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  • 菊澤研宗氏:相次ぐ日本企業の不祥事の根底にある「黒い空気」の正体

    2025-02-12 20:00会員無料
    マル激!メールマガジン 2025年2月12日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1244回)
    相次ぐ日本企業の不祥事の根底にある「黒い空気」の正体
    ゲスト:菊澤研宗氏(慶應義塾大学名誉教授)
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     フジテレビ問題を受けて、日本の企業ガバナンスに関心が集まっている。それはフジテレビに限らず、日本で企業の不祥事が相次いでいるからだ。
     実際、企業の、とりわけ大企業の不祥事が止まらない。トヨタの認証不正やJR貨物の車軸不正は言うに及ばず、ビッグモーターによる修理費水増しによる保険金の不正請求、三菱UFJ銀行の行員による貸金庫からの金品の横領等々、近年だけでも数え上げたらきりがないほどだ。
     なぜこうも企業の不祥事が続くのか。
     慶應大学名誉教授で組織の不正に詳しい菊澤研宗氏は、日本企業の不正の背後にある日本特有の「黒い空気」の存在を指摘する。
     『空気の研究』といえば山本七平の名著だ。本書の中で山本氏は、日本の組織では誰かから命じられるわけもなく、その場の空気に支配されて組織の重要な意思決定が下される場合が多いことを指摘している。勝ち目のないアメリカとの戦争に突入していったのがその好例だが、いざ戦争が終わってみると、戦争を煽った指導者たちの多くが、実は自分は戦争はしたくなかったなどということを平気で言ってのける。日本では重要な決定が下された時、首謀者がいないため責任の所在がはっきりしないことが多いのだ。
     菊澤氏によると、その「空気」には色があり、日本ではそれが容易に「黒い空気」になりやすいのだという。では黒い空気とは何か。
     黒い空気を理解するためには、もう1つ、1991年にノーベル経済学賞を受賞したR・H・コースが生み出した「取引コスト」という考え方を理解する必要がある。取引コストとは、人々が交渉・説得・取引する際の人間関係上のコストや摩擦のことだ。これは会計上には表れない見えないコストだが、人々はこれを節約するように合理的に行動する。例えば倫理的に上司を説得するのは取引コストが高すぎると考えれば、個々の従業員は不正に手を染める選択をしてしまう。
     不正が行われる時、個々の従業員は決して非合理的ではなく、何が悪いことで何が正しいことか分かっている。しかし、不正に関わった多くの従業員は、そこで倫理的に正しい行動を取るためには多大な「取引コスト」が生じることが分かっているため、結果的に不正に流された方が合理的となる場合が多い。合理的に考えて非合理な選択を下すわけだ。
    特に日本の組織ではその「取引コスト」が欧米に比べて非常に大きくなる傾向があるために、倫理性と経済合理性が一致しない事態に直面した時、多くの人が倫理性を犠牲にしてでも経済合理性を選んでしまうというのだ。
     日本企業で命令なき不正が多い歴史的背景は、戦前まで遡る。太平洋戦争の時、アメリカとの開戦は、日本全体にとっては勝ち目のない戦争だったが、陸海軍にとってはそれぞれ合理的だったという。そのため陸海軍は不条理な「黒い空気」に支配され、合理的に失敗したと菊澤氏は言う。
     当時、アメリカとの戦争を回避するために満州から撤退すれば、これまでに満州で得た全ての権益を失い、そのために多大な犠牲を強いられてきた国民の反発は免れない。また、軍の弱腰に業を煮やした青年将校から2.26事件のようなクーデターを起こされる可能性もあった。そのため陸軍の上層部にとって、今さら国民や陸軍内部を説得するのは「取引コスト」が高すぎた。
    海軍も、備蓄わずかの石油をアメリカから輸入するためには陸軍に満州から撤退してもらう必要があったが、陸軍を説得するにはあまりにも「取引コスト」が高く、それは事実上不可能だった。
     往々にして日本の組織を覆いがちになる「黒い空気」を浄化するにはどうすればいいのか。組織内の取引コストを節約するには、まずはものを言える文化を作る必要があると菊澤氏は言う。その上で、最終的にはエマニュエル・カントが提唱した「実践理性」やマックス・ウェーバーが「価値合理性」という言葉で説明したような、組織のリーダーが倫理的な正しさを判断しそれを行動に移す能力を備えていることが不可欠になると言う。
     なぜ日本企業の不祥事が止まらないのか、不正の温床となる「黒い空気」とは何か、黒い空気を生む取引コストとは何で、日本の組織はなぜ取引コストが高いのか、どうすれば黒い空気を浄化できるのかなどについて、慶応義塾大学名誉教授の菊澤研宗氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・なぜ日本の組織では命令なき不正が起こるのか
    ・カント哲学の「実践理性」が合理的な不正を抑止する
    ・企業が変わるためのダイナミック・ケイパビリティ
    ・指導者に求められるのは価値判断の能力
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    ■ なぜ日本の組織では命令なき不正が起こるのか
    神保: 今日の入り口としては、フジテレビに限らず企業の統治やガバナンスということになると思います。経営論からスタートするものの、宮台さんもいるので、おそらく哲学論のようなものになると予想しています。経営論なのにマックス・ウェーバーやカントが出てきて、その思想が日本はないことが、戦争でも企業経営でも弱点になっていたということです。
    ゲストは慶應義塾大学名誉教授で、現在は城西大学大学院の経営学研究科長の菊澤研宗さんです。菊澤さんが書かれた『指導者(リーダー)の不条理』を読み、話を聞きたいと思っていたところでフジテレビ問題が起きました。先生のご専門としては、どういう説明の仕方をすれば良いでしょうか?

