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海老川えび男さん のコメント

>>8
いっそ老害に対抗して「若害(じゃくがい)」という言葉を作ってみてはどうだろう?
ガキやキッズやお子様などの言葉よりは、それなりに刺さると思うのだけれど。
No.10
47ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「老害」というのは「時代の変化に対応できない人」のことだ。今とマッチしない昔の価値観を持ち続け、なおかつそれが「昔の価値観で、現代では通用しなくなった」ということに気づかないから老害になる。 今年、ぼくの周りで炎上した人たちも古い価値観を引きずっているところがある。だから、その意味では一種の老害といえよう。 そして、そういう老害になるかならないかの境目は、おそらく40歳くらいの「生き方の構え」にある。40歳くらいの生き方で、その人が今後老害になるかどうかは決まる。たとえまだ老害案件を起こしていなくても、将来老害になる芽というものを、この時期からすでに育て始めるのだ。 では、「老害になる芽」とは何か? そうならないための、40歳のときの「生き方の構え」とはどのようなものか? それは、実は意外なことなのだが、「謙虚さを捨てる」ということだ。そうして、周囲と喧嘩することだ。我をむしろ前面に出し、衝突する。それを実行すれば、老害にはならない。 逆に、自分の本心を押し殺して、表面的に謙虚に生きる人の方が、老害の芽を育てる。そうして、謙虚に生きている間ずっと、その根っこを大きく広げさせてしまう。 すると、50歳や60歳になって老害を発症させたときには、もう手遅れになっている。古い価値観を捨てられなくなって、惨めな老後を味わう羽目になるのだ。 実は、ぼくは30代後半で「表面的な謙虚さ」を身につけてしまった。自分を価値のない人間と規定し、我を全く出さなくなって、代わりに周囲の我を受け止めるようになった。 すると、驚くことにそれまでの人生でさんざん苦労してきた「友だちを作る」ということが、いともたやすくできるようになった。大袈裟ではなく、友だちが一挙に100人増えたのだ。 そして、この経験がぼくに大きな変化をもたらした。それまでは、「友だちがほしくて仕方ない」と思っていたのにもかかわらず、一気に興味を失った。そうして以降、友だちというものに全く魅力を感じなくなった。 なぜかといえば、「友だちならいつでも簡単に手に入る」と分かったからだ。それで、興味が失せてしまったのである。 これは全くコペルニクス的転回だった。ある種の寓話のように、宝物のように崇めていた存在も、実際手に入れると単なるガラクタにしか過ぎないと分かったのだ。そうしてぼくは、大きく変わった。 それ以降、本当の自信がついた。友だちがいない自分を卑下することがなくなって、もっと自分の我を張りながら生きるようになったのだ。 30代の前半まで、ぼくは自分の我を張り、周囲とぶつかりながら生きてきた。それが行き詰まったから、態度を変えて30代後半は表面的に謙虚になったのだが、しかしそれで瞬く間に友だちが100人できてしまったため、表面的に謙虚にすることがバカらしくなり、再びこれまでのように我を張り始めたのである。 そうして秋元康さんの会社を辞め、独立したところすぐに本を出すチャンスに恵まれた。するとそれがヒットし、お金がたくさん入るようになった。その後は結婚もして、子供が生まれた。そうして今に至る。 そんなぼくの40代は、30代後半とは真逆にほとんど喧嘩ばかりの毎日だった。そのため周囲とは衝突が絶えなかったが、おそらくそれが良かった。自分で言うのもなんだが、老害とは無縁でいられたのだ。そればかりでなく、その芽も未だに宿らせていない。 なぜそうなったかというと、周囲との軋轢によって価値観が絶えず最新のものに刷新されたからだ。周囲と喧嘩をくり返すことにより、その都度誤りを修正できたのである。そうして致命傷からは逃れられた。 そう考えると、今年炎上した人たちは、表面的には謙虚な人たちばかりだ。ぼくのように、人の悪口を言ったり、面と向かって罵ったりしない。ちょっとでも気に食わないことがあると口角泡を飛ばして喧嘩などしない。絶交をくり返したりしないのである。 思えば、ぼくの40代は喧嘩に明け暮れた。そのため、無数の人々が驚き呆れ、ぼくの元を去っていった。 そのことに、もちろん寂しい思いを味わったが、しかし一度として反省し、それをあらためようとはしなかった。30代後半の時のように、表面的な謙虚さを取り戻し、友だちを100人作ろうとは思わなかった。 それが良かった。それが奏功し、今でも老害とは無縁でいられる。 つまり、老害を防ぐには、一般的な考えとは逆に、謙虚さを捨てることがだいじなのだ。むしろ、我を張って喧嘩しまくることが必要なのである。 そうすれば、老害は防げる。実際、老害にならない人は40代以降も、周囲と喧嘩ばっかりしている人たちばかりだ。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。