
てなわけでまー、ほら、昭和を懐かしがると死刑やないですか。
とにもかくにも昭和は悪。
アップデートせよアップデートせよの大合唱が鳴り止む日はありません。
その風潮の理由を教えてあげましょう。
そこに「答え」があるからです。
「答え」とは。
この世の「あるべき姿」の答えと言いたいところですが、一歩譲歩して、「世の中がいかに壊されてしまっているか」の答え、とでもしておきましょうか。
それこそYouTubeなどでも「懐かし昭和チャンネル」みたいなのは無限にありますが、その「本当の懐かしさ」、言い換えれば「今の世と当時との隔絶」について、精度高く語ってくれる人はどこにもいない。
例えば、ぼくは時々、『ダメおやじ』について語りますが、それも「昭和」の「答え」を示した作だからなのです。
しかしそうした「答え」に溢れたかつてのコンテンツはもう、これ以降は抹殺されていくしかない。
それを危惧し、かつての作品を掘り起こすのが当シリーズのテーマなのですが……今回は星新一。
みなさんご存じであろうショートショートの大家で日本SFの開祖とも言うべき人物。キャラクターたちは「エヌ氏」などと匿名性を極めた形で現され、硬質な文明批評が展開される作風――と思っている人が多いでしょうが、意外や人間くさい機微に溢れた作品も多く残しています。
もっともショートショートという性質上、ファンでもおそらく、一個一個の作品に対する解像度はあまり高くない。
今回はそんな中から、兵頭が扱うにふさわしいものをいくつか。
そんな性質上、ネタバレはバンバンします。
興味のある方は是非、該当作を一度読んでから以下に当たってみてください。
まずは以前、Xでも書いたことなのですが、これについて。
1.「うるさい相手」『マイ国家』所収
主人公がロボットにつきまとわれるところから、話は始まります。
お手伝いロボットが普及し、ロボは街に出て人々に自らを売り込むという社会になっていました。彼らは非常に巧みにプレゼンし、しかし当然、購入しないとその恩恵には与れない。
主人公は疎ましく思い、何とか追っ払おうとしますが、当然ロボットは法律を熟知し、そのギリギリの範囲で彼につきまとい、また住居には入れないが、何時間でも平気で外で待機している。
追い払おうとばかりしていた主人公、しかし何かのきっかけで、「いつかはロボットも無駄だと悟り、立ち去るだろう。しかしそうなると他の顧客を狙ってつきまとい、町で偶然俺に会ったところでスルーされてしまうだろう」と感じて何やら寂しくなり、ロボットの購入を決意する。
ところが買ったとたん、ロボは前宣伝と異なり、言葉を左右にし、労働を拒否する。それには専用のパーツが必要だ、別売のアプリが必要だ、云々。
ここまでで商業主義を風刺した作品だと、誰もが思うことでしょう。そもそも高度成長期に出てきた作家で、そうしたテーマの作品も多く、ことに本作ではロボットのせいで主人公はノイローゼ気味になり、精神安定剤を飲もうとするが、その製薬会社がロボットメーカーと同系列であると気づき、馬鹿馬鹿しくなって止める、といった下りまであるのですから。
ところがオチが奇妙なのです。
同僚にやはりロボにつきまとわれていると相談された主人公、どう答えたものか、思案する。
答え1.自分だけがこんな目に遭うのもシャクだ。こいつも非道い目に遭わせてやれ。
答え2.いやいや、今のところ、まだ俺がロボを使いこなせていないだけだ、決して悪い買いものではない。
いずれの場合も、相手にロボを勧めるという結論に変わりはない。
――以上、ぼくはこれを凡作だと思っていました。
今一これぞというオチが思いつかなくて、取り敢えず思いついた二つを並べたと。
言うならウルトラマンが強敵をやっつけるネタが思いつかなくて、必殺技を二発打ったといった感じです。
しかし、これ、よく考えると違うのです。
要はロボって嫁のメタファなのですね。
『ルパン3世』ファーストシーズンの第13話「タイムマシンに気をつけろ」で、ルパンはタイムマシンを使う敵に生命を狙われ、万策尽きて「自分の名前だけでも残そう」と峰不二子に求婚します。「種さえ仕込んじゃいない(と冒頭で本人が発言します)」ので遺伝子は残らないが、名前だけでも継いでもらおうと。
ところが何やかやで敵をやっつけ、オチは「結婚してくれるんでしょ」と迫ってくる不二子から逃げ惑い、エンド。
ぼくは子供の頃、これが不思議でした。
ルパンって、不二子が好きなはずなのに、と。
言うまでもなくそこが男女の心理の差で、あたるがラムから逃げ回るのといっしょなのですが、男女関係がこうも変わってしまうと、今となってはこれらもピンとこない描写かもしれません。
いえ……むしろ今の方がわかるでしょうか。
