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na85さん のコメント

 よしりん師範、木蘭師範、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信ありがとうございます。

 今回の「ゴー宣」と『大東亜論』の「一人でいて寂しくない人間になれ」で思い出したことがあります。新ゴー宣の「安易なケータイ関係には期待しない」というタイトルの章だったと思いますが、四六時中ケータイをいじっている親戚の少女が訪ねてきた話です。ケータイを放せないのは「自分は皆の関心の中心にいる」ことを確認したいからだという見事な分析でした。また別のくだりで、夜遊びしてきた娘を叱ろうとした父親が「あんたに私を怒る資格があるの?」と言われて絶句し、孤独に自分を縛ってきた者こそがこの社会を牽引することに気付くだろうと続きます。その章は孤独に自分を縛っている恐るべき子たちがいるはずだと結ばれていました。
>「何でも冷笑するニヒリズムの『価値相対主義』を楽しむ者と・・・一切の風刺も許さない『価値絶対主義』に走る者の両極端に分かれている」
 マジを嗤うタイプの人は常に物事を相対化・客観視する立場に自分を置き、笑いの対象と笑う自分というように隔絶することで自己防衛しながら自分はマジにならず、社会的責任からも上手く逃げる傾向にあります。一方マジにのめり込むタイプの人は自己客観視が苦手な傾向の人が多く、他人から「あいつイタイ」という目で見られても気づかず、社会的責任を負いたい気は満々だけど能力不足という場合も逆に自分を認めない社会に対して反感を持ちがちです。この大きく分けた2つのタイプの人種は70年代までは家族・職場・地域といった共同体の中で交流できていました。そしてまた自己と他者を共に客観視でき、目標のために自分を縛ってマジにもなれる少数者が共同体の中心に存在し、このような人が社会を牽引してきたものと思われます。
 しかし80年代半ばからのバブル景気で地に足のつかないノリが社会を席巻すると、相対主義者はその状況を客観的に楽しみましたが、ノリについていけない絶対主義者は自己の主観に基づく価値(多くはオタク的価値でその一部がオウム)に埋没し、結果社会に断層が生まれました。さらにバブルが崩壊した90年代からの大不況・震災・オウム事件などを契機とするショックドクトリンで米国発の構造改革が加速し、あらゆる共同体が崩壊に向かった結果2つの人種は交流の場を完全に失ったわけです。ここまで断絶が深刻になると、崩壊していく共同体の中で成員たちがマジになれるほどの共通の目標=公的な価値を提示することは難しくなり、これまで社会を牽引してきた少数者にも為す術がないのかもしれません。現代社会においてマジな夢を見続けられる数少ない例の一つはAKB共同体の少女たちでしょう。
>「会社という共同体、地域共同体から家族共同体までが崩壊していく過程で、砂粒の個が、『個人』には成りきれず、寂しい『私』となって『絆』や『仲間』を求めている」
 結局どうとでも取れるポエムとは公的な意味や価値の無い空虚な代物です。人々は絶対的価値やマジを求めているのに、価値相対的なポエムで自分を誤魔化しながら、何者かから提供されるニセモノに満足するしかないわけです。無価値な不動産を価値ありげに見せたり、無意味な条例を有効に見せたり、社員をこき使うブラック企業を夢のある職場に見せたりする役割をポエムは果たしているわけです。繋がりの希薄な時代におけるブラックな現場のポエマーたちは、一瞬でも他人と繋がれる錯覚に希望を見出すのでしょうか。そしてヘイトスピーカーたちの似非ナショナリズムがポエムと同じ作用を持つという分析は見事だと思いました。ブラック企業で働くつらさをポエムで叫んだり、不遇感をナショナリズムで誤魔化して差別語を叫んだりするよりも、AKBのマジな少女を応援している方がよほど健全です。
>「『本気(マジ)』と『パロディ』のバランスをとる柔軟さが求められる」
 これはマジに嵌りつつ自己客観視もできる人格ということでしょうか。上記で「新ゴー宣」のある章を引いて書きましたが、自分を孤独に縛ることができ、そうして社会を牽引する力を蓄える少数者とはそのような人格だと考えます。『大東亜論』における頭山満は全社員がマジの塊のような玄洋社において誰よりも熱くマジでありながら最も冷徹に自他を客観視し、玄洋社内部の問題にも国家の大問題にも正しい対処法を講じていきます。そうして頭山は明治の日本社会を牽引していきました。現代日本においては徐々によしりん師範が社会を牽引しつつあるのかもしれません。
 「ザ・神様」はいよいよオオクニヌシとスクナビコナの別れが近づいているのでしょうか。失って初めてその人の重要さが分かるというものですね。最初スクナビコナが登場したときは何て厚かましくて傍若無人なキャラだと思ったものですが、こんな関係も「自分を一番自由にしてくれる不自由」(戦争論)な束縛=共同体(たった二人ですが)だったわけです。

