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「『ポエム化社会』にある深刻な問題とは?」小林よしのりライジング Vol.70
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第70号 2014.1.21発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第72回「ポエム化社会、マジとパロディの両立が必要」
新築分譲マンションのチラシやパンフレットには…
旅館やホテルのHPでは…
大学案内では…
朝日新聞の『天声人語』も…
ラーメン屋の壁には…
1月14日のNHKクローズアップ現代『あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~』は、その「ポエム化」社会をレポートしていたが、特に目を引いたのは、「居酒屋」とそこに勤める若者たちの現状だった。
昨年11月、5000人の聴衆を集め、「日本一の居酒屋」を決める「居酒屋甲子園」なるイベントが開催された。
「夢はひとりで見るもんなんかじゃなくて、みんなで見るもんなんだ!人は夢を持つから、熱く、熱く、生きられるんだ!」と絶叫する金髪の若者。
『青年の主張』は昭和31年(1956)からNHKが開催していた弁論コンテストで、毎年テレビ・ラジオで全国放送されていた。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
おぅ一番乗りw
MVPありがた○きん^^
2番アルヨ
三番だ!!
3位入賞か?
何に!4位か!銅メダル欲しかった!
5位か・・・
6位・・・
残念、今日は早く帰宅できたのに~
くやしい~
配信お疲れさまです。
私は大学時代に武道系の体育会系の部活に入っていたことがあるのですが、とにかく先輩が白と言ったら白、黒と言ったら黒という世界でした。で、この悪しき慣習が今の企業社会にもあるし、居酒屋甲子園の例なんかもそうですがそういう「若者の主体性を削ぐ何か」がポエム化社会を支えている気がしてならないのです。
美しい字面の裏には、何か底意地の悪さが隠れているような「悪意」みたいなものをポエム化社会が含んでいて、それは「清く正しく美しく生きれば幸せになるんだよ」というプラトニズムみたいな印象があります。中谷彰宏や浅見帆帆子、それから佳川奈実や本田健などと言った自己啓発本の作者などが「気づき」や「学び」や「本当の自分探し」みたいな底意地の悪さを一見美しい言葉で塗りつぶしていて、等身大の自己と向き合ってない違和感にも相通じるような気がするのです。
そしてそういう「底意地の悪い美しさ」が昨今の断捨離ブームや風水ブーム、占いブームやパワースポットブームに繋がっているし、あるいは在特会などの排外主義に見られる「自分たちは美しくない」のに「美しい日本というナショナリズムの鼓舞」という倒錯した価値観の下支えみたいな現象と不可欠ではないと思います。
もっと私は、等身大の自分と向き合って、ポエムでない等身大の言葉で真の美意識と対峙していこうと思います。それが結果的に誰かを鼓舞することになれるのならば、生きる価値はあるとは思いますが。
配信ありがたまきん♪
風刺・批判へと発展しうるパロディ精神と、価値相対主義に陥らない本気(マジ)を兼ね備えたタレントというと…AKBグループか(笑)
秋元康はまさに、現代の「一人でいて淋しくない人間」だと思います。
Facebookでしばしば嘘くさい「感動する話」が流れてきて、数千人が「いいね!」しているのを目にすることがあります。ちょっと考えればありえないことが一目瞭然の「美談」に「感動しました(ToT)」とかコメントしている人たちを見ると、「ああ、淋しいんだろうな」と思ってしまいます。
思考して真贋を見極める努力をせず、「皆と同じ気持ちでいる」「仲間がいる」ということに心地よさを覚えているのでしょう。ネトウヨと共通するものがあるように思います。
>最後には死のプレッシャーと闘わねばならない。
よしりん先生から頂いた、この言葉は重く、そして
大事に受け止めねばと思いました。
『大東亜論』の頭山満、そして今号のゴー宣の締め
「一人でいて淋しくない人間になれ!」と連動しているようで。
わたしも、死のプレッシャーと闘うために、一人でいて
淋しくない人間になるための準備を、仕事で生かそうと思います。
配信ありがちょー(*'▽')
90年代も叫ぶ詩人の会とかいましたね。クサい言葉で安い涙を流したい人はいつの時代にもいえますが、居酒屋のケースは、企業倫理としても、カルト宗教としても限りなくクロにちかいですね。
悔い改めます。
つい、金メダル欲しさに…記事を読まずにコメント欄に駆け込んでしまいました!でも、メダルは獲得できませんでした(泣)
。いつも緊張感を保ちスタートラインに立っているのに!スタートの合図はの確認は…運まかせだ、悔しい!もうわたしもおっさんだ。コメントの内容で勝負します(笑)。
改めて今回の記事をしっかり読みました。読み応えのある内容でした。なかでも、絶交仮面に扮した茶魔の眼鏡に惹かれてしまいました(怒らないで下さい)。是非、商品化してして下さい!最近、眼鏡の度が合っていなくて仕事をするうえで困っているところでした。近所の「眼鏡市場」で買うことができたら嬉しいな(笑)。
ポエム化社会の青年の主張っぽいものを読んでて思い出したのは、「脱正義論」で薬害エイズ運動に参加したボランティアの方々が街宣車上から運動に参加して良かったと泣きながら主張していたシーンでした。
いつから日本社会はこんなにイビツなものになってしまったのでしょうか。
将来が不安になりました。
今週も「ザ・神様」面白かったです。
日本の温泉のルーツが大国主命にあったとは!
しかも道後温泉、有馬温泉のお湯が九州発信というのは福岡県民としてはちょっと鼻高々でした。
千年以上も前に編纂された書物の中でも温泉のことがわざわざ収録されていることにちょっと感動しました。
温泉、行きたくなってきたあ〜!
それと、スクナビコナのおっちゃん生き返ってほっとしました。
殺伐としたこのご時世に反して心が温まるニュースでした。
ネットで手軽に話し相手やサークル仲間などが見つかるから、コミュニケーション依存しがちなんだと思う。
「AKB48」と「キンタロー」のバランスをとる柔軟さが求められるのだが、そのような人格の例として、『ゴー宣』の小林よしのりがいる。
「居酒屋ポエム」とは若干違うのですが…
10年以上前、わたしが以前バイトで働いていた会社では、
正社員が、会社で自らが実現したことを社長からバイトに至るまで
皆に話させる場を設けていました。
そこでは、正社員がこんなことを話して(叫んで)いました。
「わたしは今月、250万稼ぎましたーっ!」
「得意先でいいことがありましたーっ!」
「商談を2件、成立させましたーっ!」
「今回は成績が低かったが、来月は成績上位を目指すぞーっ!」
「妻と生まれたばかりの娘のために、バリバリ稼ぐぞーっ!」
バイトを含め、社長以下社員全員が発言のたびに拍手喝采
(を強いられる)。
その場に居たわたしは、心の中で、とてつもない嫌悪感を覚えた
ものでした。
会社というものは、たとえ成功しても決して驕らず心の中に秘め
持ち、成功や失敗の原因を分析して次に生かす、そういうもの
だと考えているわたしには、こんな会社にはやりきれなさを感
じ、わたしが成績が悪いから首にされたときは、逆にホッとしま
した。
ゴー宣最高の名言「純粋まっすぐ君」 この言葉の哲学は100年先でも通用すると思います。
しかし…勤め人になっても「青年の主張」じみたことをやるのか、信じられん。幸い自分の所ではそのようなことはやってません…良かったー(´Д`;)
今週の配信、ありがとうございました!
ポエム社会・・・まさに最近、思っていたことです。テレビも激しい。お涙頂戴物の番組でやたら、ひな壇芸人が、「感動した!」と言って泣いたり、憤りを感じたり・・・しかも内容が浅い 単純 見える範囲内での感動話。ひたすら娘とばかにしつつテレビを見てます。テレビはもはやパロディです。真剣に見るなと教育しています。
「大東亜論」
「一人でいて淋しくない人間になれ」、大東亜論で感動した言葉の一つですが、そうでない人は私の周りでもよく見かけます。とにかく何かのサークルに入ってなきゃいけない、一人でいるところを見られちゃいけない、その果てには高校時代ですが連れ小便しなければトイレにいけない者もいて驚きました。
このような一人じゃ何もできない人間は結構いると思います。そしてそのような人の多くは経験上、自分の考えを持ってない人が多い気がします。そのような人が理不尽な大人の社会へ出て行ったとき挫折して、かつてはオウム、現在はネトウヨになってるんでしょうね。今の若者でそのような人々が増えているの危険ですね。そこしか自分の価値が見いだせないとなるとその場を失った時の彼らはどうなってしまうのでしょう。
やはり柔軟さを持ち合わせなければいけませんね。遊びをせんとや生まれけん。
どうでもいいことですが、先生はWin7使ってるんですね。8だったら先生大変だったろうなぁ…。Core i5のロゴシールがずれている写真には吹きましたww
とんちきコメ失礼…。
「大東亜論」速く続きが読みたいです。
改めてライジング配信お疲れ様です
今回のゴー宣を読んでいて
「天空に舞い踊る星々のトレモロ」とか
「『学び』というペンで夢を未来を描きだそう」とか
「夢を持つから熱く、熱く生きられるんだ!」とか
最初はよく出来たネタだなぁと笑ってたのですが
こんなアニソンもどきがあちこちに蔓延しているとは
終いには涙が出そうになりました 違う意味で
私が思うにネトウヨも含めてポエム化社会人たちは
今まで「いい人」で過ごしてきたのではないのでしょうか
それは結局自分を欺いているだけでしか無いのです
「いい人」は何れ「どうでもいい人」になってしまうのです
かつてはブロイラー社会と言われてきた日本ですが
今となっては空気社会と言わざるを得ません
長文失礼しました
『よしりん漫画宝庫』も『よしりんウィキ直し!』も無いなんて
淋しいよぉ~(ToT)
トッキーさんがいないライジングなんて創刊以来一度も無かったです!!
もしかして、トッキーさんまで風邪をひかれたのかな?
それとも先週の、あの魂のこもった『トッキー版・靖国論のウィキ』
で、パワーを使い切っちゃったとか・・・?(笑)
いずれにしても、
来週はトッキーさんの熱い文章が読めることを楽しみしています O(^o^)o
今回の「ポエム化社会」ですが、突っ込み所満載で「生まれ変わったら道になりたい」以来に笑える内容でした。
「天空に舞い踊る星々のトレモロ」「灯火のロマネスク」氷川きよしの歌にありそうだと思いました。
「あなたは現世のかぐや姫」読んだ人が男だったら、どうなるのでしょうか。
「夢はひとりで見るもんなんかじゃなくて、みんなで見るもんなんだ!」そういうお前と一緒に夢なんて見たくねえ!
「みんなから愛される店長になりたい!」こんな気持ち悪い店長の下でなんか、働きたくないです。
「私にガンが見つかりました。どうして私が、なんでこんなつらい思いを…」アフラックのCMか!
あきれつつも笑ってしまいます。
PS:本日AKBのアルバム「次の足跡」タイプA・Bともにフラゲしました。タイプBには優子の生写真が入っていたので、嬉しかったです。
「ポエム化」の「症例報告」に爆笑してしまいました(⌒▽⌒)
意味不明なポエムって、「高度な笑い」として私は受け取ってしまいますw
でも、私はポエム(詩)自体は否定しません。
「ポエム」は【理想】のことだと思います。
「マジ」は【実践】のことだと思っています。
「マジの無いポエム」は、【ギャグ】か【シューキョウ】なんですね・・・。
『ザ・神様!』は、次回が超絶気になる!!
