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希蝶さん のコメント

 世の中、緊急事態宣言だなんだでごたごたしていますが、私は「鬼滅の刃」劇場版をみてきました。やっと見に行くことができました。

 感想は…これを見て、自分のいのちが惜しい、生命至上主義におちいるやつらの方こそおかしい、狂っているという感じです。自分もよく分からないで、「鬼滅」のことを「生命至上主義」の話かと思い込んでいました。反省します。

 ただ、以前、Q&Aにも記しましたように、この物語が「後悔」の物語なのだ、というのはあたっていたのではないか、と今回の映画版を見て、改めて思いました。現実がままならぬようならば、夢の中で自分に都合の良い状態に浸っていた方が幸せだ、その気持ちは分かるような気がします。しかし、あいにくのところ、自分は夢でもそんなに幸せなものは見たことがないので、現実を変革しようとしないと、幸福への道は閉ざされたままだと言いたいです。

 一端、事件が片付いたと思ったら、という展開で、あまりいい表現ではないですが、あれも全力を出し切って迎えた結果なのだろうと思います。しかし、この話の中でも鬼は卑怯者でした。まるで玉川徹や岡田とか相澤とか、倉持とか西浦とか二木とかいった人達のように。自分たちの発言に誤りがあっても謝罪しないし、訂正もしない。責任もとらない。ただ、経済的に困っている人が存在する事実だけは無責任にもとりあげる。
 緊急事態宣言だけでも大事なのに、これ以上自粛を徹底したところで、ウイルスは完全な生命体ではないのだから、死滅させるのは不可能でしょう。太陽のあたる場所では生きられない鬼と違って、ウイルスはいかなる空間にも存在できるのだから。必ずしも毒性があると限らないのならば、あるがままに暮らし、免疫を作る方がはるかに理にかなっていますし、自然だと理解しています。
 新コロ君、新型コロナウイルスは怖くない、を一刻もはやくほかの人にも伝えたいです。

>>387>>389>>390>>407>>438>>441 などについて感じたこと
 経済のことはよく分からないのだけれども、通貨や紙幣には信用のおける兌換可能な価値(金本位制だったら、交換できる金、銀本位制だったら銀)が必要で、「国家」の信用のおけない通貨や紙幣はただの金属のかたまりか紙切れでしかなく、そのようなものがたくさん出回っても、インフレ状態にしかならず、しかも不景気なので、「スタグフレーション」状態にしかならない、ということなのだろうと自分は理解していますが、どうなのでしょうか?某インターネットの百科事典の「現代貨幣理論」、「新古典派経済学」というところも読んでみましたが、自分は素人過ぎて分かったような、分からないような感じです。
 マイナーな話になりますが、ゲーテの『ファウスト』の中に、ファウストが埋め立て地を作ろうとして、皇帝に紙幣を大量に刷らせるという場面があり、その場合は、具体的な事業内容があるので、そういった情況は発生しなかったのかな、というふうに読みました。

>>376
 有り難うございます。あれではあまりにも木蘭さんが不憫ですし、「科学的」とか「論理的」とだけ口にすれば納得させられるということになり、およそ非科学的です。
No.442
48ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!