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虎山さん のコメント

 本文ではなく、追記へのコメントをお許しください。先日の『菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール』のライブをネットを通じて僕も観覧いたしました。最初は「現地の席を取ろう、でも取れないだろうな(残ったとしてもボックス席などであろう)あぁやはり取れなかった……」という自体を招いておりましてそこで思考は止まっていたのですが、ライブ開始10分ほどまえに「あ、俺がネットで見ればいいじゃん」ということに気が付きまして、急いでチケットを取り観覧しました。あとから思えば、菊地さんの公演をネットを通じて見る、ということに僕自身が抵抗を持っていたようです。菊地さんのライブは生で見てこそであろう、という思いが観客の僕側にこそあったんです。それを破ってしてどうなったか、といえばとても良い音楽体験をさせて頂きました。

 まず無観客ではなく、会場にお客さんの皆様を入れてその上で配信することの重要性を大きく感じました。思えばいま民放テレビで生き残っているレギュラー音楽(演奏)番組と言えば『ミュージックステーション』かNHKのコンサート番組にのみになり、どちらも平時ならばお客さんを入れてその上でテレビで生放送をする形式をとっており、さらに歌謡祭や紅白を含む特番音楽番組ではさらにこの傾向が顕著ですから、無観客と有観客どちらが勝つかはすでに歴史が証明しているわけですが、それでも今回ペペのライブを観覧して、お客さんを会場にいれ、その上で自宅で見ている人々も意識してのステージングや公演は良いなぁと改めて実感しました。

 ペぺは音楽の素晴らしさはもちろんルックも決まっていますからそれについても書きたいがことがたくさんありますが(菊地さんのスーツ姿はもちろん、その菊地さん越しの鳥越さんのルックス、林さんの演奏を上から映した際のピアニストの指、ハープの向こう側の堀米さんという存在のチラリズム、一見すると体つきが似ているパーカッショニストのお二人(絶対にお二人ともパンチが強い、特にフック)の細部の違い、やせ型のバンドネオン奏者の演奏姿があんなにも性的であることを知り、ヴァイオリンの絶技の視覚化に驚く……と書いてしまいましたが(笑))その音楽のすばらしさ、菊地さん主催のライブには参ったことがありますがペペの公演を見るのは今回が初めてでして、その音楽があんなにも瑞々しい生命力に溢れていることに脱帽いたしました。ペペの楽曲はCDで情念や悲哀を持って拝聴しておりましたが、それが現在のライブでは、ドノソのグロテスクやプイグの悲しみとは違う、生々しい生命力を持っていることに感動しましたし(題名に殺戮の意味も持つ曲ですらそれが満ち溢れていることにも感動しました)、心身がリフレッシュしました。ただそれはバッハのラルゴとも、ラップのアジテーションとも違う瑞々しさと生命力であって、みたこともない南米の地に生きる絡み合った樹々の大木を連想いたしました。

 そしてこのようなことを僕が書くのは僭越もド僭越で、生意気な言葉であることは承知しておるのですが、菊地さんサキソフォンの演奏がさらにお上手になられていましたね。特にアーティキュレーションも素晴らしかったです、なかでも低音の時に鋭く時にサブトーンを利かせてウッディーな音色を持ちながら切ったところには、うおーーとグッっと来ました(それに特に気が付いたのが上記の楽曲です)。当日は僕はアルコールを飲まない日だったので水をやっていましたが、翌日はボルドーを飲みながら再見したのですが、そうしたらもう一曲目からまず菊地さんのサキソフォンが先陣を切られていてそれも素晴らしい演奏で感動しました(一回目の鑑賞で気が付け言う話なんですが……)。楽曲のすばらしさや、団員のかたの演奏ももちろん素晴らしいのですが、サキソフォンの演奏とても素晴らしかったです。
No.5
50ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
   「レクイエムの名手」を出版したので、追悼の文章はもう書かないつもりでいまして、日々というものは、人が死んでゆく流れでもありますから、そうですねえリーコニッツなんかは、個人的に凄く堪えたので、追悼文ではなく、「レベッカ」を此処とブルーノート東京で演奏しましたけれども、それでもどんどん、最近は、不勉強にして全然存じ上げないお若い方などが亡くなったりして、ウチも両親(育ての親。は元気に生きていますが)も亡くなってかなり経ちますし、あとは愚兄がくたばって、テメエが死ぬだけですから、悲しませる人々の数が最小になるように生きてゆこうと思うばかりです。    僕が初めて、観光ではなく演奏でパリに行ったのは、ティポグラフィカというバンドが解散すると決めた、その解散ツアーでした。海外ツアーというものは、リーダーとメンバーでは忙しさが違います。僕が世界中で旨いもん喰って、陶酔しながら勉強してる間に、山下洋輔や大友良英はプロモーターと打ち合わせだ、現地のメディアで取材だと大忙しで、僕の役割は、さながらツアーコンダクターというか、どこで喰っていいかわからないメンバー達を従えて、此処が旨い、彼処が旨いと、それはもう楽しく、毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれてやんなっちゃいながら食い歩いていただけで、ガンダムでニューヨークに行ったときは、何日滞在したかもう忘れましたが、ウルフギャングのニューヨーク本店ででっかいビフテキ1枚喰うのが精一杯で、毎日ぶっ倒れるほど取材やパネルがあって、シャワー浴びたらもう起きて。と行った感じでして、50過ぎてから山下や大友の大変さを知ったものですが、30代のパリなんかもう大暴れで、一人だけでアランデュカスの本店に行ったり(そのためだけに、演奏で使わないスーツとタイを持って行ったりしました。一番おしゃれなのは、現地で買う事だったでしょうが)、新旧のカフェ巡りで、腹がカフェオウレでチャポチャポになったほどでしたが、ティポグラフィカの解散ツアー(これは、フランスで3箇所演奏し、帰国して東京で一回だけ演奏する。というアクロバチックなものでしたが)で巡業した時、パリで同じフェスに出ていた渋谷毅オーケストラが<デュック・デ・ロンバール>というパリで最も有名な老舗ジャズクラブで演奏するので、聴きにゆこう、ということになりました。  
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