早く2週間経って欲しいです (ToT)
有名な温泉が、『デコボコブラザーズ』による掘削とは知りませんでした。
オオクニヌシとスクナビコナを見ていると、なんだか、日本中を旅したい気持ちになってきました(^O^)
配信ありがとうございます。
企業や自治体だけでなく朝日新聞も意味不明な
ポエムを書いてることに驚きましたが、「居酒屋甲子園」
なる大会が開かれてることに更に驚きました。
ポエムを発表してるのに大会名を「居酒屋甲子園」と
名付けてるのは変だし、大会で優勝した者のいる会社と
いうだけで就職希望者が多数押し寄せるなんてとても
信じられませんでした。
ここ十数年、漫画は絆と仲間が大事、自分の生きがい、
居場所を見つけようと主張するのが多いですが、
今回のゴー宣を読んで、今の漫画は寂しい人向けに
描かれてるんだなと思いました。
居酒屋甲子園なるものもそういう寂しい人たちの
心理を知り尽くした上で開催されているとしたら、
主催者達は相当ずる賢いですね。
「ザ・神様!」は無事にスクナビコナが復活して
良かったです。しかも、今回の出来事が温泉発祥と
なっているのだから、実はこれもスクナビコナの
計算ではないかと思えてきます。
あと、先日の朗読会「瓶の中の男」面白かったです。
最初は朗読ということで目を瞑っていたんですが、
開始数分で高橋一路氏が演技してると知り、慌てて
目を開けて見聞きしました。
高橋一路氏の笑いあり、シリアスありの芝居朗読に
考えさせられつつも終始微笑が絶えず、木蘭さんの
流れるような朗読が良かったです。また機会があれば
遊びに行きたいです。
「ポエム社会」。タイトルを見たときはピンとこなかったんですが、読了して(ある、ある)と膝を叩きました。介護現場で仕事をしています。「介護甲子園」なるものがあると業界雑誌で読んで知っておりました。その雑誌の写真ではステージでお芝居のようなことをしている様子でした。介護現場の再現舞台のようでした。観衆にむけてメッセージを発している写真もあったと思います。見た瞬間(なんだこりゃ)と思いました。居酒屋を評価するには味を見るのと同じように、たとえば介護業界では介護技術がどれくらいのレベルにあるか、といったことを見るべきなのに、自分のことを熱く語ったってしょうがない。さらに、ただの自己満足かと思ってたら、それを見て涙ぐむ観衆がいることに驚きです。薄~く、軽~い「ポエム」に感動できる人たち。思考停止であるとともに、その錆びついた感性が心配です。
今日のライジングは何だか身につまされる内容ですね…(苦笑)
当方、中学生の頃から気が向いた時にポエムを書いているのですが、
大学生の頃にいわゆる”中二病”的な時期があり、やたらにネガティブなポエムをこれでもかと生み出してました。
今思い返してみると、自虐的な感覚に浸る自分が好きなだけで、誰かに自分の思いを伝えようという感覚もない、単なる自慰行為だったなぁと嘆息するばかりです。
最近、ネトウヨや自称保守の主張からは、大学生時代の私が抱えていたような歪な自己愛しか感じなくなりました。
よしりん先生の仰る通り、自分の中に確固とした信念や理想がないから、自分の心を愛国心という鎧で覆わないと不安でしょうがないのかもしれませんね。
ネトウヨの本質は「淋しい、仲間がほしい」にあるというのは納得ですね。
自分が拠り所とするものには何の疑いも持ない。疑うということは1人になってしまう可能性がある。それはすごく淋しい。
そんなのは嫌だ。だからひたすらに安倍ちゃんのすることを応援するんだ!っていうのがネトウヨの心理なんでしょう。
むしろそんな本質こそが、淋しいと思ってしまいますね。
ライジングで実はひそかな楽しみにしているのが先生の観察日記「編集後記」なんですけど
今週号の「編集後記」面白すぎるので思わずコメントしちゃいます
「この人、日々、少しづつ勝手に動いているんだよ」
よしりんやっぱり天才すぎ(笑)しばらく腹抱えて爆笑しました(笑)
どんなことでも物語に昇華するよしりんも凄いけど、そばで見ていてその天才ッぷりを
的確に切り取って報告してくれるみなぼんも凄いと思いますよ(笑)
これからも期待してますね(笑)
何か、こんなに恥ずかしい宣言をする方々は、こんなにがんばっているおらを見て!と、自分大好きすぎて、先生のおっしゃるバランス感覚に欠けた方々なんですね。バランスを取るには、自分を
離して見る視点がとても重要だと思います。
自己啓発系の居酒屋とか前からかなりあるみたいですね
運動部の延長のノリと上手く組み合わさったような
一定の需要も実績もあがる一つの方法なのでしょうね。
「てっぺん」とかいう居酒屋の若い社長の講演会をたまたまみたことありましたが
2ちゃんねるか何かからコピペしてきた
泣ける話をスクリーンで流して、親への感謝みたいなことを訴えてました。
そんなので感動したくないので、わたしは読まないようにしてましたけど(笑)
でも小林先生のようではないありふれた凡人は
パロディの感覚とまっすぐ感覚の使い分けが
そこまで巧みに切り替えられないのかも。
どうせバカなら、
自己啓発っぽいのに乗り切れない自分の方が
損してるのかナーなんて
ああいうのを見るとすこし不安になりますね
してないとは思うんですけどね(笑)
『亀甲マン』
おもろっ
久々の投稿です。
>>新潟県阿賀野市「みんなで支えよう『こころ』と『いのち』を守る条例(案)」
現在、私は新潟在住ですが、阿賀野に仕事で行った時、確かにこんなフレーズがあったような気が・・・・・。
居酒屋で働くのって大変そうですね。
その、新興宗教とか自己啓発セミナーのノリが社会全体に浸透しつつあるというのはかなり薄気味悪い話だと感じます。ふんわりしたポエムな言葉が人に影響与えることってほとんどないと思うので、ほとんど自己満足の世界なんでしょう。
16時間労働や食品偽装を誤魔化すための自己洗脳かもしれないし、効果が上がってるように見える所が最悪ですね。
僕も社内研修でポジティブシンキングを身につけようというものはやったことありますが、まんま青年の主張をやらされるってのは流石にないです。
先日私もNHKで同じ番組を見ていたと思うのですが、そこで印象的だったのが、「お客様の幸せは自分たちの幸せ」と自己暗示のごとく言い聞かせている店員の人たちの姿でした。その光景を見たとき、どことなく新興宗教のカルト集団に似た雰囲気で、思わず背筋がぞっとしました。本当にそれがあなたたちの本当の幸せなのかと突っ込みたくなりましたが、今考えますと、それは生きがいを求めて集団に埋没した、寂しい「私」の姿のようでもあった気がします。
かくいう自分も、人との「絆」「つながり」というものを無意識に求め、一人では寂しいと感じている気持ちがあります。ですから、「一人でいて淋しくない人間になれ!」という言葉が、重く突き刺さりました。この言葉を、自分の中でもかみしめようと思います。
「個」を確立できない馬鹿どもが、ずる賢い大人たちに非常に悪い条件で働かされているのに、むしろ感動しながら働いて、誇りにすら思っている状態って怖いですね。
むしろ怒ってもいいくらいです。
今まで食事に行く時、一人では無理でしたが、最近は友人たちと都合を合わせるのが面倒くさくて、すっかり一人で平気で行けるようになったというか、むしろ一人がいいって感じになっている私の方が「個」を確立できているのかな?
(非常に小さい「個」で情けないなー、書いてから気づく)
そう言えば、絆の別の読み方では、絆(ほだ)されると言う言葉がありますね。
良い意味で絆、悪い意味で絆される。
昔の日本人は一つの文字に二つの意味を込めて、その言葉の持つ恐ろしさを伝えて来たのだと思いますね。
なんと!居酒屋甲子園の仕掛け人って
私がさっき書いた「てっぺん」の社長じゃないですか(笑)
なんだかなぁ
思えば、最近の自作系歌手の歌詞なんかも
うれしさとか悲しさの言葉を
直接かきたいだけ書き連ねるようなものが多い印象で
耳から入ったとおりの言葉をそのまま感情がなぞって感動しちゃう人が多いのかなー
なんて思ってました。
そんなのは詩としてもレベルが低いですよね
もくれんさんの『ザ・神様!』。今回も楽しませていただきました。
ところで、タイトル欄のもくれんさんのイラスト、そう、あの黄色のパーカーなんですが、パーカーに描かれている禿げかかっている謎の男は誰ですか?気になります。ひょっとかして和田勉さんですか(笑)。そんなわけないか!
もくれんさん頑張って下さい。次回の笑訳にも期待しています!
>>37
そぼろさんへ。
最近の音楽の歌詞なんか「愛」とか「絆」とか「夢」とかそんなのばかりですね。
実は私はそういう歌詞をあまり書かないので、「愛」とか「絆」とか「夢」とかをテーマにした歌を歌っているレゲエ歌手の関係者にdisられた(文句を言われた)経験があります。
未だに日本の音楽シーンがKANの「愛は勝つ」とか大事MANブラザーズバンドの「それが大事」とかのいわゆる「PTAとかBPOとかから抗議を受けなくていい歌詞」を尊重するきらいがあり、若いミュージシャンが従順すぎてそれに反発できずに金太郎飴みたいな歌詞を書いてしまう、みたいな風潮に呑まれてます(特にレゲエとかHIPHOP界隈は)。
本当に才能があるミュージシャンほど「愛や夢は大事だけど、現実にはなかなか叶わないものかもしれない」みたいなことを確信として知ってるバランス感覚に長けていると思います。
純粋まっすぐ君がこんなに増えると、パンクロックとかはやり辛くてたまらないのですが…。
配信お疲れ様です。
件のNHKの番組は見ておらずネットのニュースで内容を知ったのですが、確かにチェーン系の居酒屋とかラーメン屋ってそういう店多いですね。やたらと相田みつをの詩が書いてある紙が壁に貼ってあったりとか。しかし相田みつをの詩って「いいんだよ にんげんだもの」に代表されるように、そういう体育会系なノリとは真逆な方向性だと思うのですが。
私が以前営業として働いていた会社がそういう体育会系大好きな会社で、私は中途採用で入ったのでなかったのですが新卒で入った新入社員が受ける研修が例えば4月初旬の湖に入って大声で叫ぶとか、何かあるとリーダー役の社員(入社2~3年程度の若手が担当)に大声で怒鳴られそれに対して「すいませんでした!私自身に落ち度がありました!以後二度としません!」みたいな感じで謝罪しながら叫ぶとかの繰り返しで、一度見学にも行ったのですがさすがに引きました。私にも入社して3年ほどした時に「リーダー役をやれ」という話があったのですが最後は「やっぱりお前には向いてないわ」の一言でボツになりました。本当あの時ボツになって良かったです(笑)ちなみにその会社、私が辞めて3年ほどした後に清算して今や跡形もありません。まああんなアホな研修やってるんですから当然ですね(苦笑)
ただこういう研修をバカ正直に信じてる「困ったちゃん」が若い世代はもちろん最近は中年以上に多いのも事実で、こういう人間ほど例えば「キンタローの前田敦子のモノマネに怒る板野友美はけしからん」だの「まゆゆの頭を蹴る加藤浩次は永久追放だ」だの言ってくるんでしょうね(ちょっと違うかもしれませんが、いま何かと問題になってる日テレの「明日、ママがいない」の件もこれらと一緒?)
長文失礼しました。
ううん、例えばこの「居酒屋甲子園とポエムの言葉」の問題が、ニートが社会復帰できないことと関係があると思うのです。
決してニートを擁護するワケではないのですが、ニートの立場としては「なんでわざわざ自己否定をしてまでいわゆる体育会系とかDQNとかの自分よりも確実の頭の悪い連中の奴隷にならなきゃいけないのか」って萎縮して仕事に就くのを諦めてしまう、みたいな気持ちじゃないのかな、って推察できます。しかも、まともな職歴もないし、学歴もそんなに大したことがないニートを雇ってくれる場所って、そういうポエム的な言葉が蔓延している居酒屋などの肉体労働の現場しかないのですね。でまあたとえば厚労省のニート支援プログラムなんかも、単純労働中心なんで実際役に立っていないし。
長田百合子などのいわゆる「引きこもりを更正させて社会復帰させる施設」みたいなのを経営してる人間なんか、いわゆるニートだった若者に「プライドを捨てさせ、社会的な歯車の一員になれ」といって合宿して洗脳するらしいですね。彼女は「自分は引きこもりを更正させて社会復帰させているんだ」という大義名分というか、正義に酔っていて、やってることはオウム真理教と同じなのかもしれません。恫喝や強制力を用いて「自我無し人間」を量産することは、いわゆる「使い勝手のいい労働力」を量産するという今の経団連をはじめとする大企業に都合がいい価値観だとも言えます。
これらの施設のやっかいなところは「社会的に認められている」という大義名分を背負っている、というところなので、そこを批判する人間の意見に聞く耳を持たない、ってことでしょうか。結局、ここでも「右傾化したプラトニズムの言葉」がまかり通っているのです。
それと似たことが、いわゆる自己啓発本の世界にもあって、その作者である浅見帆帆子なんかはブラック居酒屋の首領、ワタミの渡辺美樹と昵懇だし、その他の作者もみんな「アメリカ万歳」みたいな感じでアメリカやアングロ・サクソンの価値観を日本に移植しようとする国賊だと私は思います。自己啓発本には必ず「幸せになりたければ悪口はやめましょう」みたいなことを書いてあります。もちろんそれが一理あるとはいえ、人間の奥底に潜む悪意と向き合うことを避ける風潮を誘導することは、プラトニズムの上滑りの言葉しか話せない薄っぺらい病んだ人間を量産するだけだと思います。
アベノミクスのように、実態は全然景気がよくないのに、空元気で「景気がいい」というムードを作ってる風潮が、今の「右寄りのプラトニズム」を支えてる気色悪さと繋がっている気がします。
いい加減、目を覚ませ、って言いたいな。
長文失礼しました。
トイストーリー(笑)
なら私のPCがすぐ壊れるのも、トイストーリー?
