「異世界」とは結局、何なのか?
芳賀概夢&灯まりも『異世界車中泊物語 アウトランナーPHEV』というマンガを何だか気に入ってしまって、読みつづけている。
一見するとあまり語ることのない、見ようによっては平凡な作品である。
主人公は仕事にも生活にも行き詰まっているダメサラリーマンで、あるとき、ちょっとしたことから異世界におもむき、そこで冒険したり、美少女たちと出逢ったりする。
なんということはない、あたりまえの「異世界系」。
それはそうなのだが、この作品に特異性があるとすれば、それはいったん行った異世界から「現実世界に戻ってくる」ところだろう。
そう、この物語においては主人公が、異世界と現実を行き来しながら少しずつ少しずつ「成長」していくのだ。
ここが、革命的に新しいというほどではないにせよ、何となく気になる。
現実と異世界を往還するだけなら『日帰りクエスト』の時代からあるにはあるのだが、それでも、いままでの「異世界系」は「行ってしまって、帰ってこない」ストーリーが主流だった。
そもそも「異世界転生もの」のばあい、転生するまえに一度死んでしまっているのだから帰りようがない。
「転生もの」よりさらに以前のファンタジーの主流が「行きて帰りし物語」だったのに対して、「転生もの」は故郷に帰るつもりがまったくないのだ。
なぜ、このような物語類型が生まれたのか?
その点について考えるためには、そもそも、「小説家になろう」を中心に爆発的に浸透し、いまなお広く読まれている「異世界系」の、その「異世界」とは何なのか、考えなければならない。