    菊澤: 組織を経済学的に分析する組織経済学、あるいは組織を制度論的に説明する研究がもともとの専門です。しかしその研究をしていると経済学や理論による説明の限界が見えてきて、その限界を超えていくために哲学の方に行かざるを得ず、経営哲学などにも関心を持ってやるようになりました。その制度論の1つがコーポレートガバナンスになります。

    神保: 今回はフジテレビで問題が起き、会社の存亡の危機といってもいいような状態になっています。全国ネットの放送局はNHKを入れると6つしか存在しないのに、そのうちの1つでCMがほとんど流れていないんです。
    昭和天皇が亡くなった時や震災の時などにACの広告が出たことはありましたが、不祥事によって1社だけがこんなことになるという前代未聞のことが起きています。まず総論として、先生のように会社の経営学や組織論をやっている方は今回のフジテレビの不祥事をどのように見ていますか?

    菊澤: フジテレビに限らず日本の色々な不祥事を見ていくと、上からの命令によって起きているわけではないという特徴があります。言い方を変えると、いつも本当の首謀者がはっきりしないということです。大抵の場合は社長が出てきて、私は知りませんでしたとか、私は指示した覚えはないなどと言うケースが多く、そうなると裁判もできません。
    もっとはっきり言うと、こういう日本的な事象に関してコメンテーターやメディアの方は「コンプライアンスが欠けている」とか、「ガバナンスが効いていない」といったことを反射的に言うのですが、首謀者が分からないのにガバナンスが効くわけがありません。アメリカを真似してコーポレートガバナンスの制度を修正してきましたが、首謀者がはっきりしないので無理なんです。フジテレビの問題でも、おそらく社長は自分がやっているという気は全くないと思います。 
  • 砂川浩慶氏:フジテレビ問題が露わにした放送という利権産業の堕落と終焉