よしりん先生、スタッフの皆さま、いつも楽しいライジングの配信をありがとうございます。
今週のゴー宣、共同体や公の大切さを説きつつも、強い個も必要であるというバランスのとれた言説は、まさにゴー宣ならではだと思います。本当に学ばされました~。
私自身、一人暮らしをしていた結婚前は、一人でもへいちゃらだい、と強がることもできたのですが、結婚して娘も生まれてからは、家族なしに生きていけない…、とすっかり臆病になってしまいました。だからよしりん先生のお言葉、身に染みました。
最近私が出会ったすばらしい詩を、よしりん先生や読者の方々にちらっとでも読んでいただければと思いました。今週のゴー宣のテーマとマッチするような、すばらしい詩です。高村光太郎の「冬の詩」です。
冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
高台も冬だ
馬車馬のやうに勉強する学生よ
がむしゃらに学問と角力(すもう)をとれ
負けるな、どんどんと卒業しろ
インキ壺をぶらさげ小倉(こくら)の袴をはいた若者よ
めそめそした青年の憂鬱病にとりつかれるな
マニュアリストとなるな
胸を張らし、大地をふみつけて歩け
大地の力を体感しろ
汝の全身を波だたせろ
つきぬけ、やり通せ
何を措(お)いても生(いのち)を得よ、たった一つの生(いのち)を得よ
他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ
それを攻めろ、そして信じ切れ
孤独に深入りせよ
自然を忘れるな、自然をたのめ
自然に根ざした孤独はとりもなほさず万人に通ずる道だ
孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな
根のない感激に耽(ふけ)る事を止めよ
一人でいてさみしくない人って、いわゆるオタクですね。オタク少年こそが日本男児である。
若い人でもし熱中できるものがなかったら、勉強をがんばるとよいのでは。勉強は楽しいものではないかもしれませんが、勉強しているあいだは、とりあえずさみしくありませんよ。
ライジングに綴られたその一文字一文字が、私にはまるでダイヤモンドのように煌いて見えます。まさに朝日の昇るが如く、まばゆく輝くその文章・思想は、いままでの私の暗惨たる人生を照らす一筋の光です。
私はさながら太陽を仰ぐ向日葵のように、ライジングを拠り所にして、元気いっぱい明るく前向きに生きていこうと日々頑張りたいと思います!
なんてのは冗談ですが。信頼のできる情報源として、また娯楽として、いつもホントに楽しみに拝見してます。
いつも配信ありがとうございます。
「寂しさ」確かに蔓延していますね。世の中便利になっていく反面、人とのつながりが希薄になっていることに改めて気づかされます。
「寂しいから群れる人達」ではなく「寂しくても地に足ついた人」でありたいと思うしだいです。
ああ、しかし寂しい....。
ポエム?? 言葉の音もホンワリ柔らか・・・と思いきや、こんなキモい言い様がジワジワ蔓延しているのですね。それ真に受けて惹かれて、いや引っ張ってイカれていく気味悪さ。こりゃギャグだと笑っている場合ではないです;;。
「かぐや姫の物語」で姫に言い寄る石作皇子が、レンゲを一本ご大層に持って来て、あらゆる飾り言葉(ポエム?!)をまぶしたてて「これこそ貴い宝と気が付きました」。一見感動的・詩的に聞こえるけど、実はこんなに「言葉」をなめてかかって浪費する所業は無いです。あれとそっくり。(御簾を上げたら物凄いご面相の正妻?がドデーンと鎮座ましまして---☆☆!!)
お花畑のような「甘言」に易々と操られてその気にさせられ、目を輝かせさえしてしまう残念さ。
本物の「詩」は言葉を浪費しない。磨き上げて無駄なものを削りに削って鍛えられたもの。それを簡潔にグサッと示すのだと思います。---直明さんに教えて頂いた高村光太郎の冬の詩の言葉のように。
以前不動産広告専門の会社で働いたことがあり、私もポエムをたくさん書いていましたw
不動産物件がポエム化してしまうのは、広告表現にかなり縛りがあり(「駅近い」とか表現できない)、そのため婉曲な表現をせざろえなかったのですが、大きく太字で大見出しというのは当時(リーマンショック前の東京不動産ミニバブル時)1億超えの物件を扱う不動産会社は嫌がり、高額物件を購入するような富裕層は品のある書体で、長文で読ませる広告の方がいいというはやり(?)みたいなのがあって、婉曲表現しかできないので、それぞれ似通らないようにポエムを書くのは大変でしたwww
最近のマンションは高額物件に限らず、とにかく高級感をだしたいのでしょうか。
リンクされていたサイトのコピーを読みましたが、本当に意味がわかりませんでした。似通らないようにと意識しすぎてしまい、かつへんな高級感をだしたいがために婉曲表現が行き過ぎてしまったのでしょう。
タモリも何かの番組でつっこんでましたしwwww
よしりん先生のお言葉のように、広告がなんなのかという本質を考えず、まわりの広告がそんなかんじだから・・という理由でへんな表現がはびこる、まさに思考停止状態なんでしょうね・・・
自分がいた業界なので、へんな風につっこまれないように、多くの人に受け入れてもらえるような表現が増えることを願います。
遺骨に執着をすることは、やはり間違いだと思います。しかし、だからといって、それを粗末に扱う事もおかしいのではないかと思います。また、日本仏教がニセモノだとしたら、インドのストゥーパもニセモノということになります。
先の大戦で亡くなられた御英霊は、靖国にもいらっしゃり、それぞれのお墓にもいらっしゃり、もちろん、ご家庭の仏壇の中の位牌にもいらっしゃる、ということではないでしょうか。「遺骨なんかただのカルシウムだから捨てておけ」という言説には、正直、違和感を感じました。
しかし、現在の遺骨収集事業の実態を知らされ、それには、問題があると考えます。
何度も立て続けにコメントして申し訳ありませんが、日テレの「明日、ママがいない」に対するバッシングが起こってるのも「一人でいることが寂しい」人間が増えて、「綺麗な言葉や表現にしか触れたくない」というプラトニズムが蔓延していることと無縁はないと思えますね。
私はあのドラマは見ていないのですが、おそらく児童養護施設の真実というか、今まであまり明らかにされていない暗部みたいなものを忠実に描いてしまったからこそ、抗議というか批判が相次いでいると思います。
私自身PTSDサバイバーで、社会福祉の現場のお世話になったこともありますが、医療や福祉の現場に「弱者(患者や障害者、あるいは子供)とは天使である」みたいな間違ったプラトニズムに侵された人が少なからずいたのも事実です。そういう「弱者は天使です」みたいなものに対する違和感が、このドラマの作り手にはあって、それを表現で打破したかったのではないのかな?とも思うのです。
むろん、今までの弱者に対するイメージを覆して、人間の醜い部分と向き合わせる内容であったために矢面に立たされた、とも言えます。実際に傷ついた児童養護施設出身の人もいたそうですね。
よしりん先生が「社会は保育器みたいな場所ではなく、誰もが傷つくことからは逃れられない」という真理をゴー宣で描かれていて、なおかつ「そこで闘う人間は美しい」ともおっしゃってます。確かに自分のやましい部分や醜い部分と向き合うことはしんどいことかもしれませんが、それを乗り越えて始めて大人になれるのかな?とも思えるのです。プラトニズムに逃げるということは、自分の弱さや醜さから目をそらしているようにも思えるのです。
弱者をめぐる表現に対し、熊本市長などの公的な人間が介入して「弱者はこう描くべきだ」と決めるのはおかしいな、と思います。それは表現の自由に対する権力の介入です。
この件に関しては、是非色んな人の意見を聞いてみたい気がします。
長文失礼しました。
独りでも寂しくない人間は強い人間の証なんじゃないですか?
そして、極々当たり前な他人との触れ合いが新鮮に感じたりもするので
スーパーの店員や通勤電車の車掌、駅の係員など
当たり前のように仕事をしている人にも愛着がわくようになって
ご苦労さんと言わなくても思えるようになったりするんですよね。
ブローカーぼん!
「しゃべらせて○リ!」のMVP、おめでたまきん!!
3回目のMVPということで、とうとう並ばれてしまいました(焦)
採用本数もどんどん追いつかれてきているし、ライバルなり!!
でもその上には、最多MVP・最多採用本数・連続採用記録の三冠王、
ネタ職人・元坂口氏がいる!
なんとか、あと一回MVPを取って、一強時代を崩しましょうぞ O(^o^).
私は、今年から「風刺」をテーマにネタを考えていました。
茶魔からは「どうしたとでしゅか。今年から社会派に転向でしゅか?」とか
「真面目か!」とか、心配やツッコミを受けて散々です(泣)(笑)
どうも私は「王道」が不向き。やっぱり私は「邪道」で勝機を探ります!
脱字があったので、再度コメント。
一家に一台パソコンがあり、高校生にもなれば皆スマホを持っているこの時代。
果たして、どれだけ孤独と向き合える人がいるのだろうか?
ライジングの読者といえども例外ではないと思うよ!
まずは、自身のパソコンとスマホのアドレス登録件数の確認をしてみましょう!
monmonさんへ。
みなぼんさんの返信が、面白かったです(^O^)
(中略) でバッサリいったところがツボにハマりました(笑)
本当に、みなぼんさんはツッコミ上手い! そして優しい☆
そんなわけで、また【あるあるネタ】をブッ込んでくださいね(⌒▽⌒)
AKBのアルバム「次の足跡」を聴いておられるんですね♪
私は、秋元才加の卒業ソング【強さと弱さの間で】はボロ泣きしました。
・・・そして後悔した。なぜ私は誠実に秋元才加を推さなかったのか・・・。
「彼女は強いだろう」ってほっといてしまった。悔やみきれない。
後悔を繰り返さないためにも、私は岸野里香を推さなければならない!
りかにゃんが抜けたらチームNは崩壊するとすら思っているので、
もし今年は立候補してくれたなら、投票します。
あ!monmonさんの推しメン・りぽぽにも入れたいです (^O^)
りぃちゃん や かなきちにも入れたいし・・・、嗚呼、破産する (ToT)
貧乏人のくせにDDは辛いよ!
スクナビコのおっちゃん、復活!!帰ってきたウルトラマンみたい。私の脳裏に、ウルトラマンのテーマが流れてきました。でも、せっかく死んだと思ったのに蘇生されてしまって、内心ガッカリしていないか心配です。本当は、あのまま静かに逝かせて欲しかったんじゃないか…って。おい、オオクニヌシのあんちゃん!今度、ぷちっ…ってやった時は、どうするか、今のうちに、しっかり聴いとけよ!と言いたいです。というか今度は、頭よしよしって、なでてやってね。失礼しました。
【次の足跡発売記念・AKBあるある】
①AKBファンだと話すと、必ず「推しメン誰?」「握手会行ってるの?」「メンバーは48人いるの?」と聞かれる。
②48という数字を見ると、敏感に反応してしまう。
③メンバーがコンサート等で卒業を発表すると、真っ先に高橋みなみの泣き顔が映る。
④島崎遥香と島田晴香の名前が似ていると、今になって気づいた。
⑤指原を「ゆびはら」、宮澤佐江を「宮沢りえ」と間違えて呼んだ事がある。
⑥松井珠理奈と松井玲奈、大島優子と大島麻衣を「もしかして姉妹?」と思った事がある。
⑦NMB・山本彩の名前が「さやか」と読むと知り「普通、あやって読むだろ!」と突っ込んだ事がある。
⑧みるきーが「南天のど飴」のCMに出ているのを見たとき、出るならミルキーのCMだろと思った。
⑨HKT・児玉遥の髪型がIKKOに似ていると思った。
⑩AKBグループで何かが起こると、真っ先に「ゴー宣道場」や小林先生の公式サイトにアクセスしてしまう。
⑪やっとの思いで顔と名前を覚えたメンバーが、その後すぐに卒業してしまった経験がある。
⑫仕事が忙しくなると思わず「ヘビーローテーション」と言ってしまう。
⑬コンサートで毎回サプライズがあるが、そのたびに誰かが卒業発表するのでは、とハラハラしてしまう。
⑭峯岸みなみの髪の生え具合が、つい気になってしまう。
⑮AKBグループの冠番組が、自分の住んでいる地区でほとんど放送されていない。たまに放送されていても、1・2週遅れである。
⑯AKBグループの大きなコンサートがあると、真っ先に白熱論争の論客たちも来てるかなと気になる。
改めまして、配信ありがとうございます^^
仕事上、商品の広告文句なんかをお客さんと打ち合わせをするときがあるのですが、法律の規制上使えない文言もあるので、どうしても婉曲的な言葉を選ぶ傾向があるのですが・・・なるほど「ポエム」かww
因みに化粧品などでは、「アンチエイジング」という文言はほぼNGになりつつあり、「エイジングケア」という文言が主流になっておりますwどちらも、英語圏の人たちから見ると「?」なんでしょうね^^;;
かつて、2CHにはまってしまった反省から、現在フェイスブックもツイッターもしておりません(ラインなんて、そもそもスマホ持ってないっすw)。
戦争論にかつて書かれていた「自分を自由にしてくれる束縛」を見つけれた人のみが、「一人でも淋しくない人間」になりうれるのでしょうか?
