フレデイ タンさん のコメント
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戦前、戦中、主なる文学者はほとんどが戦争に協力したと言って良いと思います。
1940年「情報局」が設立されました。文学者の一元的組織である日本文学報国会は1942年5月26日に勧請しました。これは単なる互助機関ではありません。その目的に、「国家の要請するところに従って国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し以て国策の施行実践に協力する」とあります。
この組織の会長は徳富蘇峰です。小説(部会長・徳田秋声、理事・菊池寛、劇文学(部会長・武者小路実篤、幹事長・久保田万太郎、理事・山本有三)、評論随筆(理事・河上徹太郎)、詩(部会長・高村光太郎、幹事長・西條八十、理事・佐藤春夫)短歌(部会長・佐佐木信綱、幹事長・土屋文明、理事・水原秋桜子)俳句(部会長・高浜虚子)、外国文学(、幹事長・中野好夫、理事・辰野隆)の部会から構成されています。
こうした人々がどのように協力したか、尾崎秀樹著『近代文学の傷痕』は「
私はそれまでそのような視点を持たなかったので、なしさんのその話は新鮮でした。
殆どの日本人は、奴隷と言えば、西アフリカからポルトガル人によって強制的に奴隷になってアメリカで売り飛ばされた黒人に限定された概念で受け止めとめているように見えます。でも、定義に依れば、黒人は一例にすぎず、慰安婦もそうだし、当時の日本の兵士も奴隷だったと分かるのです。
今日のテーマである「戦中、主な文学者は戦争に協力した」というテーゼは、上記の視点の導入してもおかしくないと思うのです。孫崎先生ご提供の主だった文学者には一部戦争遂行者つまり確信的な者、例えば、菊池寛や吉川英治たちは奴隷ではなかった。戦争屋の精神と同じものを持って居たのではないでしょうか。
その辺の事情を山本周五郎が戦後しきりに呟いています。山本周五郎は特攻隊の出陣式に奴隷となり、弁士となって、死に赴くハイテーンの隊員を励ましているのです。彼はそれを悔やんでもいました。もう一人、一緒に励ました同業の弁士が居て、出陣式が終わった後、特攻隊の死を題材に小説を書いて儲かることはお互いにやめようと二人は約束し合ったらしい。戦後、その同業の弁士が約束を破った時、山本周五郎はその弁士をコブシでノックアウトしたことは有名な話です。
続く
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