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  • シンジくん問題を考える。あなたはほんとうに本物の大人になれましたか?

    2019-07-16 00:387時間前
    50pt
    エヴァ、ゼロ年代あたりはシンジくんといったらいわゆる「ヘタレ主人公」筆頭のように言われがちだったけど、人権意識の向上した今のオタク界隈では「ネルフがマジでクソ」「シンジくんかわいそう」で満場一致してる雰囲気がある


     と、こういうツイートがあるのですが、ぼくはぼくなりにずっと「シンジくん問題」を考えています。

     どういういい方がいちばん正しく伝わるかわからないのですが――えーとですね、つまり、ここでひどいといわれているネルフにしても、かつてはシンジくんのような子供だったと思うんですよね。

     仮に、ゲンドウのような親を持ったシンジくんがまともな大人になれなくてもしかたないと考えるとしたら、ミサトだってかつてはそうだったのだろうし、ゲンドウもそうだったかもしれない。
  • この狂った世界をどう描くべきか?

    2019-07-13 10:10
    50pt
     夏コミで同人誌『栗本薫カレイドスコープ』を出すべく、色々と準備を重ねています。

     この本はぼくの〈アズキアライアカデミア〉とは離れた個人同人誌の出版計画のいちばん最初のものになる予定なのですが、まあ、いい換えるなら「お試し」でもあります。

     これがちゃんと100冊なり150冊も売れるようであれば「次」も考えられるのですが、どうだろうなあ。まったく売れなかったら恐ろしいですね。十分にありえることですからね。ああ、いつものことながら同人誌は怖い。

     さて、今回はテーマが栗本薫ということで、ペトロニウスさんにも寄稿をお願いしました。叩き台の原稿を読ませていただいたのですが、これが面白い。

     やはり、ぼくとかペトロニウスさんの物語評価の根本は「そこ」にあるんだよなあ、とつくづく思います。

     何をいっているのかわからないでしょうからかるく説明すると、「そこ」とはつまり、「「世界」を描こうとすること」です。ぼくもペトロニウスさんも、「「世界」を描いた」物語が好きなんですね。これでもわからないか。

     ここでいう「世界」とは何か? それはつまり「ありのままの世界」のことです。このことについては、たびたび例に挙げて申し訳ありませんが、山本弘さんの『魔法少女まどか☆マギカ』の解釈が面白いので、引用させていただきます。

     スタッフのみなさん、ありがとう。 
     『魔法少女まどか☆マギカ』は本当に大傑作でした。
     DVD1~5巻、すでに予約済みです。

     震災の影響で完結が危ぶまれていた作品だが、むしろこんな時代だからこそ、この作品にこめられたテーマが胸を打つ。 

     「誰かを救いたい」 
     その願いや努力が報われない世界は間違っている。


     なるほどなあ、『まどマギ』を見てこういう感想になるのか、といっそ感心してしまうのですが、この「間違っている」というところがポイントです。

     何を基準にして「世界」を「間違っている」というのか。それは、つまり、人間の価値、倫理、道徳、法律、感情、欲望、そういった「人間的なるもの(ヒューマニズム)」でしょう。

     本来、世界は人間の価値観とはまったく無関係に「在る」のであって、そこに「正しい」も「間違っている」もないはず。それにもかかわらず、それを「間違っている」といえるのは、人間の価値観を中心に世界を判断しているからに他なりません。

     「誰かを救いたい」という「願いや努力が報われない世界は間違っている」と山本さんはいいます。しかし、現実にはこの世界はそういう場所です。

     どんな真摯な願いや努力も報われる保証はまったくないのであって、むしろ真摯であればあるほどまったく報われないで終わることはめずらしくありません。

     つまり、山本さんはそういうこの世界の現実の形を、かれのヒューマニズムにもとづいて「間違っている」といっているわけですね。

     そして、前々回の記事で見たように、かれは物語においてはそういう「間違っている」世界ではなく、「正しい」世界を描くべきだ、と考えているのだと思われます。

     つまり、「ありのままの世界」ではなく、人間的な意味で「正しい」世界を描くことが物語だ、と考えているわけです。そういう意味で、山本さんが好み、また書こうとしている物語は「ファンタジー」である、といえるかと思います。

     これはこれで、わかる話ではあるんですけれど、栗本薫が描いた物語は、これとはまったく違う。まず、栗本薫の世界においては、ありとあらゆるヒューマニズムはまったく通用しません。

     そこでは、弱者は強者に利用され、搾取され、凌辱され、ときにはむさぼり食われすらするのであって、「正義」も「倫理」もまったく通用しないのです。

     つまり、栗本薫は「ありのままの世界」、山本さんが「間違っている」と告発するその意味での「世界」を描いている。その意味で、彼女の作品は「ファンタジー」ではなく「リアリズム」です。

     ここがわからないと、栗本薫の作品は読み解けない。栗本薫の世界はリアリズムであるが故に、人間的な倫理とか、善悪とか、価値とかがまったく通用しません。まさに山本さんがいう「「誰かを救いたい」 その願いや努力が報われない世界」なのです。

