DThroatさん のコメント
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第423号 2022.1.18発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…新聞なんかとっくに過去のメディアだとずいぶん前から言われていて、実際に部数も下がり続けているわけだが、それでもやっぱり紙媒体の新聞に対する信頼感や影響力は、今なお相当なものなのだ。それならば、新聞報道には重大な責任があるということは特に強調しておく必要がある。新型コロナやワクチンについて、新聞は責任ある報道をしてきただろうか?到底そうは言えない。昨年12月28日の朝日新聞には、大阪大学教授・忽那賢志のインタビュー記事が載ったが、この忽那という医者がどんな人物なのか知ってのことなのか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…新型コロナを季節性インフルエンザと同じ感染症法上の5類に引き下げるべき、と提言する人が日本でも少しずつ出て来てはいるが、やはりマスコミでは絶対に抵抗しようという意思が強い。曰く「新型コロナが季節性インフルエンザ並みに軽症だというわけではない」「全体の感染者数が増え、中等症者・重症者も増える」「医療は無料でなくなるし、治療薬もワクチンも自己負担になる」、極めつけは「それで本当に保健所や行政・入院病床の負担が軽減するのか疑問である」…これら主張の欺瞞を片っ端から暴く!!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!「免疫の軍事訓練」と、マスクや自粛・ソーシャルディスタンスについてどう考えれば良い?この2年間でどんな“非常識マスク”を見た?派遣社員として某自治体の新型コロナワクチンのコールセンター業務に従事している身として、どういう心持ちで働けば良い?オミクロンの感染メインルートは接触感染?ワイドショーでの芸能人のコロナ煽り発言にも罪があるのでは?「孤独」や「社会への復讐」の名のもとに、無差別殺人や拡大自殺を謀るのは男性が多いイメージがあるのは何故?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第450回「忽那賢志という卑屈な医者」
2. しゃべらせてクリ!・第379回「おめでタイガー!虎さんトイレで年明けぶぁい!の巻【後編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第244回「コロナ、5類しか道はありません」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第450回「忽那賢志という卑屈な医者」 3月にも開始されようとしている子供への新型コロナワクチン接種を阻止すべく、戦うゴー宣読者・たけし社長が始めた、新聞に全面意見広告を載せる作戦は着実に成果を上げてきたようだ。
それにしても、新聞の力はわしが思っていたよりもまだまだ大きいということを、今回改めて認識させられた。
「世界のゴー宣ファンサイト」に寄せられた声などを見ても、身内にワクチン接種を思いとどまるよう説得する際に、その根拠を示すのに「ネットに載っている」と言うのと、「新聞に載っている」と広告を見せるのとでは、効果が格段に違うようだ。
新聞なんかとっくに過去のメディアだとずいぶん前から言われていて、実際に部数も下がり続けているわけだが、それでもやっぱり紙媒体の新聞に対する信頼感や影響力は、今なお相当なものなのだ。
それならば、新聞報道には重大な責任があるということは特に強調しておく必要がある。
新型コロナやワクチンについて、新聞は責任ある報道をしてきただろうか? 到底そうは言えない。新コロについてはひたすら恐怖を煽り、三密回避だの人流抑制だのを推奨し、ワクチンを唯一の解決策のように扱い、ワクチンの危険性についてはほとんど無視してきたのが今までの新聞報道ではなかったか。
昨年12月28日の朝日新聞には、大阪大学教授・忽那賢志のインタビュー記事が載った。
全く同じ文面の記事でも、Web版と紙媒体では印象が全く異なる。Web版はどんな記事でも全てフラットに並ぶのに対して、紙面の場合は何面のどの部分に載るか、スペースは何段組みか、見出しの大きさはどれくらいかといった違いで、はっきりと格付けがなされるのだ。
忽那のインタビュー記事が載ったのは「第1社会面トップ」で、これは1面トップに次ぐ特等席だ。 スペースは7段組み、見出しも5段抜きの大きさで、忽那のカラー写真入り。1面の主な記事紹介にもカラー写真入りで載せられている。新聞記事としては超VIP待遇である。
つまり朝日新聞はこの記事によって忽那の意見を最大に尊重し、信頼できるものとして権威づけたことになる。
では、この記事で忽那は何を語ったのか?
