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田畑 佑樹さん のコメント


“豪雨に打たれ続け” って、7年前の野音のBoss(TBH)みたいですね(笑)あれは10月末でしたが、晩夏になると東アジアには思い出したような豪雨や台風がやってきますね。年周期での夏が死ぬ前の去り際の挨拶みたいで、子どもの頃から大好きです。

<自民党的なるもの>、「この経験」、「そもそも持続可能性って、」、など、今回もパンチライン満載でした。とくに自分は「この経験」をした憶えがほとんど無いので、うっかり安かろう良かろう店を求めて検索しそうになった時には思い出そうと思います。「散財」という表現時代が20世紀中盤的な響きをもって聴こえる現在ですが、その「散財」にも想像を絶する「報われなさ」または「応えられなさ」があり、そこから学ぶということなのかなと思います。「自分が支払った額が十全に報われてほしい」という意識が「安さ」の追求と同調すると、大衆的に取り返しのつかない貧しさが固定されてしまうのかもしれませんね(既にされているのかも)。
No.1
1ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 <極端なコスパの悪さ=敷居ばかり高くて、対して美味くもねえ名店が笑うぐらいクッソ高い>は、昭和から令和にかけて、この東京にさえ絶えたことがないので、立派な伝統だと言える。    こうした店は「有名店になりたい」「美味しいものを提供して、すべての人々、特に有名人に喜ばれたい」という欲望を持つ店主の、ある意味むちゃくちゃ健康的で、ある意味むちゃくちゃ倒錯的な欲望をセントラルドグマにして回転してきた。    ミシュランが日本に来てからは、下手に目的が明確になった上に国難が続き、景気も悪くなったんで、むしろ全方位的に趣味の良かった90年代(特に前半)ステイリッシュを、ゲスく切り崩したとも言えるが、まあたとえば寿司でいえば「あら輝」だし、和食で言えば「龍吟」である。両店とも値付けは半額が適価だ(それでも高い)。    昭和の銀座だったらトゥールダルジャンとか、洋食の煉瓦亭とか、どちらも外食文化的にはとっくに切り崩されている。<コスパ>なんて言葉がない頃から、こうした<アンチコスパの悪しき老舗>の切り崩しは、 SNS なき時代の、正義の人々によって、(今では驚くべきことにだ)本名も顔も出したままの、かなりストレートな悪罵が浴びせられたもの。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。