下ではないか!
そして女性門下生からは、
「天皇陛下に、遺伝子組み換えの米なんかを育てさせたら、日本人の恥だ!!!」
と国士的発言が飛び出す!!
ゴー宣道場門下生によるガチの議論「天皇と憲法」。
どうぞお聴きください♪♪
・第4回「天皇の祈り・国民の無関心」
https://www.youtube.com/watch?v=OJHwd1If0Nw&index=4&list=PLWOOmgQXPZkwTrBuMUjHMVd69D9YKbf5q
京都で行われた門下生座談会は、天皇と憲法について語りました。
ここでは、まず自分たちが「天皇」という存在を「意識した」きっかけから、
「祈り」という行為の尊さに関して、再認識させられます。
同じ「祈り」でも、あの人のは、ちょっと遠慮したいですねぇ~^^;
◆《新番組》【女子ランチ会@大崎編 20180805】
・第1回
https://www.youtube.com/watch?v=z3q3ajGgJM4&list=PLWOOmgQXPZkzWLxOgN1p2UWpc_p6ChMs7
2018年8月5日。ゴー宣道場前大崎にて。
おしゃれ女子からおばさん迄、十人十色。年齢も境遇も異なる女性達が
「杉田水脈とLGBT 」をテーマに語る優雅な昼下がり。
ゴー宣との出会いは何とママ友!?
女性は生む機械なの?
LGBTはそもそも、どんな支援を受けてるの?
やはり20年前の自虐史観に覆われた日本の空気を変えたのはよしりん先生だった!
ゴー宣から学んだ、右も左も関係ない、絶妙なバランス感覚で、それぞれの身近な声からの情報を基に語り合います?
・・・
それぞれに現場と日常を持つ庶民が集まって『天皇』について自由に議論する。
『ゴーマニズム宣言』が大好きという女性読者が集まって、ランチを楽しみながら議論する。
ゴー宣道場の参加者同士が膝を交えて議論をし、
その様子をYouTubeに配信しているのが「門下生チャンネル」です。
この試みが、いつまで続くかは正直分かりません。
ご興味ある人は、一緒に議論をしませんか o(^o^)
《門下生チャンネルに関する問い合わせ先》
chiho.gosen.dojo@gmail.com
吉澤ひとみ容疑者の轢き逃げ事故のドライブレコーダーを見ました。
すると、吉澤ひとみ容疑者の嘘の供述が、「周りに車がいたから止まれなかった。」と言うのは嘘だった事が判明しました。
吉澤ひとみ容疑者も恐ろしいが、恐いのは多数の歩行者です。
助けたのは一人だけ、他の人は知らん顔して逃げていましたね。
薄情な奴らだなぁ!
助けてやれよ!
日本も落ちる所まで落ちたな。
生放送、タイムシフトで楽しく拝見しました。タクシー運転手の話、傑作でした。旧ゴー宣や戦争論でも似たような話があったように覚えています。
私は江戸川乱歩の『人間豹』をよんで、『エレファントマン』と同じようなものではないか、とも思いました。知人であの映画を見て、最後のシーンが泣ける、と言っていたのを記憶していたので、若干ヒューマニズムも含まれるのではないかとも想像していたのですが、一般には、異形のものは異形でしかなく、異質なものは異質でしかないという常識的な判断がはたらくものなのだ、と理解しました。
『ドロロンえん魔くん』に、美人の女の人に惚れてその命を救った妖怪が、最後にその女の人に「化け物」と言われて傷つくという話があるらしいのですが、それと似たようなものなのだろうと思います。
人は言葉の中にいくつもの思いを込めて語りますし、それを受け止める側も、自身の知見や経験に応じて、幾通りもの解釈をします。そこに人間の複雑性や、相互誤解の可能性が生まれるのだと私は思います。しかし、明らかに「これは井の中の蛙だぞ」とわかることについては、あやまった解釈をしてはならないと思うし、手前勝手な基準で、夜郎自大であることは、気がついたらそれを直ちに改める必要があります。それに、同じ場所で留まっている舟はなく、常に流れに流されており、情況は刻一刻と変貌します。他者の揚げ足取りをする連中は、そうした人間の多種多様性や、事態の進展を思索せず、ただの条件反射しかしていないのでしょう。
斎藤美奈子さんの記事、やはり比較している物差しやはかりがおかしいです。実社会の度量衡は一つではなく、現場に応じて、環境についてもさまざまでなければならないと。
体操選手の話では、スーパーマンを演じたクリストファー・リーヴのことも思い出しました。
最後に、私は男子マラソンも好きです。そこにも感動のドラマはある、と思います。これも誤読になってしまうのでしょうか。それはさておいても、スピリッツの『かなたかける』など、よしりん先生の好みに合うのでは、と思います。
十月の道場、期待しています。
あるアメコミ好きの漫画家の制作裏話で初めてその名と設定を目にして以来、エレファントマンをアメコミヒーローだと思ってました
こういう意外な真実が分かるから他人の知識に触れるのは楽しい
配信お疲れ様でした。
深夜に配信されますと、私の場合、翌朝仕事の前に初読となります。
就寝前に読むと、頭の中が色んな考えでぐるぐるして寝付けなくなりますが、
朝だと、低血圧の私も、朝イチから頭がしっかり目覚めるわけでございます。
「うーん、担々麺。流石に朝食には無理だけど、
そそられた食欲が一日の活力源だ。ウハハハハ!(`▽´)」
こんな感じで。
勿論、「あー、面白かったあ」では済まない、容赦ない辛味と、
ユニークで、ユーモラスで、魅力溢れる人間性が伝わってきて、読んでて楽しくなるミルキーテイストとの絶妙なハーモニー!
今週のライジングも、どうもご馳走さまでした。ε_(*´▽`*)
今後も、ライジングやゴー宣道場その他にて、
様々な世の中の問題を、師範方がそれぞれ意匠を凝らして捌いた絶品料理を、
「ゴー宣道場を応援するのは実に楽しい!」なんていう、私めのような者にも堪能させて頂ければ…と思っています。
というか、次回の道場では出ますでしょうか!?木蘭先生の“裏メニュー”ο((°▽°))ο・・・・・・馬鹿!何てことを想像するんだ!
よしりん先生に倣って、私も数年ぶりに『戦争論』を読み返してみました。
決して阿鼻叫喚ばかりではない、戦争の様々なドラマ。
私が物心ついたときには、もう祖父はいなく、『戦争論』を読む前に祖母も他界してしまっていましたが、
この日本という国の平和のために、未来のために戦ってくれた先人たち。
…
まるで大自然の壮大荘厳な風景を目の当たりにした時のように、
自分がちっぽけな存在に思えて、たまらなくなりました。
先人たちが自己を犠牲にして、残してくれたこの日本、この平和、
それを今を生きる我々は、さらに未来のために、より価値のあるものにしているだろうか?