私は「放置プレイ」も嫌いじゃないですが、別の問題ですかねw?
今回の「ザ・神様」を読んでたら、温泉に行きたくなりましたよ^^
まだまだ、寒い日が続きますが、泉美師範もお体にお気を付けください。
>カレーさん
ありがたま○ん!!
いえいえ、私なんぞは、まだまだカレー師匠の足元にも及びません^^;;
時々みせる、連続投稿のジェットストリームアタック(勝手に呼んでますが)には、何度爆笑させられたことかw
実は今回のネタは、最強ネタ職人元坂口様の「ネタの方向性」をパクっ・・・参考にさせて頂いたのです^^;;;
図らずも乍ら、今回はMVP及び一番乗りもさせて頂き、先日元坂口様がなさった偉業を再現させて頂きとても「ラッキー」でしたww
今回競わせて頂いた同志の皆様もありが○まきん!!
次回も是非一緒に盛り上げていきましょう^^
>>61 弘樹さん
>自身のパソコンとスマホのアドレス登録件数の確認をしてみましょう!
私のガラケー、飲み屋とかお店ばっかり登録されてて愕然としました(ToT)
私は一人でご飯食べるのが大の苦手!
一人で映画を見たり、一人でNMBの劇場に行ったりはできないです。
【一人でいて淋しくない人間】って、一言で表すには難しいですね。
それは別に「集団に関わらず孤独になれ」ってことではないのだから。
「個」と「公」のバランスを「集」に求めない人間ですよね。
それが稀有な人であることは間違いないですね。
>>64 monmonさん
ハート、強っ! (笑)
①~⑯まで、全て面白かったし、激しく同意です☆
特に⑬は、深いですね・・・。
サプライズの可能性のあるコンサートに
市川美織(みおりん)を参加させないで欲しい。
この気持ち、NMBファン以外の人には、絶対に分からないだろうな・・・。
>>65 ボンさん
「ボンカレー連合」としても、
『しゃべらせてクリ!』のコーナー
ガンガン盛り上げていきましょう (⌒▽⌒)
>>57
こいらさんこんにちは。私もあのドラマは見てないのですが(初回はもちろん昨日も。そもそも野島伸司の作品自体あまり好きではなくまともに見たのは真田広之・桜井幸子がやった時の「高校教師」だけ)正直「所詮ドラマはドラマなんだから目くじら立てずに見過ごしてやれば?」っていう感想です。実際「半沢直樹」の時の某メガバンクにしろ「スクールウォーズ」の時の某ラグビー強豪校にしろ静観してた訳ですし、それで何かしらの問題が起こったなんて聞いたことないですし。むしろ山崎豊子の「沈まぬ太陽」が映画化された時にモデルになったとされる某航空会社が社内報で作品&山崎豊子批判してましたけど、そっちの方がみっともないし自分で自分の首を絞めるだけですしね。
まあ最初にクレーム入れた熊本の「赤ちゃんポスト」の病院もここまでの大騒動になるとは思ってなかったような気はします。
mayuさん
東京都知事選挙の有権者の情報ありがとうございます。
今回の選挙は脱原発が争点になるので、福岡に住む僕も動向は気になるのですが、マスコミの世論調査はいまいち信用できなくて…。
だから、このような現場からの報告はありがたいです。
他にも東京在住の方がいたら、情報提供していただければ…。
それと、mayu さんも資格の勉強をされているのですね。皆、頑張ってるな~!応援してます!!
配信ありがとうございます。
『ポエム化社会』とはまさに言い得て妙ですね。
なんだか薄甘くて胸焼けのする文言が巷に溢れかえっとるなーとは感じておりました。私の友人仲間内ではこれを知性の田舎ヤンキー化と呼んでおりましたが。
詩とは違って、磨きも練りもされていないコピー&ペースト的なワードの羅列がポイントですね。
現実の厳しさから目を 背けたいがためのポエム化は、言霊信仰の悪い方の側面が現れているように感じます。それとともに社会全体の幼稚化も。
『明日、ママがいない』の話題が出ているので私もちょっと初回だけ見た感想を。
児童養護施設を舞台にしていることや、ポストなどというアダ名の役柄や、施設長の非現実的な悪役っぷりなど、どうも全ての設定をただただ泣かせんがための小道具に使っているような印象で好きになれませんでした。
二回目は見ていません。
一時期、安っぽい感動を狙ってやたらと重病人や障害者の設定を使う映画やドラマが流行りましたが、それらと同系譜のものだと思います。
『可哀想な人』を出しておけばみんな泣くだろうとでも言わんばかりのドラマツルギーの欠如からは悪意と偏見をすら感じます。
実際に赤ちゃんポストを設置している病院の方々にとっては、いくらドラマは虚構とはいえ看過できないのも当然だと思いますね。
私が「ポエム化」を「やめてー」と思ったのは、スポーツ中継でした。
いつの頃からか変なキャッチフレーズが鼻につくようになり、高校野球まで選手宣誓で「感動を与え・・・」とか言うようになりました。(さすがにNHKだけはそんなことは少なかったのですが。)
社会全体が「ポエム化」したら、そりゃ選手だって影響されますよね。
在特会やネトウヨも、「ポエム」に感動するものも、根っこは同じだなんて。
「一人でいて淋しくない人間になれ。」が心に響きます。
「明日、ママがいない。」のことですが。
私はドラマを見ていないので、見当違いかもしれません。でも内容を聞くとすごく嫌な感じがしました。
「ショッキングな内容にすれば視聴者は食いつくだろう。えげつない方が見るだろう」という意図を感じました。
あくまでも印象です。最後まで見ないと判断してはいけないのかもしれませんが。
よしりん師範、木蘭師範、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信ありがとうございます。
今回の「ゴー宣」と『大東亜論』の「一人でいて寂しくない人間になれ」で思い出したことがあります。新ゴー宣の「安易なケータイ関係には期待しない」というタイトルの章だったと思いますが、四六時中ケータイをいじっている親戚の少女が訪ねてきた話です。ケータイを放せないのは「自分は皆の関心の中心にいる」ことを確認したいからだという見事な分析でした。また別のくだりで、夜遊びしてきた娘を叱ろうとした父親が「あんたに私を怒る資格があるの?」と言われて絶句し、孤独に自分を縛ってきた者こそがこの社会を牽引することに気付くだろうと続きます。その章は孤独に自分を縛っている恐るべき子たちがいるはずだと結ばれていました。
>「何でも冷笑するニヒリズムの『価値相対主義』を楽しむ者と・・・一切の風刺も許さない『価値絶対主義』に走る者の両極端に分かれている」
マジを嗤うタイプの人は常に物事を相対化・客観視する立場に自分を置き、笑いの対象と笑う自分というように隔絶することで自己防衛しながら自分はマジにならず、社会的責任からも上手く逃げる傾向にあります。一方マジにのめり込むタイプの人は自己客観視が苦手な傾向の人が多く、他人から「あいつイタイ」という目で見られても気づかず、社会的責任を負いたい気は満々だけど能力不足という場合も逆に自分を認めない社会に対して反感を持ちがちです。この大きく分けた2つのタイプの人種は70年代までは家族・職場・地域といった共同体の中で交流できていました。そしてまた自己と他者を共に客観視でき、目標のために自分を縛ってマジにもなれる少数者が共同体の中心に存在し、このような人が社会を牽引してきたものと思われます。
しかし80年代半ばからのバブル景気で地に足のつかないノリが社会を席巻すると、相対主義者はその状況を客観的に楽しみましたが、ノリについていけない絶対主義者は自己の主観に基づく価値(多くはオタク的価値でその一部がオウム)に埋没し、結果社会に断層が生まれました。さらにバブルが崩壊した90年代からの大不況・震災・オウム事件などを契機とするショックドクトリンで米国発の構造改革が加速し、あらゆる共同体が崩壊に向かった結果2つの人種は交流の場を完全に失ったわけです。ここまで断絶が深刻になると、崩壊していく共同体の中で成員たちがマジになれるほどの共通の目標=公的な価値を提示することは難しくなり、これまで社会を牽引してきた少数者にも為す術がないのかもしれません。現代社会においてマジな夢を見続けられる数少ない例の一つはAKB共同体の少女たちでしょう。
>「会社という共同体、地域共同体から家族共同体までが崩壊していく過程で、砂粒の個が、『個人』には成りきれず、寂しい『私』となって『絆』や『仲間』を求めている」
結局どうとでも取れるポエムとは公的な意味や価値の無い空虚な代物です。人々は絶対的価値やマジを求めているのに、価値相対的なポエムで自分を誤魔化しながら、何者かから提供されるニセモノに満足するしかないわけです。無価値な不動産を価値ありげに見せたり、無意味な条例を有効に見せたり、社員をこき使うブラック企業を夢のある職場に見せたりする役割をポエムは果たしているわけです。繋がりの希薄な時代におけるブラックな現場のポエマーたちは、一瞬でも他人と繋がれる錯覚に希望を見出すのでしょうか。そしてヘイトスピーカーたちの似非ナショナリズムがポエムと同じ作用を持つという分析は見事だと思いました。ブラック企業で働くつらさをポエムで叫んだり、不遇感をナショナリズムで誤魔化して差別語を叫んだりするよりも、AKBのマジな少女を応援している方がよほど健全です。
>「『本気(マジ)』と『パロディ』のバランスをとる柔軟さが求められる」
これはマジに嵌りつつ自己客観視もできる人格ということでしょうか。上記で「新ゴー宣」のある章を引いて書きましたが、自分を孤独に縛ることができ、そうして社会を牽引する力を蓄える少数者とはそのような人格だと考えます。『大東亜論』における頭山満は全社員がマジの塊のような玄洋社において誰よりも熱くマジでありながら最も冷徹に自他を客観視し、玄洋社内部の問題にも国家の大問題にも正しい対処法を講じていきます。そうして頭山は明治の日本社会を牽引していきました。現代日本においては徐々によしりん師範が社会を牽引しつつあるのかもしれません。
「ザ・神様」はいよいよオオクニヌシとスクナビコナの別れが近づいているのでしょうか。失って初めてその人の重要さが分かるというものですね。最初スクナビコナが登場したときは何て厚かましくて傍若無人なキャラだと思ったものですが、こんな関係も「自分を一番自由にしてくれる不自由」(戦争論)な束縛=共同体(たった二人ですが)だったわけです。
孤独に自分を縛るためには、実は良き共同体に属していることが必要 na85
よしりん先生がブログで書かれていた安倍首相が英霊を否定したニュースをネットで見まして、怒りで仕事が手につかなくなったので、コメントいたします。
まさに、よしりん先生が指摘された通りでしたね!ここまでバッチリ当たっていると、安倍首相の愚かさが限りなくはっきりと浮き彫りになり、笑えるぐらいですねぇ!しかしそれにしても、ここまでひどいとは!やっぱりこの人は靖国神社を参拝する資格ゼロでした!よしりん先生が言った通りです!すべてがまさにそのとおりです!!!!!
私の祖父はフィリピンで戦死し、靖国神社に祀られています。私の父は祖父が戦死したために貧乏で苦労をしました。その時代の、多くの遺族の方々と同じです。でも父にとっては、祖父が戦死したことは誇りでした。祖父に会ったことのない私でさえも誇りに感じます。よしりん先生の「戦争論」や「靖国論」を読んで、その思いを強くしました。祖父は私達のヒーローです。
そんな祖父の霊がある靖国に対して安倍晋三は、「戦争に倒れた人々の魂があるだけ」と言ったのです!何と言う暴言でしょうか!?「魂があるだけ」、「だけ」ってどういうことじゃーーーーーい!!!
国のために戦死した兵士の魂を、それがある「だけ」って、この表現で、安倍晋三の本心がわかるというものです。だったら、「だけ」だと思っているんなら参拝するなー!と声を大にして言いたい!!うちのじいちゃんをバカにするなー!うちのじいちゃんはれっきとした英霊で、おまえに勝手に慰霊される言われはないやい!!
