• このエントリーをはてなブックマークに追加

ゲストさん のコメント

 お応えします。文科系です。
『ホントに大事なことは、事実現実を、良識や人生観、哲学に照らして、どう解釈し、どう発言(行動)するかだと考えています』
『何を、どう批判するかには、人間性や哲学が問われます。少なくとも、アメリカ帝国批判は「中傷」ではありません』
『米国は普通の国じゃありませんから』

 これらの命題はすべて賛成しますから、僕が語った「中傷」はこういうことではありません。このことの言い分、理解はややこしい内容ですが、結論を言えば、こういうこと。
「相手の『ある罪』の実証と『総合的認定』は分けて語ろう。後者(いわゆる「決めつけ」というのかな?)を語りすぎるとここで最も重要な前者の意味が薄くなってしまって、両方とも理解してもらえないということがよく起こるものだ」
 これはちょうど、隣人など個人との言い合いでの判断、認定で、一つの(悪)行動認定と悪人という総合認定とを分けないと喧嘩になるだけだから、分けた方が良いのではないかというような論理、やり方と言えましょうか。後者は過去の悪行動認定の積み重なりなのであって、人々の中ではこの両者の間にはかなり距離があるものだし、同じ場所で後者を語りすぎると折角の前者の意味も薄くなってしまうなどなどのつもりです。

 そしてこれについては、もう一つ。討論の聞き役と距離を作らぬという意味において、身方を増やすのに大事な理論だというそんな積もりもあったのですが、わかっていただけますでしょうか? そもそも「最も言いたい抽象を中心に語る」んじゃダメでしょうというようなことです。抽象と具体の間には距離があるもので、普通抽象にはそれだけの時間や認識分量がいるということです。
No.35
14ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。