胸が一杯になりまして(;_;)・・・ちょっと今回のライジングの各記事の感想までは・・・失礼します。
門下生チャンネル、今週も楽しく拝聴させていただきました。
天皇陛下の稲作りが最低限の農薬しか使わない、素晴らしい。
いのります~。
女子ランチ会は、なんか斬新です。
水脈ちゃんの分析はなるほどと思いました。
体罰について、先生の主張は体罰を原理主義にしてはいけないと言う点で文句を付ける所はありません。有名トランペッターが、公演の最中、年少ドラマーを張り飛ばした事件のありました。あれは、日頃から言う事を聞かず、ついに本番で自己顕示欲を全開にして公演を台無しにして、オーケストラ全員の努力を無にしたと言う事で、ブチ切れたと言う事です。体操競技に限らず、このくらいは常識で判断されないと困ります。初め理由を知らず、おこっちゃまになりましたですけど。
以下、ライジング言外の蛇足です。
時間のある方だけ、どうぞ。
「恒常的に」体罰を良しとする人は時代遅れも甚だしいと思います。競技の種類は関係無いです。運動競技の鍛錬で、昔は水を飲んではいけなかったのは、今ではナンセンスの極みと言います。
同じように、指導の仕方も体罰をしなくても(まい楽しく)合理的に技術を上げる指導は可能だそうです。こうした指導法を知らない教員、また指導者は、非常に劣っていると言われます。劣等指導者です。
ただ、これが普及しきっておらず、競技の指導的立場にない己は確証的に言えません。しかし、体罰を伴わない指導法で成功している人たちは現れていると言う事です。大阪なおみさんも、そうだと言われています。
体罰は一種の暴力です。感情が伴います。銃を撃ちたくなければ、銃を持たなければ良いです。煙草を吸いたくなければ、煙草を買わなければいいです。
しかし、感情は違います。精神は常に存在と共にあります。切って離す事は不可能です。よく体罰肯定論者は、行き過ぎなければ良い、愛の鞭だと言います。気合が入ると言います。それは可能なのでしょうか。
体罰、すなわち暴力は怒りの感情です。この感情を行き過ぎないように常に保持する事は難しいと思います。常に暴走する危険性を伴います。それを殴れる立場の、ある意味特権階級が行使すると言うのです。常に暴力に誘惑されている状態です。暴走しない方がおかしいです。危険極まりないと思います。
体罰肯定論者は、速見が宮川選手にしたものなんぞ体罰のうちに入らないと思っています。もっと凄い事をさせろと言う者も少なくありません。
無頭脳な指導者は、己の思い込みと、己の狭過ぎる経験だけを絶対にします。そして、過ギタ事をしても、下賤に限って己の無能、低脳、無知に気付きません。優れた選手が、優れた指導者である法則は無いです。
暴力を受けた利点を挙げる人が必ずおります。しかし、運命の結果でしかありません。個人の気根と時と場合によって利点も欠点も入れ替わります。結果が欠点の場合、身体的、精神的損失が生じます。この場合は、人生を台無しにする可能性があります。
精神の場合は、PTSD になってしまったら、己の努力で何とかしようにも、自律神経のやられて意志で何とかしようにも、どうにも出来なくなります。また、命を失う例があります。こうした例は、戸塚ヨットスクールだけではありません。近年、多発しています。
競技指導者の中には、一定の割合で、戸塚宏のようにサディステックな者が必ずいます。こうした奴と縁を持ったら最後です、身体的、精神的に殺傷されます。うじゃうじゃはいないようですけれど、ゴロゴロはいます。
(例を知ればえげつなさで吐き気のします。)
全体的に体罰を容認すると、非道な暴力に歯止めを失います。競技の指導は、閉鎖的な組織内のフジツボ化した集団内で行われます。
怒りと恐怖の暴力で押さえつける組織の論理が固着するのです。
説明するまでもなく、運動競技で好成績を挙げれば、所属組織によっては役員か、それ以上の待遇を(事実上でも)手にします。学校や企業の宣伝利益を大幅に上げるからです。それによって非道な暴力は正当化され、指導者は勘違いをして、更に暴力を酷く増長させます。反対勢力は粛清されます。つまり権力を持ちます。
競技における人間性の練磨よりも、利己のみの名利確保が優先になります。挙句、非人道を省みなくなります。そして利権化した閉ざされた組織内で、一度手に入れた権力に執着して離れません。
昔は、食糧難で空き腹を抱えたり、戦争を体験して死に接し、体罰においても、命に注意を払う面を何処かに持っていました。頭脳の程度によって限度を知っていました。また、体罰を受ける方も、同じような経験で死を身近にして、苦を受け止める態度や、耐え難い苦痛を伴う暴力も、何とかやり過ごす工夫を捻出しました。ですから、かろうじて制御が何処かで働いて、体罰の暗黒面は表に出づらかったと思います。
しかし今は、空き腹を抱える事は無く、目の前で失われる命を知りません。殺しのゲームをし、ネット仮想空間での思い込みを現実に直結させる者が増えました。従って、増長慢を欲しいままにして、体罰を称した暴力で殺傷する事が増えました。
時代は変化しました。
柔道で、中学初心者を指導者が投げ叩きのめし、殺傷する事例が後を絶ちません。武道の必修化で柔道が多いと聞きます。道着だけ用意すれば安価ですからね。これから柔道の被害者は増えるはずです。死ななくても、目と口をポカンと開けたまま一生涯、植物人間です。それを横に、柔道着会社は大儲けです。
日常的体罰を是とするのは危険です。気合いを入れ、危険回避の為とした体罰で、指導者が殺傷したら意味の無いでしょう。死んでからでは遅いのです。
こうしますと、程度の低い者が集まった学校は荒れる事があります。しかし、学校は一種の権力組織です。解決に暴力を使わずとも、法制や権限を行使して是正可能であり、その方を使うのが健全です。
こう思うのは、指導者が暴力で人を殺傷しても、逃亡、隠蔽、封じ殺すのが、権力で容易だからです。卑怯な保身を必ずします。
例えば、暴行死させても、大勢の部員の目撃者がいるに関わらず、法廷では、嘘は付かぬと宣誓書にサインして読み上げながら、己は暴力を振るった事は無いと裁判長に平気で嘘を付きます。見え見えですが、誰にも見えない主観に隠れるのです。法廷の証拠主義に逃げるのです。安倍晋三に同じです。
鹿児島県 出水市は(精神的、身体的いじめ)暴力の調査内容を役人が知ってながら、遺族には絶対に開示しません。どうも、いじめ無しとしながら遺書を隠しているようです。
宮崎県 新富町 新田学園も同じようにアンケートを遺族に内緒に開示しただけで無調査のままです。形だけの調査内容も開示しないどころか説明さえしません。
ここでは複数の公文書の改ざんが為されています。主なものは死因改ざんです。また、スポーツ振興財団の共済保険の書面も改ざんし、学校災害で降りるはずの保険金を取り上げ、訴訟資金を絶った上で、その保険認定を(精神的、身体的いじめ)暴力の無かった証拠に逆用する事も法廷で平然とします。
他にも様々な隠蔽工作を自治体(都道府県、市町村、保護者会)ぐるみで施します。
皆、もりかけやまイナダの遥か以前から続く事案です。これから目を背けて知らぬ顔をしたい者がいます。タレントのひき逃げ被害者を目前に、関わりたく無いと逃げて行った者らと同じです。この者らを擁護する傍観者効果の心理学は言い訳になりません。
多くの場合、このような感じで、学校、指導者に殺傷されたら、遺族は多額の訴訟費用に苦しみ、八つ墓村共同体の因習攻撃を受けながら、二度と帰って来ない我が子の為に何年も、何年も苦しみながら闘わなければなりません。
堕落した裁判官に当たれば、証拠保全も認められません。証拠は、取ってつけた理由で開示されず、権力の圧倒的優位の立場を前に不利に立たされます。
遂には真相解明は困難となる風化の年月が過ぎます。関係者は異動し、風化人事で事件と無関係の者を相手にしなければならなくなります。
こうなると情報開示義務を怠って、知る人権を損なわれた賠償請求しか不可能になります。これを認めさせるのは非常に困難です。裁判官も公務員ですから、己の逃げ道確保に走って、原告に不利で明確に不合理な判決を出す事も少なくありません。これでは、当初の目的も果たされず、心身ボロボロで息絶え絶えです。非常に不健全です。生きたまま地獄の拷問です。
従って、体罰は禁止の方がいいです。基本的に当然です。但し、原理主義は、よくないです。常識的体罰が出る事はあります。これは、しっかり判断されるべきです。
しかし、常にそうであれば、体罰禁止にならなかったはずです。体罰の美名にもとに殺傷が行われ、顔を拭って知らん振りされたので、体罰禁止が先行して、新しく代わるべき指導法の普及、研究が遅れているのです。
指導者は、体罰を必要としない指導法を学ぶべきです。そうでなければ体罰無しで、どう指導すればよいか分からないでしょう。不勉強なまま、怠惰のまま、劣等者のまま指導され、若者が殺傷されて欲しく無いです。
年少が指導者を舐めて、組織が荒れたら、私的な場合は破門にし、公的な場であれば、是正する為の法制や権限を行使して、公正、正直に対策を為すべきです。ここで要注意は、組織の者に責任集中と業務集中を避ける事です。そうでなければ労災死の害を生みます。
いじめ基本方針があっても、いじめ防止法があっても意味は無いのです。権力の歯止めはありません。(憲法 9条の問題と同列です。)真実があっても隠蔽封殺は、地域の下っ端権力でも思いのままです。安倍晋三は小鬼化して全国に潜んでいます。
そのうちライジングの読者、門下生の中からか被害のお子さんが出るのは近いと思います。予告しておきます。危険の真っ只中に子どもたちがいるからです。それだけのものが渦巻いています。気分を害されましたら御容赦ください。
先日、不来方(こずかた)高校バレー部でも、しばき自殺がありました。大阪桜宮高校のしばき自殺を想起します。この指導者は、前任校で生徒から傷害で訴えられ、一審で賠償を命じられています。これを不服として此奴が控訴している最中です。気に喰わないのは『岩手県立校の矢巾町』だと言う事です。あの許せない禍事は、ちょうど三年前になります。
「体罰は一種の暴力です。感情が伴います」というのが、常に大前提となるのかどうか、考え直してみなければならないのではないですか?
