おはようございます。マクガイヤーです。
この度、調布FM 毎週土曜日 22時より放送されているPodcast番組「本音で行こうぜ!!」に出演することになりました。
https://www.youtube.com/channel/UCcmFXlNqepIT8MeMj46jOOQ
きちんとした放送日やアーカイブのURLが分かりましたらまたお知らせしますね。
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
〇8月9日(日)19時~「『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』公開記念 本当は怖いちいかわ」
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が7/24より公開されます。漫画『ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ』のセイレーン編を原作としたアニメ映画となるそうです。
「ちいかわ」は2017年ごろからイラストレーター・漫画家のナガノがTwitterに発表しはじめた「こういう風になってくらしたい」に登場するキャラクターです。2020年にこのキャラクターを主人公とした『ちいかわ』の「連載」が開始され、爆発的な人気を博すようになりました。
ちいかわの魅力は、可愛い絵柄と、理不尽さや残酷さもあるお話や世界観に魅力があります。「小さくてかわいい生き物が、理不尽にかわいそうな目に遭っている姿」に最大の魅力があるといって良いかもしれません。そこに世相や時代性を見出すことも可能でしょう。
そこで、映画ライターの竹島ルイさん(https://x.com/POPMASTER)と編集者のしまさん(https://x.com/shimashima90pun)をお迎えして、皆で『ちいかわ』の魅力について語り合いたいと思います。
〇8月16日(日)19時~「『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』完結、『角醒ハンター オメガホーン』放送開始記念 PROJECT R.E.D.とメタルヒーローとは何だったのか」
PROJECT R.E.D.シリーズ第二弾『角醒ハンター オメガホーン』が7/26より放送されます。これに合わせて、『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』は7/19にて終了、すなわち2クール・半年の番組であることが明らかとなりました。
『オメガホーン』も2クールのシリーズなのでしょうか? それとも、どこかのタイミングでPROJECT R.E.D.のヒーローたちがアッセンブルする番組が始まるのでしょうか? 未だ全貌のみえないPROJECT R.E.D.シリーズですが、この先どうなるのか全くわかりません。
そんな中、ギャバンを演じた大葉健二さんとジャスピオンを演じた黒崎輝さんの訃報が飛び込んできました。PROJECT R.E.D.はメタルヒーローをオマージュしたシリーズでもあり、いろいろと象徴的です。
一つの節目でもあると思いますので、PROJECT R.E.D.とメタルヒーローを振り返る番組を行います。お友達のナオトさん(https://x.com/Triumph_march)と虹野ういろうさん(https://x.com/Willow2nd)をお招きし、今と昔の特撮について熱く語り合いたいと思います。
〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています
当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。
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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。
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合わせてお楽しみ下さい。
さて、本日のブロマガですが、映画『氷血』について書かせて下さい。公開館数も少なくなってきましたが、ちょっと書いておきたいことがあるのですよ。
●『雪女』の語り直しとしての『氷血』
内藤瑛亮監督の新作ホラー映画『氷血』ですが、面白かったわけですよ。
『氷血』は、一言でいえば怪談としての『雪女』の語り直しです。ただし、『雪女』は怖ろしい鬼女の話ではなく、家父長制により追いやられた女の話である――という視点からの語り直しです。
加藤千尋(セントチヒロ・チッチ)演じる主人公は家族で夫の故郷である豪雪地帯の実家に移住します。認知症の父の怪死をきっかけに、平穏な日常が不気味な「白い女」の怪異に侵されていく――というのがあらすじですが、夫にとってこの怪異はほぼ他人事です。妻……というか嫁である主人公が全責任を負ってこの怪異と子育てと家事に対処する必要があり、「家のことはおまえに任せた」という態度の夫は、せっせと仕事(リモートワーク)に励むのみです。
これらが妻であり嫁である主人公にとってのホラーとして描かれるわけなのですが、その意味では『毒娘』、『嗤う蟲(脚本のみ)』に続く連作の三作目といえましょう。『毒娘』の主演だった佐津川愛美が主人公の親友にして協力者として出演しているのは意図的な配役だと思います。
「『雪女』には納得できない。約束を破ったのは男なのに、なんで女が出ていかなきゃいけないの?」
「自分が我慢すれば良いと思ったんじゃない?」
