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DMM.make仕掛け人、 小笠原治氏に聞いた ”IoTは20年前のインターネット界隈と似ている”
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DMM.make仕掛け人、 小笠原治氏に聞いた ”IoTは20年前のインターネット界隈と似ている”

2014-12-12 12:00
    ■アキバに開設のモノづくり“秘密基地”の狙いとは?
     2014年11月11日に開設された、ハードウェアスタートアップのための開発、検証施設“DMM.make AKIBA”。最先端の開発機材や快適なワークスペースを完備。DMM.comとCerevo、ABBALab(アバラボ)という3社が共同でスタートアップ企業に支援を行なうのが特徴だ。モノづくりには、試作にしろ製造にしろ、常に資金調達がついてまわる。そこで今回は、一連の連載のなかで初の“投資家側”にご登場いただいた。いわゆるシードアクセラレーターとして投資、育成までを行なうABBALabの取り組みと、DMM.makeの狙いを訊く。

     週刊アスキー12/23号 No1008(12月9日発売)掲載の創刊1000号記念連続対談企画“インサイド・スタートアップ”、第9回はハードウェアスタートアップなどを支援するABBALabの小笠原治代表取締役に、週刊アスキー伊藤有編集長代理が直撃。

    ABBALab

    “DMM.make AKIBA”のサイトでは各階の設備などについて、詳細な情報を掲載。平日に1日2回行なわれる見学ツアーは事前申し込み不要。

    ■大好きなインターネットに飽きたころに“IoT”という言葉を見かけるようになった

    伊藤 小笠原さんはさくらインターネット創業メンバーで、その後もさまざまな事業を立ち上げておられます。コンピューターとの最初の出会いは何だったのですか?

    小笠原 実は僕の経歴のスタートは建築業界なんです。小学生のときに父親がもっていたシャープの『MZー80K』に触れたんですけど、それ以降はコンピューターとは無縁でした。

    伊藤 へえー、意外です。

    小笠原 それで、高校を卒業して建築事務所に入り、CADを覚えたいと思って買ったのがPC-98シリーズでした。そのあと、大手ゼネコンの仕事で、タイから日本にCADの図面を送信するという業務に関わって、現地の大学とTCP/IPの共同研究をしたんです。ちょうどインターネットの商業化前夜のころですね。

    伊藤 間を飛ばして通信に行ったんですね(笑)。それが、1999年の田中さん(現社長)たちとのさくらインターネットの共同創業につながったと。そのあと、今の事業へ移るきっかけは……?

    小笠原 4~5年前に「インターネットは大好きだけど、なんだか飽きたなあ」という気持ちになったんですね。実はそれで、しばらく仕事をしなくなった。

    伊藤 いいですね。放浪の旅に出たりとか?(笑)

    小笠原 六本木に“awabar”というバーをつくったりしていましたね(笑)。そうこうしているうちに、だんだんとスタートアップへの投資がおもしろくなってきた。

    伊藤 IT業界の濃い人が集まるバー経営が今につながっているんですね。

    小笠原 ただ僕は、ソーシャルゲームの会社にはいっさい投資をしていないんですよ。

    伊藤 今まで携わってきた仕事とも関連性がありそうなのにそれは意外です。

    小笠原 そうなんだけど、大きかったのはやっぱり「インターネットはちょっと飽きたな」と。というのも、すべてが画面の内側での話じゃないですか。自分自身の原体験として、その内側がすごくおもしろかったというのはあるけれど、画面の外側も気になるようになったんですね。そんな折りに“IoT”という言葉が出てきた。

    伊藤 メディアで使われ始めたのはこの1~2年ですよね。

    小笠原 そうですね。それで、僕もおもしろそうだと思い始めた。ただ、“モノのインターネット”という表現だとしっくり来ないんですよ。僕なりの解釈としては、IoTとは“物事と物事をつなぐことで新しい価値が生まれる”ということじゃないかと考えています。

    伊藤 その点、もうちょっと突っ込んで聞いてもいいですか?

