こいらさん のコメント
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第57号 2013.10.8発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※生まれも育ちも一般国民であるにも拘わらず、自身を「旧皇族」と詐称する「ニセ旧皇族」竹田恒泰。国民の自尊心が高まれば、日本の生産性はアップし、輝かしい時代を迎える!?「宮様詐欺」はついに「新興宗教」となった!この危険な状況から目を離してはならない!
※ウィキペディアの記事を徹底的に添削!大好評の「よしりんウィキ直し!」。今週はついに、初期ゴー宣のクライマックス、オウム真理教事件を巡る死闘から連載雑誌移籍の顛末編!!明らかに特定アンチが書いたと思われる記述で荒れ放題!真相はいかに!?
※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」!今回のお題も大豊作!!食欲の秋、実りの秋、ぽっくんのおなかも豊潤のときを迎えてましゅ!
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第59回「旧皇族を騙る者の宗教活動」
2. しゃべらせてクリ!・第18回「止まらない食欲の秋ぶぁ~い!の巻〈前編〉」
3. よしりんウィキ直し!・第7回「ゴーマニズム宣言③:オウム事件・雑誌移籍の顛末編」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第59回「旧皇族を騙る者の宗教活動」 竹田恒泰の影響力が最近、急速に増してきているらしい。
この「ライジング」の読者にとっては、竹田恒泰といえば生まれも育ちも一般国民であるにもかかわらず自身を「旧皇族」と詐称している「ニセ旧皇族」であり、天皇陛下のご意思に逆らう「男系絶対固執派」であることは周知の事実だろうが、残念ながらこのことが一般には浸透していない。
竹田が主宰する「竹田研究会」は発足5年ほどで全国16カ所に設立され、会員数は現在2万8千人、9月に発売した新書は1週間で8万部が売れたという。
朝日新聞WEEKLY「AERA」は10月7日号の特集『日本「右傾化」の真実』の筆頭に竹田を取り上げている。
全国の「竹田研究会」が定期的に行なう竹田の講演会には重々しさも堅苦しさもなく、「お笑い芸人のライブに、雰囲気は近いかもしれない」という。
竹田の講演は「肩のこらない口調と、漫談家を思わせる巧みな話術」で笑いをとりながら、「天皇は神の子孫です。私たちはみんな、神の子孫なんです」「日本の特徴は、君民一体という点にあるんです」など、天皇の存在を理由として「日本は素晴らしい」と訴えるもので、参加者は「日本人ってすごい、という気持ちになるんです」「竹田先生のお話を聞くと、自己肯定感を覚える」などと言っているそうだ。
わしも17年前に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げた頃は「日本に誇りを持とう」というようなことをシンポジウムや講演会で全国あちこち回って言っていたから、なんだか既視感を覚える。
だが17年前と現在では、世の中の風潮がまるで違うことを強調しておく。
あの頃は、日本人が世界で一番劣った民族だ、世界一悪い民族だ、謝罪し続けなければならないのだという自虐史観が蔓延していたから、決してそうではないと訴えなければならない必然性があったのだ。
そして当時それを訴えることには、ものすごいリスクがあった。ありとあらゆる誹謗中傷、バッシングを受け、マスコミ・出版業界から完全に干されてしまう恐れすらあったのだ。
一例として、わしが『戦争論』を描いた翌年、「AERA」1999年1月11日号に載った特集「日本の不安」の記事を挙げておこう。
記事は70年代に大ブームを起こした『ノストラダムスの大予言』の影響で「1999年7月に世界が滅亡する」という「終末願望」を持った人々を延々とレポートし、「ノストラダムス・ブーム」に思春期を直撃された世代にオウム真理教に入信した者が多いことなどを紹介している。
その上で、若い世代は「イデオロギーのような共同幻想に背を向けてしまった」ために「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定できる確信を失った」と断じ、そのような立つ瀬を失った若者の心理の「補償作用」を果たすのが『ノストラダムスの大予言』のような「破滅的あるいは破壊的なドグマ」(ドグマ=宗教上の教義、もしくは独断的な説)だと決めつける。
奇妙な記事だ。赤軍派や極左のテロ活動によって、イデオロギー(例えばマルクス主義)によって「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定」する若者の方が危険だということは当時もう証明されていたのだが。
論理に飛躍がありすぎとしか思えないが、そんな話を長々と続けておいて、最後に突然こんなことを言い出すのだ!
