菊地成孔さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
今、スタジオでセイゲン・オノ氏の「 COMME DE GARCONS ( SACD 2枚組)」を聞いている。来週の対談イベントは、僕からではなく、なぜかオノ氏からオファー賜ったものだが、この CD に収められている、オノ氏と川久保玲による、モードと音楽のペアリングは、少なくとも我が国のモード界においては、これを超える事は起こっていないと僕は思う。僕も死ぬまでにいつか残しておきたい仕事の一つだ(もう、モード批評はやっていないので、いつでもショー音楽のオファーは受け入れ態勢でいるが、今の所どのラベルからもオファーがない)。
録音は87年と88年の2年間に行われており、一時期は(キップハンラハン等と同じく)悪友、ぐらいの関係でいたジョン(ゾーン)のサックス、 DC/PRG のインパルス盤に参加してくれ、いつでもペペトルメントアスカラールに入りたいと言ってくれたアート(リンゼイ)のギター、以下、ビルフリーゼルや、ラウンジリザーズやマテリアルのメンバー達、つまり、「あの時代のニューヨークシーン」の英雄達の演奏である。ジョンからは、奏法よりも
(僕とジョンのノイズの出し方と、ノイズ以外の楽音とのスイッチングは、僕のそれとは全然違う。シンプルに言ってションは、サキソフォンとジャズを素材だと思っているが、僕はサキソフォンとジャズを愛している)病的な加速と混血性(特にアフリカでも中米でもなく、端的にブラジリアン)への体質的な執着がありーそれは当時のニューヨークでなければ生じ得ない一種のローカリティと時代性を嫌という程纏っている)。
創価学会が怖いわけじゃ無いですけど笑、怖いですね笑。
罪悪感、特に原罪意識は、僕は(フロイディアンとして)まだクリスチャニズムが強かった19世紀末(フロイドの時代)よりも、今の方が、形を持たない分、蔓延っていると思いますし、原罪意識は何か悪しきやりすぎみたいなものを制御してくれるという効能をはるかに超え、抑圧体になっていると思います。
救いと治るのでは、起こっているメカニズムは似てるかもしれませんが、「人生が辛いので救われたい」というのと「神経症になっちゃったから治したい」ということの差ぐらいには違うと思いますよ。フロイドは巷間言われる通り、宗教とは真っ向からぶつかっているので、宗教をお持ちの方が読んでも効かないと思いますが(免疫みたいなもので)、まあこのネタも今やキャンプで、アメリカの大ヒットテレビドラマ(HBO)「ビッグバンセオリー」では、主人公カップルの、片方の母親が精神分析学者、片方の母親がバイブルファンだメンタリスト、というのが、基本ギャグでありな柄、重要な設定で出てきます(ずっと相手を憐れみ続けているのですが、最後には仲良くなります笑)。
Post