靖国神社の物語が、日本国首相の戯言によって泥を塗られるとは!!私は会社のデスクでこのニュースを読み、情けなさと怒りで泣きそうになりました。左翼みたいなセリフではありますが、精神的苦痛を与えられたので訴えたいです!!!!
それにしても、ゴー宣は本当にありがたいです。いつも私達に真実と知性を与えてくれます…。
ゲリがまたまた世界中に向けて大失態をやらかしてしまいました。もう、アイツのド腐れ脳は変態すぎて、何んも言えまへん。
「戦争に倒れた人々の魂があるだけ」であれば、原爆犠牲者,空襲犠牲者,沖縄戦没者などの一般庶民の魂も靖国神社に祀られていなければ矛盾です。最悪なのは、「ヒーローはいない」のであればその存在自体が不要、と国際社会から追求される口実を与えてしまったことでしょう。日本には全国各地に神社も寺も沢山あるのだから靖国神社は不要、と考えるのが合理思考だからです。
靖国神社に関する正確な報道はあまりないのが現状ですが、
【安倍政権1年の足跡を検証する】
http://www.data-max.co.jp/2014/01/10/post_16455_yh_01.html
↑ココら辺りは、九州発のメディアのせいか、長州に対する対抗意識のようなものを感じなくもありませんが、靖国神社の性格を割と冷静に表現しているように思います。靖国神社が今後も英霊を顕彰する神社であり続けるならば、本件に厳重に抗議を表明し、反政府側旧薩摩藩士や旧会津藩士らも英霊として合祀して差し上げるのが筋に存じます。
小林よしのりライジングVol.70配信ありがとうございます。
今回のゴー宣、「ポエム化社会」。僕はNHKの番組も見ていなかったのでこうやって問題提起されると、そういえば最近ポエム化多いなぁと改めて感心してしまい、笑ってしまいました。ラーメン屋さんとか居酒屋さん、確かに毛筆体の張り紙多い!自分の周りもそういえば偏ってる人多い気がする。熱すぎる人や冷めすぎてる人。自分はそうならないように気を付けなければと改めて思考し続けることの大切さを痛感しました。
木蘭さんの「ザ・神様」書籍化されないんですか?ぜひ通して読んでみたいです!!ぜひとも書籍化をお願いします。
あと、これは先週のライジングVol.69のゴー宣に関しての疑問なんです。インドでガンジス川に遺骨を散骨するのは仏教ではなくヒンドゥー教ではなかったですか?仏教とヒンドゥー教って根っこは一緒なんでしょうか?宗教については無知なので、どなたかライジング読者の方で詳しい方がいらっしゃったら教えてください。
では、来週も楽しみにしてます!!
>>72
sigma10さんへ。
なるほどね。やはりあのドラマは事実を誇張した側面があるのかもしれませんね。
私が思ったのは、日テレが「弱者を描くことに対するリテラシー」に欠けているのかな?という印象は受けたのです(あくまでもネット上の情報を参考にしての話ですが)。
片方で24時間テレビで障害者のことを「清く正しく美しく」というプラトニズムの言葉でイメージを植え付け、もう一方で弱者の実情をあまり取材もせずに作家の印象でドラマ化してしまう。
もちろん、日テレサイドに意図的に弱者を傷つけるつもりでドラマを作ったつもりはないのでしょうが、巷に蔓延する「ポエム化された言葉」への違和感が表現者の動機にあったのかもしれませんね。
ですが、それならば、24時間テレビできちんと障害者の実情をプラトニズムの言葉ではなく、正確に伝えるべきではないか、とも思うのですが…。
ドラマを作る表現者の立ち位置も分からなくはないのですが、本体のテレビ局の姿勢がぐらついているような気がしてならないし、それが不快感を増幅してる気がしてなりませんね。
言ってみれば、日テレは24時間テレビでは、薬害エイズの時の川田龍平のことは描くけど、大貫武といった「イメージに沿わないエイズ患者」は最初から排除する、みたいな感覚で障害者を描いてる、という「悪意」があると思うし、そこに向き合うことなく今度は児童養護施設の子供を扱ったドラマを作ってしまった、みたいな違和感があるのかもしれません。
障害者ならば支援者などが徒党を組んで「弱者権力」になる可能性はある(じっさいそういうこと-市民運動-に利用されている障害者の存在も私は知っています)のですが、子供の場合は弱者権力のダシに使われる可能性はあるのかな?とも思います。ただし、今このドラマに抗議してる養護学校の関係者が子供をダシにして弱者権力を作ろう、という意図はなく、とにかく現場の意見として受け入れられないのだろうな、ということは推測できますが…。
ううん、ポエム化社会のテーマとは少し外れたかもしれませんが…。
今週も配信有難うございますm(__)m
思考し続ける忍耐をもって思考する個人が即ち一人でいて淋しくない人間であると心得ました。
>>62
カレー千衛兵さんへ
【AKBあるある】について、コメントありがとうございます。
【強さと弱さの間で】とてもいい曲でした。作曲が井上ヨシマサというのは意外でした。彼の曲はアップテンポのものばかりなので、バラード系の曲もいいなと感心しました。
秋元才加についてですが「AKBヒストリー」という本に載っていたのですが、AKBが2回目の紅白に落選した時、その屈辱を忘れないようにNHKホールを睨みつけたというエピソードがあったそうです。彼女の中にも「12月31日」があったんだな、と胸が熱くなりました。
そういえばAKB各チームのキャプテン・ゆいはん、優子、梅ちゃんは皆「秋元チームK」の出身ですよね。今になって彼女の偉大さに気付かされました。
あと僕の【下ネタあるある】に対する岸端さんの返信ですが、岸端さんの器の大きさに感謝です(笑)
ライジングあるあるshort ~時間は金なり~
1.時間を掛けてライジングを読んでいたらコメランキングから脱落
2.時間を掛けて読者コーナーのネタ考えたのにまさかのネタ被り
3.時間を掛けてコメント書いて送信したら誤字に脱字でさあ大変
4.時間を掛けてコメント書いて送信したら「ただいま混雑中です」
ツイッターを見ていると、例えば脱原発に対して非常に冷笑主義的な人が、一方で、それこそポエムじみた言葉に感化されている様子をちょくちょく目にします。
そういう人達の中には、僕と共通のアニメや小説、音楽のファンもいて、趣味については、普通に楽しく会話ができます。ところが原発などの問題になると、まるで別人格の、「冷笑主義かつポエミー」な、奇怪な人に変貌してしまうのです。
そうした人の一人がリツイート(他者のツイートを転送する機能)してきたのが、海上自衛隊の次のようなコピーを伴ったポスターの画像でした。
「誰よりも強くなる。 誰とも戦わないために。」
戦わないための自衛隊???? ハテナマークが頭の中で増大しました。抑止力としての自衛隊、ぐらいの意味なのでしょうか。
交流している人の陰口は言いたくないので、一例として挙げていますが、こういうものをリツイートしてくるあたり、「ポエム」に感化されている様子が見て取れます。ゴー宣ではニヒリズムと価値絶対主義の二極化を説明していますが、中途半端に感化された「ネトウヨ予備軍」みたいな人も多いように思います。これがもう一歩進むと、完全にネトウヨ化してしまうのでしょうか。
>>83 尻毛屋さん
「ライジングあるあるshort ~時間は金なり~」
イイとこ突かれた! サブタイトル込みで面白いです(^O^)
そして興味深かったです。
「時間を掛けて」というのは、その人の「誠意」を感じました♪
私は「勢い」重視型で、感想や私信やネタは、
感じた瞬間に即投稿しています。
これが大きな後悔を生む結果に繋がる時もあったりなかったり・・(苦笑)
『2.時間を掛けて読者コーナーのネタ考えたのにまさかのネタ被り』
って、なんだか、笑ってしまいました(笑)
以前私も、Q&Aに投稿しようと思い、時間を掛けて温めていたネタを
尻毛屋さんに先にやられてしまった経験があります!
あれ、結構悔しいですし、その反面妙に嬉しいものですよね(⌒▽⌒)
あるある o(^o^)o
条例でポエムはやめてほしい…。キレイゴト並べて批判をかわそうとしているように思えます。
けど、条例があれば、そこに人も予算もつくのだから、ポエムでごまかすのは、不誠実ですね。
今回の雷神宮歌会のテーマは「小」でお願いします!!ちっちゃいおっさんスクナビコの復活記念で。
短歌は後で考えます。
改めまして、vol.70の配信ありがとうございました。
連帯渇望症候群というか、恥ずかしくも痛々しいです。宗教というか、貧乏で異性にも恵まれない人の大公開オナニー大会のようです。ポエムならぬポルノかと。脱正義論でしたかね、組織運動をうまく機能させるには構成員に「やりがい」をもたせることが重要、というようなことを呉智英か誰かが言っていたのを思い出しました。搾取側の連中は腹を抱えて笑っているかもしれません。
「社員が自ら望んだ」というのには少々驚かされました。自らの過ちや負けを認めて恥をかき孤独に陥るのを異常に恐れるゆえに、能動的で社交的な自分を演出しているのかも。世間は誰もそんな脆弱な個には何の関心も無い現実すら直視できず、自己を過大評価して騒いで仲間を募ることで注目を浴びる自己陶酔にも見えます。悲しくも本人たちは、騒げば騒ぐほど負けを認めざるを得なくなることなど、一生気づかないかも知れません。それを思えば、前田あっちゃんとキンタローや嘉門達夫とミュージシャン各位などの関係は見事なバランス感覚に思います。
「ポエム」といえば、先日、ブライアン・デ・パルマ監督の「パッション」を見ました。そのキャッチコピーには、詩人ヴィクトル・ユーゴーの
「 女は、非常に完成された悪魔である 」
とのお言葉。もはや、ポエムを超えた格言の領域に感じました。
あ、あと、一コ発見したのですが、引用された各種ポエムを、試しに機械翻訳(英訳を再度日本語に機械翻訳)にかけてみたら笑い倍増でした。思考による「マジとパロディの両立」のほか、虚飾を見分ける最も簡単な方法かもしれません。
木蘭先生の「ザ・神様!」の即席麺のようなスクナビコナの神に笑いました。本当に目玉オヤジみたいで、助演男優賞モノです。出雲風土記はいつか読もうと思いつつも未だ読めていません。酒や温泉の発祥とか色々楽しそうです。
私もだいぶ淋しがりなので、淋しい人達の気持ちはわかりますが…、でも、何か間違った方向に行ってるような気がします。
甘い綺麗な言葉で現実を見ないようにしていても、結局最終的に困るのは自分だと思うんですよね。
でもそういった人達が全然違う人種に見えるわけではなく、私も簡単にそちら側に落ちてしまうんじゃないかと、いつも恐ろしく思います。(きっと自分で気付かないうちに落ちてるんだろうから…)なので、今回のゴー宣はドキドキしながら読みました。
バランス感覚と、自分を客観視することを常に意識し、考え続けることが大切ですね。
「一人でいて淋しくない人間になれ」
この言葉は印象的でした。忘れられない言葉です。
この言葉を意識するようになってから、淋しい感情が少し和らぎました。
>>92:尻毛屋さん
横レス失礼します。必ず1回長文をブッ込むna85です。私も長文は「メモ帳」との間で往復コピペをしてます。ただ、時間をかけながら一気に書き上げた場合コピペを忘れていることもあり、そんなときは時々「混雑中」と出ますが、これは「時間かかりすぎ」という意味のようです。冷静にブラウザの「戻る」を押してやると書いたコメントが残った以前の画面に戻ります。そこにあるコメントを改めてコピーし、ブラウザの「更新」を押してもう一度コメント欄にペーストすればOKです。不安ならコピーを「メモ帳」にコピーする段階を踏んでも良いわけです。
尻毛屋さんのいつぞやの短歌も良かったと思います na85
丸果尻くにちんさんの質問、考えさせられますね~!
僕がその立場だったら…、想像つかないな。特に「肉のドレス」着て来たらどうしよう。生臭いだろうし。
けど、現実受け入れるのに時間かかるだろうことは容易に想像できる!
福岡にお帰りなさい♪
先生の帰郷のたびに会えないかなと思うのですが、全然会えず、いつも悔しい思いをします…。
ところで、福岡の料理は「うまかっちゃ~ん♪」ですが、まさにその名前のインスタント麺があって、CM にはめるちゃんが出てますよ。見られたらいいですね!