記事本文は、こんな記述で始まる。
忽那氏はまず、ワクチン接種について「まだ受けていない方がいれば、ぜひ検討してほしい。オミクロン株に感染しても重症化することを防ぐことができる」と話す。3回目接種(ブースター接種)についても「感染そのものを防ぐ効果を高めることができる」という。
一切の躊躇もない、ワクチン激推し。しかもこの短い発言の中に、嘘がてんこ盛りだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
相変わらず寒いので、先生も、皆様も、ご自愛ください。
どうしても書き残しておきたいことがあって、お邪魔致します。
忽那医師の朝日新聞記事に関しては、ワクチンの効能の議論以前に、
他人だろうが自分のだろうが、子どもに「利他精神」を求めるその思考に寒気がしました。
忽那氏に限らず、ワクチンに関して医師たちはよく、
「子供にメリットデメリット両面を説明し、自己決定権を尊重し…」と言うのですが、
私は、これさえも結局は逃げ口上でしかないと思っています。
私自身の子供の頃も、今の子供たちだって大して変わっていないと思っていますが、
社会に出ていない子供たちに、「利他精神」「自己決定権」なるものを
理解させて決めさせろと言うのは、非常に無理がある話ではないでしょうか。
自分が、現在接種を推進されている歳のころといえば、
頭の中は戦隊ものとコロコロコミックとバスケのことばかりでした。
いくら物覚えが良くても、子供って、そんなものではないでしょうか?
「戦争論」の最後の台詞「自分を幸福にする束縛」のように、
自分「束縛するもの」があることを知っていき、
それにぶつかったり挑んだり、悩んだり、
ある時にはいとおしく思えたり、
そういう色んなことを経験させてあげて、
その上で自分の在りようを少しずつ見出して、
バランスを取りながら、他人のことも考えていけるようになる…
それが、何十万人も子供を死なせてしまった戦争を経て、
同じく死んでいった全ての大人たちが遺してくれた、
子供の本当の権利だと思っています。
先生も描かれた、特攻隊や沖縄戦のひめゆり学徒隊は、
もちろん、私など語ることすら烏滸がましく思えるほど
勇敢な戦士であったことは揺るがないですが、
年端も行かない子供たちに、
過酷な訓練を乗り越えた屈強な兵士たちでさえ葛藤するような、
「究極の利他行為」をさせてしまったことは、
日本の歴史上、最大級の罪という一面もあるはずです。
忽那氏も日本の多くの医師たちも「周りのために=利他のために」と言いますが、
子どもに気持ち悪い絵空事を押し付けているようにしか見えません。
あろう事か「医師」と名乗る人たちが、
かつての無責任な戦時中の大人たちと同じことを言い出すのは、
すごく精神的にキツく、本当に吐き気を催しました。
それと、結局他人の子供なので、忽那氏の子供がどう思ったかは知る由も無いですが、
私が同じ立場なら「ああ、この人たちは根本的には私たちを信じていないんだな」と思ったでしょう。
感染するしないを越えた、根本的な存在の肯定によって育まれる愛を、大人たちが信じ切れないから、
子どもに対して、こんな言動をしている自分を疑う事すらしないのだと思っています。
私は、子どもは大人から信用されないことが、一番傷つくと思っているので、
忽那氏の子供たちが、ワクチンの反応・副反応以前に、
何かにつけ疑うことから始めるような大人にならない事だけを願っています。
そして、普段散々子供を愛し、若者を応援しているような言動をしながら、
この期に及んで一切のだんまりを決め込んでいる大人たちにも、
遅かれ早かれ、下の世代から強烈な復讐をされる日が来るでしょう。
それは物理的なものではなく、自分たちが根本的にどんな存在であったかを、
ひたすら思い知らされるような、そんな形で。
私はそれは、ある意味で、物理的に傷つけられるよりも遥かに、
生きていることを後悔するような、猛烈な苦しみになると覚悟しています。
だからこそ、世の中には決してそんな大人ばかりじゃないということ、
情けない、いつも妥協や悔しい思いばかりだけれども、
子どもと同じように、未来を信じることができる大人も居ること、
頼りないとしても、信じてみることくらいはできそうな大人も居ること、
それを自分自身の為にも、示していくための戦いを、皆さんと連帯し続けると
強く自分に戒めていきます。
追伸
尚、私は子供好きではありません。苦手です。子供の泣き声も、ワガママも嫌いです。
でも、理屈や損得を越えて、働いたり誰かを大事にしながら社会を回すことで、
子供が獣にならない程度の「社会的束縛」を保つこと、
それが、覚悟も無いまま大きくなってしまった、私のような大人の役割だと思っています。
仮に近所に幼稚園が出来て、子供の金切り声がうるさくても、
自分がヘッドホンで音楽を聴けばいいだけだし、究極、自分が引っ越せばいいだけです。
子どもたちはそれができません。だから大人がやる。それだけの事だと思っています。
「私たちは子供を愛していて、子供の事を想って」というのは、
ワクチン激推しの医者たちの常套句でもあるので、白状しておきます。
長文、お目汚し、ご容赦くださいませ。
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