菊地成孔さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
僕のような SNS やらない派でないと、その存在のリアルさが伝わりずらいだろうが、僕には SNS タレコミ屋の友人がいて、そいつは僕が嫌がりそうなことが SNS にあると大喜びで電話してくる。友人であるが故の、程度をわきまえた愛のある嫌がらせであり、彼は例えば、町山さんとの騒動に関しては黙殺していたが、ニヤニヤ笑いながら報告できる件に関しては垂涎というに過言ではない態度で電話を鳴らす。それ以外の働きをしない。
「ナルちゃーん。子供の頃の原稿が晒されちゃってるよーん W 。バズってますよー。バズって W 。くひひひひひひひ」と、大喜びで言ってきたので「なんだよそれー怖いわー。子供の頃ってなんだよ身に覚えないよー。今更バズりたくなんかないよー。バズ・ラーマンじゃあるまいしよお」と言うが早いか電話を切ってしまった。
まあ、デマの類だろうと思っていたら、別の友人にも(これは普通に音楽家の友人)、「菊地さん、子供の頃の投書が残ってたみたいですよ。読みましたが、あれすごいですね。何なんですかアレ」と言われ、それでもまだ僕は「ええええええええええ?なにそれ身に覚えないよ。イタズラでしょう」とタカをくくっていた。
そうしたら翌日、当コメント欄常連の softcore さんから以下のようなメールが届いた。
<菊地さん こんばんは 日記では softcore としてコメント書き込みをしている○○です。
既に同様のタレコミメールが入っていそうですが過去の菊地さんのテキストがツイッターで発掘されました。
数万人のフォロワーを持つ八谷和彦さんが RT しているのでまだ広まりそうです。
< 該当ツイート >
1975 年のタミヤ模型の広報誌に、おそらく菊地さんの投稿であろう
テキストが掲載されています。覚えていますでしょうか? (後略)>
一読し、「うっわー!アレか!!」と、すぐに思い立った(自分も立ち上がった)。ファンの方なら察しがつくと思うが、もちろん現物はとっくに手元にない。この辺りまでは会員以外にも読めるエリアだと思うので、早いうちに結論を書くが、八谷和彦さんには面識も知己もないけれども、大変嬉しく、甘酸っぱく思うと共に、現物をよこせとは言わないが、 Twitter にアップされた写真だけでなく、掲載号全ページの写真が欲しい(懐かしすぎるので)。
追記ですが、僕の2回目の投稿の内容は、「プラモデルの、外部リモコン付き(戦車を、ただ走らせる行為)を愛でる人々」を「下等」と言って憤っています。まあ若気の至りで、というよ理、銚子の僕の級友や先輩も、モデラーはいっぱいいまして、僕と一緒にジオラマ作ってるマセた仲間は「でっかい戦車作ってリモコンで動かしてる奴らは下等だよね。あれじゃ、オモチャで遊んでいるのと変わらない」と、意気軒昂に批判していたんですよ笑。彼らはまあ、文章を書かなかったんで、僕が大評するつもりで書いてましたが、それは兎も角、タミヤはこの問題を「ミニ四駆」の開発によって、大きくアウフヘーベンします。
ミニ四駆は、僕が卒業後のカルチャーなんで、触ったことないですけど、アレは「走らせる」ものだけれども、サーキット内での速さを競うためにカスタマイジングするので、要するに改造車カルチャーです(そのためのエンジンとか、速度に対して車体が浮かないためのスタビライザー等々を「カスタマイズキット」として売っていました)。
つまり、「走り」と「改造」を一つにしたので、その前史である「走らせるためだけの戦車(おもちゃリージョン)」と、「ジオラマ作り(元キットの改造と、ジオラマのハンドメイド制作)」の美点を一つにすべくタミヤは動き、大成功を収めたわけで、これは僕が偉いとか凄いとかいう話ではなく、あの投書(2つ目)の段階で、僕はタミヤのミニ四駆革命の大成功に対し、示唆を与えていたことになります。ここまで読み込んで評価する人がツイッターにいたら、僕はTwitterを尊敬します。
しかし、2度目の投稿が抱えた板問題は、ミニ四駆よりも、「大人もプラモを作る」という、もっと巨大な風潮の到来によって無化します。「プラモみたいな安直な遊びをやって、勉強しろという無理解な大人」が、いなくなったわけです。これは僕も予見はしてませんでした。
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