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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>2


これはですね。こういうことです。VAっていうのは、僕の過去連載の「本にならなかったやつ」の一つに、タワレコのバウンスに連載していた(違うか笑)「菊地成孔のチアー&ジャッジ」で最初に使ったもので、半分はクイズに近いもんだったんですよ。今から思えば、「早かった」物件だなあ、という感じですが、要するに、わざと間違えることで、知らず間違えることと、不可避的に並列されます。今でも使えます。コロンボ本でも使っています。

昔、ティポグラフィカのMCで「あの、ターザンの原作者いますねえ。ウィリアム・S・バロウズ」と、言ったら、客席の一部から笑い声が上がり「違うエドガー・ライス・バロウズ!笑」というツッコミがあったんです(逆だったかも知れない)。それが僕の中の起源ですね。

それ式で言うならば、ソシュールの共時性とラング、フロイドの錯誤(特に言い間違え)と自己拡大衝動をくっつけたようなものですが、コンプラというか、僕が「実在しない」と思っている「正しい言い方」への幻想への批評として、最初が「いいこと考えた〜笑」と思ってたんですが、当初、現在比で1万分の1ぐらいに設定していた「言葉が間違っていると思うと、ただそれだけで腹がたつ」という反射に近い感情が現在、1万倍化しているので、怖くなっていたところです笑。

ソシュール言語学における誤用については、みなさん面白いから読んでいただきたいですが
https://ja.wikipedia.org/wiki/誤用

↑ここにはVITAL ORGANという語はありません。VITAL ORGANをソシュールのジャーゴンとすること自体がVOで笑、VITALは「積極的な、能動的な、活力的な」とか言った意味で、「 ORGAN」は概ね、器官か楽器のオルガンを意味しますが、オーガニックとか、とても多岐に使われます。考え出した時(命名した時)のイメージはオーガニックは、自然じゃないですか?なので「敢えて活力的な器官、オーガニズムという名称の、積極的な言葉の誤用」という感じでした。

なんですけれども、前述、特にインターネットの普及で、去勢不安から「言い間違えの指摘」にすくみ上がってしまい、勢い、他者の言い間違いをその場で(割って入ってでも)正さないと、気が済まない。という、症状に近い状態が蔓延したので、つまらなく&めんどくさくなってやめていました(コロンボ本では、わずかながら復活させていて、それはf-No.としているのですが)。

という前提の上でですが、僕はVAは別に、単にスラングとして、「もう、これって、明らかに間違っている上に、紛らわしいんだけど」というのを、平然と使ううちに、誰もが通用としてしまう。という、これも実はソシュールなんですが、そっちに偏っています。

例えば、僕にとって、ヨージ・ヤマモトは、服のデザイナーではなく、映画監督、というか松竹のフィクサーであり、修正主義者でもある恐ろしい人物、山田洋次のことを指すんですが笑、20世紀的な言葉遊びでは、山田洋次を「ヨージ・ヤマダ」というのが限界です。

なので、もう「山田洋次は、ヨージ・ヤマモトで良い」とし、積極的に使っています笑。「単なる寅さんの監督じゃないんだよ、一種の修正主義者というか、東宝がなくなったら松竹に東宝に取り込み、東映が下火になったら松竹に東映を取り込み、のちの歴史では、最初から日本の娯楽映画はみんな松竹だったと思われるだけの力があんだよね。ヨージ・ヤマモトには」という風に使っています。

博打の用語で「今、出た目(サイコロ賭博でいえば「丁か半か」ですが、競馬の着順も、麻雀の上がりても「出目」という人がおり、多岐にわたります)」の事ですが、僕はこれを「出自(出生時、出生場所)」の意味で使ってます。

「自」の、上のチョンだけ取れば、「目」になる、という点が気に入っているのですが笑、「曇りガラスは出目がそもそもGSだからさ、渋い役やっても座りが悪いんだよね。出目が劇団民藝はいけ図々しいよな曇りガラスに」とかいう風に使います(これを訳するならば「父親が宇野重吉である寺尾聰が俳優をやる時、宇野重吉譲りの演技力、みたいなものをスタッフも観客も、本人も意識しているだろうけれども、寺尾聰はグループ・サウンズのBリーグ上がりなので、宇野重吉感よりも、ザ・サベージのヴォーカリスト感のが芝居に出るよね」という意味です。「やっぱ草笛光子は出目が菊田ミュージカルだからさあ、発声が浜美枝とは違うんだよ全然、浜美枝って出目、バスガイドだぜ笑」とか。

んで、肝心の「(ここでは)正調エディプス」を、「エディプス・コンプレックス」あるいは「エディプス」と言わず、反語、というか否定的な対抗語である「アンチ・オイデプス(これはご指摘のとおり、D&Gの著作名です)」というのは、それこそ前掲、ソシュール言語学における誤用、の中にもありますが、「性癖」はフェティッシュの事ではありませんし、あるいは「コンプレックス」は劣等感のことではありませんし、「反動的に」は「反動形成として」が正しく、何かこう、心理学の用語には、他のフィールドとは異常値ぐらいの差で「誤用(の定着)」があるんですよね。