 孤独に自分を縛るためには、実は良き共同体に属していることが必要 na85
No.75
129ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
第70号 2014.1.21発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…現代は『ポエム化』している!?前向きで優しく、聞き心地はよいが、大げさで意味不明な詩のような言葉が、社会のあちこちに氾濫しているのだとか。一見ギャグのような「ポエム化社会」。しかしその背景には、ある深刻な問題が横たわっていた! ※「ザ・神様!」…名参謀スクナビコナのキビシイお説教にぶちギレたオオクニヌシ!「…ぷちっ」なんとスクナビコナを踏み潰してしまった…!!衝撃の展開に唖然騒然!どうなるデコボコブラザーズ!? ※「しゃべらせてくり!」…この世の悪に、ぜっこーもーーーーーん!止めてクリるな、柿野くん。泣いてクリるな、沙麻代ちゃん。絶交仮面は正義のために、行かねばならんのぶぁ~い!!   【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第72回「ポエム化社会、マジとパロディの両立が必要」 2. しゃべらせてクリ!・第31回「『絶交仮面は行かねばならぬのぶぁ~い!の巻<後編>』」 3. もくれんの「ザ・神様!」・第25回「兄のために掘る・掘る・掘る!――オオクニヌシの温泉掘削」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 第72回「ポエム化社会、マジとパロディの両立が必要」  現代は「 ポエム化 」しているという。  前向きで優しく、聞き心地はよいのだが、大げさで意味不明な詩のような言葉が、社会のあちこちに氾濫しているというのだ。 「日刊SPA!」のウェブサイト( http://nikkan-spa.jp/507075 )にその「症例報告」が載っていたので、その中からいくつか拾ってみよう。   新築分譲マンションのチラシやパンフレット には… 「 天空に舞い踊る星々のトレモロ。人々の営みを物語る地上に散りばめられた灯火のロマネスク。あるいは、早朝のまどろみから朝日に洗われつつ姿を現す都会のエクリチュール 」   旅館やホテルのHP では… 「 がんばるのに少し疲れたな…と思ったら、『月のうさぎ』におかえりなさい。あなたは現世のかぐや姫。そしてここはあなたの心の故郷。胸のもやもや、隠し事も、ほんのり月夜に消えてしまいます 」   大学案内 では… 「 『学び』というペンで、夢を未来を描き出そう。開いたノートが『まだ、まっ白!』でもかまわない。未完成だからこそ、想像以上の私になれる 」   朝日新聞の『天声人語』 も… 「 文筆に卒業はない。厳しくも温かい恩師である読者との交流を糧に、外へと踏み出したい。東京は残花を惜しむ週末。ひとひら風に舞って、この国を、また好きになる 」   ラーメン屋の壁 には… 「 いま居る処が最後の砦 そしてすべての始まりなんだ がんばろうぜ 」 「 この人生は一生懸命 私の人生は一笑賢命 いつでもどこでも いっしょうけんめいが いちばん美しい 」  さらには、 自治体の条例の名称 まで「ポエム化」が蔓延しているそうで、  熊本県人吉市「 子どもたちのポケットに夢がいっぱい、そんな笑顔を忘れない古都人吉応援団条例 」  滋賀県草津市「 愛する地球のために約束する草津市条例 」  北海道厚沢部町「 素敵な過疎のまちづくり基本条例 」  秋田県横手市「 雪となかよく暮らす条例 」  新潟県阿賀野市「 みんなで支えよう『こころ』と『いのち』を守る条例(案) 」  …といった、正体不明の条例が続々と誕生しているという。  1月14日のNHKクローズアップ現代『 あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~ 』は、その「ポエム化」社会をレポートしていたが、特に目を引いたのは、「居酒屋」とそこに勤める若者たちの現状だった。  居酒屋というのはもともと「ポエム」の宝庫で、 相田みつを まがいの筆文字の「ポエム」が店中の壁一面、トイレにまで『耳なし芳一』みたいに書き込まれた居酒屋なんかもよくあるそうだが、問題はそんなことには留まらない。  昨年11月、5000人の聴衆を集め、「日本一の居酒屋」を決める「居酒屋甲子園」なるイベントが開催された。  決勝大会の審査基準は料理の味や接客ではなく、 居酒屋で働くことの「希望や夢」を謳いあげる「魂の“ポエム”」 だという。  そこでは居酒屋で働く若者が、自らの過去のつらい体験を告白し、 「愛」「希望」「勇気」「絆」「仲間を大事に」「笑顔」 等々の綺麗事の言葉をちりばめて、決して楽ではない居酒屋の現場で働く中で、前向きに生きる希望や夢を見つけることができたという「喜び」を情感たっぷりに訴えかける。 「 夢はひとりで見るもんなんかじゃなくて、みんなで見るもんなんだ!人は夢を持つから、熱く、熱く、生きられるんだ! 」と絶叫する金髪の若者。 「 変わりたい。今の自分は嫌だ!みんなから愛される店長になりたい! 」と、目を潤ませながら語る店長。 「 私にガンが見つかりました。どうして私が、なんでこんなつらい思いを… 」という体験を打ち明ける女性店員…。  そして、それを聞いた観客も感激して涙ぐんだりしているのだ。  同様のコンテストは今、居酒屋だけではなくトラックドライバーや介護士、歯科助手、パチンコ店員、エステティシャンなど、10以上の業種で行なわれているという。  出場者は居酒屋で働く「夢と誇り」を、全身の身振り手振り、満面の表情に浮かべて絶叫し、涙まで流して訴え、観客はそれを見てストレートに感動している。  そんな「居酒屋甲子園」の様子を見て、わしはどうにもむずがゆくてたまらない気持になった。  それは新興宗教や、自己啓発セミナーにもよく似た一種異様な光景とも見えたが、ここでわしが連想したのは、かつて毎年成人の日に行なわれていた『青年の主張』だ。   『 青年の主張 』は昭和31年(1956)からNHKが開催していた弁論コンテストで、毎年テレビ・ラジオで全国放送されていた。  毎年設定されるテーマに沿って、その年の新成人が「主張」を発表するのだが、その内容はといえば、自分の不幸な過去を告白し、それから綺麗事の言葉を並べ立てて、自分が今、いかに前向きに夢や希望を持って生きているかを訴えるという、青臭く、公に言うのは恥ずかしい、偽善的といってもいいようなものがとにかく目についた。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!