菊地成孔さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
「自転車泥棒」
なんか気がつくと、幼少期の思い出話が、店(自分の家)の話ばかりになってしまう訳ですが、まあ、毎日が強烈すぎたから仕方がない。前に「サカナとヤクザ」の話をラジオでした時、「あれでも減らしてるんだ(「盛って」ない)。サカナとヤクザは高寅さんの名前を出しちゃってる。少なくとも僕は、高寅さんの名前は出してない」という話をしましたが、高寅さんの件だけじゃなく、話は盛ってません。僕は躁病質だから話を盛ってると思われがちですが、流石に年がら年中全部盛ってる訳じゃないです(笑)。
言わせてもらえば、僕を胡散臭いとか言ってる鬱病質の人の方が、ご自分の嫌なことや辛いこと、怒りについて、知らずに「盛ってる」と思いますけどね(笑)、 SNS に「盛らされてる」とも言えますが、マジで聞くんで胸に手を当てて答えて欲しいけど、アンタそんなに義憤に思い、そんなに嫌悪感があるか?本当に?自覚がない方が怖くない?(笑)スマホ捨てちゃえば、どれも大した話じゃないんじゃないの?(笑)
とまあ、それはともかく、「店での出来事以外の、子供時代の思い出ってなんかないかな?」と思っていたら、なんだか急に思い出したんで書いてみます。
返信が遅くなりましたが、僕は「過去ログ」と言う言葉が地上に出てきたときに、ここまで重大な事になるとは思いませんでしたが、「過去ログなんて言ってると教養の歴史に断層が入る。中世の焚書とは訳が違う。過去ログなんて言うなら、誰かがものすごい重責を負って、インターネットができてから今日までの、すべてのログを集めるのが理想的だ」とは発言したものの、それこそ過去ログがなく(笑)。今は読めませんが、「過去ログ」という限界性と半無限性は、現代人の教養に対して、決定的なものを握ってしまっている。つまり、ほとんどの人々は「過去ログ」という巨大なアーカイヴに閉じ込められてしまったわけで、「じゃあお前、古代の文献に日常的に当たってるかよ?」と言った極論的な反論も含めて、本当に悲しむべき事だと思います。
ただ、筒井先生の作品の悪質なまでの強度と射程距離は、あのカズレーザー氏が、突然「アメトーク」で「この<残像に口紅を>っていう小説が、すげえ面白いんですよ」と言ったりして、書店に「カズレーザー推薦」のポップが出たりするので(笑)。せめて作品自体はホメロスぐらいからでいいので全てアーカイヴした方が良いと思いますね。
暗闇で後ろを向くのは生存本能(のかけら)というご指摘はその通りだと思います。ですから、目をつぶったまま振り向くことを禁じられる行為の代表であるシャンプー中に恐怖感を結びつけた話が多いのだと思います。僕は薄毛対策で(笑)湯シャンといって、シャンプーを使用しないので、目を開けたまま頭から湯をかけるだけですが、シャンプー時代も、目を開けてシャンプーしていました。おそらく防衛本能(のかけら)が強かったと思います。
Post