よしりん先生が「許される体罰の好例」として挙げておられる「アントニオ猪木のビンタ」は、もちろん感情など伴っていないでしょう。
座禅の警策だって、僧侶が感情的になっているわけではありません。
個人的には、日野皓正だって、暴走する中学生ドラマーを一刻も早く止めないといけない、という考えで、口で言っても無駄だから手を出さざるを得なかったのだ、と解釈しています。
いくら何でも、ステージ上で簡単にブチ切れるような人ではないです。
つまり、感情を排して、理性でコントロールした上で「手を出す」指導者というものも、この世には存在するだろう、ということです。
「感情的になったから、手が出るのだ」という前提があって、さらに「でも体操競技は選手の命が関わるから、体罰もやむを得ない」と判断されているのであれば、それはちょっと違うのでは、と感じます。
まるで、体罰を行う指導者は感情を抑制できず、選手を殺傷しかねないぐらいに加減をすることも知らない、と言わんばかりで、十把一絡げにそのように論じるのはあまりにも極端、かつ理性的な指導者に失礼というものではないでしょうか?
>>84
M.O さん、MOW 駄長文を読んでくださいまして有り難うございます。
「体罰は一種の暴力です。感情が伴います」が、おっしゃる通り、常に大前提となる事は必ずしもないと思います。しかし、怒りの感情を伴う時が暴力に(体罰にも)有るから危険なのです。
「アントニオ猪木のビンタ」は、ビンタするなら、上手にビンタしろと言う事です。
しかし、実際には、目が腫れて膨れ上がる、歯を折る、サッカーでもバレーでも支柱にビンタで叩きつけて重傷を負わせる(在宅起訴か、逮捕されて有罪になりました。)こう言う事が起きているのです。
そして、ビンタは作用、反作用の害を伴います。一度、御自分で御自分の顔を速水が宮川選手にしたくらいのビンタを喰らわせて見てください。掌底を少し含めたり、耳の近く、頰の骨にも命中させてみてください。目眩のします。脳震盪にもなります。危険な競技の最中に更に危険になります。女子が、屈強な男のビンタを受けるのです。同じように実験してみてください。同じくらいにするのですよ。
座禅の警策で、僧侶が感情的になる事もあります。通常は警策は平たい方で打ちます。しかし時に、狭い面で肩を殴られるんです。痛えってもんじゃありません。続けてやられますからね。熱の出て、先生の首のひん曲のり所ではありません。障害の残ります。
主に禅宗では、生活規則を決められた通り行う「だけが」修行です。この意味は今は置いておきます。この生活は静かで慈悲深いと思ったら大間違いです。常に緊張と恐怖と焦燥で苛立ち続けるのは日常茶飯事です。つまり怒号と罵声、理不尽な制裁、暴力があります。そして、異常に神経が洗練されて神経質を患います。まい、大体は初めのうちですね。でも、経験を積んでも同じ現象が起きます。
トランペッターが、ブチ切れたと書きました。しかし、これは客観であって、本当にブチ切れたかわかりません。インタビューなんかしてませんもん。ビンタをした一種の表現と捉えてください。
コメント欄が、何か窮屈になってきましたね。
M.Oさんだって、ブチ切れたのでな無くて、必要になったから手を出したと解釈していますね。これは解釈だけですよね。
「いくら何でも、ステージ上で簡単にブチ切れるような人ではないです。」と言うのは、これを日野皓正に直接聞いたのですか。この人に、日常的に接していて確信が持てているのですか。こう言う部分に拘ってもしょーもないな。
「感情的になったから、手が出るのだ」という前提で、全てを言っているのではありません。危険性について言っています。この危険性は高いのです。
また、簡単な図式に当てはまると言われそうですが、自衛隊は常に理性的に動ける事を想定していますか。そうでない事を含めて、法整備を抜かりなくしようと言う事ではないですか。自衛隊の中にも、右ヨタろーの無頭脳がいるのが判明しています。何時か、自衛隊が国民に銃を向け、国民が大量に殺されるかも知れない事も視野に入れておかなければなりません。
M.O さんの主張は『こんな平和な日本で、何が起こると言うんですか!?』と尋ねられているような感じのします。
己は、危険な競技において、常識的な体罰が出るのを否定していません。指導としての体罰か、殺傷としての暴力に繋がっていないか、しかっと判断されるべきと書いています。文章力の不足で MOW しわけないです。
理性的な指導者に対して失礼だとおっしゃいますが、そうで無くなる危険性を言っています。
また、例えの悪かですが、理性的な運転者が動転して、理性を失う時もあるでしょう、これは何かの機縁で簡単になる場合があります。子どもが大怪我をして病院に担ぎ込まれた時とかあります。危険な追い越しをされて頭に来た時とかもあります。
十把一絡げに論じているのは、M.O さん自身です。人は理性的な行動が常に保てて「間違いの無い」清廉潔白の人がいるのだと思い込んではいませんか。
正義論を読み直されたそうですね。書名を間違えていたらすみません。読解出来ていますか。己も自信は無いです。あいこですかね。どうでしょうか。
天から与えられた理性を信じるのは結構です。しかし、人間の本性に純粋まっすぐ君の論理を入れたら物事を見誤ります。人間という存在に対して、傲慢不遜の大失礼に繋がります。それで悪事に走ったのがオウムです。
もちろん、陛下のような人はいます。特に陛下は、厳密に心身を律せられておいでです。
ここで重要なのは、陛下は聖域という隔離された空間に、常に身を置いておられるという事です。
社寺内でも同じです。特に道場を標榜している所ではそうです。
刑務所も同じかな。隔離された空間では、人は悪を為す事は少ないのです。刑務所内では、大変良い人でも、出所すれば悪事を為して、舞い戻るのを繰り返す人がいます。それと同じです。
また、どちらかといえばですが、家庭学習よりも、学校、学習塾の方が杜撰なく暗記時間の過ごせるのです。試験のあった方が偏差値に向かって、より勉められるのです。
規則で縛られている効果でしょうか。修行の効果も同じです。
(決定的な違いのあれば道心の有無にあります。心の事ですから、極めて抽象的目的論の有無になります。)
これに似た拘束を恐怖と暴力に求める危険性を申しています。
陛下は、ずっと聖域内で、四六時中、修行の生活をされて、人生を全うされようとしておられます。真似は、普通とてつもなく不可能です。
生ぬるく人権を認められて日常生活をしている者が、理性を高潔に保ちながら、常に抜かり無いと思うのは、非常に危険な原理主義です。
正義の怒りで正義を忘れ、正義の中で正義を見誤り、正義で殺す事態があり得るのです。これを忘れたら、純粋まっすぐ君です。もっとも全員そうだとはおしゃっていないのは分かっています。
己は、理性的な人を対象に批判しているのではありません。そこを分かってください。
>>83『岩手県立校の矢巾町』
正しくは矢巾町立矢巾北中学校でしょう。
不来方高校は岩手県立の高校ですが
イジメと体罰の違いは厳密にわけるべきです。
また、教育にはある程度の自治が必要であり、
教師が早めに体罰や叱責で加害生徒らを指導していたら
あるいは、イジメ自殺を防げたかもしれません。
私も教育委員会出向の職員ですが、行政は隠蔽ばかりしているわけでもなく
どこまでが、過失でどこまでが過失でないかを、判例を見ながら対処しているだけでしょうね。
被害者感情を丸々飲んで、この財源の無い弱小自治体で、
億を超える賠償金などが発生する危険性をどうかんがえますか?