    2025-02-05 20:00会員無料
    マル激!メールマガジン 2025年2月5日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1243回)
    5金スペシャル フジテレビ問題が露わにした放送という利権産業の堕落と終焉
    ゲスト:砂川浩慶氏(立教大学社会学部教授)
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     月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回は通常の番組編成で、立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏をゲストに、フジテレビ問題をきっかけとして、日本の放送行政が抱えている根本的な問題について議論した。
     フジテレビの幹部が自社の女性社員をタレントの中居正広氏に引き合わせ、その後両者の問で性被害問題が発生していたにもかかわらず、その事実を隠したまま中居氏を番組の司会として1年半以上も起用し続けたことが、社会問題にまで発展している。フジテレビ側のその後の対応の稚拙さも手伝って、70を超える主要な企業スポンサーがCMの放送を辞退し、ほとんどの番組にCMが流れないという前代未聞の異常事態となっている。
    まさに民放放送局にとっては命綱といっても過言ではないスポンサー離れにより、フジテレビは存亡の危機に陥っているといっても過言ではないだろう。
     事案の性格上、巷では性被害の事実関係や事件そのものへのフジテレビ幹部の関与などに関心が集中しているが、この問題の根幹にはより大きな構造的問題がある。それは放送局という政府によって極めて手厚く保護された免許事業を営む事業者が、数々の特権の上にあぐらをかいたまま安直な企業経営を繰り返してきたことで、ガバナンスも経営能力も極度に低下しているということだ。今回の事件ではそのツケがいよいよ回ってきたと考えるのが妥当ではないか。
     中居氏の問題が表面化する前から、日本の放送業界、そして放送行政が重大な問題を抱えていることは明らかだった。それは売り上げの減少や番組の劣化、視聴時間の減少などから見ても明らかだ。そろそろわれわれは、電波の有効利用という意味からも、テレビの終わらせ方を真剣に考えなければならないところまで来ているのかもしれない。
     今回の事件では、トラブルの内容やその後の局側の対応の稚拙さが明らかになればなるほど、数少ない地上波免許を付与された、日本を代表する放送局であるフジテレビが、企業ガバナンスや当事者意識、そして人権意識が国民の有限で希少な資源である放送電波というものを委ねるのに値するとは到底思えないレベルにあったことが露わになっている。
     日本では、極めて希少性が高く、よって価値の高い資源である放送電波を、政府が直接放送事業者に割り当て、占有させている。放送免許を政府が直接付与している国は、少なくとも先進国では日本だけだ。他の国で放送免許を付与する権限が独立した第三者機関に委ねられている最大の理由は、報道機関としての機能をも担う放送局にとって、もっとも厳しく監視をしなければならない対象である政府から免許を与えられ、事実上政府に生殺与奪を握られているようでは、報道機関としての本来の機能を果たせるわけがないことが明らかだからだ。
     実際、日本では政府から言論機関である放送局に行政指導という名の介入が日常的に行われている。これは憲法21条に違反する可能性が高いが、放送局側がその違法性や違憲性を訴え出ないために、一向に問題にならない。そもそも免許というとてつもない利権を与えてくれている役所相手に、抗議したり裁判に訴え出ることなどあり得ないのだ。
     政府が直接放送免許を付与している日本では、自ずと放送に対する政府の介入の度合いは強くなるが、その分、放送局側は政府から様々な特権や保護を当たり前のように受けることができる。つまり政府と放送局はギブ・アンド・テイクの関係にある。他の国では放送電波まで電波オークションの対象にしたり、放送局に電波の管理責任を負わせる一方で、番組制作については一定の比率を外部の制作会社に委ねることを義務づけているような国もある。
    いずれも権限を放送局に集中させ過ぎないことと、より視聴者、つまり国民に寄り添った番組制作が行われることを意図した施策だ。しかし、日本では電波も番組制作も、つまりソフトもハードも放送局が100%独占することが許されている。これは他に例を見ないほど強大な権限にして利権である。
    また、BSやCSなど新しい衛星放送が始まったり、放送のデジタル化によってチャンネル数が増えた時も、新たな電波が既存の地上波放送局に当たり前のように割り当てられ、まったくそれが問題視されることはなかった。これは他の先進国では決して当たり前のことではない。
    しかし、新聞とテレビが系列化している日本では、メディア上でもそのあたりの議論はまったく皆無だった。新聞とテレビが系列化する「クロスオーナーシップ」も、多くの先進国では決して当たり前のことではない。
     また、フジテレビには放送行政のトップを務めていた山田真貴子氏を含め4人の総務官僚が事実上の天下りをしているが、免許を付与するばかりか箸の上げ下ろしまで放送局に介入してくる放送行政の当事者である総務省の中で、放送業界を担当してきた上級幹部を役員や顧問に迎えることは、どう考えても利益相反が生じる行為だ。しかし、これもまた日本ではほとんどまったく問題視されていない。
     事ほど左様に放送局は政府と二人三脚の蜜月関係にあり、またその分、甘えの構造の中で温々と事業を営むことが可能になっている。そもそも半世紀もの間、新規参入企業が1つもない産業など、放送業界をおいて他にあり得ないだろう。
     これはフジテレビに限ったことではないが、フジテレビの日枝久氏のような長年トップに君臨する「天皇」と呼ばれるような絶対的な存在が生まれやすいのもテレビ業界の特徴だが、それは強い政治的コネクションを持った長老に放送局の利権を護って貰う必要があるからだ。
     さらに、フジテレビは利益の6割以上が不動産など放送以外の事業に依存している。電波という希少資源を付与されながら、有効に活用できていないのだ。それは株式市場が放送局の経営者に対しては非常に低い評価を下していることからも見て取れる。番組内容の低俗化や劣化は言うに及ばず、今回の事件に限らず、不祥事も後を絶たない。そのような会社や経営陣に国民の希少な資源である電波を付与し続けることが本当に市民社会の利益に適っているかどうかを、そろそろわれわれは真剣に考えるべき時が来ているのではないだろうか。
     フジテレビ問題を奇禍として日本は利権と甘えの温床となってしまった放送行政のあり方を見直すことはできるのか。国民の有限の資源である放送電波を無駄にしないで有効活用するためには何が必要なのかなどについて、立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・メディアの根本的問題を露呈したフジテレビ問題
    ・政府による放送免許の付与が生む甘えの構造
    ・経営陣刷新への期待でむしろ上昇するフジテレビの株価
    ・民放再編の可能性はあるのか
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    ■ メディアの根本的問題を露呈したフジテレビ問題
    神保: これまでもわれわれは不祥事の有無に関係なく、放送免許や放送法の問題、またフェアネスドクトリンなどのメディアの問題について取り上げてきました。そもそも日本の放送行政は根本的な問題を抱えているので、これを何とかしなければ不祥事も絶えず、そもそも放送の内容がどうにもなりません。それらの極めつけの例として今回のフジテレビ問題が起きているということですね。