    小笠原 IoTという言葉に対して、ネットインフラやハードウェア、ソフトウェアなどの業界によって温度差がある点に惹かれたんですね。その感じは、ちょうど15~20年前くらいのインターネット周辺をめぐる状況と非常に似ています。いわゆる“ジャパン・クオリティー”のモノづくりをこれまでしてきたメーカーの人たちは、今のハードウェアスタートアップがやっているプロトタイピングを格下に見ているような気配を感じるんですね。それは、かつてベテランのプログラマーたちがウェブの新しい技術、たとえばPHPなんかを格下にしていたのと同じニオイがするわけですよ。

    伊藤 あぁ、その感じ、わかります。その後、歴史がどうなったかと言うと……。

    小笠原 昔、僕らがしてほしかったような投資をやってみよう、と。だからABBALabは「プロトタイピングに投資をします」という言い方をするんですね。

    ■3Dプリンターで“ガワ”をつくれたとしてもその中身をつくれないと意味がない

    伊藤 なるほど、納得です。ちょっと時系列を整理すると、昨年7月には、DMM.comといっしょに3Dプリントのサービスを立ち上げていますが、こちらは?

    小笠原 2年前から3Dプリントに興味があって、米国のシェイプウェイズみたいな出力サービスを日本でもできないかと企画を練っていたんです。それで、昨年2月にたまたまDMM.comのオーナーさんとお会いする機会があってその話をしたら、いつの間にかいっしょにやることになっていました(笑)。

    伊藤 「話したからには、うちとやるよね?」みたいな(笑)。

    小笠原 サービスの当初の目的は、海外に流出してしまっている3D出力のニーズを日本国内に取り戻すことでした。そのうえで、どこよりも価格を安くする。あとは、DMM.comという会社がものづくりの文脈に入っていくための土台にするという意味もありました。

    伊藤 ABBALabの設立はそのあとですか?

    小笠原 2013年10月です。3Dプリントで“ガワ”をつくれるようになっても、中身がないと意味がないじゃないですか。中身をつくれる人を探す目的で、孫泰蔵さん(ガンホー・オンライン・エンターテイメント会長)といっしょに設立したんです。設立後に取り組んだのは、投資先になりうる人たちと知り合うこと。同時に、どういう投資をしたら彼らによろこばれるのかを、1年ほどかけて探りました。

    伊藤 それが今年10月になって、“DMM.make AKIBA”に結実したわけですね。

    ABBALab

    ↑プロトタイピングに必要な製作機材や試験機材がそろう、10階の“DMM.make AKIBA Studio”。操作に知識やスキルが必要な機材は、専属スタッフがサポートしてくれる。

    小笠原 DMM.make AKIBAは、未来のインディーズ・ハードウェアメーカーが育っていく場所です。DMM.comは、そのインディーズ・メーカーの物流や販売、サポートなどの業務を担っていこうとしています。つまり、ものづくりの世界におけるエイベックスや吉本興業のような存在を目指しているんですね。

    伊藤 おおー、そういうストーリーなんですね。DMM.make AKIBAでは、どんなことをしていくんですか?

    小笠原 この場所にはキーワードがひとつあって、それは“言い訳をなくす”なんです。

    伊藤 スタートアップを志す人たちに「●●がないから、製品をつくれない」をもう言わせないぞ、と。それで機材総額5億円ですか。

    小笠原 資金、時間、仲間、設備、自信、知識……。人はないものをいろいろと挙げるんですが、いちばんは「やる気が出ない」なんですよ(笑)。

    伊藤 ミもフタもない(笑)。

    小笠原 それなら「やる気が出る場所をつくるよ」というのが、DMM.make AKIBAの位置づけなんです。そのために、高価な機材を誰でも使えるようにして、知識や仲間を得られる仕組みも整えました。

    伊藤 内覧会に参加させてもらいましたが、同行した“本気系”の人たちは「設置されている機器も、いちいちランクが高い」と驚いてました。

    ■“つくりたい”と“つくれる”を持て余す人たちをひとつに溶け合わせる場にしたい

    小笠原 ABBALabとしては、IoTハードウェアに対して投資や育成を行なう“ABBALab Farmプログラム”を用意しています。プログラム参加者は“スカラーシップ”と“フェロー”に分かれるんですが、プロトタイピングを行なうのはスカラーシップで、予算型と投資型があります。

    伊藤 その違いは?

