
目下、coki様で今をときめく『みいちゃんと山田さん』について、どこよりも鋭く迫っております。
どうぞご一読、及び拡散を! 兵頭の以降の活動につなげるためにも、よろしくお願いいたします。
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「魔女裁判」。
こう聞くと、いろんな反応をする人がいそうですね。
「中世ヨーロッパに蔓延したあれだろ、恐ろしいよね、集団ヒステリー」
「女の持つ力を怖れた男どもの女性蔑視の発露である! ミソジニーガーーーーーーー!!!!」
「いやさ、要はキリスト教権力ですよ、あれって利権であり産業ですらあったんですよ、魔女から財産を没収するとかして。善なるかな、悪魔よ!」
いやいやいや。
最後のはぼくが小中学生の頃に読んだ本に書いてありました。「いや、教会が悪だとしても即、悪魔が正義ってことにはならんやろ」と、当時既に突っ込んでおりましたが。
今回のお題は魔女裁判は魔女裁判でもセイラムの魔女裁判。イギリス統治下の17世紀のアメリカ、セイラムという辺境の村で起こった騒ぎです。
何しろ百人(資料によっては二百人)の村人が魔女として告発され、十九名が刑死、一名が拷問死、二人の乳児を含む五名が獄死したといいます。
発端となったのは9歳と11歳という、まだ幼い二人の少女。
煩雑さを避け、固有名詞などできる限りはしょって進めますが、以下は松閣オルタ『オカルト・クロニクル暗黒録』を参考にまとめさせていただきます。
さて、この少女たちは発作を起こし、それは身体を痙攣させ、腕、首、背中があり得ないようなねじれ方をして、見る者を圧倒するグロテスクなものでした。
少女たちは未来の旦那様のことを知りたいというあどけない願いから、女中であった黒人奴隷ティテュバに教えられた占いをしていたところ、悪魔に取り憑かれてしまったのです。何しろセイラムは敬虔なピューリタンの村。キリスト教って占いNGですし、ティテュバはブードゥー教を信じていた時期があるといい、異教徒の起こした厄災だと思われたんですね。
少女たちは魔女だとされる女性たちと引きあわされると例の発作を起こし、「あの魔女の仕業だ!」と訴え、それを証拠に女性たちは魔女だとジャッジされてしまいました。
少女たちはまず、村の鼻つまみ者的な女性を魔女だと告発、しかしすぐに敬虔なクリスチャンでご近所の評判もいい女性たちをも魔女だと言い始めます。
事件の渦中においてもツッコミを入れる者はいました。
「ちょい待ち、少女たちは魔女とされる者たちと面会するや痙攣を起こし、『あいつの仕業だーーーー!!!』と繰り返してたけど、もしあんたが魔女だとして、裁判の場でわざわざそんなことする? 痴漢を疑われた者が法廷で女の尻を触り始めるようなモンじゃね?」
そう、少女たちは被害者であるはずが、いつの間にか悪者をジャッジする正義の味方の立ち位置に立っていたのです。
しかし事態はもう、容易には収束しないところにまで至っていました。上に書いた、評判のいい女性が有罪となった辺りで、歯止めが利かなくなってしまったようです。
他にも「さすがにおかしくね?」と言う人もいました。とある農場主のオヤジは発作を起こす少女を一喝してその発作を止め、「小娘どものいたずらだ!」と喝破しましたが、集団ヒステリーには勝てず、結局本人も魔女扱いに。
「え? 魔女? 今オヤジって言わなかった?」
「いやいやいや、男も魔女に含まれんだよ」
そう、そうなのですが事件を見ていくと、発作、痙攣を起こしたのは上の二人のみでなく大勢おり、それはみな少女ないし若い女性。告発されるのはほとんど婆さん。後には男性も魔女扱いを受けるのですが、それは事態を疑問視し、懐疑的な目を向けた者。「悪いことしてないけどキラのことを探ろうとしたから殺ってやる!」的な必要に迫られ、魔女認定を受けた者が多いようです。
「んで? 要はこの事件って何だったん?」
「言ったろ、集団ヒステリーだよ、集団ヒステリー」
「女の持つ力を怖れた男どもの女性蔑視の発露である! ミソジニーガーーーーーーー!!!!」
「いやさ、要はキリスト教権力ですよ、あれって利権であり産業ですらあったんですよ」
いやいや、そもそもが始まりは幼い少女たちです。ミソジニーっていうのはどうなんでしょう。
それに本家ヨーロッパの魔女裁判も、どっちかと言えば教会より民衆の方が夢中になっていたことが、近年明らかになっています。
集団ヒステリーというのはまあ、間違いないでしょうが、他にも麦角説を唱えた者もいます。カビたパンを食べると痙攣、引きつけを起こし、幻覚、妄想症状を呈することがあるそうで、近年、中世のオカルトじみた事件の原因って大体これじゃね、と言われるようになっています。
また、「派閥争い説」も囁かれました。一番最初に悪魔憑きとなったのは、村の牧師の少女。騒動の裏には親牧師派と反牧師派の対立があったのではないか……とする説ですが、松閣氏は懐疑的です。上にも書いたように、派閥争いとするならばむしろ少女と老女の「世代間抗争」の匂いが、ぼくにはします。少女にとってお淑やかにしろの神を敬えの口うるさい社会の規範を体現するのは男性と言うよりは年長の女性でしょう。告発の順序も、まずは年長の女性、次に彼女らをかばった男性たちに対してなされています。
そう、本件は「自由を求めての若者の反抗」的性質を帯びていましたが、仮想敵は男性と言うよりは女性。
そして……実のところ少女たちは「楽しみのためにやった」とイタズラであることを仄めかしていたのです。少女たちの中でも「嘘を吐いていました」と一度容疑を認めて、しかし仲間からの制裁にあってその自白を撤回した者もいました。彼女らにとり、本件は気に入らない大人をやっつけるためのものだったのでしょう。
松閣氏も鋭くツッコミを入れています。
大人たちが少女たちの言いなりで、あまりに不甲斐ないように思われるが、裁判を執り行う判事や牧師たちが「少女たちはあくまで無垢な被害者であり、被害者を疑うなんてセカンド・レ○プである!」という姿勢であったがゆえ、仕方がないと言えば仕方がない。
このような「無垢に嘘なし」という考え方は、ピューリタンの発想の強い影響と分析される。だが、どんな時代にも「被害者」という立場の優位性をよく理解し、それを演じ、利得を得る者がいるのは事実だ。
(110~111p)
そうそう、そこだよ!