     ゲストはメディア政策や放送法、放送ジャーナリズム論などがご専門の立教大学社会学部教授の砂川浩慶さんです。この問題についてちゃんと指摘する人が日本にはあまりおらず、メディアにとって不都合なことを言っても自分に得がないと思っている人が多いのですが、砂川さんは事実関係をしっかりと言ってくれるので頼りにしています。

     メディアの問題については散々議論してきましたが、今回は放送局がこれだけ大きなニュースの争点になっています。性被害事件やガバナンスが問題として取り上げられていますが、それはある意味で氷山の一角であり、放送事業は根底にもっと大きな問題を抱えています。
    普段は放送内容のひどさや、大事なことをきちんと報じないことなどに問題が表れますが、今回はそれがもっとひどい形で出たと感じます。まず放送行政や放送業界を長く見ている砂川さんは、テレビ局がこういう形でパブリックエネミーのようになり、ACのCMしか流れていないような状態をどう見ますか。これは過去に昭和天皇が亡くなった時くらいですよね。

    砂川: あとは東日本大震災の後ですね。

    神保: 震災と天皇崩御と同じような状態が、フジテレビだけで起きていると。

    砂川: 前代未聞ではあります。それだけ1月17日の第1回目の記者会見がひどかったということで、そのために今週の10時間半の会見を行わざるを得ませんでした。感じたことは2点あり、まずは40年の日枝体制の膿が出たということ。もう1つは、一般企業と放送業界の女性に対する人権意識が、特にこの10年で乖離したということです。
    今週会見していた人は、なぜそれが問題なのか分からないくらい女性社員を同席させることに対して抵抗がないのですが、今やそれは許されません。大学業界も似たようなことがあり、立教大学でもニュースキャスターのようなことをしている教員がいたのですが、そのゼミの合宿では、女性は浴衣着用などと平気で言っていました。
    私の学部にある3学科では学科長が全員女性で、これは非常にありがたいことであり、色々な形で助けていただいています。

     しかしフジテレビの記者会見でひな壇にいたのは全員男性で、司会をした上野広報局長も男性です。社外取締役会の委員会ができましたが、皮肉なことに女性は1人だけで、その人は天下りです。 
  • 前嶋和弘氏:トランプ2.0はどこまで突っ走れるのか

    2025-01-29 20:00
    550pt
    マル激!メールマガジン 2025年1月29日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1242回)
    トランプ2.0はどこまで突っ走れるのか
    ゲスト:前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)
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     トランプ2.0が始まった。
     1月20日、極寒のワシントンで大統領就任式が行われ、ドナルド・トランプ元大統領が第47代大統領に返り咲いた。トランプ新大統領は宣誓式の直後からバイデン政権の政策をことごとくひっくり返す大統領令への署名に着手し、地球温暖化を阻止するためのパリ協定からの離脱やWHO(世界保健機構)からの離脱を命じた他、2021年1月6日の議会襲撃事件の被告や受刑者1,500人あまりを一斉に恩赦した。トランプが署名した大統領令は初日だけで26にのぼった。
     この4年間トランプにとっては頭痛の種だった自身の刑事事件も事実上不問に付され、今や世界の最高権力者の座に再び上りつめたトランプは、もはややりたい放題。怖いものなしで我が世の春を謳歌しているかのように見える。
     しかし、上智大学総合グローバル学部教授の前嶋氏は、トランプにとっては大統領に就任したその日が権力のピークであり、ここから先は着実にレームダック化の道を進むことにならざるをえないだろうと語る。
     まずそもそもトランプは決してアメリカ国民の圧倒的な支持など得ていない。アメリカは今完全に分断されていて、その約半分を占める共和党支持者からは熱い支持を受けているが、残る半分の民主党支持者からはほとんどまったく支持されていない。実際、大統領選挙も一般投票では僅か1.5%と僅差の勝利だったし、議会選挙も共和党が制したものの、その差は上下両院ともに僅差だ。
