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santafede33さん のコメント

先日、屋内ですが4海からダイブしている人を見ました。20メートル近くありました。その方はルチャドールなので、下にいた方との阿吽の呼吸で着地されました。

人が落下するというのを間近で見ましたので、今でも目に焼き付いております。やはり、なかなかの高さでしたので。

なんでしょう、二人いれば飛べるものなのだと感じました。そういうことを感じます。

故人のご冥福をお祈りします。

ピットインの演奏を見ましたが、素晴らしい「色悪」でした。シンプルな曲なだけに、演奏の魔法がかかりますね。改めてですが、腕利きのメンツが集まっておりますね。
全く関係ありませんがピットイン懐かしく見ました。見たことのあるバンドもまだ出演されていますが、菊地さんのバンドが全く新しくなっていることに逆に気づかされます。私の最後に見たピットインの菊地さんは、ダブル菊地の時代でしたので。
ピットインは時が止まっているかのようなのに。
No.3
34ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ    全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。    以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドスパンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。角川春樹さんの娘さんはケイティと言って、当時、ケイティ&ダイナマイツというバンドも解散し、行方が分からなかった(ダイナマイツの「ワイルドルビー」は本当の名曲だと思う。「フロイドと夜桜」は、この曲と hitomi の「サムライドライヴ」とバグルズの「ラジオスターの悲劇」を足して、トニックディミニッシュを2小節目に入れた世界で唯一のロックナンバーである)。「ケイティとバンドをやったら死んじゃうかもな。自分かケイティが」と思っていた。  
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