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うめかわさん のコメント

>>4
「ふてほど」は、クドカンドラマの最高傑作との呼び声がある中、確かにそうなんだけど、問題(悪い意味じゃなくて)なのは菊地さんがおっしゃるように、クドカンの「俺このままでいいや」感だと思います。「いだてん」もそうですが、「俺の家の話」や『季節のない街』を経ないと、「ふてほど」が生まれなかったのだと思うようになりました。最初(第一話)「ふてほど」のミュージカルシークエンスはノレなかったのですが、回を追うごとに最高になって行き、最後は大団円。ともう、これは昭和の大脚本家の域ですよ(私平成生まれですが笑)。実際、「ふてほど」には「テレビ脚本家」の話がありましたしね。自己言及でしょうか(ブルーノート僕も寝ないように気をつけます笑)
No.7
8ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
2024年 / 4 月 8 日(月曜)。ずっとアレからも、前回と同じ作業の繰り返しだ。「ダブセクステットは準備良いの?」と、退行じみたネットの声のような声が届いているが笑、「良いの?」と聞かれれば「良いの」としか答えられず笑、何というか、とにかく疲れ切っている。誰だサスティナブルとか最初に言った奴は。こっちゃあ疲れが大変にサスティナブルである笑(エコの人々の「未来の子供達のためにも」も、正直、この人たち、物を考える力があるのかな?としか思えない。自分の子供が可愛良いのは、単に平均的なことだ。未来永劫まで考えるか、もう何も考えないかのどっちかしかねえんだよ!!!地球は!!!!!)。 例えば、20世紀になって、石炭から石油にエネルギー源が動いたことは知っているけれども、そもそも産油国ではない(石炭ばっかとれた)イギリスがアメリカ(産油国)と、中東の石油をどうしようとして、どんなことが起こって、どういうふうに今につながっているか一切知らなくても CO2 の排出量がどうのこうとかいう話は今の人々にできる。というか、盛んにしている。  
ビュロ菊だより
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