     したがって、作家は自分の正義を作品世界に投影するものだ、そうであるべきだ、という山本さん的な価値観では栗本薫の作品はまったく読み解けないことでしょう。

     面白いですね。大変面白いと思うのですが、いかがでしょうか。

     栗本薫が「世界」を描く作家だ、というのはそういうことです。栗本さんの物語は、何らかの「正義」や「正しさ」を伝えるためにあるわけではありません。

     そうではなく、ぼくたちが生きるこの世界の「ありのまま」の形をそのままに描きとることが目的とされているのです。

     山本さんがいうように、その世界は人間的な価値観から見れば、あまりといえばあまりに「間違っている」。しかし、栗本薫はその「狂った世界」をそのままで良しとします。

     そして、その「世界の法則(=「グランドルール」=「大宇宙の黄金律」)」を曲げることをこそ「間違っている」とみなすのです。

     こう考えてみると、栗本薫と山本弘がまったく正反対の価値観と作風のもち主であることがわかります。

     ここでは山本さんがいうようなヒューマニズムが一応は通用するところを仮に「社会」と呼ぶことにしましょう。そう定義すると、人間は「世界」のあまりの残酷さを恐れ、怯え、憎み、「世界」のなかに「社会」を作って自分たちを守ってきたといえると思います。

     しかし、人間がいくら社会を洗練されていっても、本来の「世界の法則」は変わらない。人間がどんなに「この世界は間違っている!」と叫んだところで、世界は小ゆるぎもしないのです。

     いい換えるなら、世界の在り方はつねに「正しい」。それがどんなに残酷で陰惨で理不尽であるとしても(人間の目から見てそう思えたとしても)、世界はいつもそのままで「正しい」。

     人間がたとえば人権は守られるべきだといっても天災が起これば人は死ぬし、こういうことは犯罪だから良くないといったところでその行為を実際に行う人間が絶えることはありません。

     栗本薫はその現実から目を逸らさない。そして、その、人間的な価値観からすれば「間違っている」、しかし現実にはどうしようもなく「正しい」世界のなかで、人々がどのように生き、そして死んでいくかを淡々と描きつづけるのです。

     それが栗本薫という作家です。山本さんのような価値観から見れば、その作風は邪悪とも醜悪とも映るでしょう。人間的な「正義」や「倫理」からかけ離れた描写が延々と続くわけですからね。

     しかし、ぼくは山本さんの現実をねじ曲げ、この世界の在り方を否定する「ファンタジー」よりも、栗本薫の「リアリズム」のほうが好きです。そちらのほうが前向きだと思うのです。

     まあ、ここで話したことも、山本さんのように「正義」や「倫理」の普遍性を信じる人にはどういったところで通用しない話ではあるのですけれどね。

     山本さんは「懐疑主義者」を自任していますが、ぼくから見ると「普遍的な倫理」の幻想を盲信しているように見えてしまいます。そして、それにもとづいてかれは人を裁く。それは「何者をも裁かない」栗本薫の作風と対極にあります。

     それもまた、わかる人にはわかる。わからない人には決してわからない話ではありますが……。

     なかなか良く書けたと思うので、前々回の記事とこの記事は、加筆修正の上、『栗本薫カレイドスコープ』に収録しようと思います。栗本薫作品未読者でもわかるように書くつもりなので、どうか、ぜひ、お買い求めください。

     貧しい海燕に愛の手を!

     よろしくお願いします。 
  • イベント参加者募集ちうです!

    2019-07-12 18:04
    50pt
     来たる8月17日、〈第一回アズキアライアカデミア〉を開催します。


     第一回と銘打ってはいますが、毎年開いているオフ会イベントです。今年は海燕、LD、ペトロニウスによる「講義」に加えて、二次会も開きます。ひょっとしたら三次会もあるかも。

     一次会が4000円、二次会も4000円と、一見、けっこうなお値段がするように見えるかと思いますが、ほとんどが場所代と食事代です。例によって赤字になることを避けた程度で、利益は最小限に留めています。

     非常に楽しい場になるかと思うので、ぜひぜひご参加くださいませ。現在、40人定員のところ、15人まで埋まっています。残り25人。たぶんこれも埋まるだろうと思うので、参加希望の方はお早めにお申し込みください。

     今年はぼくもちゃんと資料を使ってスライドを作り、それなりに中身のある「講義」をするよ! 「少年の夢はいかにして血の色に染まるのか」という話になるかと思います。来てね!

     まあ、ぼく(たち)のオフ会の歴史も長くて、かれこれ十数年にわたって数十回続けているのだけれど、しだいに洗練されていっていまのスタイルになりました。

     結局、和室でごろごろしながらひたすらしゃべるのがいちばん楽しいという結論ですが、さすがにそれだけではアレなので、主催者によるトークを加えたわけです。その結果、11時間にわたって話し、また聴くというそれは楽しいイベントができあがりました。何て素晴らしい。

     よろしくお願いします。でわわ。