「有名配信者になりたい」「一流企業に入りたい」という言葉の空洞性について
徒然なるままに語ろうと思う。



小中学生の「将来就きたい職業ランキング」の上位に
《YouTuberなどの動画投稿者・放送配信者》
が現れてから久しい。

私がインターネットお喋りマンを始めた2009年頃は
インターネットお喋りマンなんて日陰者傾奇者というように見られていた。
(それを受け入れていたニヒリストたちもまた隠れた多数派だったように思う)

そのことを原体験として持っている私からすると、そこから10年も経たずして
「YouTuberになりたいです!」
と堂々と話す少年少女たちがメジャーな存在となったことには驚嘆する。



私はここに、一つの問題意識を感じずにはいられない。

巷でよく言われるのは、
「そんな得体の知れないものになってどうするんだ?」
「成功者なんてごく一握りだぞ、お前がなれると思うなよ」
「不安定すぎて目指す選択肢に入れること自体がバカげている」
というようなことだ。

ご立派な大人たちの、ありがたいご高説である。

しかし私が注目しているのはそこではない。

そもそもYouTuberって何? 配信者って何?という話だ。



YouTuberとは字義通り、
YouTubeに動画を投稿する人、YouTubeで放送を配信する人のことを指す言葉である。

しかしいつの頃からか、
YouTuberと聞くと何となく皆が最大公約数的にイメージする人物像、カルチャー的な色合いが出来上がったように思う。

動画映えする、派手で面白そうな場所や物事に触れて、生のリアクションを届ける人
トークや動画編集が絶妙に面白く、それでいてどことなく親近感を感じる人

言葉の表現は諸々あれど、HIKAKINさんやはじめしゃちょーさんなどのお顔を浮かべた方は、
だいたいそのような感覚で近いと思われる。
《マルチYouTuber》とも呼ばれる彼らは、
特定の専門ジャンルや特化領域を持たずに「面白そうなこと」を広く追求していく。

そしてこの《マルチYouTuber》がそのまま「YouTuber」のイメージとして固まった節がある。



後からネット文化、YouTube文化に触れた人にとって彼らはこうも見えるだろう。

何かよくわかんないけど場当たり的に目立つことをやって若者の注目を浴びて大金を稼いでる得体の知れないヤツら、と。

そう、後から見ると、それも時間が経ってから見るとそのようにも見えるかもしれない。

ただ先のHIKAKINさんにしてもはじめしゃちょーさんにしても、
彼らが動画投稿を始めた動機や経緯を知れば決して
「わけもわからず場当たり的に目立つことをやるヤツ」でないことは一目瞭然。

彼らはそれぞれ自分の好きなこと・得意なことを突き詰めて、
その上で少しずつ自然に活動領域や交友範囲を広げていった結果として、
今のYouTuber的な姿がある


(余談だが、はじめしゃちょーさんとは10年ほど前に都内某所で一度お会いしたことがある。
 当時の動画の雰囲気からすると意外なほどに落ち着いた好青年という印象だった。
 そしてものすごく背が高かった。)



2026年現在では、
専門ジャンルを持つ配信者YouTuberと呼ばれることが増えてきたため、
YouTuberと聞いて即座に《マルチYouTuber》的な人物像だけをイメージする傾向は
以前より少なくなっているかもしれない。

《マルチYouTuber》は正直なところ、先行者利益も大きいと思われるが、
専門ジャンルを持つ配信者は今からでも再現性が高く、モデルケースとしやすい。
私も1視聴者として、歴史ジャンルやゲームジャンルのライバルたちの動画のみならず、
自分の活動とは直接関係のないジャンルの動画も見て
YouTuberたちの【熱量】に感化されることが多い。



