菊地成孔さん のコメント
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今、スタジオでセイゲン・オノ氏の「 COMME DE GARCONS ( SACD 2枚組)」を聞いている。来週の対談イベントは、僕からではなく、なぜかオノ氏からオファー賜ったものだが、この CD に収められている、オノ氏と川久保玲による、モードと音楽のペアリングは、少なくとも我が国のモード界においては、これを超える事は起こっていないと僕は思う。僕も死ぬまでにいつか残しておきたい仕事の一つだ(もう、モード批評はやっていないので、いつでもショー音楽のオファーは受け入れ態勢でいるが、今の所どのラベルからもオファーがない)。
録音は87年と88年の2年間に行われており、一時期は(キップハンラハン等と同じく)悪友、ぐらいの関係でいたジョン(ゾーン)のサックス、 DC/PRG のインパルス盤に参加してくれ、いつでもペペトルメントアスカラールに入りたいと言ってくれたアート(リンゼイ)のギター、以下、ビルフリーゼルや、ラウンジリザーズやマテリアルのメンバー達、つまり、「あの時代のニューヨークシーン」の英雄達の演奏である。ジョンからは、奏法よりも
(僕とジョンのノイズの出し方と、ノイズ以外の楽音とのスイッチングは、僕のそれとは全然違う。シンプルに言ってションは、サキソフォンとジャズを素材だと思っているが、僕はサキソフォンとジャズを愛している)病的な加速と混血性(特にアフリカでも中米でもなく、端的にブラジリアン)への体質的な執着がありーそれは当時のニューヨークでなければ生じ得ない一種のローカリティと時代性を嫌という程纏っている)。
僕はゴータマさんやキリスト君のように覚醒してないせいか、「自分が気持ちいいからやる」という境地に至っていません。何故ならば、そのつもりでやっても、必ずブーメランがあるからです。それは悪徳も一緒で、他人様に悪いことをすると、ブーメランが帰ってきます。
要するに、循環やグルーヴの概念が、ゴータマさんやキリスト君には、まだわかってないのだな。と思います笑。人体は、放っておいても、一人で循環系にいます(閉鎖系も持ちますが)、なので人と関わると、必ず循環します。
ただ、善行は、した瞬間の幸福感が最大で、ブーメランしてきても、それは超えません(僕の経験則)、悪行は、した瞬間の苦しみが最高で、ブーメランが帰ってくると、また最悪です笑。
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