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フレデイ タンさん のコメント

朝鮮半島を足掛かりにして中国全土を植民地にすることを夢見た吉田松陰の愛弟子の一人である伊藤俊輔(後の博文)は若い時血気盛んなテロリストです。ウイキペデイアに載っている志士時代の彼の写真は怖ーい顔です。アーネスト・サトーは確か江戸幕府指定の大英帝国江戸宿所となっていた確か品川区のお寺を焼き討ちされた時に横浜から出張して投宿している時に伊藤俊輔が主導者でその寺を焼き討ちしています。殺人、放火、何でもする乱暴者です。

そういう大罪の男も革命が成ると無罪は当然でさらに飛躍して正義の人となるのです。その彼が満州のハルピン駅頭で安重根のテロに遭い銃殺されたのです。伊藤博文は恩師吉田松陰の教えをまっしぐらに実践し大いなる結果をもたらしたので教え子の中では最優等生です。安重根は今も北、南の朝鮮半島で英雄となっています。

長州を誇りにしている安倍首相にとっても伊藤博文は英雄でしょう。朝鮮人や中国人の信頼をゲットするのは難しかろう。米国の戦争屋にとっては日本の現体制は格好の手駒に違いない。伊藤俊輔にまつわる故事はアベノミックスに浮かれる今の日本人にとって真剣に学ばねばならない歴史だと私は思います。さもなければ、羅針盤を喪失した東条時代と同じ轍を踏むのは必定です。東条時代は西太平洋に火が上がったが、今回は伊藤博文とその末裔がトライして失敗した大陸と列島間ですから、つまり、ルサンチマンが癒えてない国を相手にするのですから、方角が悪すぎるのです。
No.1
72ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
江戸時代「番町で目明き盲に道を聞き」とい川柳がありました。ここで「盲」と言われたのは塙保己一です。この塙保己一は『群書類従』刊行を行う大事業を成し遂げています。「道を聞き」は道路案内だけでなく、学問の道をも意味しています。 かつて「千代田区三番町 24 には、「塙保己一和学講談所跡」の標識がありました。 しかし、もし、この標識が「この地にて、明治初代首相伊藤博文が幕末、塙保己一の息子 塙忠宝を暗殺」となると、訪れる人もあるのでないでしょうか。 「坂下門外の変」に関連して、伊藤博文は一段と過激な行動をとりました。 すでに「坂下門外の変」に関与した人々が、「斬奸趣意書」を書いたことを死崩壊しました。この中に、「天子之御讓位を奉釀候心底ニテ既ニ和學者共へ申付廢帝之古例ヲ調候」という記述があります。つまり、幕府は、孝明天皇を廃位させるために、学者に故事調べさせたと指摘されてます
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。