私もインターネットお喋りマンの端くれとして常々思うことがある。

「何でもいいから有名になりたい、名声を得たい」
「流行り物に乗っかって再生数を稼ぎたい」

という動機では、その活動者は決して長続きしない

もちろんそういった気持ち自体を否定するわけではない。
むしろ功名心は自分の行動を促す追い風として堂々と認めるべき。

ただし、ただしである。

その気持ちが膨らみすぎて、
功名心が自分を支配する一番大きなものになってしまうと、非常にまずい
「これをやりたいから」が無くなった活動者ほど脆いものはない。

私も2009年からこの17年間、
壁にぶち当たった時には身近な人間からことあるごとに
「お前のやりたいことは何だ?」と問われたきた。

「やりたいこととか、ねえんだよ!」という思考になりそうな時は例外なく危うかった。
そういう危うさというのは、自分が思っている以上に見ている人たちに伝わるし、
それがさらに自分の立場を揺るがす原因となってしまう。

逆に動画がヒットするとかしないかとかは関係なく、
何か夢中になっていること、目を輝かせて語りたいことがある時は比較的安泰だった。

よく巷で言われる、
「夢だけじゃ食っていけねえ」
的な話とは真逆だ。私の感覚は、まさに真逆だ。
「夢の1つも持てねえヤツに、配信界隈で食っていく資格はねえ」
とでも言えばよいだろうか。
(ちょっとカッコつけが過ぎるかな、でもそんなに大きく外してはいないように思う)

その意味で、活動者としての根本に関わる疑問を直球でぶつけてくれるような
身近なあるいは親しい人間が常にいてくれたことは、
これまで私にとって本当に幸運なことだ。



思い返せば、YouTubeの運営側が
「好きなことで、生きていく」
というフレーズを喧伝していたのは、12年前の2014年のことだ。
あれから干支一回り分の年月が経ったとはにわかには信じがたいが、
今から10年後の人たちにも20年後の人たちにも刺さるであろう、非常に簡潔で的確な言葉だと感じる。

また誰が言ったか、この界隈にはこんな名言がある。

「YouTuberはなろうとするものではなく、気づいたらなっているもの」

極端な話、今ならスマートフォンで短い動画を撮ってそれをYouTubeに投稿すればその瞬間にあなたも立派なYouTuberだ。
時間にして、たぶん10分もかからない。
「将来の夢! 目標!」なんて掲げるような大それたものではないのだ。

いやいやそういうことじゃなくて…… それじゃあまだYouTuberとは言えないよ……
そう思われるだろうか。
しかしあなたが思い描く《成功したYouTuber》はきっと全員その延長線上にいるはずだ。



「YouTuberになりたい!」と思っている人たちに聞きたい。

あなたの好きなことは何ですか?
寝食を忘れて没頭してしまった経験のあることは何ですか?
誰に言われたわけでもない、なんなら止められることすらあったのに、どうしてもやってしまうことは何ですか?

それをやってみればいい。
もっとやってみればいい。
気づいたらあなたもYouTuberと呼ばれるようになっているかもしれない。

もちろんその「好きなこと」がそもそも社会的に大丈夫なことであるのか、
(麻薬が好きでどうしてもやめられませーん、ではこの話は成立しません)
そうして進んでいった先の道にどのくらいリスクとリターンがあるのか、
(月の収入が1万円でーす、では残念ながら生活できません)
とか、
現実的な戦略として吟味すべき内容はいくつかあるけれど。

「この道で大丈夫かなあ……」
と不安から始まって成功する人は1人もいない気がする。

「気づいたら進めそうな道を自分で作っちゃったけど、この道は本当に大丈夫か?」
と自分主体で後追い確認するくらいがちょうどよいのだと思う。



私もひとりでぶつぶつ喋ることが好きで、ゲームが好きで、音楽が好きで、歴史が好きで、
ここまで17年間インターネットお喋りマンをやってきた。

気づいたら大手出版社から歴史YouTuberと呼ばれ、
そして多くの視聴者さんからもそう認識されていたことを改めて認識した。

仮に5年前だったら自分の記念すべき初の著書の表紙に
「YouTuberセピア」などと書かれることには断固として反対したはず。
でも今はそれでよいと思っている。
今後も自分から進んでYouTuberと名乗ることはないと思うけれど、
人からそう思われる、そう書かれることには反対しないし、違和感もない。
YouTuberにもなってしまったセピア、それを受け入れている自分がいるわけだ。
実に滑稽な話である。





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