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ハッピーエンドとはどう定義できるか。
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ハッピーエンドとはどう定義できるか。

2012-08-04 11:06
     さて。
     
     そういうわけできのうからハッピーエンド評論家として活動を開始したわけですが、具体的な記事に移る前に、まずひとつの問いに答えを出しておかなければならないでしょう。

     そもそもどういう結末をハッピーエンドと呼ぶのか、ということです。

     この最も根幹的な問題を避けて話を進めるわけにはいきません。

     しかし、そうはいっても、もちろんこの言葉に明確な定義があるわけではない。

     精々が「主人公を初めとする登場人物が幸福な状態に至った結末」といった程度で、非常にあいまいな定義しかありえないわけです。

     したがって、どの作品がハッピーエンドでどの作品がそうでないのか、ひとによって差が出るはずだと思います。

     それはまあ、ある程度はしかたないことでしょう。

     ひとがいつか死ぬ存在である以上、完全無欠のハッピーエンドなどというものは存在しえない。

     物語の結末はすべてそうですが、ハッピーエンドもまた、ひとつの区切りに過ぎないのであって、じっさいにはその先も時は流れてゆくはずなのです。

     「いつまでも幸せに暮らしました」。その言葉は美しくはあってもやはり欺瞞です。

     現実には「いつまでも続く幸せ」などというものはありはしない。

     その意味では「ハッピーエンドは不可能である」ということもできるでしょう。

     ですが、そういってしまったらハッピーエンド評論家として活動することもできなくなってしまうので、べつの視点から見てみることにしましょう。

     大切なのは、「物語はあくまで物語であって、現実ではない」ということです。

     もちろん、現実にはすべてはやがて変化していくのであって、永遠に続くことはありません。

     しかし、大切なのはあくまでその物語の受け手にどのような印象を与えるかです。

     受け手がページをとじる瞬間、幸福な気分に酔うことができるのならそれで良いのです。

     天才バレエダンサーのニジンスキーは、ジャンプの頂点で観客の視界から消えたために、観客はまるでかれが永遠に上昇しつづけたように感じたといいます。

     ハッピーエンドもまたそういう性質のものでしょう。

     物語がある幸福な状況でみごとに区切られるとき、受け手は、じっさいにはありえないこととしりながらその状況が永遠に続き、主人公たちがその後いつまでも幸せに暮らしたという夢を見るのです。

     夢。そう、ハッピーエンドとはある種の夢想であり、幻想なのでしょう。

     それは現実世界には存在しない物語のなかだけの現象です。

     しかし、まさにそうだからこそ儚くも貴重な概念だといえるのではないでしょうか? 

     現実らしさを何より大切に思うリアリストにとっては、ハッピーエンドなどくだらないものかもしれません。

     そんなものは存在しないのだ、とかれらはいうでしょう。いっときの夢、幻、そのようなことに心奪われるなど愚かしい、と。

     それはある意味では正しいかもしれません。

     ですが、それでも物語の王道がハッピーエンドにあることはたしかです。

     なぜなら、物語とはひとの望みを叶えるためにあるものであり、そしてひとは幸せを望むものだからです。

     美しいハッピーエンドを用意することは、どんなにすぐれた物語作家にとってもたやすいことではありません。

     しかし、だからこそハッピーエンドには価値がある。ぼくはそう考えます。

     話を戻しましょう。

     完全無欠なハッピーエンドがありえず、あいまいな定義しかできないとすれば、現実的にはどのような結末をハッピーエンドと呼べばいいのか。

     ひとつには、主人公が幸福な「状況」にたどり着いている結末をそう呼ぶことができると思います。

     たとえば『小公女』の結末がこれにあたるでしょう。

     この有名な物語の結末で、主人公セーラは不幸な状況を克服し、莫大な遺産の相続人という幸福な状況に立ち戻ります。

     ストーリーライン(物語曲線)的にいうなら、いったん下がった曲線が回復したことになるわけです。

     この結末は、まずハッピーエンドといってもだれからも文句が出ないことと思います。

     主人公の置かれている状況があきらかに幸福なものだからです。

     しかし、このような「状況的ハッピーエンド」だけがハッピーエンドではない。

     もうひとつ、たとえ客観的に状況を見れば幸福そうには見えないとしても、主人公本人は幸福である、という結末が考えられるはずです。

     たとえば『あしたのジョー』の主人公矢吹ジョーは結末で宿敵ホセ・メンドーサとの最終決戦に敗れ、おそらく死亡したものと思われますが、この結末をただバッドエンドと呼ぶことはためらわれます。

     なんといっても、ジョーは主観的には「真っ白に燃え尽き」、幸せそうな顔を見せているからです。

     おそらくジョーの主観においては、この結末はハッピーエンドなのです。

     ここには「状況的ハッピーエンド」とはあきらかに異質だが幸福な結末がある。

     これを「主観的ハッピーエンド」と呼びたいと思います。

     「状況」と「主観」、そのいずれかで主人公が何かしらの幸福に至って物語が終わっているとき、その結末をハッピーエンドと呼ぶ。

     いくらかあいまいではありますが、とりあえずはそう定義することができるでしょう。

     このブログでは今後、「状況的ハッピーエンド度数」と「主観的ハッピーエンド度数」というふたつの尺度を用いてハッピーエンドを測っていきたいと思います。

     まずはハッピーエンド作品のレビューをいくつか書きたいですね。

     さて、どこまで続くことか。まあ、それは良いでしょう。何ごとも先行きばかり心配していてもしかたありません。

     そういうわけで、ハッピーエンド評論家生活の、はじまり、はじまり。

     これからもよろしくお願いします。
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