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santafede33さん のコメント

日本の若い方々の作品を、音楽と言わず、映画と言わず、漫画と言わず、アニメと言わず、いろいろ見聞きしていくと、最近、根底に戦争への不安Juan、予感、そして期待が散りばめられているのを感じます。20数年前に、デートコースが出てきたときとは隔世の感があるように思います。そこまで、手詰まりになっているのか、とも思いますし、まあそうか、そういうモードに入ってきたかとも思っています。

いろいろと揃ってきましたね。揃って、迫ってきてますね。

かたや、我々の暮らす大陸は常に戦中でして、この前撮影していたところが翌日には、カルテルが大規模な攻撃を、広範囲(5州にまたがる)において実行しました。同時多発的に、いろいろな場所が襲撃されたわけです。
畑で撮影していたのですが、野良馬が通り過ぎたかと思ったら、一台のバギーが通り過ぎました。乗っているのは、チャボです。ですが、このチャボ、まるで畑にとうもろこしを狩りに来たようには見えないわけですね。そして、遠くの方にバギーを置いて、僕らのことをジッと見ている。私達は、ただ、とうもろこしを収穫するジーさんを撮っていたのに、そんなことが起こるようになってるんです。で、それで思うんですが、これが戦中ということなんだな、と思いました。まあ、間違いなく、伝達はされたでしょうし、もし我々がアジア人ののっぺりとした表情でなかったら、やばかったかもしれません。でも、その村の人は言うわけです。ここほど安全な場所はない、と。村の人達は、馬に乗ってスーパーやモール、はては映画館に行く生活ですから、それでも大丈夫なわけです。ただ、よそ者が入ってきたら、シェリフは北米の土産物で、こちらではビヒランテが見ています。

もしかしたら、とうもろこしを刈っていたあのジーさんなのかもしれないし、もしかしたらあの野良馬なのかもしれない。オレたちよそ者が村に入ってきたことを告げたのは。そして、チャボがやってきて確認するという。チャボは、オレたちを見ていたのか。もしかしたら、もっと別のものを見ていたのか。それはわかりません。一つわかっているのは、どうやら、あの時点では、無害と判断されたようでした。もちろん、我々は、ただそこに暮らす農民を撮りに行っただけなのですが、その農民が農民だけでない可能性は大いにあって、それがここのrealidadなわけです。歴史の体積が地表に収まりきれないというのは、すでに戦中かと思います。
No.7
20ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 凄い日差しだ。いやあ、なんでも終わってしまえばだが、コロナはやばかった。マジで間一髪だったと思う。実は今、長沼が家族で夏休み中で、もしぶち当たっていたと思うと寒気がする笑。まあフッドに友達(音楽家とかではなく)は確保しているとはいえ。    今、「後遺症」が流行語みたいになっていて、「コロナそのものではなく<後遺症>で鬱病になった」とか「コロナそのものではなく<後遺症>で、仕事を続けられなくなった」という例が、身近にさえ押し寄せていて、ことの解釈はひとまず置くとしても、「ものすげえ現代的」と思わざるを得ない。  誰だって「コロナが戦場体験で、今 PTSD に苦しんでいる」という風に見立てるざるを得ないだろう。 PTSD 概念(これはフロイドの古典的トラウマ概念と抵触するのだが、あのフロイドが、一次大戦のシェルショックを見かねて、自分の理論的根幹を修正した結果だ)によって「戦争」の意味が変わってしまったように、コロナはまだまだポストモダンだと思う。     今僕は、まあ、秋までには元に戻るであろう、「一時的な朝方」を利用して、都内を回遊しながら書いている。今、表参道のあたりで、人々は正午を待っている状態だ。人出が多いのか少ないのか全然わからない。昔日はクロコダイルやアメリカンアパレルに通うために、週二、三に近い状態で使っていた道には、歩行者ゼロだった。渋谷に着いた。カフェに入る。    陰性な気持ちが全くない上で、ちゃんと丁重にお断り申し上げたから、名前を明記するけれども、「週刊女性」と「女子 SPA! 」から、あの、コロナ闘病記を転載させてほしい、というオファーがあり、一瞬びっくりしたのだが、すぐに納得した。<女性誌は皇室スキャンダルと闘病記が好き>という至言を放ったのは、もちろん僕ではなく、ナンシー関である。  
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