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mantokunさん のコメント

ゴー宣道場お疲れ様でした。私は今回残念ながら当選しなかったので(涙)、(仕事が忙しくて締切時間ギリギリの申込になってしまった)、第一部は出先から視聴し、その後別の集まりに出かけていました。
そうしたらそこでは、まさに今回のテーマそのものな話の展開になり…。ゴー宣道場のような議論ができる空気ではなかったこともあり、己の不甲斐なさを恥じつつ黙っていましたが、昨日のしろうささんのブログ記事にも書かれていたように、マスコミの無責任な秋篠宮ご一家のバッシングの影響を思い知りました。
やはりゴー宣道場以外では、マスコミが垂れ流す「アンチ秋篠宮家」を信じ込み、それを動機にした「愛子天皇」を主張する人が大半なのでしょうか…。

小林先生が初めの挨拶でおっしゃっていた、「ゴー宣道場では、皇位の安定継承には愛子様への継承が必要不可欠という議題はもうやり尽くしていて、論破祭りを通じて論理も全員が理解してしまっているので、このテーマでは逆に人が集まらなくなっている。しかし、そんな人は世間では本当に少数なんだ」というお話を、まさか道場に直接参加していなかったために実感することになるとは。
また、高森先生の「国民統合の象徴である天皇を誰が継がれるかということで国民が分断されるなど、あってはならないこと」というお話もしきりに思い起こされました。

ゴー宣道場以外で愛子様のご即位を主張する人は、マスコミが垂れ流す無責任な報道を鵜呑みにして、「秋篠宮家はわがままで、勝手に税金をたくさん使ってる」と信じ込み、「聡明でお優しくて人格が立派だから愛子様が継ぐべき」と思っているんですね。だから、愛子様が継いでくだされば、この先の日本はもう大丈夫という、ものすごく短絡的で単純な考えに陥っている。

「能力が高くて人格も高潔な愛子様こそ次代の天皇に相応しい」という主張は、一見尊皇心が篤いように見えますが、実のところ男系固執派とはベクトルが逆なだけで、皇室を全く信頼しておらず、「次代の天皇は主権者たる国民である我々が選ぶ」と思い上がっている点で同じです。天皇や皇室の存続を危うくする国民主権病の根はこれほど深いのかと、暗澹たる思いに駆られました。

同時に、『天皇論』冒頭で、小林少年が「皇室は自分たち(国民)が思い通りにできるってことか」とニヤリとした場面が描かれたことや、「国民が「天皇陛下や皇族の方々に対して「やってくださっている」という感謝の気持ちを持たなければ、皇室は続かない」と小林先生が危機感をあらわにされていたことの意味を、今日ようやく本当に理解できました。(現地参加していなかったのに)

高森先生が「直系継承が何より重要」とおっしゃっているのは、何も愛子様が飛び抜けて優秀でいらっしゃるからではないし、これからは女性の時代だから内親王が継がれても構わないという浅薄な理由ではないのですが、思想的に鍛錬していないと、単なる好き嫌いによる選択のような浅い話になってしまうんですね。
悠仁様がご誕生以来、いかに過酷なお立場に置かれ、孤独な思いでいらっしゃることか、あまりにお気の毒で悲しくなりました。

それにしても、秋篠宮ご一家を愛子様と比べて悪く言う人たちは、幼い頃から身近な叔父様ご一家、中でも愛子様が実のお姉様のように慕っておられる佳子様が悪し様に言われることを、愛子様がどれだけ悲しまれるかには、なぜ思いが至らないのかと不思議に思います。愛子様がお優しければなおのこと、ご自身が悪く言われるよりも深く傷ついておられるはずです。