言葉に潔癖社会の中で「だからあたし、アイナジエンドにコンプレックスがあるんですよ」と言った瞬間に「劣等コンプレックス!!」と突っ込まずにはいられない人はいません。フェチやトラウマ等々、精神分析学用語は、誤用が定着し、かつ誰もが利便性に近いぐらいの有用度によって、マスメディアの中でもバンバン口にする誤用語の票田として、一番大きいです。僕は「相対的に」を「総体的に」をフックに、ファシズムのことを「相対性理論」と呼びたいんですが笑、20年ぐらい頑張らないと無理だと思います笑。

この事実が、「エディプス・コンプレックスは、もうなんか、雰囲気でアンチ・オイデプスでいいわ笑(アンチの対象を「エディプス・コンプレックス概念」ではなく、「父親」に<間違って>逸らして仕舞っても、誰でも納得できるし。というか、むしろD&Gーードルチェ・&ガバーナ=もうお察しかと思いますが、僕はドゥルーズetガタリを「ドルチェアンドガッパーナ」と呼んでいますが、ドゥルージアンとの付き合いの中では絶対に言えませんね笑)のアンチ・オイデプス読んでるやつなんて、ほとんどいねえんだから笑」という感覚が僕の中に生まれ、特に分別の意識なくやってますね笑。

伏せ字にしなくても問題ないと思いますので明記しますが、角田くんがエディプス・コンプレックスで煮えたぎっており、まずは血縁者に、次に僕に、さらには、何から何からにまでその衝動が向けられても、謂れなきことではありません。名前が、父親の仕事から取られているのだからして。

なので「角田くんはアンチ・オイデプス強かったよねえ」というと、「通じる」んですよね。「え?むしろ彼はエディプス・コンプレックスなんじゃないのかな、、、、、」と逡巡する人は、計測なしで断言しますが、1人もいませんでした。

 とまあ、まとめていうと「当初、<積極的な誤用>は、非常に豊かで多義的なものとして提案された」VAが、やがて、僕の中で、クリシェ(ヨージ・ヤマモト、出目、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、アンチ・オイデプス等々)としてまとまりつつある。ということですね。

 最近は、女優の左幸子は「左幸子M」としか「言えなくなって」きてますし、こないだとうとう「黒木華」を「黒木ハナ肇とクレージー・キャッツ」と呼んで爆笑してからは、もう「黒木華」では、間違っているようにしか思えなくなってしまい笑、要するに、エディプス×アンチ・オイデプスという対置には、特別な根拠は存在するかもしれませんが、特別な位置にはない。ということです。
No.4
14ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 僕が選挙に行かなかったり、投票を民主主義的な政治参加として完全な正義の名の下に勧める勢力を心の底からバカ扱いしているのは、生活が苦しいことが政治によって変わると思っている点で、生活の苦しさや将来の見通しを明るくしたくなったとして、それは全く構わないが、政治がそこの役に立つわけがない。という、基本的な絶望をも知らない(=政治とは、「そういうことのため」にあるのではない。全く別の意義のためにあるのである)、甘ったれた平和ボケ低脳の戯言だからだが、そこにもっと敵意を add するのは、現代日本人が、民主主義における投票行動や応援行動の練習を、政治ではなく、 AKB の総選挙や M-1 などによって練習したからである。まあまあ、メインは<テレビニュースではなく、 SNS から勉強したアメリカ大統領選>だと思うが、 AKB 総選挙と M-1 と Twitter 日本版は検索すればすぐわかるが、微妙にすれ違っているとはいえ、21世紀最初の20年間に於ける影響力を不動のものとした。   現代音楽やジャズの勉強を、娯楽映画や特撮映画から学ぶのは全く構わん、マルクスの政経理論に基づく社会主義革命を、理論理解もしないまま起こそうとしたり、吉田茂がサンフランシスコ講和条約を締結したその足で、一人だけでサインした日米安保条約を破棄させようとしたのも全く構わん上に、それが大学制度ができてから生じた「大学生」という、欲求不満と自己実現不全の若きケダモノによる祭りだったとしても、一向に構わんどころか、むしろそれしか正しくない。20世紀最大の美徳の一つと言って良い。   僕は秋元康が09年に「総選挙」と言い出した時も、島田紳助が01年に「 M-1 」と言い出した時も、僕は、政治行動やオリンピックのパロディの形を採った、株式市場の遊戯化だと思い、なかなか面白いな。とは思った(なので、そこから株という意識をインストールし、今トレーダーである人々には文句は一切ない)。  
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