    小笠原 製品をつくりたいけれど、会社を起業したいわけではない人もいますよね。そういう人は予算型です。我々と業務委託契約を結んで製品をつくり、その権利を両者で分け合うんですね。一方、会社をつくる場合は投資型になります。会社の価値を3000万~5000万円程度だとみなして、100万~1000万円くらいを我々が投資する形をとります。

    伊藤 なるほど。フェローは何をするんですか?

    小笠原 スカラーシップを助けてくれる存在です。プロトタイピングのための調査や研究をしたり、知識とスキルの共有をしてくれることに対して、我々が報酬を支払います。

    伊藤 おもしろい。じゃあ、以前は町工場で働いていたけど、今は別の仕事をしているような人も参加できるわけですね。

    小笠原 そうです。スカラーシップは“つくりたい”を、フェローは“つくれる”を持て余している人たちなんです。彼らをひとつに溶け合わせたいんです。

    ABBALab

    ↑ABBALab Farm Program。支援プログラムは実際に投資を行なうスカラーシップと、経験者を支援者として迎えて報酬を払うフェローの2種類がある。

    伊藤 すばらしいですね。プログラムに参加するには、どうすればいいんですか?

    小笠原 さまざまなパートナーと連携して、なるべく多くの入口を用意しましたので、そこを経由して“トライアウト”を受けてもらいます。そして、スカラーシップになったあとは、1ヵ月に1回の“ジャッジ”があります。そこでは支援を継続するか、追加支援を行なうか、それとも打ち切りかを決めます。

    伊藤 プロトタイピング後の出口は、クラウドファンディングになるんですか?

    小笠原 加えて、製品づくりに入るとか海外留学といった出口も用意しています。我々が次の投資をコーディネイトすることもありますね。

    伊藤 支援期間はどれくらい?

    小笠原 最長で1年間でしょうね。なぜなら、それ以上やるんだったら、我々じゃないほうがいいと思うんです。つまり、支援打ち切りでも製品がダメなわけではなく、ABBALabのプログラムには合わなかっただけという考えなんですね。

    伊藤 なるほど。ところで、ハードウェアスタートアップにとっては、“お金の回しかた”という問題も重要ですよね。

    小笠原 そう! みんな、お金を怖がるんですよね。僕はイベントとかで話すときには、必ず「お金は怖くないんですよ」と言うことにしています(笑)。

    伊藤 そう言われても、ふつうは怖いですよ(笑)。

    小笠原 ハードウェアの場合、怖がって資金をちょっとずつ入れていくと、すぐに倒れてしまうんですよね。ソフトウェアのように、人のガマンでなんとかなるわけじゃないですから。

    伊藤 クラウドファンディングで資金を手にしても、それだけじゃ足りないというのは、やってみないとわからないですよね。何度かこの連載でも似た話を聞きます。

    小笠原 やってみないとわからないところのお金を自分で出すのは、やっぱり怖いですよね。だから、「僕らはそこを支援しますよ」という考えなんです。

    伊藤 それは心強いでしょうね。小笠原さん自身もワクワクされているでしょう?

    小笠原 今の10代や20代の人たちって、すごいんですよ。僕はもう同じチームに入ることはできないから、投資することで成長を楽しみたいという気持ちもありますね。

    ABBALab

    株式会社ABBALab 代表取締役
    小笠原治
     1971年生まれ。1996年、さくらインターネットの設立に共同創業者として参加。その後、シェアオフィス運営などさまざまな事業を立ち上げ、2013年10月にABBALabを設立。

    ■関連サイト
    ABBALAb

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