一つの自治体が軽く潰れる覚悟をもって教育委員会職員は仕事をしていますよ。
>>86
つぼきちさんのような誠実な公務員の人たちに敬意を持っています。
ライジングの内容から外れてしまいましてすみません。こういう危険もあるのだと蛇足で告知したかっただけなのですけど、御騒がせするようになりました。御容赦ください。以下、最低限度にします。
岩手県立不来方高等学校の住所は
「岩手県紫波郡 矢巾町 南矢幅〜」
とあります。
いじめ、体罰、暴力は、厳密に分けるべきに賛成です。但し、いじめ加害者を体罰、叱責で指導しても、無意味か逆効果です。いじめ被害者のほぼ 100 % が訴えます。余計、酷い目に遭わされます。他の対策も、とにかく事勿れ主義で、不充分に終わらせられます。そして被害は続き、被害者は塗炭の苦しみを味わい続けます。
同じく、いじめ被害者のほぼ 100 % は、教育委員会は、隠蔽主導装置だと認識しています。そして、教育委員会の早期廃絶を訴えております。
もちろん、被害者の為に全身全霊をあげて調査し、一生懸命にやりましたけれども、ここまでしか出来ませんでしたと、御遺族に調査内容を示し、謹んで説明をしてくださる人達のおられます。このような例では、訴訟沙汰は避けられます。当たり前といえば当たり前です。
しかし、おっしゃる事と裏腹に
「被害者感情を丸々飲んで、この財源の無い弱小自治体で、億を超える賠償金」の《発生を非常に恐れて》《隠蔽し残忍に封じ殺す工作を主導》するのが、ほとんどの教育委員会の姿です。
安倍晋三が、教育長の権限をあげるなんて、とんでもない事です。これで解決不可能です。全くの逆効果です。隠蔽封殺の脅威は、ますます高まっています。隠蔽封殺には、人事評価で減点方式も強く影響しています。
三年前の矢巾町教師による中学生の見殺し自殺も、これも大きく影響しているのは間違いありません。
「一つの自治体が軽く潰れる覚悟をもって教育委員会職員は仕事を」《全く》【していない隠蔽封殺組織と見ます。】
しかし、決め付けてはいません。
地方に行けば行くほど、地方自治体は、治外法権の如く、悪公僕がのさばって、脱法行為のやり放題です。
憲法改正が正しく行われて、中央から地方へ悪公僕は、ことごとく根絶やしにすべきです。安倍晋三の分身な逆賊は、つぼきちさんの近くにもいるかも知れません。知らぬ間に悪の片棒を担いでいるかも知れません。御注意ください。
すでに逆賊公務員と公務員繋がりです。気を付けてください。悪行には内部から、どうぞよろしく対処してください。つぼきちさんのような善良な公務員に御願いします。
あれだけの公文書改ざんをされても、名乗りを上げる公僕はいません。一体、どれくらいの覚悟で中央、地方公務員はいるのでしょうか。合わせて、どれだけの人数になるのでしょうか。この数で、一握りの悪公僕権力者の悪行防止に役立たずです。ただ、権力を仰いで保身に手をモみぃしているだけです。
公務員が声を上げないとおっしゃっておられますが、
好きな「職」を失う覚悟で、果たして内部告発をする勇気や
家族をもって生きる厳しさをあなたは知っていますか?
私によしりん先生のような天才的才能でもあれば別ですが
役人としての平凡なスキルしかなく、
やっといきている人間には厳しいものですよ世間はね
私も内部告発をしたことがあります。
直属の上司の悪行を上に告発しました。
上はすぐに、その悪上司を配置転換にしました。
組織の汚点を出さなくても内部の改革はできます。
表に出し、裁判や行政訴訟にする前に
被害をとどめるのも公務員の矜持です。
岩手の平泉での話ですが、安倍貞任の墓を作ろうと
いうプランがでます。この話には安倍晋太郎(晋三の父)が関わります。
その骨をもってきたのは、青森の詐話師、和田という老人です。
東日流外三郡誌という偽書の生みの親でした。
その骨をなんと鑑定したらクジラの骨だったという
バカ話があります。
町長部局は、クジラの骨でも観光資源になれば採用します。
それを学術調査して、ダメなものはダメというのが
教育委員会の役割です。首長の部局を監視する意味でも教育委員会は
必要です。
地方に悪公務員がおられるとのご指摘ですが、
皆、悪をなす前に、仕事が多すぎて疲れ切っています。
私の役所など、岩手県でも下から数えたほうが早い安月給で
しかも、人口減少と過疎化でお金が無いのです。
どんどん職員が減らされ、減らすから仕事の量は毎年増える
悪の公務員をやってる暇も、余裕も地方公務員にはありません。
その上、消防団に入らされたり、PTAの役員をやったり
地域のコミュニティーの役割も担わされます。
県や国の官僚と、厳密に分けて考察願いたいです。
よしりん企画の皆様、話しがずれ誠に申し訳ありませんでした。
>>88
原則論で軽口を叩いて申しわけありませんでした。覚悟違いですね。どうも生きるか死ぬかの人を見ていると憤懣が噴出してしまいます。
どん底にいますと、苦しんでいる者は、上に向かって叫びたくなるのです。そして、公共組織に苦しめられている者は、些細な事でも、何とか圧力に屈せず、真っ当な事をしてもらいたいと願うのです。
決して正義を振りかざすつもりはありませんでした。しかし、不快にさせてしまいました。どうか、お許し頂ければと思います。ただ、教育委員会の在り方は検討した方が良いと思うのは変わりません。
地方も中央も、一緒くたにするかのような事はいけなかったですね。公務員の方々の苦労にも配慮の足りませんでした。これも謝罪します。ただ、地方の端の本当の過疎化のすみの所で、陰湿邪悪な非道が首長を中心に、公僕、教育委員会で現に為されているのは事実です。
これにて本日は三回目なので失礼します。蛇足で話をずらして大変申しわけありませんでした。あくまでも蛇足の話でしたので、ここいらで辞めておいた方の良いと思います。ただ、己の勝手な言い分を連ねたので、返事はしたいと思います。しかし、まあ、こういう事もあるんだなぁくらいで納めてもらえれば有り難く思います。
鯨の骨というのは人ぉばかにしてますね。
話の流れを中断するみたいで申しわけないのですが、今号の感想です。
ゴーマニズム宣言・第292回「体操競技には体罰が必要ではないか?」
といっても、感想らしきものは、殆どに>>60に記していますが、
>>83からの丑三 やギさんの文章を少しよんだ限りでは、私のこころの中にも避難訓練や「実は…」の時のトラウマが残っていて、それがこうして形になっているのかな、といえそうです(誤読でしたら、すみません)。
しかし、自分の場合は避難訓練のように真剣に行わなければならぬ時に、(本人にはその気がないとしても)ふざけているとか、不真面目、あるいは落ち着きがないとみられたという背景があり、また後者の場合は宿題を忘れたということもあるので、仕方がなかった部分はあると思います。しかし、どちらの場合もかなり先生は感情的な感じでした。怒るという情熱は感情なくして生まれ得ず、理性的に「注意」することはできても、「怒る」ことは不可能だろうと私は思います。アントニオ猪木のは、「儀式」であって、「指導」とか「忿怒」とは別物だろうと思います。
ちょっと有名な古代春秋・戦国時代の故事をあげますが、呉王闔閭(こうりょ)は孫子に宮中の婦人に軍の動かし方を見せて欲しいと頼まれ、宮中の官女で模擬戦闘をさせた、というエピソードがあります。この時女性達は面白がって真面目に戦闘をしようとはせず、ふぜけてたわむれ合っていたため、孫子は「軍が機能しないのは指揮官の責任である。指揮官役の女を斬れ」と命じ、闔閭は「いくらなんでもそれはやりすぎだ」と抗弁しましたが、孫子は戦争とはそのような不真面目な態度ではできないと主張し、ついに(闔閭の愛妾である)二人の女性を殺してしまいました。以後、女たちは真面目に模擬戦闘訓練を行ったのだそうです。闔閭は不服そうでしたが、孫子を呉の将軍に任命したそうです。
世の中にはある種の超論理がないといけない場合もあるのだ、とこの逸話は教えてくれているのかもしれないです(やりすぎだと思うけれども。秦の法家の商鞅でさえ、皇太子が罪を犯した時は代人を立てたというし。ここには男尊女卑思想もあるのかもしれない)。体操の体罰問題から、かなり離れた話になりましたが。
でも、やはりケースバイケースなんでしょう。ニュースで少年野球で体罰のビデオが流れて、問題になったというのも見ましたが、勝ち負けではなく、競技を楽しむ場合、恐怖で人を縛るのは良くないと思います。
体操の場合はメダルや成績のこともあるし、事故のことも考慮しないといけないのでしょう。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第96回「権力と結びつく陰謀論・米国QAnon」
一言。あの写真を見て笑いました。何かを信じ込んでしまっている人たちの表情はどこかいっちゃっているのだなあ、と。
しかし、こういう陰謀だとかを信じ込んでしまう人の心理には、迷信を科学の一種だと信じ込んでしまう、人の弱さがあるのかも知れないと私は思います。築地市場と豊洲市場の話と同じで、人は科学的でも、論理的でもない、ということなのでしょう。そう思うと、体罰問題とも絡まってきます。
