大久野島灯台は、広島県竹原市に位置する大久野島の南端にある灯台です。

大久野島は、かつて村上水軍の末裔が住んでいたと言われ、明治時代には4世帯、島民26人の平和な島でした。

日清戦争後、広島や呉の軍港を守る場所として周囲の島々に要塞が築かれた際、大久野島にも砲台が16門設置されました。

昭和4年以降は、大日本帝国陸軍によって毒ガスの製造拠点となり「地図から消された島」となりました。

最盛期には5000人以上が働き、10代の子供も1000人以上働いていたそうです。

戦後、除毒処理をした島は荒れ果て、人が住み続けられる状態ではなかったそうですが、当時、小学校で飼われていた数羽のウサギが逞しく繁殖し、今のうさぎ島の礎を築いたと言われています。(諸説あり)

今では、島内に600羽ほど生息する野生の可愛いうさぎと、瀬戸内海特有の温暖な気候と豊富な海産物を目当てに、観光地として人気を博す大久野島。

島の歴史に触れ、再度、幻想夜話を聞いていただくと、より物語の理解が深まるかもしれません。

幻想夜話#47 大久野島灯台編(CV:#草野太一)