わかってるじゃないかオルタ!
そして、結論部ではこのようにも。
今回、この項における教訓は「若い女は危険!」ということ。
(119p)
この後はギャグが続いており、冗談めかしてはいるのですが、半分は本気だったのではないでしょうか。
本来、ここしばらくの採録はオカルトそのものではなく、「フェミニズムとオカルトの近似性」こそをテーマとしていました。
しかしそこで、例えば山本弘師匠のような「頭でっかちの理系君」的人物こそがフェミニズムというカルトに妄信を抱いていることが、明らかになりました。ぼくはそれを以下のように形容しています。
彼らは意識的には「知的論理的女性」を求めながら、無意識裡には自らが「非理性的非論理的男性」であることを解放する口実を求めているようにしか思えない。そして、彼らはフェミニストという恋人を得ることで、ようやく「男性性と女性性とを共に持った人間」として完成した。問題はその両方が、極めて幼いことですが……。
(『トンデモ本の世界G』(再録))
本件の判事たちを、「フェミニストという恋人を得る前の山本師匠」と考えるとどうでしょうか。
冒頭を思い出してください。少女たちの発作は身体がねじ曲がる極めてグロテスクなものであり、見る者を圧倒するものでした。頭でっかちであればあるほど、女性の情緒性というものを目の当たりにした時、ショックでそれに飲み込まれてしまうモノではないでしょうか。
ぼくは実のところ、同様のことを以前からフォックス姉妹事件を素材に主張しようとしておりました。
フォックス姉妹とは19世紀アメリカで霊と交流できると主張して、交霊ブームを起こした姉妹です。足の関節を鳴らすなどしょーもないトリックでラップ現象を引き起こし、大の大人がそれに引っかかりました。あ、コナン・ドイルも少女の撮影したと称する妖精写真に引っかかりましたね。これが絵本の妖精を模写した紙を切り抜き、ピンで留めただけのものを写真撮影したというまたしょーもないトリックで、誰かドイルに「あれれ~、おっかしいぞ~」と言ってあげなかったんでしょうかね。
男性は頭でっかちで天下国家については実に饒舌に語っても、自分自身の感情については無頓着です。先の「魔女裁判利権説」もそうですよね。これは左翼が権力を仮想敵にしがちで生じた間違い、といった側面も当然あるものの、一方では男が「カネという目に見えるモノに原因を還元することは大好きだが、状況下の人々の心の中にまで視線を向けるといったことを、軽んじていた」がために生じた過ちです。
先の「パンのカビ説」について、松閣氏は「確かに事件当時赤いパンの目撃例もあったけど、それが報告されたってことはむしろそのパンが例外的だったわけじゃね」とばっさりです。が、「理に落ちた」説であるがため興味深く、男としてはこの説を採用したい衝動に駆られます。
ぼくたちは情緒性を軽んじつつ、どこかで怖れている。
そのため、高学歴の者があっさりオウムに引っかかったように、フェミニズムにあっさり引っかかる。
セイラムの魔女裁判は恋占いから始まりました。
これは言うなら「学生運動の女版」とも、「少女たちの性衝動の暴走」とも言ってしまえます。しかし、現代社会では「学生運動の老女版」とも、「実在した、老魔女たちの性衝動の暴走」とも言えるカルトに頭でっかちたちが追従しています。
魔女裁判は、これからいよいよ、開廷されなければなりません。
――以上、今回は松閣オルタ氏の本をタネ本にしたがため、何だか文体(というかギャグ)までが松閣氏に似てしまいましたが……実は先の本の続編である『オカルト・クロニクル』で扱われた、「SOS遭難事件」「グリコ・森永事件」についても書きたい衝動に駆られています。正直そこまでの時間が取れるかどうか微妙なのですが、どうなりますやら……。