雷神宮歌会テーマ「小」
○雪をこね 丸めて投げた 小さな手 我が手や息で あたためている
○唇を 小さくたたく 水滴で 雨の降り始 めたことを知る
daiさん、雷神宮歌会のテーマ設定ありがとうございます。メインテーマ:―小―に、サブテーマ:―詩―(ポエムより)、―黒―(ブラック企業より)、を追加したいと思います。
○舞い降りる 白き小さき 一片を 二人見つめた あの帰り道
○黒々と 迫りくる影 冬の空 降らすは雪か 冷たい雨か
○黒企業で 仲間と頑張る ポエマーも 一歩間違えば ヘイトスピーカー
○詩心が リーダーに要ると 言った殿 ともに立ちしは 夢見る変人
mayuさんへ
○公表し 退路断つ君 健気なり yes you can!と 応援するよ(なーご♪)
いや別に、資格はユーキャンの宣伝ではなく… na85
>>92 尻毛屋さん
私も、まずエクセルで文章を書いて、それをコピーする形で、
ライジングのコメント欄に投稿しています。
投稿後に誤字脱字を見つけ、削除して、再投稿することもよくあります。
私は、コメント欄については、リラックスした状態で投稿できます。
でも、Q&Aコーナーがすごく緊張してしまいます!
だって、あの小林よしのり先生だもん!!
私も尻毛屋さんのような常連質問者を目指そうと思っていたのですが、
どうしたらこのプレッシャーに勝てますか?
>>94 mayuさん
私も途中で挫折すると(きっとするし)恥ずかしいので言いたくなかったのですが、magomeさんのマジに触発され、つい自分も資格取得を目指している話をしてしまい、後悔しています(笑)
でも、magomeさんも、mayuさんも、
どこかで勉強を頑張っているんだと思えば、自分も頑張ろうと思いました♪
あ。ちょっとポエミーだったかな・・・?(苦笑)
私は6月にITパスポートという資格を取得したいと考えています。
合格したのか、不合格だったのか、ポエムと違って「結果は白黒ハッキリ出る」ので、またご報告します。
>>95 ボンさん
ではでは「ボン☆カレー連合」で旗揚げしましょう!O(^o^)o
当然、我が軍の旗のデザインは「ちょっと日の丸っぽいアレ」です(笑)
しゃべらせてクリは「ジェットストリームアタック」を軸に今から考えます!
期限が2週間だろうが1週間だろうが、いつも締切ギリギリになります(汗)
私は、夏休みの宿題と同じで、追い込まれないと頭が働きません。
NMB48の楽曲に「12月31日」というのがありますが、
私は「8月31日」という歌を作りたいです(笑)
・・・まぁ、小林よしのり先生のお誕生日でもありますけどね(^O^)
>>101
>カレー千衛兵さん
ムリに気負わなくても大丈夫だと思いますよ
私は文通している感じで質問を送っています
もっとも私は思いついた質問を先ずメモ用紙に
書き込んで、後で見なおした上で送っています
とはいえ朝ドラへの質問の時は怒られましたし、
首相の靖国参拝について送った時には呆れられました
まぁ質問一つ間違ったぐらいで死ぬわけじゃないですから
気楽に出しては如何でしょ
最近はQ&Aも投稿者が増えたようでなによりです
ただ敢えて言うならば皆さんよしりん先生に
反対の意見でも恐れず出して欲しいのです
先生がゴー宣という見解を示しても、それが自分で
納得行かないモノならば追求するのも大事だと思います
ども、今号も配信ありがとうございました。
ポエム化社会の話は正に我が身の様に感じますね。
自分も外食産業に関わるものですから、居酒屋の話も他人事では決して有りません。
手段が目的に成らない様に粛々と日々積み重ねて頑張りたいものです。
大東亜論の感想にも繋がりますが、
頭山の言葉「一人で居て淋しくない人間になれ!」は、
人との関わりを「面倒だ、疲弊する、しんどい」などと言って自ら遮断するな!
対人スキルを磨け!例え批判や中傷や誤解を生もうが、
恐れずに生きて行け!
と言う淋しい現代人に対する檄・エールと私は改めて受け取りました。
今こそこの言葉は身に沁みますね。
フルボッコなど怖れず挫けず頑張るぜ!
あと、連投に成ってしまいますが、
ポエム批判も他人事の様にネットでは書かれて居る事が多いのですが、
私も含めて「自分らは高みに居てこの方々とは別・対象外」に置いてるのはなんだか「違和感」が有るのですよね。
働く行為自体を否定は決して出来ません、いつの間にか自分だって「求められているから頑張りたい!頑張れる!頑張ろう!」と過剰に成って居る部分は有る筈です。自己陶酔と言うのは私にも有りますし。
遺骨収集も靖国参拝にも同じ事が言える気がしますね。
ふと立ち止まり振り返る事が大切だと、それが思考を転がす事だと私は思います。
居酒屋甲子園と聞いて阪神ファンのたまり場を想像してしまいました
いくらなんでも高校野球と居酒屋との組み合わせはダメでしょう
パチンコ甲子園なら18才は入れるから良いのかもしれませんが
高校生ではなく大人が参加する大会に○○甲子園という名前をつけてしまうところに、この手のイベントの実態があらわれているような気がします
共同体が崩壊していく中で淋しさに耐えられず
絆にしがみつく人間が増える一方で
『回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち』(岡田尊司 著)という本で読んだのですが
他人と絆を持ちたがらない人間も増えているようです
最初から絆を持つことを諦めるという姿勢で過剰適応しているだけなので
「一人でいて淋しくない人間」とは少し違うのかもしれませんが
孤独に強いという特徴がプラスにはたらく場合もありますし
愛着の問題を克服して大きく化けることもあるそうです
「一人でいて平気な人間」が増えることは良いことではないと思いますが
絶望の中から希望が生まれてくることもあるのかもしれません
少なくともポエマーやネトウヨよりは可能性があるような気がします
今回のゴー宣を拝見して思い出したことがあります。
かなり前の生放送で、小林先生がもくれんさんと押し寄せる罵詈雑言コメントを眺めながら
「“私を見て”って言ってるんだよ」と呆れつつも優しい発言をされていたことです。
しかしネトウヨたちに限らず、実はみんな一人が淋しくて、認めて欲しくて仕方がない現実があるのがよくわかりました。
小林先生の思想を見ていると、公論というのは天下国家だけでなく、庶民・大衆の視点からも「国」を捉えることが大事なんだなと改めて考えさせられます。
まさにスクナビコナが第24回で言っていた、「本当に良い国として治めるには、人の暮らしという実態を隅々まで知らねばならん。」「もっともっと現場を知れ!」なのですね。
身近なところでも、仕事をどう進めていくかという点で、上層部の意向と現場の状況が乖離していると、いずれは破綻し、結局は現場がツケを払うはめになったりすることはあります。
靖国問題でも、小林先生は「国民の意識・覚悟はどうなのか?」ということを常に踏まえておられました。
それが高森先生と靖国への認識は同じなのに見解に温度差があった理由かと思っています。
その典型例が、自称保守の人たちの思考を停止した“原理主義”であり、
自分らの思い通りにいかない時だけ「ポピュリズム」とか「愚民」とかの言葉を使って国民を切り捨てる姿勢なんでしょうね。
そんなことをしていたらどんどん庶民の感覚と乖離していくのは当然だなと思いました。
まさにあの人たちは反面教師ですね。
上が現場を無視するのではなく、下が文句ばかり言うのでもなく、仕事でも国でも「私心」を排して、最もいい方向、いい形を探る。
それが思想であり、それぞれが目指す公論なのかもしれないと思いました。
本日、AKBリクエストアワー3日目のライブ・ビューイングに参加してきました。
姉妹グループを含め、いろいろな曲が聴けてとても内容が充実していました。
冒頭にAKBのチームA・K・Bのドラフト1位メンバー3人が「ミニスカートの妖精」を、その後ドラフト指名されたメンバー全員で「PARTYが始まるよ」を披露しました。
ドラフトメンバーの自己紹介もあったのですが、NMB・チームNの1位須藤凜々花が「フレッシュレモンになりたいの~」とみおりんのモノマネをしたのが面白かったです。
134位の「思い出のほとんど」では、なんと前田敦子が登場。たかみなとのデュエットはこの日披露された中で一番感動しました。135位・SKE「美しい稲妻」での松井玲奈のダンスは鬼気迫るものがあり、「残念少女」「パジャマドライブ」でセンターを張ったまゆゆも凛々しかったです。
MCではゆいはんとりぽぽのやり取りも笑えたし、特にみおりんは木下百花にお姫様抱っこされたり「フレッシュレモンになりたいね~ん」と言ったりとMC・歌とまるで「小さな巨人」と例えたくなる活躍ぶりでした。
アンコールはアルバム収録曲で川栄が出ているユーキャンCMの歌「僕は頑張る」、研究生の「散ればいいのに」、大島優子がセンターの新曲「前しか向かねえ」の3曲、最後は「恋チュン」で締めました。
「前しか向かねえ」の優子の歌いっぷりは、まるでロック歌手のようでとても格好よかったです。この曲がオリコン初登場1位・ミリオン達成となったら、間違いなくスポーツ新聞は「大島優子・優終の美」と書くだろうと今から妄想しています。
「こんないい曲があったんだ」と発見する事も多く、約2時間半とても楽しめました。まるで現場にいるような感覚も味わえたので、また機会があれば是非参加したいです。
ちなみに僕は「ファーストラビット」「LOVE修行」「UZA」「純愛のクレッシェンド」「HA!」に投票しました。
岸端編集長、小林師範、泉美師範、今週も配信ありがとうございます。
まずは、「ザ・神様」の感想から。今週の「ザ・神様」を読んで、無性に温泉に入りたくなったのは私だけでしょうか。首都圏は相変わらず肌寒い日々が続いていて、時にはスクナビコナのように寒さのあまりに「仮死」状態になってしまう場合があります。その時に浸かる風呂ときたら「あー生き返る」という気持ちで満たされてしまい、スクナビコナが生き返った時はあの時の「生き返る」という気持ちを思い出してしまいました。そして、温泉に浸かるとこれが風呂と違い、関節痛や打撲なんかも不思議と回復してしまうのですよね。当然、息苦しさも取れて後は布団に入って寝れば体調は万全になります。
しかし、スクナビコナが生き返ったと思ったら突然の別れ!やっぱり、「ザ・神様」は目が離せません!
