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タツクさん のコメント

八津島長安(やつしまちょうあん)?誰?
No.4
137ヶ月前
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4  一瞬、九十九三蔵は、出遅れていた。  最初に、宇名月典善が疾(はし)り、それに、菊地良二が続いた。  身を潜めていた所から、ライフルを持った男たちが、宇名月典善の後を追った。 「九十九くん、きみは、ここにいなさい」  久鬼玄造が、九十九の動きを制するように、そう言ったのだ。  玄造は、八津島長安(やつしまちょうあん)の背を押し、 「ゆくぞ」  動いた。  すぐそこに停められていた、空の保冷車の助手席に、玄造と、八津島長安は乗り込んだ。  巫炎が乗っていない方の、空の保冷車だ。  運転席には、はじめから山野丈二(やまのじょうじ)が座っている。 「県道の方だ」  玄造は言った。  久鬼麗一が落下した方角――それは、県道の方角であった。  県道から、この牧場まで、森の中を私道が通っている。  その私道か、県道のどこかへ、玄造は保冷車を停めて、待つつもりなのだ。  かっ、  と、保冷車のヘッドライトが点燈した。  走ってゆく、宇名月典善の背へ、ヘッドライトが当る。  二度、三度、ヘッドライトがパッシングする。  これは、私道か県道で待つという合図であった。  そのパッシングの意味を理解した、というように、森へ駆け込む寸前、典善が左手を高く持ちあげて、一度だけ振った。  牧場の中央に近い岩から二〇メートルほど離れた場所に停まっていたジムニーも、すでに動き出していた。  森の際までジムニーでゆき、そこに車を停めて、久鬼麗一を追おうとしているのである。  何かあったら、現場のできるだけ近い場所へ、保冷車を移動させる――それが、あらかじめ決められていたことだ。  その役目は、運転席の山野丈二が負っている。  しかし、玄造が、八津島長安と一緒に乗り込んでくることまでは、その打ち合わせの中には入っていなかった。  まさか、久鬼麗一が空から来るとは考えていなかったのだが、久鬼麗一が、もしも逃げれば、その逃げた先の、車で移動できるぎりぎりのところまで、保冷車を動かすということになっていたのである。  捕えたら、できるだけ短時間で、久鬼麗一を保冷車の中に入れねばならない。もしも、県道などが、久鬼麗一を捕える現場になったら、いつ、誰に見られるかわからない。  夜、車の通行量は少ないとはいっても、まるで通らないわけではないからだ。  牧場内で、ことがうまくいかなかった場合、どうするかの手筈は、何パターンか、決めてあった。  運転席には、無線機器が備えられている。  銃を持っている者は、それぞれ無線機を持っている。  それで連絡をとりあいながら、保冷車を移動することになる。  そこに残ったのは、吐月(とげつ)と九十九、そして巫炎の乗った保冷車が一台。そして、保冷車の運転手である池畑辰男(いけはたたつお)であった。  その保冷車の中で、激しく何かが叩かれる音が響いていた。  金属が、軋(きし)んで悲鳴をあげる音。  巫炎が、外で起こった異変に気づき、暴れているのである。 「どうするかね、九十九くん……」  吐月が言った。  保冷車の中にいる巫炎のことかと、九十九は思った。 「我々も、行くかね」  吐月は、そう言ったのだ。  行く――というのは、森の中ということだ。  森の中には、あの、久鬼麗一がいる。  久鬼は、獣となって、牛を食べていた。  それを九十九は見ている。  その久鬼がいる森――虎のいる森の中へ入ってゆくようなものだ。  銃もない。  武器もない。  しかし、手負いだ。  象四頭が眠ってしまう量の麻酔弾を打ち込まれている。  さらに言えば、三十三口径のライフルの弾が、身体のどこかに命中している。  それが、どこまで、あの獣の能力を奪っているのかは見当もつかないが、弱っているのは確実であろう。  実際、久鬼は、空を飛べずに、森の中へ落下していったのだ。  空を飛んでいるあいだに、麻酔が効いてきたということなのだろう。  それが、どこまでこちらの安全を保証してくれるのかはわからない。  手負いとなったら、かえって危険になる野性の猛獣は、いくらでもいる。  それとは、逆の心配もあった。  銃で撃たれ、あの高さから落下していった、久鬼の生命だ。  久鬼は無事か。  もしも、久鬼が、あれで致命的な傷を負っているのなら、一刻も早く居場所を見つけて、手当てをせねばならない。 「この二〇年、わたしも、カルサナク寺で見たもののことは、ずっと気になっていた……」  吐月は、久鬼玄造と、チベットのカルサナク寺の地下で、「外法曼陀羅図」を見ている。 「何度も、夢に見たよ……」  吐月は、月を見あげてそうつぶやき、その眼を森に向けた。 「今、あの森の中に、それがいる……」  九十九を見た。 「わたしは行くよ」  そう言って、吐月は歩き出していた。 「おれも行きます」  九十九は、吐月の背へ向かって言った。  並んで歩き出した。  すぐに、森の中へ入った。  森の、濃い匂いが、ふたりを包んだ。 「森はね、九十九くん、わたしの庭のようなものだ……」  歩きながら、吐月がつぶやく。 「森の中で、食料を見つけ、獣を捜したり、獣から逃(のが)れたり……そんなことばかりをして、わたしは、暮らしていたのだよ」 「はい」  九十九はうなずいた。  紀伊半島の山の中で、吐月は、ずっと、自らが口にしたような生活を続けてきたのである。 「急がぬことだ。ゆっくりでいい」  吐月は言った。 初出 「一冊の本 2013年7月号」朝日新聞出版発行 ■電子書籍を配信中 ・ ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」 ・ Amazon ・ Kobo ・ iTunes Store ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中   http://www.amazon.co.jp/dp/4022738308/
キマイラ鬼骨変
待望の新章「鬼骨変」がニコニコで連載開始!



⼰の内に「獣」を秘めた⼆⼈の⻘年を描いた、作家・夢枕獏の“⽣涯⼩説”。

1982 年に朝日ソノラマから第1巻「幻獣少年キマイラ」が刊⾏されてから 31 年、これまでに別巻を含めて 18 巻(ソノラマノベルス版〈朝日新聞出版刊〉は本編 9 巻、別巻1 巻)が発売されている。