すなわち、オウム信者もそうなのかもしれないけれども、「何かを信じ込んで行動すれば、きっといいことが起こる」と理性を越えたところで「信仰」してしまい、あとのことは何も考えられなくなる、ということなのだろう、と。実際に必要なことは、「その後何が起きるか」という論理と科学に基づいた正しい見通しなのだろうけれども、「このようにあるべきだ」とか「こうなって欲しい」という先入観があると、しばしば判断が誤った方向へ導かれてしまい、あらぬ結論を出しやすいということなのでしょう。彼らにとっては、その信仰でさえ、科学を越えた、何か未知の超科学なのかも知れないですし。偉そうなことを述べていますが、私も陰謀説とかそういうの、かなり好きな方なので、騙されないようにしたいとは思っています。
あまり長く記しても冗長になりますから、ここまでにします。
話は変わるのですが、トッキーさんの読まれた「宇宙戦艦ヤマト」の本、私もよみました。私もコンテンツと軽々しく使いますが、要は実際に誰が「ヤマト」を作ったのか、プロデューサーの西崎氏か、総監督的な立場にあった松本零士氏かと問われたら、やはり「ヤマトは松本零士の漫画だ」が正しいのではないか、と思います。「キャンディー・キャンディー」の問題もあるし、こういう問題はとても難しいと思いますが(あれは原作者と,漫画家の問題だから、「ヤマト」ほどはっきりしたことは言えないと思う。ただ、作品を漫画という絵の形にするのは、非常に大変な作業だと思うし、文章と絵とでは比べるべき基準が異なると思います。でも、あまり著作権がどうこうでもめることはあって欲しくはないです。読むのは作者ではなく、読者なのだから)。
以上、蛇足ながらつけ加えました。
笹さんにも、はやく腰痛が治って欲しいです。電気治療や針治療がよく効きます。
時浦さんの「コンテンツか、作品か。」について。
本居宣長の言葉に、
「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」
というのがあるそうです。
これを著書に引用した小林秀雄によれば、
「当時の学者は、大義という事をしきりに言った」。
宣長は、その世の学者たちに第一と思われている大義(意)なんぞは、いくらでも口真似ができるもので、たいして価値あるものではないと。
言葉(姿)にこそ、唯一無二の価値があると。
彼は、万葉集や古事記をコンテンツとしてではなく、作品として読んだ、ということなのでしょう。
現代でも、保守だのリベラルだのの大義は、世の識者たちに、易く口真似されているようです。
思想というものも、作品のように、生身の人間の唯一無二の、生きた考えとして扱わなければ、たちまちただの口真似に、思想という名の思考停止に堕してしまう。これは誰にでもあり得ることだと思います。本居宣長のような偉人でなければ。
それほど「意ハ似セ易シ」だと。
笹師範、重体じゃないですか。
痛みが続くと冷静な考えも出来にくいでしょうに、
現在の問題につなげるなんて、なんて凄いんだ。
あとは回復の為、お体をお大事にして下さい。
しかしまあ
日本の現状の医療制度を女医が増えても担ってくれるならば、なんの文句はありませんがね。
先生や木蘭さんに文句を言っている人は「女医でも男性なみに働ける」というデータを示されなければなりません。
欧州なみのサービスで良いから女医を増やせ!が国民的合意になるならば、それはそれで良いんですが…
まあ無理でしょうな( ^∀^)
笹さん~~( ノД`)
お体大変じゃないですか・・・。
群馬に発掘に来てくださるんで喜んでたのに、
そんなに無理しちゃったとは・・・。
笹さんの方が「無鉄砲ですけど!?」って感じじゃないですか。
思い付いたら即行動!なところ、ありますよね。
セカンドオピニオン、受けまくってほしいと思います、
旦那様にお車出していただいて。
少しでも早くちょっとでも良くなる事を祈ってます。
いたいのいたいの、とんでけ~~~~!!
ブログに「かかりつけ医制度の陰謀」的な書き込みが続いてたんで(悪意はないですよ!笑)、一応当事者として発言しておきます。
僕は専門は泌尿器科ですが、今は訪問診療をメインにしているので、「プライマリケア」の認定医、指導医も取得しています。…だからと言って欧米化を推進してる訳ではないですよ!!(笑)
完全に「町医者」となったので手術からは遠ざかってます。
よしりん先生、もくれん先生の懸念はよく分かります。実際国は膨れ上がった医療費を少しでも抑えたい、それをする為には何か理由が欲しいと重箱の隅をつつき続けてます。
何か理由が(それが将来的に妥当かどうかは別として)見つかれば、2年ごとの診療報酬改定で削減できそうな診療報酬をバシバシ削ってきます。在宅医療も、一部悪徳運営を行っている輩のせいで5年ほど前に従来の診療報酬を1/3以下にされて、専門にしていたクリニックや医院が閉院に追い込まれたりしてました。在宅医療を推進しているようで、儲かってるところが目立つとハシゴを外す、よくある手口です(苦笑)
実際、プライマリケアと称して欧米のシステムを導入したいという思惑があるのかもしれませんが、現在の日本のプライマリケア医(総合診療医)は、国民が広く認知している、いわゆる町医者です。外来が開いていたらいつでも受診できますし、必要があれば専門医や、細かい精査のできる病院に紹介したりします。
僕はこの「町医者」は必要と考えています。ここで「ただの風邪」なのか、「ヤバい病気」なのかを判断して、大病院に軽症者が行って本当に治療な重症者に差し障りが出ることを防ぎ、逆に軽く考えて来た人が実は重症で、ちゃんと治療しないと行けない人を大病院に紹介する言わば「仕分け」「トリアージ」の役割を担う訳です。
ここが無いと適切な人に適切な医療行為が受けられなくなります。
また、医療制度と両輪で、やはり一般の人にも「医療制度を維持するために守らないといけないルール」を身に付けていかないと行けないと思います。救急車の使い方とか、軽症者はまず近医受診するとか、迷う時は駆け込む前に電話で症状伝えてからとか、置き薬の活用とか、色々予防できることもあると思うんですよ。「だけど心配じゃん」「とりあえず行ったら何とかなるだろ」は、何でも許容するのは良くないかと。
現在の医療制度の維持は、例え医者が男性限定の職業だとしても(笑)、なかなか難しくなってきてます。
あとは国民が、国がどこまでの医療費を「許容」できるかですね。みんなで助け合う制度なので「お互い様」という意識が薄れるような行為、例えば過剰な延命治療のコストだとか、医療費全額が公費負担の生活保護者が過剰に薬の処方を求めるとか、そういったことが続くとやはり制度自体の維持に異議が出ても仕方なくなってくるかもしれません。僕は医療費の上限のガイドラインは何かしら必要と考えています。
例えが悪いですが、公衆便所に例えると、使い方が良くないのに汚くなった便所を「誰かキレイにしろよ!」「掃除屋は何してるんだ!」と言ってるだけでは解決しないので、キレイに使うマナーを身に付けましょう、その代わり公衆便所を有料化するのはやめましょう、…みたいな感じですかね(笑)
例えが微妙ならすいません、謝罪しときます。
>>85
別に「正義=理性がある」などとは一言も言ってないのですけどね。
「正義の有無」とは別に「理性の有無」という判断軸が存在するはずで、感情的にならずに適度な範囲で体罰を伴う指導を行う指導者もいるだろう、と書いたのですが。
また、『ライジング』で触れられた体操競技のみならず、他にも特別な緊張感が強いられるケースもあるだろうし、指導を受ける側の個性によって、指導者がある程度「手を出す」ことが必要、と考えるケースもありうるのではないでしょうか。
まさにケースバイケースで、単純に線引きできるものではない、と今回の『ライジング』を読んで学びました。
それを「でも、いつ感情的になるかもしれない」「正しい指導の名の下に鉄拳制裁するかもしれない」などと言って規制してしまうのは、多様性を認めないようなスタンスに感じられてしまいます。
あと、日野皓正についてですが、もちろんご本人と話したこともありませんし、日頃の性格も知りません。
週刊誌の記事で「中学生ドラマーが制止を聞かずに勝手に叩き続けていた。演奏がムチャクチャになるから止めるために叩いた」という、ご本人のコメントを読んだだけです。
ただ、ミュージシャンに限らず、舞台芸術に携わる人間にとって、ステージ上はお客様に見られるパブリックな世界であり、そこで感情的になってブチ切れる、ということはおよそ考えられません。
昨日今日出てきた若手ならばまだしも、数十年間も内外で第一線で活躍し続けてきたミュージシャンです。
それまでのステージ上の姿――パブリックな人格――で充分に判断できます。
日野皓正のプライベートなど知ったこっちゃありません。
公私の区別がつかないミュージシャンならばともかく、日野皓正に関してはそういうことは聞いたことがありません。
それが、観客やファンが舞台人の「パブリックな人格」を信頼している、ということではないですか?