     実際、トランプが初日に署名した大統領令のほとんどは予算措置を必要としないものばかりだった。予算が必要になる施策は議会の承認が必要になる。議会の上院は共和党が60議席を押さえられていないため、民主党のフィリバスター(議事妨害)にあえば、予算案は通らない。また、アメリカの議会は議院内閣制の日本と異なり基本的に党議拘束がないため、与党共和党の全議員がトランプのすべての政策を支持しているわけではない。
     結局のところ、初日の大統領令のラッシュは、予算措置を伴わず簡単に出せるものの中から、悪目立ちするアナウンス効果が大きなものを選んで署名した、パフォーマンスに過ぎなかったことが透けて見えると前嶋氏は言う。トランプ政権の基盤は決して盤石とは言えないというのが前嶋氏の見立てだ。
     また、トランプが初日に署名した大統領令の中には、今後法廷で覆されるものも多く出てくるものと見られている。例えば、トランプは初日にアメリカで生まれた人に自動的に市民権を与える「出生地主義」の廃止を命じる大統領令に署名しているが、これに対してワシントン州シアトルの連邦地裁が早くも23日には、これが憲法違反であるとして一時的な差し止めを命じている。
    アメリカの出生地主義は憲法修正14条に明記されているため、憲法を変えない限り大統領令だけでこれを変更することができないことは、小学生でもわかることだ。他にも初日にトランプが署名した大統領令の中には、法的な挑戦を受けるものが数多く出ることが予想されている。
     しかし、トランプが大統領として2021年1月6日の議会襲撃事件に関与した約1,500人を恩赦したことの影響は計り知れない。大統領には恩赦権限がある。これもまた憲法に明記されている。なので、この決定に対しては誰も何も言えない。しかし、この中には議会襲撃の際に暴力的な行動によって禁錮22年の実刑判決を受けた極右団体「プラウド・ボーイズ」の元指導者エンリケ・タリオ氏なども含まれている。
    J-6(1月6日の議会襲撃事件)については、直前に襲撃を煽動するかのような演説を行ったトランプ大統領(当時)の刑事責任については議論の余地もあろうが、実際に何千人もの暴徒が議会を襲撃し警備員ら5人の命が失われたほか、議会の施設が破壊され全連邦議員が緊急避難をしなければならない事態に発展したことは紛れもない事実だ。その罪まで大統領のペン1つで不問に付されて本当にいいのか。それがアメリカの司法に対する信頼や社会正義にどのような影響を与えるかは、今後注視していく必要があるだろう。
     実は、バイデン前大統領は退任間際の1月20日、トランプに起訴される恐れのある人々に「予防的恩赦」を与えると発表している。まだ起訴されていなくても、トランプに起訴されたときのために事前に恩赦しておくというのだ。大統領のためであればどんな違法行為も大統領恩赦によって許され、もしも政権が変わることになれば、次の政権から訴追されないために予防的恩赦で予め免罪符を手にすることができる。
    このような施策が横行してしまえば、大統領にさえ守られていればどんな違法なことをしても訴追されないという、とても恐ろしい時代になってしまう。アメリカの刑事司法、いや民主主義はどこまで崩れていくのだろうか。
     トランプ大統領就任から1週間、アメリカで何が起きたのか。トランプはどこまで本気なのか、トランプ第2次政権はどこまで突っ走るのか、そしてその結果、アメリカはどう変わっていくのかなどについて、上智大学総合グローバル学部教授の前嶋和弘氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・前代未聞の党派的な大統領就任演説
    ・次々と署名した大統領令のねらいとは
    ・レームダック化が避けられない第2次トランプ政権
    ・「ハイテク産業複合体」がもたらすのはディストピア時代か
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    ■ 前代未聞の党派的な大統領就任演説
    神保: アメリカ時間の月曜日、日本時間では火曜日にトランプ政権が発足し、この1週間は4年分のことをすべてやってしまったくらい目まぐるしい1週間でした。今日のゲストは上智大学総合グローバル学部教授の前嶋和弘さん、トランプ現象についてお聞きするならこの方だということでかなり前から出演をお願いしていました。