男がいざとなると結婚を拒むのは、一つには一人の女に縛られるのは嫌だという精神的な要因がありますが、もう一つは当然のことですが妻帯者となり妻の、生まれてくる子供の生活に責任を持つことが煩わしいという経済的実利的要因です。
むしろ今の男性たちの非婚化は(泥棒や学生で、生活に追われていないルパンやあたるの、純粋に女性からの自由を求める心理と違い)そうした心理によるところが大きいかもしれません。
そして、しかし、だからこそ、昭和の独身男性は何かのきっかけで「そろそろ年貢の納め時だ」と理解し、結婚することがイニシエーションとして成り立っていた。
本作はそんな心理を、コミカルに描いたものだったのです。
これにはたと気づいたワタクシは、エラいのではないでしょうか。正直、かなりの星新一マニアでもこれ気づいてないのではないかと。いえ、もうちょっと昭和どっぷりの世代には、むしろ直感的に全部わかっていたのかも知れませんが。
何しろ、ロボットなので女性的なところは何一つない。性的なニーズに応えられるわけでもありません。それこそセクサロイド、美少女アンドロイドとは違い、カタカナ言葉でしゃべるようなロボットですから(いえ、実際にカタカナで表記されてるわけじゃありません、メカメカしい感じという意味です)、女性のメタファーであると感じるのは難しいのではないでしょうか。
興味深い描写があります。いざ買うと働こうとしないというのは上述の通りですが、同時にロボットはやたらとメンテナンスだ修理だで莫大な金を食う、何だかロボットは自分のことばかりしているかのようだと主人公が感じるというシーンです。旦那の稼いだカネを遊びや美容に浪費する妻のようではないですか。
ロボットのなすべきはずの料理だ庭仕事だ(後者は家の美観を保つ作業で、掃除や何やに近いと考えていいでしょう)といったものは「女の仕事」です。いえ、昭和なら当然女の仕事だったのが、そうでなくなって数十年の時の経過したものです。
つまりこの時代の女とは、そうした仕事をしてくれるありがたい相手であり、しかしいざ結婚してみると――といった「あるある」があったわけです。「釣った魚に餌をやる馬鹿はいない」はこの時代においては女のセリフだったのです。
2.「視線の訪れ」『午後の恐竜』所収
実のところ、星新一にはもう一つ、近しい作があります。
主人公は仕事のできる、女性にもモテる男。女と遊び歩き、身を固める気になれない。が、ある時、背中に視線を感じるようになる。どれだけ探しても、誰に見られているかはわからない。が、ある日、その正体は妖精であったとわかる。美人の女性の姿の妖精は何者で、何が目的かなどを一切明かさず、主人公を不安にさせる。何しろ主人公が小銭を得るために会社の秘密を産業スパイに売っていなどといったことを、その妖精は知っているのだから。
妖精は何も要求もせず、ある時は朝食を用意したりもするが、主人公としては心穏やかではない。
が、ある時を境に妖精は姿を消し、主人公は妖精の姿を探し求め、どうしても見つからず、医者である友人にことを打ち明ける。「何だか、厄介な、しかし面白い、懐かしい体験だった気がする」。その言葉に、医者は諭す。「そろそろ結婚する時期ってことじゃないか」。
つまり、これも「年貢の納め時」ネタと言えるわけです。
妖精が伴侶を象徴していることは言うまでもありませんが、女性を漁っていた主人公が「視線を注がれる」、即ち女性に「求められる」経験を経て、それを煩わしく思うものの、やがて消えた相手を恋しく思い、探し求める。
ようやく落ち着く気になったことが、そうした心情の変化を現しているわけです。
妖精が主人公の悪事を知っているというのも象徴的で、この悪事も元を正せば妖精の視線でノイローゼ気味になったことが原因であり、言うなら共犯と言えなくもない。
実のところ(これまたネタバレになりますが)星新一の作には大は国家から小は家庭に至るまで、あらゆる組織の本質は共犯意識だ、といったものもあり、まさにこの両者の「共犯」こそが二人の関係性を象徴しているわけですね。
3.「春の寓話」『妖精配給会社』所収
ある時、主人公は言葉をしゃべる美しい小鳥と出会う。小鳥は江戸時代のお姫様であると名乗り、自分の美貌を妬む姉に呪いをかけられ、こんな姿にされてしまったのだという。主人公は小鳥の「自分を人間に戻してくれたら、あなたの妻となる」との申し出、その貞淑な様子に、それなりの手間を投じて呪いを解く薬を調合する。
ところがいざ人間に戻った姫は、さほど美しくもない。しかし江戸時代の人間であるため婚姻の約束は絶対のものと思い、主人公につきまとう。主人公は彼女を「自分を江戸時代の姫と思い込んでいる精神異常者」として精神病院に入院させてしまう。
ここでは、「古来の女性の美質である貞淑さ」こそが既にこの時代で失われた、稀少なものとして認識され、主人公はそこにこそ魅力を憶えるのですが、いざとなるとそれこそが厄介さとなっているわけです。