だから、本人を直接知っていないとダメだ、具体的なエビデンスがないではないか、などというご批判は全くもって愚の骨頂だと思います。
トッキーさんのブログ「コンテンツか、「作品」か。」を読んで、映画監督の是枝裕和氏も同じようなことを語っておられたことを思い出しました。
『万引き家族』がカンヌ映画祭のパルムドール賞に輝きましたが、是枝氏は日本政府からの顕彰を断りました。
理由は、表現者として、公権力と距離をとりたいから。
政府から助成金をもらったから、国益に添う作品を作らなければならない、ということはあってはならない、と語った上で、安倍晋三や菅義偉らの「クールジャパンを盛り立てるコンテンツを発信」といった表現を取り上げて、「私の作品は、コンテンツではない」と言い切りました。
毎日新聞の記事で読んだ記憶で書いているので、細かい表現は異なっているでしょうが、「コンテンツではない」という断言は心に残っていて、やはり気骨溢れる表現者は違うな、と思いました。
権力者の駒扱いされるのは、よほど嫌なのでしょう。
「コンテンツ」という言葉を平気で使ってしまう権力者に、絶対に褒められたくはないですよね。
>>98
No 83、85で 書いてある事を理解するように読んでください。己の読解力、言語力については謝ります。御指摘の点は、すでに書いてあります。No 98 の内容と大体同じはずです。そんなに違いは無いはずです。二重、三重に書くと、誤読の輪が重なって収拾がつかなくなります。「ブチ切れた」というのは、ビンタの代名詞として使っただけと書いたはずです。
以下、遅れた感想を含めて書きます。
トンデモ見聞録のオカルト陰謀論にハマってるって気持ち悪いです。メリケンも日本も左右ヨタろーって行き着く所、カルト的思考ですね。カルトでなくても、やる事はカルトと同じです。
右ヨタろーの心理って、絶対者を立てて信仰したい、また、敬ったら一途になりたくて他の事が目に入らなくて、端から曲解していくようです。己に基が無いのですね。
清水幾太郎が事実無根を記者に否定したら、テレビで、そう言ってたぞってキレられたそうです。それで、テレビと大衆について研究し始めたと言います。今はネットです。
振り込め詐欺で大金を振り込もうとした人を、不審に思った行員が止めても、羽交い締めしてでも振り込もうとして、本物の息子が来て騙されていると言っても、逆に、お前は騙されているんだと言ったと聞きましたが、頭蓋の中を巡らせない脊髄反射は恐いです。
先生のかかりつけ医という語に気を付けろは注意したいです。
知人がヘルニアを患い大型病院の整形外科にかかりました。しかし、その医者は、ずっと以前から評判は最悪でした。他の医者は異動して行くのに、その医者は二十年は同じ所にいます。
CT を取っても、そのままです。非常に痛がって(パンダ「が好きの笹」さんの痛みのように)のたうちまわっているのに、二週間、痛み止めだけを出して、その間、遠方から四回も通院させました。
もちろん、痛み止めは全然効きません。そりゃ軟骨がはみ出て、神経の束を突ついているのですから当然です。効く分けが有りません。
半月後、若い医者をわざわざ連れて来て CT を見せ、やっと手術が必要だろと、若い医者に自慢するように患者の前で言うのです。
そして、己は手術の担当でないから、同病院の手術担当医に回すと言いやのりました。その為に、更に一週間、痛みに苦しみ、担当医の代わったら、その場で入院、手術の予定になりました。三日で、あっという間に痛みは消えました。痛みに苦しんだ三週間は、一体、何だったのか。
やはり、医者を選べる現制度が良いです。藪医者の首級は取れずとも、縁切り可能な事は、医療制度に必要です。おかしいと感じたら、藪医者とは素早く縁を切った方がいいです。
医師の皆様には、患者からの目線のみで申し訳有りません。ただ、国土防衛並みに、国民の生命に関わる事ですから、命がけで現制度を守りたいです。(必要な改革も必要です。)現医療体制が崩壊すると貧乏人は死を宣告されます。
人口が多くて税金は大変だから弱い者から淘汰されるべきと主張する人には都合のよいとは思います。しかし貧乏人にとっては、たまったものではありません。藪医者が淘汰されるべきです。誰もが、藪医者に軽症、重症を仕分けられたく無いのが本音ではないでしょうか。
ヘルニアは、自然治癒を待つ方法もあるそうですが、痛みを放っておくと神経がやられて、治ってもよくないそうです。「パンダが好きの笹」さんも、参考に御注意ください。
「パンダが好きの笹」は、パンダの個体によって笹の種類が違うようです。縄張り問題で滅びない為に進化したと言う事です。
トッキーさんの外科医は大酒飲みの多いも身につまされます。しょっちゅう切った張ったの命のやり取りでは、野戦病院のようで、特殊部隊兵並みの精神力が必要です。酒をかっくらいたくなるのも分かります。病院の名の付く野戦病院でも、精神力上、体力上、女医は無理だと思います。男女の違いを無視した拷問になります。
また、もくれんさんのおっしゃる ”「自由に病院に行かせない」ためのゲートキーパー ” の為にか?紹介状が無いと入れない総合病院が現れています。急患はどうしているのだろう。脅威です。
もくれん先生
ブログ拝見しました。そして個人的な発言で連投すいません、トッキーさん。
仰る通り、懸念されている部分
「男女平等イデオロギーをきっかけにして日本にそぐわないシステムをひっそりと構築していく」危険性は私もかなりあると思いますし、警戒は絶対必要だと思います。よくよく考えたら「プライマリケア」なんて言葉、確かにコンテンツなんかと同じで次第に違う解釈になっていきそうな恐れはありますね。ちょっと無警戒でした。申し訳ないです。
だからこそ、と言ったらおこがましいですがこういった話題きっかけに「日本の医療制度の舵取りをどうすべきか?」を大きな議論対象としてもらえるのは、現場としてはありがたいことだなと思っています。多分「東京医大の点数不正」が無ければこんな話題にもならなかったのだろうし(苦笑)
大いに話題にして、また不見識な大衆が文句を言わないうちに世知辛いシステムに変更されないように議論していく必要があると思ってます。可能なら一度道場のメインテーマに医療を持ってきてほしいくらいです!今回の道場テーマでも話題になるかもですが。
「男女平等イデオロギーの暴走を警戒せよ!またもや日本らしさを破壊する可能性がある!」という意見には全面的に賛成です。
もくれん先生の仰る通り、日本の「町医者」と「患者」の関係は、哀しい例外もありますが(苦笑)、世界レベルで言うととても人情味があり優しいものです。日本の町医者は、欧米の「家庭医」とは似て非なるものだと強く思います。制度が多少変わったとしてもこの関係性は失ってはいけないと思うし、そういう流れに対しては現場でも全面的に抵抗していこうと思っています。
私は縁あって外科系の大学勤務医から元外科系の訪問診療医をしてますが、ちっとも後悔はありません。都落ちみたいに思われることもありますが、むしろ在野に下って大事なことを学んでいる気分です(笑)
ちなみに在宅の医者は女性でもできるんですが(笑)、何故かストレスを抱えたりすることが多いみたいです(苦笑)確かに移動スケジュールはタイトだし(車に乗るのが苦手な人が多いのかな?)、患者さんの体調に応じての予定変更はしょっちゅうだし(どうも女性は予定通り仕事が出来る環境を好む気がしてます)。
患者さん側からすると異性の医者が来るとじっちゃんもばっちゃんも喜んでくれるようです。なので私はおばあちゃんには有り難がられますが、じっちゃんには有り難がられません…そこをカバーするために若い女性アシスタントと一緒に訪問しています(笑)
患者さんの家と家の移動の間に飛び飛びで取り留めなく書き込んだのでまた的外れだったら申し訳ありません。プラス昔から国語が苦手で…(苦笑)
ちょっくら次の診察行ってきます!