「私なら、子供は私が連れていく……男は殺す」
……というその佐津川愛美と加藤千尋のやりとりは、『氷血』のテーマを象徴しています。
内藤瑛亮は『先生を流産させる会』で商業映画デビューしたわけですが、元教員で、常に教育的な映画を作ります。また、『氷血』の脚本には第3回日本ホラー映画大賞を受賞した片桐絵梨子も脚本に参加し、女性視点に貢献しているのではないかと思います。
●『雪女』と『吸血鬼の恋』
で、怪談としての『雪女』ですが、近年では小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが雪女という妖怪をアイディアに創作したものである可能性が高いとされているそうです。ハーンの時代以前まで遡ろうとすると、それらしき話がみつからないのだそうです。
牧野陽子によると、ハーンの怪談は各地の伝承を語り直したものですが、原話をどう「再話」したかの程度によって、三つの部類に分けることができるそうです、
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一、文学作品、ないし民話や伝承としてすでに文章化されているものを、ハーンが読み、英語に語りなおしたもの。「むじな」「耳なし芳一」「十六桜」「青柳物語」「和解」「おしどり」などが代表的なものである。原話は特定されている。
二、文字化されていない伝承や説話をハーンが聞いて、作品化したもの。紀行文のなかに、土地で聞いた話、土地にまつわるエピソードとして挿入されている場合が多く、小泉セツがハーンに語ったとされる、「持田の百姓」の話、「鳥取の布団」の話などが知られる。原話をその細部にいたるまで特定することは難しい。
三、ある種のイメージ、ないしはアイディアとしてすでにあったテーマにそって、ハーン自身が日本を舞台にして、ほとんど創作したもの。ハーンが用いた日本の話は、原話というよりは、創作のきっかけ、ヒントにすぎない。
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『雪女』は三つめに分類され、特にハーンが熱烈に支持していたフランスのロマン派作家テオフィル・ゴーティエの『死霊の恋(クラリモンド)』(1836)に登場する吸血鬼の影響が大きいと考えられているのだそうです。
『死霊の恋(クラリモンド)』は、美しい女吸血鬼クラリモンドと恋に落ちる、ロミュオーという聖職者の物語です。ロミュオーは、日中は聖職者として責務を果たす一方で、夜は夢の中でクラリモンドとセックスしまくるという二重生活を送ります。クラリモンドがクルチザンヌ(高級娼婦)であること、カトリックの聖職者(僧侶)は一生清い童貞でなければならないことが、演出として聞いています。当時、庶民には手の届かない美しさを誇るクルチザンヌを男性の知性や活力を奪い破滅させる「宿命の女(ファム・ファタル)」として描くムーブメントがあったのです。
藤原万巳は『増殖する雪おんな』の中で、クラリモンドの肌の冷たさや吸血鬼としての冷気が、『雪女』と共通していることを指摘しています。
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ハーンは生涯を通じて、フランスのロマン派作家ゴーチエの熱烈な支持者であった。その彼が最初に出版したのは、ゴーチエの小説を翻訳した『クレオパトラの一夜、その他』(一八八二)である。その翻訳集に収録された作品の中でも、とくに、「男を魔法の幻覚に陥れ、その血を啜りにやってくる死女の話」である「クラリモンド(死霊の恋)」を、ハーンは東大の講義においても「フランス・ロマン派小説最大の傑作」とまで絶賛している。
「クラリモンド」の語り手ロミュアルドは、美しい女吸血鬼クラリモンドに魅入られ、彼女の虜となった青年僧である。彼はクラリモンドが棺の中から蘇ってきたとき、それを承知のうえで、彼女の言うがままに、今しがたまで土の中にあった彼女の冷たい掌にくり返し接吻をする。
クラリモンドの肌の冷たさが、私の身体に滲み込んで、全身に官能の戦慄が走るのを感じました。
クラリモンドの冷気が、自分の身体に滲み込むことに、つまり、自分と他者との混淆にロミュアルドは陶然となっている。このようなロミュアルドが、クラリモンドの冷たい唇で自分の血を啜られることに、同じように悦びを感じたとしても、何の不思議もあるまい。
「お飲み、そうして、この私(=ロミュアルド)の血とともに、私の愛があなたの身体中に滲みわたっていきますように!」
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●わきまえない女としての吸血鬼
一方で、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897)やレ・ファニュの『カーミラ』(1872)など、19世紀末の吸血鬼小説は、現代ではフェミニズム的な読み解きがなされています。古典作品における女性吸血鬼は、従来から伝統的な道徳や男性支配に対する「恐るべき逸脱」として読まれていましたが、現代では女性の主体性や欲望のメタファーとして読み直されているのです。著者のブラム・ストーカーもレ・ファニュもアングロアイリッシュ(イギリス人にとってはアイルランド人扱いされ、地元のアイルランド人にとってはイギリス側の特権階級と見なされる)であったこと、ストーカーは同性愛者であったこと等、マージナルな存在であったことが大きく影響していると考えられています。
『吸血鬼ドラキュラ』には、当時起こっていた第一波フェミニズムの中で使われていた「新しい女」に対する言及があり、小川公代はこれを大事な描写として指摘しています。
