Kazutakaさん のコメント
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第51号 2013.8.27発行
「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】 ※作品自体の評価や存在意義、作家の情念や業、子供への影響、表現とイデオロギーの問題…今週の「ゴーマニズム宣言」は『はだしのゲン』閲覧制限問題に結論を出す! ※最高に笑えると大好評の「よしりんウィキ直し!」。今回は「『討論番組』『その他』編」!ここまで来るともう、百科事典どころか単なる「雑記帳」と化していた!どこからツッコめば良いのやら!? ※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」。今回のお題はこちら!!みんなでお父ちゃまにツッコミ入れるぶぁい♪ 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第53回「『はだしのゲン』を図書館に置く条件」 2. しゃべらせてクリ!・第13回「お父ちゃまに突っ込もう!の巻」 3. よしりんウィキ直し!・第4回「『討論番組』『その他』編」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記
第53回「『はだしのゲン』を図書館に置く条件」 松江市の教育委員会が市立小中学校図書館に蔵書している漫画『はだしのゲン』を、倉庫などにしまって閲覧に制限をかける「閉架」扱いにするよう指示したことが大きな話題となっている。 新聞各紙の論調は、「閲覧制限はすぐ撤回を」(8月20日付朝日新聞)、「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)、「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)といった調子で、『ゲン』を高く評価した上で、市教委の指示を批判するものが大多数を占めている。 そんな中で、産経新聞は8月22日付の阿比留瑠比記者の記事で『はだしのゲン』について「『閉架』措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない」と非難し、その理由を以下のように挙げている。
「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。 「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。 特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。 「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
なるほど。無茶苦茶な嘘を描いていたんだな。 わしは『はだしのゲン』は「ジャンプ」連載中に読んでいたが、こんなシーンは全く覚えてない。 『はだしのゲン』は「週刊少年ジャンプ」昭和48年(1973)6月25日号から連載が始まった。既に読者アンケートによる人気投票至上主義が導入され、不人気作品は即打ち切りというシステムとなっていた同誌において、『ゲン』は一定の支持はあったものの決して人気作ではなかった。 しかし「アンケート至上主義」を導入した張本人である初代編集長・長野規(ただす)がこの作品を気に入り、人気に関わりなく連載を続けさせたのである。 連載は1年3カ月続いたが、『ゲン』を守っていたのは長野編集長だけだったようで、長野が編集部を離れると連載も終了となる。しかも集英社がその内容にクレームがつくことを恐れて単行本化を躊躇したため、単行本は汐文社という小出版社から発行された。 『はだしのゲン』の連載は1年後左派言論誌「市民」で再開されたが、同誌の休刊で再度中断。さらに1年後、日本共産党の機関誌「文化評論」に連載の場を移すが、原水爆禁止運動における共産党と被爆当事者の対立等の政治的混乱の煽りで打ち切られ、2年のブランクを経て日教組機関誌「教育評論」で連載が続行された。 単行本は全10巻で、そのうち第4巻までがジャンプに連載された分である。 そんな経緯があるので、おそらくジャンプを離れた後の『ゲン』は掲載誌に合わせて、共産党や日教組のプロパガンダ色が強くなり、上記のようなシーンも産まれたのだろうとわしは漠然と考えていた。 ところがスタッフの時浦が今回、全巻を確認して、レポートを出してくれたのだが、作者・中沢啓治は掲載誌に合わせて作風を変えるようなことはしていないという。ジャンプだろうが、共産党や日教組の機関誌だろうが、ほとんど同じ調子で描いていたというのだ。 反戦主義者であるゲンの父親は、ジャンプ連載第1回から「 軍部のやつらが金持ちにあやつられ 武力で資源をとるため かってに戦争をはじめてわしらをまきこんでしまったんだ 」と言い、その後も「 悪いのは軍部・資本家で庶民は被害者 」「 ただし騙されて戦争に協力する庶民も共犯 」「 職業軍人は単なる人殺し 」といった紋切り型の反戦思想の発言を繰り返している。 天皇批判的なセリフも最初から何度も登場しており、「朝鮮人強制連行」も当たり前の事実として語られているという。 そんなのを「週刊少年ジャンプ」で連載していたことが驚きだし、集英社が単行本化を躊躇したのも無理はない……と言いたいところだが、わしには『はだしのゲン』にそんなセリフがあったという印象が全然ない。 原爆投下直後の広島の地獄絵図の光景、皮膚が溶けて垂れさがったまま歩きまわる人々、全身にガラスの破片がつきささっている人、至るところにでき上がる死体の山、川に浮かんだ死体が腐敗してガスが溜まって腹が膨らみ、その腹が破れてガスが噴き出す場面などは鮮烈に覚えている。 戦後になり、飢えに苦しむ中、本人には何の落ち度もない被爆者が差別され、迫害されていく、人の心の酷薄さの描写も印象に強い。 そして戦後の混乱期の中、逆境に負けずにたくましく生き抜こうとするゲンたちの姿も心に残っている。 