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引退試合となったDEEP稲田将戦を一本勝ち。有終の美を飾った水野竜也インタビュー。20年にも及ぶ格闘技人生を振り返ってもらいました!(聞き手/ジャン斉藤)


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――
今回の取材場所は新大久保ですけど、お住まいはこのへんなんですか?

水野 いや、家は金町です。GEN(スポーツアカデミー)の練習を……。

――ああ、重量級といえばGENですよね。引退されたあとも練習を?

水野 まあヒマなんで、顔出しがてら練習を見に来ただけですね(笑)。

――ジッとしていられないわけですね(笑)。先日のDEEPの引退試合は見事な一本勝ちでした!

水野 ありがとうございます。勝ててよかったですね。本当に「終わり良ければすべて良し」で。

――格闘技をやり切った感はあったんですね。

水野 そうですね。自分の中で「もうそろそろかな……」って感じてて。最後はエキシビションマッチなんかで終わるのは自分らしくないなと。勝っても負けても引退試合をやりたい。 負けたら引退のマイクもやりづらいので、勝ててよかったです(笑)。

――水野さんは20年以上も戦ってきましたね。これってなかなかできることじゃないです。


水野 トータルでそうなりますね。そこは身体が丈夫だったこともあると思います。だって、この職業はやりたくてもできないじゃないですか。自分の中でも、ここで勝ったから格闘技を続けられたと思える試合があるんですよ。

――それはどの試合なんですか?

水野 DREAMのメルヴィン・マヌーフ戦です。あそこで負けたら格闘技をやめようと思ってたんです。もう通用しないだろうなって。あのときは武者修行でアメリカに練習に行かせてもらって、過去最高に集中して練習できてたので。

――それはDREAMのプロジェクトでアメリカで練習されたんですよね。

水野 そうです。ここまでやってマヌーフに負けたら格闘技のセンスがないし、続ける意味がないよねって。そんな覚悟を決めて挑んだら勝てました。あのときはスポンサーもたくさんいるわけじゃなくて、生活もきつくて。「格闘技をやる意味はあるのかなぁ……」という考えもちょっとあって。でも、マヌーフに勝ったことでみんなに認められた部分もありましたし、格闘家として応援してくれる人も少しずつ集まってきて、やっと生活できるようになったところもあります。

――スタートは田村潔司さんのU-FILE CAMPだったじゃないですか。どういう経緯だったんですか?

水野 自分がALSOKという警備会社に勤めたときに、直々の先輩がU-FILEに通っていたんですよ。格闘技の話をしたら「田村さんのジムに通ってる」というので、じゃあ自分も行ってみようと。

――水野さんのバックボーンは柔道ですけど、ALSOKは柔道関係で入ったんですか?

水野 いや、一般で入りました。自分の中で柔道はお腹いっぱいで。でも、そこそこ自分の名前があったので、柔道部の人から練習に誘われて。実業団じゃなくて普通の会社員なんだけど、実業団の試合にも出てました。べつにそれでお金が出たわけじゃないんですけど(笑)。

――面白いですね(笑)。ALSOKの勤務地はどちらなんですか?

水野 立川です。そこから登戸のU-FILEに通いだしたら楽しくなっちゃって。登戸の近くに引っ越したんですよね。

――ハマってしまったんですね。

水野 もともと格闘家への憧れはすごいあったんですよ。柔道を始めたのも理由も、家でプロレスごっこばっかやっていたら、柔道をやってみたらと。

――プロレスも好きだったんですね。

水野 始まりはプロレスです。UWFが出てきたときに「あれ?こっちのほうが真剣勝負っぽいな。こっちが本物かもしれない!」と思って。

――当時はMMAの練習がいまほど確立されてなかったんですけど、U-FILEではどういう練習をされてたんですか?

水野 普通にMMAの練習をやってた気がしますね。クラスに出て、シャドーやミット、スパーをやってました。まあ普通の格闘技ジムですよね。

――UWFっぽさはない?

水野 じゃないですね。その頃は長南(亮)さんもいたし、ガチガチのMMAだったと思います。

――U-FILEの面白さはプロレスクラスもあったところですよね。

水野 ああ、ありましたね。プロレスはめっちゃ好きでしたけど、見るのは好きなだけで。やるんだったら真剣勝負のほうに行っちゃいましたね。

――当時のU-FILEは多士済々で。上山龍紀、長南亮、中村大介、大久保一樹……。

水野 不思議な空間でしたよね。プロレスとMMAがごちゃまぜになってて。田村さん自身がプロレスも格闘技もどっちもやれる人だから。

――U-FILEってアマチュアの自主興行を頻繁にやってましたよね。

水野 ああ、ありましたね。何回か出てました。自分はMMAがやりたかったんで、早めの段階ですぐ自分でパンクラスゲート(アマチュア)に応募してどんどん試合をしてました。

――プロデビュー戦がパンクラスだったのはそういう理由なんですね。

水野 そうです。パンクラスゲートとパンクラスは繋がってて、勝っていくと本戦に出れる。自分はそれが一番手っ取り早いと思ったんですよ。

――それってジムを通さなくて自分で応募したんですか?

水野 自分から応募してましたね。

――U-FILEからパンクラスに出てる人って記憶になかったんですけど……そこは自由だったんですね。

水野 他にいなかったんじゃないですかね。中村さんは内弟子だから、許可が必要かもしれないですけど、自分は一般会員だったんですよ。その違いはあると思います。

――ああ、なるほど。

水野 田村さんはそのへん厳しいという話は聞くんですけど、自分一般会員だったこともあって、田村さんから「ああしろ、こうしろ」と指示されることはなかったんです。

――田村さんとパンクラスにはラインがなかったし、U-FILEの選手が出るならDEEPでしたもんね。

水野 一番最初に出たのも修斗のフレッシュマントーナメントで。そのときもとりあえず応募したんですよ。どういうものかもわからないから、セコンドが必要なことも知らなくて。嫁のお父さんとお母さんが応援に来てくれたんですけど、セコンドがいないと試合が出れないことがわかって。嫁のお父さんに急遽セコンドをやってもらって(笑)。

――ハハハハハ!お義父さんがセコンドだと負けられないですね(笑)。

水野 あのときはヘッドギアもどうつけていいかわからないし、バンテージも巻いてなかったですね(笑)。

――そこでパンクラスの本戦に出ることになるんですけど、田村さんはいつぐらいに水野さんの存在を知ったんですかね? 

水野 いつなんですかねぇ。パンクラスのデビュー戦の桜木(裕司)さんとやるときには話はした気がするんですけど……

――U-FILEの選手は木下雄一さんがマネジメント的な役割をされてましたよね。

水野 そうですね。自分は最初、関係なかったですけど、途中から木下さんが面倒を見てくれる感じになりました。木下さんにはめちゃくちゃお世話になってます。

――パンクラスでも早々に外国人とやってましたもんね。

水野 早めからやらせてもらいましたね。3戦目の相手がチアゴ・シウバだったんですよ。木下さんに「水野先生なら大丈夫でしょう」って言われて「やります」と受けたんですけど。試合映像を見て「……これ、いけるのかな、本当に」って(苦笑)。

――チアゴ・シウバは、水野さんとの試合を最後にUFCに行っちゃうレベルで……。

水野 その次はアスエリオ・シウバですからね。PRIDEやUFCでガンガン戦ってるヤツだから「キャリアが全然違うじゃん!」と思ったんですけど。(笑)。


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