社会のポエム化について、小林師範が指摘するまでもなく、伝統行事などを除いて近所でも何かと行事や呼びかけがあると、ポエム化した文句で人々の関心を寄せようとする行為が見え見えな場合があります。そんなことする暇があるんだったらチラシでも配るなり、通行人に自由にとってもらう様にしてそこに詳細な説明を書けばいいのになと思うのですが、チラシにもポエム化した宣伝文句で埋まっていて正直、うんざりします。
このような状態になった背景には、共同体の崩壊は勿論の事、貨幣に異常な権力が芽生えたからなのではないのかと思うようになりました。共同体がしっかりしていた頃は御惣菜や食料品、燃料の御裾分けや物々交換が当たり前で、商店街でも常連さんにはおまけがつくなど、其処にはお金では買えない共同体が生まれましたし、村民でも土地や家の貸し借りには土地代や家賃の支払いや手続きも持ち主と借主の間で法や金銭に縛られることなく、自由な条件で貸し借りができて、さらに、もし一件の農家で不作になったとしても別の豊作な一軒から分けてもらい、一年を越すことが出来ました。これは金の貸し借りでも同じです。しかし、近代化が進み、近代化産業が進むと国家が国民に税金を取る必要が出てきたことから、これら共同体を破壊し、国民一人一人から貨幣による税金の支払いが必要となり、その結果、これまで共同体で得てきた自給自足や物々交換からすべての生活を貨幣に依存していくようになってきます。このような状況になると、これまで物々交換や自給自足で得てきた物資は勿論、土地や水などの生活必須品にまで貨幣が必要になり、さらには労働の目的も生活をしていくための労働から貨幣を得るための労働に変わり、共同体の中で得ていた個人の自由は貨幣によって完全に制限されてしまうことになります。
この結果、貨幣にならない共同体は完全に解体されていく反面、貨幣さえあれば全てが手に入るという思想が入り込み、この結果、共同体にとって必須である信用という概念も失い、人々はより一層、寂しさを強いられる社会で暮らすこととなるわけです。
社会における数々のポエム化は貨幣に全ての生活要素を依存するという近代化社会の負の遺産を表している一つの重要な現象であると今回の「ゴー宣」を読んで思いました。都市でも近年は共同体を取り戻そうと、少しでも余裕のある大人たちは必至で飲食店などの娯楽施設でたまり場を作っているという話を聞きます。要するに、都市内でも、共同体を求めて「村化」が進んでいるというのです。ポエム化、村化、そしてネトウヨ、自己啓発居酒屋に一致していることは、近代化社会の限界が来ているということで、共同体を作る余裕のある大人は村化を求めて、貨幣と時間を費やして村化をめざし、ポエム化したネトウヨや自己啓発居酒屋など、貨幣と時間に余裕のない人々は根拠のないポエムと「愛国心」によって共同体の崩壊によって生じた堪え切れない寂しさから忘れようと自己暗示をかけて、なんとか自分自身を抑えているわけです。
家の近所でも事あるごとに怒鳴り散らす老人がいまして、その老人は金を払ってまで同年代の老人たちを家に呼び寄せて交流を深めていますが、この現象は後継ぎだったはずの息子に経営権を完全に取られて自分の店から完全に追い出されて仕事を失い、暮らしの資金も息子家族に完全に依存する形になってしまい、さらに自分が住んでいる建物も別の人に手渡すことになってから現れ始めました。元々、友人がいないし、子供たちにも疎まれてしまう寂しさから必死で金で仲間を呼び寄せて、気に入らないと仲間以外の周囲に怒鳴り散らすことによって寂しさからくる鬱屈を晴らしているわけです。ネトウヨやポエム化自己啓発に耽っている若者の周囲にはこのような老人や大人がきっと多いのでしょう。そして、貨幣さえあれば生きていける反面、貨幣に絶対に依存し、貨幣に縛られている世の中に老若男女問わず、寂しさを感じているのかもしれません。ポエム化自己啓発とネトウヨは近代化グローバル社会における民衆の現象なのだと思いました。
一方でこれらポエム化自己啓発やネトウヨなどの本気を冷笑する冷笑主義も結局は貨幣を基準に考えているからこそ、冷笑にふけることが出来るのではと思います。これが自分の生活の要である貨幣に関われば冷笑なんてとてもしていられないでしょうし、貨幣さえあれば自由という近代化社会によって生じた思想に大きく影響を受けているという点ではポエム自己啓発やネトウヨと同じ穴の貉であると言わざるを得ません。自分たちに共同体が生まれたときからなく、経験もしたことすらない上に、周囲にいるのは寂しさによって耐えられなくなった大人ばかりであり、貨幣によって自由が縛られている社会ではそんな縛られている社会に諦めという冷笑と虚脱感に身を沈めるか、ポエム自己啓発とネトウヨによって鬱憤を晴らすかの選択しかもはや与えられていないと思います。
もちろん、このような世の中でも家族や周囲の人々に支えられ、思考することを止めない人々が多くいることも事実で、これ以上、多くの人々を堪えられぬ寂しさから解放させるためにも、「一人でいても寂しくない人間」が必要となってくるでしょう。そして、「一人を以て千万人に当たる」人物を少しでも多く輩出するためにも共同体の再構築と現代技術を駆使した伝統回帰にむけて、各個人が頑張るしか、道はないと思います。
「大東亜論」はそのために必読書である。
>>23 尻毛屋さん
「江戸への新視点」読んでいただき、ありがとうございます。渡辺京二 著 「逝きし世の面影」が欧米人による江戸時代観であるならば、「江戸への新視点」は現在における國内の専門学者らによる江戸時代観であり、どちらにも「客観性」という共通点があり、研究者による現在の歴史研究という現代技術と、当時の欧米人の世界観という相違があるところに比較した場合の特徴がみられます。
江戸時代は調べれば調べるほど、現在の「伝統」「価値観」と共通する所があまりにも多いことと、伝統、価値観の原点の多さに驚かされます。
>>75 na85さん 「江戸グルメ誕生」を読んでいただき、ありがとうございます。日本が欧米の食事をとりいれたとき、なぜに一定の欧米の食事だけが受け入れられ、「洋食」という日本独自の料理が出来上がったのか、この本を読んで初めて解りました。それと申し訳ないのですが、「『江戸しぐさ』完全理解」と「王陽明のことば」を購入済みなのですが、塾の課題本や不耕起農法の書類に追われてなかなか手が付けられないありさまです。
その代わり、今回、>>112 で書き記したコメントには塾の課題本や塾の講座で学んだ内容が「大東亜論」とともにふんだんに含まれています。これら課題本の感想と紹介はまたいずれ。
>>93 mayuさん 塾ではこれから、どんどん、内容を吸収し、農場や田圃でも技術などを体得していくと思いますので、感想などがまとまり次第、コメント欄にでも上げてライジングの擬似共同体構築に貢献できればと思います。
それと、寂しさについてですが、以前に目標をすべて失い虚脱感に蝕まれていた時期に何を求めていたかというと、自己啓発であり、今回のゴー宣で取り上げられた怪しい、根拠のない自己啓発ポエムでした。そして、その自己啓発の目標が貨幣の獲得でもあったわけです。
かつて勤めていた企業でも「企業行動憲章」なるものがあったのですが、その「憲章」の内容が完全な「ポエム」で企業行動憲章からして目的が貨幣の獲得以外にまったくわからない企業でした。このような企業に勤めていれば従業員としての目標も掴みにくく、その日暮らしを貨幣を獲得する以外に生きる目標がなく、共同体がない場合、将来の目標が全くないことから、その目標がないという寂しさを紛らわすために自己啓発による貨幣獲得に走るか、ネトウヨ運動に走るということになってしまうわけです。
「一人でいても寂しくない人間になれ」は出来るようでなかなかできる者ではないことも自覚する必要がある。と同時に淋しさから完全に脱するには健全なる共同体と伝統回帰が必要なのではと思います。
皆の目標が健全なる共同体の構築と伝統回帰に定まれば、ポエム化もネトウヨも左翼、サヨクと同じくして消滅する。
>>101 カレー千兵衛さん
私の本気が通じて嬉しい限りです。私も事が想う様にいくとは思いませんし、mayuさんやカレー千兵衛さんと同じく、試験ではありませんが、失敗もあると思います。しかし、大事なのは現場が違えどお互いの目標を認め合えるという健全な共同体(擬似共同体ではありますが)が維持されていることなのではないのかと思います。お互い、現場は違えど、それぞれが応援しあい、ともに必要とされる世の中を擬似共同体を含むあらゆる共同体へと何らかの形で広めて構築していくことこそが我が國、日本臣民としての最も重要な使命なのではないのかと思えてなりません。
近代化グローバル社会ではこの必要性も全て、貨幣によってでしか換算されないからこそ、自己啓発ポエムやネトウヨ、そして冷笑、虚脱が蔓延るのではと思います。
それと、元坂口さん、ブローカーさんのお二人の「しゃべくりMVP」を祝福させていただきます。私も毎回、爆笑するために、お二人方の台詞も参考にしつつ、MVPを狙い続けて頑張りますので、これからもよろしくお願いします。
お疲れ様です。
「居酒屋甲子園」は完全に新興宗教だと思いましたが、今号のゴー宣の内容は大なり小なり多くの人に当てはまらないこともないと思いました。
今はネットによる繋がりがない人はいないといってもいいでしょう。メール、LINE、FACEBOOK、Twitterなど多くの人が何らかのツールを使ってコミュニケーションをとっているはずです。
そしてそこで繋がっているだけである程度人と繋がった気にもなれます。
それを「繋がっている」と考えれば昔に比べると本当に「一人」という状況になることは少なくなっていることでしょう。
しかしそれをどこまで「繋がっている」と言っていいのか?
私個人としては、何度も会ったことのある人(友達)同士でのネット上の繋がりはそんなに問題があるとは思っていません。
でも会った事もない、ましてや会う予定もない人同士でのネットだけでの繋がりはある程度は良いのですがあまり深入りするのは避けています。
それを繋がりとして「自分は一人じゃない」と思うということが「個」を無くす原因なのではないかと思います。
とはいいつつも私もメールやFACEBOOKで淋しさを埋めているということが全くないとは言えません。
「一人でいて淋しくない人間になれ!」
この言葉は肝に銘じておきたいですね!
配信お疲れ様です。
私は昔から割と孤立しがちなのですが、実は寂しがり屋なので、こういうやさしいポエムに心を奪われかけることもありつつ、頭のどこかで小林先生に不動明王の顔で睨まれて「こんなの中身ないじゃないか」と我に返ることがあります。まあ、絶好の腐り止めですね(笑)ですのでSNS関係は依存してしまいそうで怖くて未だに手が出せません(笑)
寂しさに耐えきれない人間が昔はオウムや支える会等の運動に没入して、今は愛国戦士ポエマーになるのでしょうか。オウムになんでこんなに恵まれた人が!?という人が入信したりしてますので、高学歴高所得の人が竹田さんのファンになったり愛国デモにハマるのも不思議ではないのかも知れませんね。
何でも斜に構える冷笑主義に堕することなく、価値絶対主義に陥ることもなくバランスをとり「一人でも寂しくない人間」に私はなれるのでしょうか。うーん、思考を放棄しないで失望はしても絶望はしないしなやかさで歩き続けるしかないですね。
とりとめのないポエムみたいなコメントですみません!
今回のコメントで取り上げられている「明日、ママがいない」についてですが、抗議や放送中止を要求するのは違うと思います。一部ではあのドラマのせいで、いじめに遭った子もいたと報じられていましたが、ドラマに抗議するよりそのいじめをやめさせるのが先でしょう。僕から言わせれば抗議をしている人達は、殺人事件が起きると2時間ドラマや刑事ドラマのせいにしているようなものです。
それにTVでいじめのシーンがあれば、子供に「いじめはいけない」と注意するのが大人の役目でしょう。その為に親や教師がいるんじゃないでしょうか?それをせずにTVやマスコミの影響力のせいにするのであれば、教育を放棄しているのと同じです。そういう大人は今後、子供の教育は全てTVにしてもらえばいいんです。
このドラマが放送中止になれば、TVは確実に死にます。特にドラマ・バラエティは抗議を恐れて何も作れなくなってしまうし、ひいてはマスコミ本来の役割すら果たせなくなってしまうでしょう。岡村隆史がいうように「池上彰のニュース番組」しか放送できなくなると思います。
今回の件は一番組だけの問題ではなく「特定秘密保護法案」と同じく表現や報道のあり方にかかわる重大なものだと僕は見ています。だから日本テレビはこのドラマを放送中止にしたり、脚本を変更しないでほしいです。
「明日ママ問題」はTVやマスコミの表現・報道のあり方を問うのが本質だと思います。たまに出てくる、脚本監修の野島伸司氏の作風がどうとかという意見は、議論を混乱させるだけなのでドラマ評論でやってほしいです。
今回も配信、お疲れまっほー(控えめに推します)。
「ポエム化」という「こそばゆい」現象の解説で、私が普段から抱いている違和感の根源が分かるようになりました。幾つか浮かびました。
・綺麗ごとの歌詞の氾濫が旧来の歌謡曲愛好家を辟易させ、ポップスから遠ざける(実際にこのような表明をしている方がおられます)。
・本来知性を必要としないアイドルが、同姓からの支持を得ようと、手っ取り早い詩情で箔を付ける。結果、本来のファンが冷めてしまう(私も某アイドルにそれを感じました)。
・会社が協調性を打ち出し、親睦会などを積極的に行う(最近は「同じ職場で働く」以上の関係は不要と思うようになり、ことごとく不参加)。
ある程度は必要でも、やはり「中庸」が大事なのですね。
「孤独」を訴える歌も、支持が得にくいかもしれません。ザ・ハイロウズを聴いていると「おおっ」と思うところがありました。
「孤独を抱いていくんだ 群れから離れて 一人きり 強い風に 吹かれていくぜ」
この歌詞、『大東亜論』を読み終えた今、一層響くものがあります。
Q&Aで水道橋博士(若干冷笑主義のきらいはありますが)の名前を出しましたが、博士はよしりん先生の「追っかけ」です。
『大東亜論』には連載時から注目していた博士が、単行本を読みどのような感想を持つか、興味があります。
ちなみに、甲本ヒロトさんと水道橋博士は中学の同窓生です。
少し脱線しましたが、「一人でいて淋しくない人間になれ」を改めて教訓としました。
>>103 尻毛屋さん
アドバイスありがとうございます!