ノストラダムスの役割は90年代、オウム真理教、尾崎豊、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」へと連綿と引き継がれている。
世紀末の団塊ジュニア世代を震撼させる最強のドグマは、ゴーマニズム宣言のマンガ家、小林よしのりが著した『戦争論』だ。
もう10万光年ワープしたような飛躍っぷりで、全く意味がわからない!
尾崎豊まで悪しき者になっている。
とにかく『戦争論』が『ノストラダムスの大予言』以上の破壊的・破滅的な狂信的危険思想だということにしたかったようだ。
そして記事はこんな記述で締めくくられている。
(『戦争論』を読んで) 日本人であることの誇りを感じられるようになったという女子大生(22)もいる。彼女はいままでに教え込まれた太平洋戦争の知識をまるで信用できなくなっている。
「アジアの国で無闇に謝り続ける政治家と自分をだぶらせて日本人は恥ずべき存在なのだと思い込んでいたけれど、いまは、たとえ負けたにせよ、あの壮烈な戦争を戦い抜いた日本人の子孫であることになんら恥じ入る理由はないと思いを改めています」
彼女も『戦争論』を読んですぐ、戦争中のファシズムのプロパガンダをテーマにした大学の夏季集中講座を聴講した。そこで、すべての従軍慰安婦に一刻も早く補償を、と説く講師の言葉に釈然としない疑念に捕らわれたという。
たとえこの世が終末の予言の通りに滅ばなくても、ノストラダムス的ドグマは肥大する。
かつては「日本人の誇り」なんて言ったら、『ノストラダムスの大予言』と同じ「破壊的ドグマ」だと言われたのである!!
それが今ではどうだろう? 同じ「AERA」がほとんど「竹田研究会」の宣伝みたいな記事を載せている!
記事にはそこに危険性が孕んでいるかのように書こうとしている意図も見えるのだが、結局はそれができず仕舞いに終わっているのだ。隔世の感とはこのことだ。
高森明勅氏にこの話をしたら、「 17年前、小林さんや『つくる会』の面々がデタラメな攻撃を受けながら必死に種をまいたものを、いま竹田が何の労も負わずに楽々と収穫しているわけですよ 」と言われた。
なるほど。そういう構図か。
現在はもうそれほどの自虐史観はない。今ではテレビで毎日のように、日本の文化は外国人が目を見張るすごいものばかりで、他の国がマネしようとしているといった情報が流れている。
かつては中国・韓国の批判などもってのほかという強固な空気ができ上がっていたのに、今では中国・韓国には公共性がなく、どこか劣等な国だなんてことは普通の主婦の会話にも出てくるし、週刊誌は韓国批判をすれば売れるという状態だ。
教育現場にはまだサヨク教師が残っているかもしれないが、もうそんなに影響力はないだろう。
従来は、自分が社会で正当に評価されていないという不遇感や、自分の将来に対する不安感を持っている人が「右傾化」すると言われてきた。しかし「AERA」の記事に登場している「竹田研究会」の会員は平均より多めの収入があり、特に満たされない思いを抱えているわけではないと言っている。
さらに「AERA」が1千人規模のアンケートを行なったところ、特に不遇感や将来への不安感を持たない層でも、自国に対して誇りを持っている割合が高いという結果が出たという。
「AERA」にしてみれば、「右傾化」は不遇感や将来不安のはけ口という結果の方が好都合だっただろうが、データに否定されてしまったのである。
いまは「日本人の誇り」を言っても攻撃してくる者はなく、みんな納得できて、それが普通の人の感覚だと認識される時代になっている。
それならわざわざ今さら講演会に「日本の誇り」の話を聞きに行く必要もないはずなのに、竹田の講演を聞いて感激している者が増えているというのは、何とも不可解だ。
本来、天皇とは何なのかといったことは学校で教えるべきなのに、それが一切行なわれていないから、皇室の話が新鮮に聞こえるというのはわかる。
しかし、だからといってそれで「研究会に参加すると、みんな笑顔で元気になる」などと言っているのはものすごい違和感を覚える。この空気は一体何なのか?