とにかく、第二部は未視聴ですし、アーカイブをよくよく見返してみます。いかにゴー宣道場が重要な場であるかを本日改めて実感いたしました。本当にありがとうございます。
No.93
12ヶ月前
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第487号 2023.11.28発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」… 「偏見はいけない」という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。しかし、「偏見」とはそんなに悪いことなのだろうか? ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…支持者集めに貢献した党の象徴的メンバー5人のうち、3人が離反し、それぞれがネット上で不満をばらまいているという修羅場の参政党。今月22日、参政党は報道陣を集め、長々と武田邦彦との内紛について説明する記者会見を開き、百田尚樹の生放送に出演して党批判を展開したことを「レッドラインを超えている」と神妙な面持ちで批判。記者会見後には、さらに一連の経緯を説明する参政党の公式動画が発表された。なんと現代表・神谷によると、これらの出来事は百田尚樹の参政党大規模分断工作によるものだと言う!「日本保守党ディープステート説」、ここに誕生である! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…AIを利用して故人の作品の続編を制作するのってアリなの?整備新幹線計画、とりわけ中央リニア新幹線の建設をどう思う?相手に罵倒されて怒りを抑えられないような場合は、どのように我慢している?スポーツ業界等で他人に金銭的支援を呼びかけることをどう思う?インドで放送予定のアニメ「おぼっちゃまくん」新作が日本に逆輸入される可能性はある?御坊家は江戸時代、やはり武士として参勤交代などやっていたの?映画『ゴジラ-1.0』のどこが特に気に入った?印象に残ってる水木しげる作品は?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第516回「偏見は大事である」 2. しゃべらせてクリ!・第443回「おちぶれてすまん!弟連れ狼が行くぶぁい!の巻【後編】」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第310回「日本保守党=ディープステート説、誕生か」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 編集後記 第516回「偏見は大事である」 「偏見はいけない」 という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。 「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。 「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。  しかし、 「偏見」 とはそんなに悪いことなのだろうか?  前回、草津町長の冤罪事件について論じたが、その中でわしは、この件に最初から違和感を持った理由として、 「被害を訴えている女が、ものすごいブス」 で 「町長が大変なリスクを冒してまで関係を迫るような女とは、とても思えなかった」 からだと書いた。  そして、「もちろん、これは偏見である」とした上で、 「偏見だって、重要な判断材料なのである」 とした。  実際に、ここまではっきりした答えが出て、「偏見をなくそう」と言うリベラルどもの方が全員間違っていたことが明白になった以上、これを否定することなどできないはずだ。  そもそも、思想的にも「偏見」とは本来、マイナスだけの概念として捉えられていたものではないのである。  18世紀イギリスの政治家、政治哲学者で「保守思想の父」といわれる エドマンド・バーク にとって、 偏見は「伝統」とさほど変わらないものだった。  バークはフランス革命に反対して『フランス革命の省察』を書き、その中で 「偏見」とは自然な感情であり、大切にすべきものである と説いた。   英語で「偏見」は 「prejudice」 で、 あらかじめ(pre)の判断(judice) という意味である。  最近の訳書では「偏見」の語のマイナスイメージを避けて「先入観」と訳しているものもあるが、やはりこれは「偏見」の方が適していると思う。   偏見(prejudice)とは、伝統や慣習といった先人の知恵によって「あらかじめなされた判断」をいうのである。  バークがこの本を書いた時代においても、偏見とは払拭すべきものであるというのが進歩的な知識人の考え方だとされていた。  そんな中でバークは、 「私はこの啓蒙の時代に、あえて次のように告白するほど不遜な人間だ」 と自虐的な前置きをした上で、こう述べている。 「私たちは一般に、教育を度外視した感情で動く人間で、自分たちの古くからの偏見を丸ごと投げ捨てるどころか、それを心から大切にする。さらに恥ずかしいことに、まさに偏見であるからこそ大切にする。それもその偏見が長続きしたものであればあるほど、世に広まったものであればあるほど、いとおしむ」 「恥ずかしいこと」と言いながら、堂々と「自分は偏見を大切にする」と宣言したのだ。  さらにバークは 「人が自分の理性だけを頼りに暮らし、それで取引するようなことを恐れている」 という。  なぜかというと、 「各人のなかにある理性の蓄えなどそう多いものではないから」 だという。人間ひとりが自分の理性から得ている知恵の量などたかが知れており、それだけで物事を判断するのは危険だというのだ。  そしてバークは、 「様々な国民と様々な時代を通じて蓄積されてきた共同銀行と共同資本を利用する方がいい」 と言う。ここでいう「共同銀行と共同資本」というのが、多くの先人たちが積み重ねてきた伝統であり、常識であり、偏見であるわけだ。  バークは、イギリスの思想家の多くは 「こうした一般的な偏見を否定せず、偏見の中に生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵を巡らせる」 という。  そして重要なのは、偏見の中から「潜在的な叡智」を発見することに成功した場合でも、 「偏見の衣を捨てて、その中の裸の理性だけを取り出したりはしない」 ということだ。  バークによれば、イギリスの思想家は 「内側に理性を含ませながら偏見を維持する方が望ましいと考える。というのも、理性を含む偏見は理性に行動を起こさせる動機になるし、そこに含まれている愛情によって永続するものになるから」 だという。  例えば、わしは「裸の理性」では薬害エイズ運動の支援はしなかった。 「自分の読者である子供は守らなければならない」 という 「理性を含む偏見」 こそが行動を起こす動機になったのだし 、 その偏見の中に含まれた「情」がある限りにおいて、運動を続けた わけである。  そしてバークはこうも言う。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!