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抹茶さん のコメント

遅ればせながら、復旧大変嬉しく思います。

コラージュのお話、フランス料理の例えとキスする瞬間の例えがすっごい分かりやすかったです。
批評再生塾でのお話も、モンティパイソンはすごい分かりやすい例だなあ、と思って当時聞いていたのですが、コラージュというワードの導入で、自分の中で改めて内容を整理できました。

日記を読んだ後、A$AP RockyのTailor SwifのMVが丁度つべにあがっていて、然程興味がなかったんですが観てみると、
コラージュ、フェイクをぎちぎちに詰め込んだ映像でずっと下ネタをラップし続けていて、ずっこけてしまいました。
No.7
3ヶ月前
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Filmora って言って、恐らく一番カジュアルな動画制作のソフトなんだけど、いやーしまったよなあ本当に。まあ、少なめに見積もって人生が変わったと思うよね。僕のテクノロジーとの関係のパターンは、一言で言えば「大衆より遥かに早いか遥かに遅いか」である。   1)アーケードに、あの「ゼビウス」が一斉に並んだ日、僕は現・歌舞伎町プラザ、旧ミラノ座の脇のゲーセンにいて、もうその日の夕方には天才プレイヤー(中学生ぐらいだった)が100円玉を現金輸送車ぐらい積んで、ギャラリーに奇跡を見せていた。僕はそれを5時間ぐらい見ていて、それが3~4ヶ月続いて、大体のアルゴリズム(隠しキャラ含む)を暗記した頃、細野晴臣が「ゼビウスから神話を感じる」とか言ってデザイナーと対談しているのを読み「おっせーよ」と思っていた一方、ファミコンを買って、一番最初のマリオとかドラクエにはまって、仕事に遅れたりしていた時、もうあれが何年のことか忘れたが、とにかく誰に話しても例外なく「え?今ハマってんの!!ギャハハハハハハハハ!!」と笑われた。因みに、世にいうアタリショック遥か以前、というか、アタリより前じゃないのかなあれは。テニスゲームの最初期みたいなのからやっていた。   2) MIDI がこの世に生まれた時、僕は音楽学校に入ったばかりだったんで、それこそ友達が全員始めた。僕もインストールしてもらったけど、どーうにもこうにも自分と合わず、実に50年間、 MIDI とは自宅内別居みたいな感じで、とうとう一回も触らないまま捨てた。   そしてプロトゥールスが音声ファイルの編集を可能にした年に「デギュスタシオン・ア・ジャズ」を制作した。未だに、生演奏の音声ファイルの編集を、修正のような消極的仕様ではなく、作曲という積極使用したアコースティックジャズのアルバムは1枚も出ていないと思う。   MIDI から50年後に AI が現れたら、こーれがまたあまりにも自分と合うので、最初期から新音楽制作工房に先端技術チームを作って研究し、実作しまくっている。恐らく今年中に、音楽用も動画用も間違いなく商用可能なやつを買って作り倒す。   現在世界中で制作されている AI 使用の音楽は、全て我々、新音楽制作工房の AI 使用セクションの足元にも及ばない。「岸辺露伴は動かない」は、世界で最初にテレビドラマの OST に AI 生成物を使用したドラマになった。自分が初めて MIDI を使ったのがいつで、何の作品だったか覚えてもいない(恐らく1期スパンクハッピー)。   3)インスタグラムを見ると「オレが世界で一番早かったな」と思う。デジタルカメラよりも早く、ハンディカムの初期から僕は全ての食事や、あれやこれや生活の全てを動画で録画し、それを切り出して静止画にし、初期ブログフォームに上げていて、露出狂のキチガイ扱いされていた。デジタルカメラを買ってからはブロガーというより、今のインスタグラマーに遥かに近かったと思う。バエルどこじゃなかったぞ。大体98年ぐらいから。誰もがやるようになって止めた。    
ビュロ菊だより
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