この「AERA」には竹田のインタビューも載っている。
だがここで竹田が言っていることは疑問だらけだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
以前、宮崎駿が「CUT」という雑誌で『風の谷のナウシカ』についてインタビューされていたのを読んだことがありますが、その中で「今、日本に所与としてある歴史の流れに対してのカウンターとして自分の作品がある」みたいなことを言っていた記憶があるのです(うろ覚えかもしれませんがそんな内容だった記憶があります)。
「CUT」という雑誌を発行しているロッキング・オン社という出版社は音楽関係の雑誌も扱っていますが、左翼というか、ポストモダン的な感じの論調で雑誌を作っていて(そこが作ってる「SIGHT」という雑誌がまさに左翼の雑誌なのですが)、おそらくその編集者に合わせた感じの論調の発言みたいな感じだったかもしれません。
それから、私は以前、当時付き合っていた彼女と宮崎駿の「魔女の宅急便」という映画を見に行ったことがあります。彼女は東京出身で、やはり少し今思えば左寄りの女性だったのかな、と思うのですが、子供向けだったということもあったのですが私は宮崎駿の世界観に全くシンクロできなかった記憶があったのです。
彼の表現の源泉に「都市化が進んで失われた『自然なるもの』や『土着的なもの』への再発見ないし回帰」みたいなテーマがあると思うのですが、私が住んでいるところは田舎だったので、そういう「自然」とか「土着」みたいなものはわざわざ「発見」や「回帰」するものではなくって「生活とともに当たり前にあるもの」であったから感情移入できなかったのかもしれません(それが原因かは分からなかったけれども彼女との交際は続かなかったです)。おそらく牛頸の田舎で育ったよしりん先生も同じような違和感を感じているのでは、と推察できます。
どうも、『風立ちぬ』をはじめとする宮崎駿の中に「大東亜戦争=近代、平和主義=自然・土着」みたいな「間違った」対立構造を生んでる図式があるのではないのでしょうか。
大東亜戦争は、単なる軍事による近代同士の戦いではなく、愛郷心や共同体から培われた日本なるものと、近代的で合理的な西欧の個人主義の衝突だと思うのです。日本の近代化が進んだ要因として、共同体意識が強く、私よりも公を大事にする人間が多かったという一面もあるのです。「風立ちぬ」が左翼の知識人の話題にのぼることが多いのは、「零戦を作った共同体を担保とする日本の近代化」を批評するポストモダン的な視点で描かれているのではないのか、そしてその視点に頷く左翼が多いのではないのかな?と思ってしまうのです。
日本が先進諸国と違って「近代化イコール合理化ではない」理由は天皇陛下を中心にした共同体組織が戦後も存在したからであり、それはよしりん先生の『戦争論』でも描かれたテーマだったと思うのです。この国で近代を批評しそれを乗り越えるためには、たとえ土着や自然に回帰するにせよ、それが創作の世界にせよ「天皇陛下を中心にした日本という共同体」を意識しなければならないのですが、どうも宮崎駿は「何か空とか自然とか土着みたいなものに『逃避』すれば『日本みたいなうざったい共同体国家』から逃れられる」みたいな「倒錯した日本の近代批判」みたいなものにしかなってないし、それは単なる逃避という退行現象に過ぎないと思います。彼が主人公に少女や幼女を選んできたのも、それと無関係ではない気がします。
昨今の映画なんかも、特に日本の若手の監督なんかがそうですが「日常や共同体からのしがらみを抜けた、私とあなただけの清らかで美しい関係は永遠なんだ」みたいな作品が多いような気がします。そんな安っぽい映画の主題歌に日本のロックが使われてることが、いちミュージシャンとして情けない気もします。確かに共同体はうざったいのも事実で、逃避したい現代人が多いからそんな映画が幅を利かせるし、『風立ちぬ』がウケてるのも一面の真実ではあるのですが。子供や思春期だったら共同体からの逃避もある程度は許されるのですが、大人なら共同体と自己の間の折り合いを上手くつけて暮らしているのが普通じゃないのでしょうか?。
10月13日の道場には行けませんが(路上ライブの日なので)、おそらくそのような話題も上がるのかもしれません。
まだ手塚治虫の方が、宮崎駿より日本の共同体意識と西欧の合理主義との衝突に対して自覚的な描き手だった気がします。
長文失礼しました。
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