Q&Aコーナへの心構えのみならず、
いろいろ考えることがありました。
尻毛屋さんが大切にされているであろう「摩擦を恐れない心」と
「自分の頭で考える態度」は、とても貴重だと思いました。
それは「一人でいて淋しくない人間」に繋がるだろうし、
「個の確立」にも繋がると思いました。
私自身は本当に未熟者で、小林よしのり先生の見解を真に理解する事で精一杯で、そこを超えた意見を持つことがなかなかできません。
だけど、どうしても理解ができなかったり、納得できないことがあれば、
それこそQ&Aなのだから「質問」をして、小林先生に怒られたり呆れられたりするのもいいかもしれませんね(⌒▽⌒)
そのやりとりを見て学べる人がいる。それは素晴らしいことですね☆
>>118
monmonさんへ。
熊本市長がこのドラマに抗議の声明を出したことは、表現の自由に対する公権力の介入、という意味で問題があるのかな?とも思います。
要するに、暴力的な描写とかあるいは性的な描写みたいな「明らかに公器としてのテレビがやってはいけないこと」への抗議ではなく「福祉関連の真実の(多少の誇張はありますが)描き方が悪い」みたいなクレームなので、「福祉の現場はこう描かなきゃダメですよ」みたいな指示をしたいのでしょうけど、それは表現者の「内心」への介入であるので、決して権力がある立場の人間がやってはいけないことだと思います。
こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)を置いている慈恵病院は、そこを舞台にしたドラマをTBSが作っているのです。私は見てはいないのですが、少なくとも置き去りにされた子供や福祉の現場の人間を貶めたりする内容ではなかったと思います。
もちろん、現場の意見は大事かもしれませんが、ただ単に「福祉とは素晴らしい」とか「赤ちゃんポストに置き去りにされた子供は健気な天使だ」という片面だけを強調するような描写では、真実をきちんと描いているとは言えないのかもしれません。
もっとも、日テレサイドも十分な取材をしてドラマを作るべきだったのかもしれませんが、どうも福祉の現場って「自分たちに都合の悪いことは取材に応じない」みたいな姿勢を報道に対して取ってしまいがちな一面があるのではないのか、とも思います(薬害エイズの時なんかもそんな印象を私は受けました)。もちろん、弱者に対する差別を助長しかねない、という配慮もあったのかもしれませんが「あるがままの人間像」というか「弱者の中にある(いい意味での)邪さ(というか業の深さ)」みたいなものに対して隠したがる、というか白日のものにしたがらない、というむず痒さみたいなものを感じてるんですね。
よしりん先生が孤児院出身のポカQさんのことを「弱者だけれども面白味がある」みたいな感じで漫画に登場させてるのを見ると、例えば不遇な人間にもユーモアみたいなものがあるな、みたいな感じで見てる方が何か心暖かくなる、という感想を持てるのです。もちろんそれはよしりん先生が弱者に対して一貫したスタンスを取りながら、愛情を持って漫画に登場させるからでしょうね。
もともとテレビ自体、熱心に見る人もいれば、ただBGMみたいな感じでスイッチだけ入れている、という人もいるので、万人に向かって訴えるには適していないメディアなのかもしれません。
このドラマが、テレビじゃなくって映画だったら、ここまでは叩かれなかったのかな、とは思いますね。
長文失礼しました。
>>79
>>121
こいらさん
表現者としての動機がどこにあるのかは分かりませんが、作品の出来を見た限りではそんな大層な思いもなかろうと感じています。
そして「私は見てはいないのですが、少なくとも置き去りにされた子供や福祉の現場の人間を貶めたりする内容ではなかったと思います」とのことですが、まさにその関係者を貶めるような内容なのですよ。
孤児と虐待といったセンシティブなテーマを扱えば各方面と摩擦が起きるのも必然でしょうが、果たしてそれを覚悟した上で制作したのかというところがとても疑問ですね。覚悟の上にしてはクオリティがあまりに低いし、覚悟がないのなら無神経に過ぎる。
野次馬が屈折した正義感を振りかざして抗議するのは論外ですが、その『毒』を扱うに足る作品かどうかを厳しくジャッジするのが良き観客としての取るべき姿勢だと思うのです。
慈恵病院と福祉関係者は当事者ですし抗議する権利はあるでしょう。熊本市長についてはそうとも言えませんが、東京キー局に対する影響力を有しているとも思えませんし、公権力の介入というのはいささか言い過ぎのように思えます。
表現の自由はあってもその内容とクオリティによっては批判も受けるべきです。今回の件を『表現の自由vs公権力』という構図と捉えるのは無理があるでしょう。
雷神宮歌会サブテーマ「黒」
○傘に打ち つける雨音 聞きながら 黒く染まった 道路を歩く
>カレーさん
「ボン☆カレー連合」了解です^^
「ジェットストリームアタック」を楽しみにしておりますw
私は、土曜の夜投稿させて頂きました(丁度、小林先生とみなぼん編集長が一升飲みほしている頃でしょうか?)。
>>私は「8月31日」という歌を作りたいです(笑)
夏休みの「終わる」切なさと、宿題の「終わらない」もどかしさの交差する「形容しがたい思い出の日」
ポエムってこんな感じですかねww
>magomeさん
ありがとうございます^^
私のでよろしければ、是非参考になさってください。
次回もよろしくお願いします。
「明日、ママがいない」の二回目を僕は見たのですが、思うところがあるので、議論に参加します。
僕が見た限りだと、あのドラマはファンタジーですね。さらにいうなら、「夜に放映される昼ドラ」と言ったところです。
あのドラマのテーマはやはり「子供の強さ」で、製作者側としてはそこを強調するために、「悪役」かがほしいところ。それで、施設長を悪役に仕立てあげたのでしょう。一方で、その施設長にジョニーデップみたいな服装をさせて、非現実感を演出して、現実の児童養護施設とは関係はないですよとしたかったのではないかと思います。
だから、「現実の児童養護施設やそこで働く職員を貶める」とまでは言えないというのが、僕の考えです。
それと、今回の抗議が認められるなら「おぼっちゃまくん」だって、「現実の学校やそこで働く先生を貶める」もので、「子供たちの人権を侵害する」ものとして連載中止にすべきだったということになるのですが…。昴田も結構えげつないことしてるので。
>>126
daiさんへ。
子供をどう扱うか、という点で「明日、ママがいない」というドラマは議論になっているような気がします。
「子供は汚れのない天使」というプラトニズムに裏打ちされた俗情が何となく大人の間にあるのかな?とも思いますが…。
もちろん、それはそれで一理あるのですが、子供だって悪い事もするし、業が深い部分もあるし、それをどう丸ごと描くのかは作り手としても悩ましいのかな?とは想像できますが…。
よしりん先生はそこはよく「おぼっちゃまくん」で描けてると思います。
子供の描き方をどう扱うか、に関しては、漫画なんかもそうですが、PTAとかの抗議団体に配慮しなければいけないので、テレビメディアだと慎重にならないといけないのかな?と思うから大変なのかな…。
「明日、ママがいない」が議論になっているので参加させていただきます
このドラマを映像作品として考えるなら表現の自由は守られるべきですが
テレビで放送するとなれば話は違ってきます
テレビというメディアは自由な表現の場ではありません
そもそも許認可事業であるし放送法などの縛りもあります
公共の電波を国民の許しを得て独占的に使わせてもらっているというのが建前です。ここをはき違えると許認可権をもっている行政当局の介入を許すことにもつながります。
放送は他のメディアと比べて高度な公共性が求められていることを忘れてはいけません。
この問題は表現の自由というよりテレビで放送すべきものかどうかという点にあります
ここからは私個人の意見ですが
この番組は22時に放送するには内容がどきついように思います
テレビで放送してはいけない程ではないと思いますが
このドラマに広く社会に訴えるべき真実があるようにも見えませんし
視ていて気持の良いものではないですから評判が悪いのは仕方ないと思います。
不快感を持ったからといって正当な理由をつけて排除しようという姿勢は感心しませんが全国ネットで放送している以上「嫌なら見るな」と開き直るわけにはいきません。
テレビの圧倒的な影響力を考えれば関係者からの抗議もやむ得ません。
制作側はこれらの批判に真摯に向き合って答えを出していくしかないと思います
こう書いてしまうとテレビでは万人ウケするものしか作れないのかと
言われてしまいそうですが、ある程度真実だと思います
それを越えた表現のできるプロがいるとは信じたいですが
この番組がそうであるとは私には思えません
「明日、ママがいない」の件ですが、そもそも論として水曜日の晩10時からやってるドラマを「子供に悪影響を与える」と言ってしまう社会全体こそどうなんだ?って気もしますがどうでしょうか。
かなり以前ですが「子供に悪影響を与えるテレビ番組」みたいなランキングに「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が上位に入ったのを見た時に「全国的には日曜の晩11時からやってて、大阪や名古屋に至っては平日の深夜1時ぐらいからやってるガキ使を自分の子供に見させてる親こそどうなんだ?」と思いましたが。
今に始まったことではないとはいえ、何でもかんでも「テレビが悪い世間が悪い」としてしまう社会って健全とは思えません。
2月11日、大阪で行われる、小林よしのり先生の講演!
私、その日は、どうしても、行けないぃぃぃぃぃ (号泣)
ぐわっ!大阪城前の國民會館なら、その日も車で通るじゃないかっ!!
せ、千載一遇の大チャンスを逃しました。゚(゚´Д`゚)゚。
またいつの日か、関西方面で講演をされるチャンスがございましたら、
その時こそは、何があっても、駆けつけたいと存じます!!
ところで、もしも偶然、小林先生達と同じ信号待ちする場面に出くわしたら
私は声をかけるだろうか・・・?
「あ、あの、先生、みなぼん、僕です、僕! カレーせんべいです!」
って言うの?これは気持ち悪いね。完全に頭オカシイ奴と思われる(爆笑)
一生に一度でいいから、小林先生のお姿をこの目で拝見したいです。
今回は本当に残念です…。
>>127
daiさん
>>129
尻毛屋さん
どうも力み過ぎてしまったようですね私。
ちょっと言い訳させてください。
「表現の自由」とは誰にでも自然と与えられた天賦の権利であるとは思っていないのですよ。過去の多くの優れた表現者たちが長い長い戦いの末やっと勝ち得た貴重なものなのに、それに現代の薄っぺらい作品の制作者が易々と乗っかっているように思えて、そのただ乗りというかフリーライダーを目の当たりにするとどうも釈然としないわけです。文化の、そして文化を育んできた基盤の浪費と感じられまして。
私は筒井康隆氏の大ファンなのですが、むかし筒井氏が表現の自由を巡る対立で断筆宣言に至ってしまったことがありました。ブラックジョークを解することもできない連中の難癖のせいで筒井康隆の小説を読めなくなるなんて許し難い!なんて随分腹を立てたものです。しかし筒井氏がそうやって戦ってくれたおかげで言葉狩りの問題が顕在化して、世の風潮も表現の自由を尊重する方向に動いたとも思います。
そんなわけで、特に世に訴えることもなく物語の才能があるでもない者が作品の小道具として安直にセンシティブな設定を使うということに嫌悪感を覚えてしまう次第です。
これはマスコミの表現・報道のあり方が問題であってドラマ評論ではない、とmonmonさんが仰いましたが、私は作品の質が低いことこそが「明日、ママがいない」の問題だと考えているのです。
今回のテーマとは関係ないことを長々とすみません。
蛇足
ファンタジーみたいなものだからということですが、ドラマ内では母親が鈍器で人を殴ったから「ドンキ」、赤ちゃんポストに入れられていたから「ポスト」などといったあだ名で子供も職員も呼び合っている描写があります。
こういう描写をするだけの理由があるとか、ストーリーとして抜群に面白いということでなければ私には受け入れらない描き方ですね。
全国養護施設協会の武藤事務局長によると、現実の養護施設では児童たちの家庭事情が露わにならないようとても心を砕いているとのことです。
今週のゴー宣は、タイトルからギャグ系かなぁとワクワクして見始めたら、現代日本の笑えない風潮を解説されていて、明日は我が身なのかもしれないと震えました(汗)
『大東亜論』や『修身論』を今度読み返して、自身の個を鍛えていこうと思います(^^;;
>>136
sigma10さんへ
どうもあなたは権威主義の嫌いがあるようです
「ドンキ」「ポスト」等の呼び方が良くないと言われますが
作中での子供達の存在の位置づけも兼ねていると思います
実際は施設の子供に心ない発言をする人間が居て、誰にもそのような感情があるのでは?
そんな奴は居ないなんて綺麗ごとです あなたが嫌悪している自体一番の証拠です
役者さんもストーリーを見てその内容を了承した上でドラマに出演することを
決めたのではないでしょうか
以前私はよしりん先生に「はだしのゲン」が間違った影響をうけるのでは?と
質問を送りましたが先生に「世の中雑菌だらけです、無菌室で育てるのは平和ボケです」
と諭されました (ライジングVol.51より)
子供の事情をひた隠しにする施設もまた平和ボケの無菌室だと思うのですが
「表現」でお金をもらっている身としては
最終的に圧力に屈してしまったのが残念でなりません。
個人的な解釈ではありますが、
これらは児ポ法などの問題にも通じるものだと思ってみていました。
結果的にどんなに低俗なものだろうが
クオリティが低いものであろうが
それがネトウヨのヘイトスピーチのようなものでない限りは
批判こそ自由として、それが「抗議」という「検閲」で
内容が「改変」される社会はとても危険なものと感じます。
当初、正直興味がなかったのですが
表現側としては凄まじい抗議を前に「明日、ママがいない」を応援したくなりました。