またもしゃべクリには間に合いませんでした…。
無念…。
最近はライジングの記事をしゃべクリのネタで返そうと考えていたんですけど暫くお預けとなってしまいました。
ネタは今月末までの返上ですね。
これもQ&Aで言おうかと思ったんですが、なんか最近の自称リベラル界隈って無理矢理にでも男女平等イデオロギーを敷衍させようとしてませんかね。
なにかこう、意地になっていると言うか。
先生達がこれ程までにもエビデンスを示していても馬耳東風なんでしょうあの界隈の人達って。
日本の医療が貧乏人にまで行き渡っているのは国民皆保険制度のお蔭で、『女性が満足行くような職場環境にすると医療制度が崩壊する』ということが全く頭に入らないらしいようです。
自分も先日Q&Aでも書きましたが、女性が苦もなく医療現場にいた場合のコストを支払う為には男性の非正規雇用を増やさなくてはならないし(何も男性だけでなく非正規雇用の女性も同じ)、沢山のお金を医療の現場に得る為には国民健康保険では間に合わないから混合診療にしましょうと言うことになるんですね。
結局、フェミニズムって新自由主義の手先なんですよ。
そう言えばフェミニズム(?)って小泉竹中の構造改革を批難したことってないんですよね。
不思議と親和性が高いんですよ。
構造改革が進んだから女性差別がなくなったと言うような声もあります。
本当かよと思ってしまいました。
でもこれ単純な生存バイアスで自分が偶々その職場で採用されたからなんですよね。
現実的には女性の非正規雇用は多いままですし、構造改革ってのは基本的に女性を底辺労働力に誘(いざな)おうとしていただけですし、結局自分が不当に底辺に分配されているのが嫌と言う感覚なんでしょうね。
>>97
>>101
現役医師様のご投稿、たいへん参考になりました。
ありがとうございます。
父親が市民病院の医師にきてもらって在宅医療を受ける予定です。
勉強になりました。
現場の方でしか書けないこともありますし、
内側の人間としたら当然のことでも外側の人間には分からないことも多いので。
町医者の「トリアージ」とは私もイメージしていました。
町医者の判断が全て的確で、今後もそれが続くというのは
難しいかもしれませんが。
>昔から国語が苦手で
いえいえ、少なくとも私には共感できる表現の数々でした。
公衆便所もおっしゃっている意味、よく分かります。
お仕事頑張ってください、今後もよろしくお願い致します。
泉美先生の『トンデモ見聞録』、Qanon夫妻の顔、まさに小林先生が描かれていた純粋まっすぐ正義君ですね。ビックリ。本当に瞳がキラキラしている人間は、こんなにも気持ち悪いものなんですね。怖すぎます。
泉美先生が、現役ネトウヨにインタビューする動画、み、見たい!!
今号のゴー宣を読んで、自分の子供の頃を思い出してみました。小学生の頃は、怒るとおっかない男の先生が何人か居ましたが、そういう先生の方が人気が有りました。おっかない反動もあったのかも知れませんが、『おっかないけど良い先生』『おっかないけど優しい先生』『おっかないけど面白い先生』という評価を必ずされていた気がします。ゲンコツを貰ったり、叩かれたりしても、反抗する生徒や苦情を言う親は見た記憶が有りません。皆、自分が悪かったんだと納得していたと思います。
小学校高学年になる1980年代初め頃から、そんな風潮が少しずつ薄れていった様に感じるのですが、それは自分が思春期を迎えたからかも知れず、実際の世の中では、校内暴力などが問題になったのは、もう少し前からですよね。
私が中学校三年間を受け持って貰った担任の先生は、竹を3枚位合わせた自作の棒を持参して、生徒が遅刻や忘れ物をすると教室の前に並ばせ、端からケツバットをして行くのが恒例でした。他にも悪い事をすると、その棒で頭を殴られたりしました。当たり所が悪いとメチャクチャ痛いのですが、恨んだことは1度も無く、もっとも信頼する大好きな先生でした。生徒の中では、好きと嫌いで割れていました。
自分的には小学校時代に、結構な厳しさで指導された陸上競技や野球・ソフトボールは、大人になり厳しい社会を生きていく上での、基礎となる精神力と体力を身に付けさせて貰ったと思い、とても感謝しています。
今日の(もう昨日か)安倍と石破のテレビ質問応答?討論なのかな、
やばかったですね。いや、酷いって意味で。
news every.とプライムニュースイブニングにも出てましたが。
報ステとNEWS23を観て、安倍の醜さがひどかった。
あんな低レベルな話にすり替えなきゃ総理続けられないなら、
自分なら絶対に総理なんかやりたくないと思いますけどね。
絶対こいつバカだ、と思われますもん。
報ステの目の泳ぎ方、あれが全てを物語ってました。
あ、あと9/12(水曜)の23時からのフジの「TOKIOカケル」に、
吉岡里帆ちゃん出てました。HDDに残ってるうちに観てください、
よしりん先生。
ライジングや、先生方のブログから、日本の医療制度の素晴らしさ・優秀さ・ありがたさを知る事が出来て、本当に良かったと思っています。いつでも・どこでも・だれでも、かかりたい病院へ行く事が出来る。心底、ありがたいです。病気の時は、お医者さまが神様に見えますよね。
笹先生のお身体が、早く良くなりますよう、お祈りいたします。
ライジングの配信、ありがとうございます。
競技によって、選手が負いうる危険性は変わります。
体罰に対する許容度も、競技ごとの危険性と比較して判断するべきだと思います。
体操の他にも、格闘技などは、緊張感を持たせるために、ビンタや突き飛ばし位はアリではないでしょうか。
体罰を前向きに活かすためには、選手の主体性、そして選手と指導者との信頼関係が不可欠です。
それがあれば、体罰の目的が、緊張感を持つことによる安全の確保と技術向上のためだと選手は認識できるでしょう。
体罰が否定的に扱われる背景には、体罰自体による事故の危険性と、恐怖心を植え付けられることが挙げられますが、後者については、これによって乗り越えられます。
前者については、記事に書かれている通り、指導者の技量が求められます。
両方の観点から、指導者が感情に任せて振るう暴力などは論外です。
緊張感を持たせるために、体に刺激を与えることは、現代においても有効だと思います。
日常生活でも、集中しなければと頭では思っていても、気持ちがついてこれないことはあります。
そうしたときには、自分で顔に水をかけたり、頬をひっぱたく位のことは、誰でもやったことがあるでしょう。
緊張感は、突き詰めれば、死を意識することで初めて得られるものだと思います。
何らの刺激を知覚することもなく、頭の中での意識付けだけで緊張感を得るのも、無理な話だと思います。
また、頭の中だけでどうにかしようとするからこそ、思考や行動がおかしな方向に行ってしまうのではないでしょうか。
トンデモ見聞録では、アメリカの陰謀論者集団・QAnonを取り上げていただきました。
スウェーデンでも、先頃の国政選挙で、極右政党が躍進したと聞きます。
世界的に、排他的な空気が醸成されていっているように感じます。
新自由主義社会での厳しい生存競争の中で、他人のことを考えていられなくなると、「俺はもっと報われるべきだ」と自己中心的な考えを抱いてしまい、強権的で現状を打破してくれそうな政治家に飛びついてしまう様子が想像されます。
グローバリズムによる格差の拡大、政治の混沌、AIやデータ利用の深化による社会システムの激変、日本においては人口減少に伴う諸々の問題。それらによって、人心の動揺は今後ますます増大していきます。
その中で、自分がこのような視野狭窄に陥らないためにも、意識的に社会の様々な人達に関心を寄せていきたいと思います。
そして、自分の生活環境によって多少損な役に回されたとしても、宿命と受け止めて、周りの人達と共に生きる意識を磨いていきたいと思います。(身障者やLGBT等の少数者のことを思えば、宿命というのも馬鹿らしいことです。)
こんにチワワ!