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十九世紀後半に登場した「新しい女」
ミーナとルーシーが散歩の途中に宿で休憩し、たらふく食事をとるという場面で、「新しい女」という言葉が出てきます。「私たちの食欲ぶりを見たら『新しい女』でさえ呆気にとられただろう」と言うところです。
「新しい女」(New Woman)とは、従来の良妻賢母型の女性に対し、社会の慣習にとらわれない自立した女性として十九世紀後半に登場してきた女性たちを指します。フェミニズムが一つの組織化された運動になっていくのは、十九世紀中葉以降ですが、この時期に、妻の財産権の確立や女性の中高等教育が拡大していきました。そして一八九四年、ついに女性作家のセアラ・グランドとウィーダの雑誌上での論争の中でこの言葉は生まれました。
「新しい女」は多様な意味合いを含んでいます。男性と同様の教育や雇用の機会を求めたり、タバコや自転車など男性のものとされた領域に侵入しようとしたりする女性を指すこともあれば、性的な奔放(ほんぽう)さなど許容限度以上の女性性を持つ女性を指すこともあります。
こうした女性たちが社会に登場し、また文学にも描かれるようになりました。
(中略)
ミーナはルーシーへの手紙に、自分は女性ジャーナリストの真似事(まねごと)をしていると書いていました。それはたしかに劣等感を感じさせる言葉ではあるのですが、同時に、プロフェッショナルな職業を持つという意味で「新しい女」の宣言でもあると言えます。それを「真似事」という言葉遣いでちょっとごまかしている。野心はくすぶっているものの、「新しい女」になりきれないところがある。そんなミーナのジレンマが感じられます。
そのミーナがはっきりと「新しい女」という言葉を使うのがさきの食事の場面です。欲望と「新しい女」は切っても切れない関係にあります。食欲、性欲、自己実現したいという欲求――そうしたものを表に出すことを当時の女性たちは封じられていました。女性はおなかいっぱい食べてはいけない(はしたない)、自分がやりたいことを周りに言ってはいけない(結婚して家庭を守るのが当然)。そのように沈黙させられる自己として、当時の女性は生きざるを得なかったわけです。
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スタットフィールドは、「新しい女」の出現は進歩だととらえられているようだ
が、進歩というものは理性によってコントロールされなければならないと述べています。既視感を覚える人もいると思いますが、これはアメリカのトランプ大統領がDEIを批判するやり口とまったく一緒です。
「新しい女」が登場し、そのバックラッシュ(反動)としてこうした言説が社会
に流布する中で、ストーカーは『ドラキュラ』を執筆し、女吸血鬼像を創り上げました。「官能的」という言葉の多用、エロトマニアとの類似性など、『ドラキュラ』に登場する女吸血鬼はエロティシズムやセクシュアリティというものが前景化される形で描かれていることは間違いありません。
さきほど、ミーナは「新しい女」でありながらそれを隠している、内面では「新しい女」になりたいと希求しながら、それを表に見せてはいけないと考えていることを指摘しました。つまり、女吸血鬼とは、内側に秘めている女性の性的な魅力や官能性が表に出たものだということです。自分の欲求や性的欲望を表明することは、当時は規範から外れることでした。そういう女性たちをモンスター化して世間は貶めたのです。ところが、ストーカーはこのことについてもおそらく両義的だったのでしょう。完全に吸血鬼になって人間性を失っていくルーシーは別として、(後述しますが)吸血鬼になりかけるミーナは、「退化」して動物的になるというより、むしろ主体性のある存在として魅力を放ち、必ずしも否定的に描かれるわけではありません。
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「新しい女」は『ゴールデンカムイ』でも出てきましたね。
Me too運動を経た現在は第四波フェミニズムの時代といわれています。そんな中、森喜朗が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長として発した「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「組織委の女性はみんなわきまえている」という発言から、「わきまえない女」というムーブメントが起きました。「わきまえない女」は「空気を読むこと」や「発言を控えること」を求められた際、それに従わず自分の意見をはっきり言う女性のことを指すわけですが、「新しい女」の現代版といえるかもしれません。
●現代吸血鬼映画としての『氷血』
近年の吸血鬼映画は、これらフェミニズム的解釈を踏まえた上で作られています。三回目のリメイクであるエガース版『ノスフェラトゥ』(2024)や、自分は未見なのですが『カーミラ 魔性の客人』(2019)が代表作ということになりましょう。
『死霊の恋(クラリモンド)』は『吸血鬼ドラキュラ』の60年以上前に書かれました。イギリスのゴシック小説の影響を受けつつも、19世紀フランスのロマン主義・幻想文学の一つですし、年代的に第一波フェミニズムの影響を受けているわけではありません。しかし、吸血鬼ものではあります。
『雪女』が吸血鬼ものの一種であるのなら、『氷血』は作られるべくして作られた映画なのだな、と思った次第です。
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