ところが、天皇批判のセリフとか、軍部や資本家批判のセリフとかは、一切覚えていないのである。 『はだしのゲン』は小学1年の時に広島で被爆した中沢啓治の自伝的漫画だが、中沢は最初から原爆漫画を描こうとして漫画家になったわけではない。むしろ差別を恐れて被爆者であることも公言せず、普通の娯楽作品を描いており、怪獣映画のコミカライズも手掛けている。 転機となったのは母親が死んで火葬した際、骨が残らなかったことだった。放射性物質の影響で骨がスカスカになっていたらしく、小さな骨の破片が点々としていただけだったという。 この衝撃に「ものすごい怒りが込み上げてきた」という中沢はそれ以来、「母の弔い合戦のつもりで」原爆をテーマにした短編を次々発表し、やがてそれが長野編集長の目に止まり、『はだしのゲン』の連載へとつながったのである。 つまり『はだしのゲン』は中沢啓治が作家として、どうしても描かずにはおれなかった「業」が叩き込まれた作品なのだ。 中沢は自分の思いを完全に伝えるため、週刊連載の間もアシスタントを一切使わず、一人で描き上げたという。 だからこそ、中沢自身が体験した被爆直後の惨状や、被爆者差別の過酷さの描写は決して他の誰にも描けない、魂の込められたものとなっており、読んでから40年も経つわしの記憶にもはっきり残っている。 ところが、「 天皇が戦争を始めた 」だの「 天皇が戦争を終わらせなかったから原爆を落とされた 」だのということが中沢に実感としてあるわけがなく(しかも事実として間違ってるし)、これは単にイデオロギーでしかない。 本人は原爆にも、天皇にも、同じように怒りをぶつけて描いたつもりだったろうが、この二つは決定的に違う。それは普通の読者なら無意識のうちに見抜いてしまうものである。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
原爆を受けた直後の広島の描写は衝撃的でしたし、その後のウジ虫がたかる、寝たきりの絵描きを世話するエピソードも忘れられません。それ以降のエピソードはちょっと忘れちゃいましたけど、記憶にあるのは日本軍の蛮行(女性器に一升瓶を突き刺すとか)をゲンが語っていたなあという断片的なものです。
当時は、日本はアジアでいろいろ悪いことをしていたと教わっていたので、特に違和感はなかったのです。従軍慰安婦という存在が語られ始めた頃も悪いことしてたんだから賠償するしかないんじゃないかな?という感覚でした。
やはり転機になったのはよしりん先生の『戦争論』でした。
漫画の情念の強さもさることながら、合理的で説得力のある論で、これまでの戦争観がひっくり返りました。
『天皇論』シリーズも当時の昭和天皇の苦悩や敗戦後の日本のためにどれほど尽くされてこられたのかが分かり、深い感銘を覚えました。
そんな自分の経験から言わせてもらうと、『はだしのゲン』と『戦争論』『天皇論』シリーズを並べるのは大賛成です。小学生には内容はまだ難しいかもしれませんが、子どもは感性が鋭いので、情念を大人より感じることができると思います。そういう作品はいつまでも心に残ると思うし、難しいことは大きくなった時、また読み返して理解すればいいだけのこと。
『戦争論』は15年売れ続けていますから、今の子達が大きくなった時、必ず読む機会に恵まれると思います。
>>4
そぽろさん
ラストシーンが「来て」から「生きて」に変わったこと。僕はむしろこちらの方が宮崎監督らしいなあと思いました。
この映画のキャッチコピーは「生きねば」。ラストシーンは業を背負い、たとえ希望が見えなくなっても人は生を全うすべきだ(長生きしろという意味ではなく)という宮崎監督のメッセージか込められていると感じます。
それゆえ、死者に誘われて生を閉じるラストシーンは情緒的であっても、そぐわないと判断したのだと思います。
そもそも「生きねば」というコピーはご存じかもしれませんが、漫画版『風の谷のナウシカ』の最終巻のセリフから来ています。漫画版と映画版の違いは、特に世界の秘密についての設定で、ナウシカは終盤にその秘密を知ることによって大いなる業を抱え込みます。ネタバレになるので詳細は省きますが、ナウシカは人類が生きる意味すらひっくり返されてしまうその秘密を自分の胸の中にしまいこみ、「生きねば……」と決意するところで終わります。
僕は『風立ちぬ』を観て、ああ宮崎監督はナウシカの時から(良い意味で)変わってないんだなと感じました。まだ未見であれば、是非オススメします!
むしろ「来て」のラストシーンで喜ぶのは宇野常寛、東浩紀、中森明夫、藤原帰一をはじめとするサヨク知識人たちでしょう。彼らは主人公に葛藤や苦悩、後悔、そして“報い”を求めていますから、死んだら喜んだはずです。
>>17
直明さん
サザンオールスターズの『ピースのハイライト』について僕も同意見です。
桑田佳祐氏はインタビューで「国と国というのはもともと仲が悪いもので、だから国境がある。習慣が、民族が違えば、考えることや主張も違うし。だけどやっぱり平和的に、交渉や外交で、政治家にはうまくやってほしい。ねじれや不信、誤解されているものを少しでも解いてほしいな、と思う」といった主旨の発言をしています。
そもそもあの歌はメッセージソングではあるけど、イデオロギーに染まったものではなく、「世の中は今こんなことになっている。どう思う?」と問いかける歌です。
特にネトウヨが騒いでますけど、歌詞の内容を見れば日本に限らず、国というものがどうしても抱えてしまうエゴや他国に歩み寄れないもどかしさを伝えているだけです。政治や外交は摩擦を起こしたり対立したりするための手段ではなく、まずはお互いの妥協点を見つけ出すものではないかと。
「国境がないと想像してごらん」とユートピアを歌ったイマジンとはまた違った趣があると思います。そこに力強いメロディーも加わって、心に響きます。
タイトルの意味は「陽の当たる場所(ハイライト)で小さな対立はあっても、その水面下で妥協点を探して平和(ピース)を維持していこうよ」という風に対比させていると僕は解釈しています。
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