clearartさん のコメント
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凄い日差しだ。いやあ、なんでも終わってしまえばだが、コロナはやばかった。マジで間一髪だったと思う。実は今、長沼が家族で夏休み中で、もしぶち当たっていたと思うと寒気がする笑。まあフッドに友達(音楽家とかではなく)は確保しているとはいえ。
今、「後遺症」が流行語みたいになっていて、「コロナそのものではなく<後遺症>で鬱病になった」とか「コロナそのものではなく<後遺症>で、仕事を続けられなくなった」という例が、身近にさえ押し寄せていて、ことの解釈はひとまず置くとしても、「ものすげえ現代的」と思わざるを得ない。
誰だって「コロナが戦場体験で、今 PTSD に苦しんでいる」という風に見立てるざるを得ないだろう。 PTSD 概念(これはフロイドの古典的トラウマ概念と抵触するのだが、あのフロイドが、一次大戦のシェルショックを見かねて、自分の理論的根幹を修正した結果だ)によって「戦争」の意味が変わってしまったように、コロナはまだまだポストモダンだと思う。
今僕は、まあ、秋までには元に戻るであろう、「一時的な朝方」を利用して、都内を回遊しながら書いている。今、表参道のあたりで、人々は正午を待っている状態だ。人出が多いのか少ないのか全然わからない。昔日はクロコダイルやアメリカンアパレルに通うために、週二、三に近い状態で使っていた道には、歩行者ゼロだった。渋谷に着いた。カフェに入る。
陰性な気持ちが全くない上で、ちゃんと丁重にお断り申し上げたから、名前を明記するけれども、「週刊女性」と「女子 SPA! 」から、あの、コロナ闘病記を転載させてほしい、というオファーがあり、一瞬びっくりしたのだが、すぐに納得した。<女性誌は皇室スキャンダルと闘病記が好き>という至言を放ったのは、もちろん僕ではなく、ナンシー関である。
最近考えていることに「更地」という言葉が響きました。
それは何が売れるか分からん、ということです。
とにかくやってみないと分からん、です。
不景気だから売れないということも、ありますが、それでも全く売れないわけではありません。値下げしたものが売れ、していないものが売れないとも、違います。新作だから売れて、旧作だから売れない、というわけでも無いです。
私のイメージですが。文脈だとか実績だとかの山の賞味期限は5年ぐらいで、10年ぐらいでほぼ平らになってしまう。近くによって見ればその凸凹は残っているが、再び引いて鳥瞰すると平らに見えます。25年ぐらいだと、レコードみたいに真っ平に見えるけれど、ルーペで除くと凹凸があってちっさいホコリも見えるという感じです。
そんな平らな情報の平原(更地)に、売り手は旗を立てたり、シーツのように摘んで持ち上げたりしています。または、撒き餌をして網を仕掛けるようなイメージです。それに強く関心を持った人が、湯葉を引き上げてもらうように買っていく。または一本釣りするまたはされるという感じです。
ざっくりとマーケティングして市場の中を分類出来ますが、実際に売買が成立したときを観察してみると買い手も売り手もそれぞれ個別事情が浮かび上がります。
そんな中でも、やはり地形があって水脈のような流れがあります。でも、売り手が脈にかなったものを売り出せるかわかりません。また、はまるものを売り出しても、すぐに枯渇するか、それにより流れが変わってロストすることもしばしば。
それとこの情報の世界の外にも広大な世界が広がっているんだなと、そこにはアクセスするという言葉は不相応だな、と思います。
なんてイメージを持っています。
追伸、来月のライブを楽しみにしています。
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