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ゲストさん のコメント

>>6
「大恐慌、、」で特集、?やられてたんですね、 さっき聴きました。 寒い!俺!  1975米倉 なんですね。。 あっしも1975! ですが あまり意識してませんでした。 というより なんで年配の菊地さんが そんな細かく認識できているのか、の方が不思議でした。   桜井マッハ キーパー川口 ザキヤマくうーるうー て印象が強かったです。「タメ」は。  弟(ハマカーン)が1個下で あっしと同じ高校にいました、 あえて野暮天ですが、ウノは1974の代です。 (ナンシーさんと菊地さんの因果と一緒)   何が言いたいかというと やはりこういうツッコミは意味が無い。 つまり 精査された情報を持って喋るとロマンチックの邪魔をする、 そんな菊地さんのコメント よかったです。  ハンドルの遊び の使い分けは大事ですよね、野暮天かいい男かの 分岐点なきがします(by中島らも)
No.8
20ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 凄い日差しだ。いやあ、なんでも終わってしまえばだが、コロナはやばかった。マジで間一髪だったと思う。実は今、長沼が家族で夏休み中で、もしぶち当たっていたと思うと寒気がする笑。まあフッドに友達(音楽家とかではなく)は確保しているとはいえ。    今、「後遺症」が流行語みたいになっていて、「コロナそのものではなく<後遺症>で鬱病になった」とか「コロナそのものではなく<後遺症>で、仕事を続けられなくなった」という例が、身近にさえ押し寄せていて、ことの解釈はひとまず置くとしても、「ものすげえ現代的」と思わざるを得ない。  誰だって「コロナが戦場体験で、今 PTSD に苦しんでいる」という風に見立てるざるを得ないだろう。 PTSD 概念(これはフロイドの古典的トラウマ概念と抵触するのだが、あのフロイドが、一次大戦のシェルショックを見かねて、自分の理論的根幹を修正した結果だ)によって「戦争」の意味が変わってしまったように、コロナはまだまだポストモダンだと思う。     今僕は、まあ、秋までには元に戻るであろう、「一時的な朝方」を利用して、都内を回遊しながら書いている。今、表参道のあたりで、人々は正午を待っている状態だ。人出が多いのか少ないのか全然わからない。昔日はクロコダイルやアメリカンアパレルに通うために、週二、三に近い状態で使っていた道には、歩行者ゼロだった。渋谷に着いた。カフェに入る。    陰性な気持ちが全くない上で、ちゃんと丁重にお断り申し上げたから、名前を明記するけれども、「週刊女性」と「女子 SPA! 」から、あの、コロナ闘病記を転載させてほしい、というオファーがあり、一瞬びっくりしたのだが、すぐに納得した。<女性誌は皇室スキャンダルと闘病記が好き>という至言を放ったのは、もちろん僕ではなく、ナンシー関である。  
ビュロ菊だより
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