changeさん のコメント
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A-1 事実関係 琉球新報:「<金口木舌>国破れ言葉あり」(2月24日)
動乱で国がなくなっても自然は変わらない。中国盛唐の時代、杜甫は「国破れて山河あり」と詠んだ。引用した松尾芭蕉は「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」と続けて詠み、人間の無秩序、自然の秩序を対比させた▼芭蕉に触れた日本文学研究者ド ナルド・キーン氏の見解は踏み込む。「時で山は崩れ、川も流れが変わる。しかし、人の言葉は残る。古代エジプトやギリシャの言葉も残っている。山よりも川よりも強いと思えると芭蕉から感じた」
▼キーン氏は米軍語学士官として沖縄戦などに従軍した。「家族に届けてほしい」と一部英語で書かれた日本兵の日記を戦場で読み、戦争の愚かさを痛感した。東日本大震災後に日本国籍を取得した晩年、日本の平和主義が脅かされていると危惧した
▼キーン氏が 96 歳で亡くなった1年前のきょう、新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投
このブログでは、「言葉」(芭蕉の俳句)は、山より川より強く見えると言っています。
山川は常に変化しており恒常的ではなく、常に新鮮なものを心に与え続けます。その瞬時をそのまま「ことば」で表現したものが俳句です。素晴らしい作品であることは否定できないが、山川の普遍的絶対的な流れ(時・場所)を超えることができるかといえば、「NO」でしょう。
ドナルド・キーン氏は、自然法爾そのままの姿より「言葉」が超えるといっているから、その差別感を「NO]といっているのであり、芭蕉が瞬時の自然の在り方を直感でとらえたところをそのまま表現したといえば、納得できるのです。これは、日本人の無分別的霊性と西欧の形而性評価という文化の差であり、違いであり、私はどちらが優れているなどとは一切言っていません。
ただ思想的に物質的分配に軸足を置く唯物思想を重視すれば、俗物的になり、ドナルド・キーン氏のように自然より言葉を重視するのはよく理解できます。
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