よしりん師範のゴー宣を読みまして。
今年はアマチュアスポーツ界のパワハラ問題がこれでもかと噴出していますね。
しかし(スポーツに限らず)指導にはある程度の強制力は必要なわけで、すべてを一緒くたにパワハラと糾弾するわけにはいかないと思います。グラデーション、ですね。
指導の一環としての暴力についても同じ。
テレビで取り上げられている各種騒動については「パワハラ・暴力絶対反対!!」という視点で切り取られがちなので、どれがOKでどれがNGという判断はなかなか難しいのですが、
少なくとも全OK、全NGという二択では片付けられないです。
こんにチワワ!
もくれん師匠のトンデモ見聞録を読みまして。
QAnon、やりすぎコージーの見過ぎでないかい?
「信じるか信じないかはあなた次第」って言われて信じちゃうなんてウブですね〜。
ネタとしてはおもろいけど。
現役ネトウヨのインタビューは是非やって欲しいな。
アベには呆れる。
そもそも権力を持っている間はどれほど親しい友人であっても距離を置く、という話をしてるのに「ゴルフは駄目で、テニスはいいのか、将棋はいいのか」って…
やっぱり公職に就いてはいけない人だよ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000007-asahi-pol
もう少しだけお邪魔します。
トッキーさんのコンテンツ問題で(先の西崎義展と松本零士の話もそのことを踏まえたつもりでしたが)、前々回のコメントで「夢十夜」の話を書いたのを思い出しました。六夜目で、明治の木には運慶は埋まっていないというくだり、つまり、どれだけ上手に仏像を掘り出そうとしても、土台となっている時代などが異なってしまったら、運慶の仁王像は掘り出せないということで、中身とコンテンツの違い、とはこんなものなんじゃないかと。パンケーキとホットケーキの問題にもあてはまりそうですし、ネトウヨがいくら過去の美しい日本を幻想として抱いていても、昭和や平成の木の中には初めから存在しないのではないか(明治の段階で夏目漱石が鎌倉時代の伝統があるか否かと疑問視している位だから)。
蛇足だと思いますが、あげておきます。
笹さんの病状、軽くとらえすぎてました。お詫びするとともに、一日もはやい恢復を願います。
よしりん先生の「孫」の話、感動しました。こうして受け継がれてゆくものの中に、「コンテンツ」ではない「中身」が生まれてゆくのだと思いました。
それでは次号を期待します。
日本全国各地に先生の子供と孫がいるのでしょうね
\(^o^)/
このお便り、ジーンときてしまいました
(ノ_・。)
瞳をキラキラさせた子供さん達の顔が目に浮かびます。
目~イッちゃってるQAnon夫婦とは大違いです!!
(°▽°)
オドレら正気か?
めちゃめちゃ面白かったです!
(σ≧▽≦)σ
ネトウヨには嫉妬すら覚えましたよ…
オモロ過ぎる!凡人の私には思い付かない…
悔しい(≧口≦)ノ
体罰については、ニセただしさんと少しかぶってしまいます。小学3年の時の担任が25歳の女性でしたが、とても厳しくて給食を残すとみんなの前に出されてお尻を靴で叩かれました…
しかも…生ケツ(*/□\*)
途中産休に入ったのですが、生徒一人一人が先生に贈り物をしていたくらい、生徒には好かれていました。心の傷にもなっていません。どう考えてもやり過ぎですが、大人になってから先生と再会した時謝られました。
先生のお父様が厳しい方だったそうで、厳しさが愛情だと思っていたと言っていました。
生ゲツ靴叩きはやり過ぎですけどね~
f(^ー^;
ほとんどの生徒は顔を下に向いて見ないようにしてくれてましたけど、数人は身を乗り出していました。中には見ないふりしてコッソリ見てたムッツリな人もいたかもしれませんね…
カ○ー○んべ○さんのような…
((((;゜Д゜)))
礼儀として書きます。本号のライジングで、よしりん先生は、暴力に嫌悪感を持ち、非道な暴力はいけないとする『原則』を説いた上で、危険な競技には、理性的な指導として体罰が必要ではないかと言う『多様性』を説かれました。己は、これに賛同します。
(多様性も、ひとつの原則です。)
己は >>83 で、先生の言う『原則』の「危険性」を だらだらと強調して書きました。強調して書いたがゆえに『多様性』を否定するものとして受け取られた人もいるようです。しかし『多様性』を否定するもので無いと明言してあります。
問題は、次を書いた所です。
>>83 で
『無頭脳な指導者は、己の思い込みと、己の狭過ぎる経験だけを絶対にします 。そして、過ギタ事をしても、下賤に限って己の無能、低脳、無知に気付きません。優れた選手が、優れた指導者である法則は無いです。
暴力を受けた利点を挙げる人が必ずおります。しかし、運命(注 因果律、宿善)の結果でしかありません。個人の気根と時と場合によって利点も欠点も入れ替わります。結果が欠点の場合、身体的、精神的損失が生じます。この場合は、人生を台無しにする可能性があります。』
よしりん先生も、不快な体罰、暴力を子の時に受けた事が、後の利点に繋がったとライジングに記してあります。つまり己は、よしりん先生を間接的に無頭脳、下賤、呼ばわりした事になります。
言い訳をすれば、戸塚宏のような者がゴロゴロいる以上、あのように書くしかありませんでした。よしりん先生の言は、微塵も対象にしていませんでした。先生の主旨を分かるからです。
しかし、この言い訳は、>>83 で書きたくありませんでした。文字通り、言い訳がましいからです。それに己も「狭過ぎる経験だけを」元にして理屈を道理じみて書いたので、読み取って頂けると信じていたからです。
一方、もしかしたら、トッキーさんに、口汚くコメント欄で罵られ、先生が奥さんを罵倒したようにブログで叩きのめされるのを覚悟していました。
けれども、読み取って頂けたか、単なる薄バカとして気にも留めなかったか、上のような事はありませんでした。無礼を御詫びしつつ、御礼?申し上げます。読み取って頂けたとしたら、信じてよかったです。
また、蛇足として腹蔵無く甘えて申します。
確かに毒と嫌悪感は違います。これを前提として「あの人の口は毒毒しくて非常に嫌で気に喰わない。」と言う時。毒と嫌悪感は繋がるものとも言えます。ですから、ニュアンス使いのすれ違いで、コメント欄を去ると言った人がいたのは残念です。コメントを続けてもいいと思います。
もう一つ加えます。
いじめや、閉鎖された空間で暴行死、自殺者が出ても、公僕は調査検証公開共有対策の大事よりも、賠償に到れば、己の奉公する自治体が吹っ飛んで、己は職を失う事や、己の責任から逃れる保身の念を第一にする事が、ほとんどです。また、関係ない部署でも、不正を把握しながら見て見ぬ振りをして、苦しんでいる納税者を助け無い公僕もいます。
一概に責める気は無いです。これを言う己も、家族と生活を天秤にかけてしまいます。貧乏暇無しなら尚更です。しかし、服務の宣誓をして税金を食い扶持にしている以上、それを直接言う事は元より、やってはならない事と思います。里が知れてしまいます。今では全国が、そうなってしまっておりますが。納税者の苦しみよりも、公僕の生活が優先される道理は無しです。
大川小の津波避難誘導過失のように、控訴審まで賠償金を上乗せさせられながら、最高裁に上告する暴挙など、とても不可能です。公務員の人には反感を持たれるかも知れません、しかし、理解して頂きたいと思います。
もっと遅くに投稿しようと用意していましたが、更新されてしまう時間帯になってしまう確率が高くなりました。早目に投稿しておきます。
泉先生の記事は電車では読めないな笑笑
笑っちまう笑笑