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nobyさん のコメント

今回のお話、深い共感を持ちました。街へ出掛けることが少なくなってから、自分がすむ生活圏でのちょっとした人との会話が自分が生きているな、という実感に直結していることを感じています。これはちょうどコロナが始まる前に生まれた息子がおり、近所を出歩く際にはよく彼が一緒いることにも因ります。コンビニに行くだけでも店員との会話が生まれることが多く、独身時代(高円寺にいました)よりもこの町に生きているんだな、と思うことが多くなりました。上のコメントにもありますが、なんか泣けるなという感じがわかります。
No.12
38ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 今、スタジオでセイゲン・オノ氏の「 COMME DE GARCONS ( SACD 2枚組)」を聞いている。来週の対談イベントは、僕からではなく、なぜかオノ氏からオファー賜ったものだが、この CD に収められている、オノ氏と川久保玲による、モードと音楽のペアリングは、少なくとも我が国のモード界においては、これを超える事は起こっていないと僕は思う。僕も死ぬまでにいつか残しておきたい仕事の一つだ(もう、モード批評はやっていないので、いつでもショー音楽のオファーは受け入れ態勢でいるが、今の所どのラベルからもオファーがない)。    録音は87年と88年の2年間に行われており、一時期は(キップハンラハン等と同じく)悪友、ぐらいの関係でいたジョン(ゾーン)のサックス、 DC/PRG のインパルス盤に参加してくれ、いつでもペペトルメントアスカラールに入りたいと言ってくれたアート(リンゼイ)のギター、以下、ビルフリーゼルや、ラウンジリザーズやマテリアルのメンバー達、つまり、「あの時代のニューヨークシーン」の英雄達の演奏である。ジョンからは、奏法よりも (僕とジョンのノイズの出し方と、ノイズ以外の楽音とのスイッチングは、僕のそれとは全然違う。シンプルに言ってションは、サキソフォンとジャズを素材だと思っているが、僕はサキソフォンとジャズを愛している)病的な加速と混血性(特にアフリカでも中米でもなく、端的にブラジリアン)への体質的な執着がありーそれは当時のニューヨークでなければ生じ得ない一種のローカリティと時代性を嫌という程纏っている)。  
ビュロ菊だより
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