最後に教訓として、以下のように述べられます。
「女は全て自らを美人と思い込んでいる。また、男の結婚の約束は政治家の公約のごとし。」
つまりここでも、「現代的な女性」がかつてと変わってしまったことを描きつつも、まだ「男は結婚から逃げるもの」という世界観が共有されているわけです。
ともあれ、ここで描かれているのは「女は男を追い、男は女から逃げる」という一昔前の男女ジェンダーの普遍性です。
そしてまた、こうした「独身男性」像は『サザエさん』のノリスケを見るとよくわかります。
彼はお調子者で、図々しすぎる挙動に出て、時おりネット民のヘイトを買っていますが、実のところ原作では独身で磯野家の居候として登場しており、その時のキャライメージをいまだ引きずっているがため、結果、あのように描かれているわけです。その役どころは既に妻帯者であるマスオさんを誘い、ろくでもない悪戯をしでかしたり、カツオたち子供の相手をしてやるものの、悪いことを教える(失恋したカツオをバーに連れて行く話があります)といったものでした。
この種の「独身であり、まだ社会への帰属意識が低いおじ」というのはキャラの一つのテンプレだったんですね(近年こうしたキャラはすっかり少なくなりましたが、唐沢なをき『がんばれみどりちゃん』のろくでなしのおじさんは、おそらくこれを意識して描かれたキャラクターでしょう)。
男にはそうした独身時代があり、しかしいずれ結婚して社会へと回収されていく存在だった。
だからこそルパンは、あたるは女から逃げ回るのです。
4.「きっかけ」『悪魔のいる天国』所収
主人公はとある女性とずっとつきあっているが、なかなか結婚する踏ん切りがつかない。そんな中、裕福な美人と劇的な出会いをし、夢のような時間を過ごすが、すぐに手非道くふられてしまう。
主人公はその美人を恨みつつ、美人でも裕福でもないが誠実に自分を愛してくれる元の恋人のところへ舞い戻り、平凡だが幸福な家庭を築く。
が、実はこの美人との出会い自体が、恋人によって仕組まれたものだった。美人は「男には結婚を決意させるきっかけが必要。と同時に、分不相応な夢を叩き潰してやる必要がある」と語り、まさにその機能を果たす、言うなら尻叩き屋とでも称するべき存在だったのだ。
――以上、本作は今回挙げた諸作品共通のモチーフである「年貢の納め時」について、真っ向から描かれた作品なのです。
男にしてみれば独身時代の気楽さを捨て、結婚するというのはある種の決意を必要とする。同時に、(今の婚活女さんがそうであるように)相手に対するある種の見極めというか、いい意味での妥協、諦念も必要とされる。それが本作のテーマです。
ここでぼくがここしばらく、高橋留美子について言っていたことを思い出してください。『うる星やつら』において、本来のヒロインであるしのぶを差し置いて人気となったラム、『らんま1/2』でやはりヒロインであるあかねの影が薄く、らんまやシャンプーが人気を博した。作者も読者人気を柔軟に取り入れ、人気キャラを前に出した。
これをぼくは、「男の子たちは『星から来た女の子をガールフレンドにしたい』と望んだのだ」と形容しました。その意味で、ラムやらんま、シャンプーこそが男の子の精神世界に寄り添ってくれる「萌えキャラ」なのだ、とも。そう、現実の中で女を養うという義務を果たしていかねばならない男性の内面世界をささやかに延命させるために生まれた存在、それが萌えキャラだったのです。
それと、冒頭の「うるさい相手」についてもう一つ。
主人公が精神安定剤を飲むが、すぐに止めるといった描写についてお伝えしました。また、何故だか急にロボットに見放される不安に陥るという下りについてもご説明しました。が、後者は前者の直後に起こっており、作中でも「それは薬の副作用のせい」と暗示されているのです。
いかがでしょう、星新一と言えば星製薬の跡取り息子で、作中でもロボットなどのメカニック以上に薬剤が重要なアイテムとして登場します。
奇妙な心境の変化は、おそらく薬のせいであり、そこには製薬会社、否、それを操る政府の明確な意図があるのでは……。
結婚とは男に女という負担を強いることで女に出産させ、国家を継続させようとする、政府の陰謀である。
そんな読みが、ここからは可能なのです。
しかしロボットのせいでも、薬のせいでもなく、フェミニズムのせいで社会は変わってしまいました。
もはや結婚とは男の方がロボとなることであり、男はもう、それを拒絶し続ける以外の選択は、なくなってしまいました。
先に「釣った魚に餌をやる馬鹿はいない」という言葉をご紹介しましたが、そう言っている(ことにされている)男って考えれば釣った魚の生活のためにずっと働いてますもんね。
誰がこんな馬鹿な言葉を広めたんでしょうかね。