     トランプ2.0発足の1週間を見ていきたいと思います。今週の1月20日に4年のブランクを経て再選されたトランプ政権が発足しましたが、まず就任演説を見ていきます。「黄金時代が始まった」、そして「世界から尊敬される国になる」ということをしきりに言い、アメリカ第一主義を掲げました。そして民主党がこういったアメリカの良いところを奪おうとし、挙句の果てには自分の命まで奪おうとしたけれど、自分は神に救われて神の命ずるままにここにいるという発言もありました。
    またコモン・センスの回復ということも語り、これは日本語では常識などと訳されるのかもしれませんが、トマス・ペインの『コモン・センス』という本はアメリカの高校生であれば必ず読むもので、これが大文字になると特別な意味を持ちます。

    宮台: 共通感覚ということです。

    神保: 違法移民の送還、「メキシコ湾」の名称を「アメリカ湾」に変えること、ジェンダーは男性と女性のみでLGBTQなどは認めないこと、また米連邦職員を徹底的に自分の言う通りに動かし、そうしない人については内部告発させる仕組みを作り、場合によってはクビや訴追にするということまで言及しました。
    良い意味でも悪い意味でも歴史に残る異例の就任演説だったと言われていますが、まずはスピーチ自体をどのように見ますか。

    前嶋: 2つ思ったことがあります。まず言葉が簡単で、自分の支持層に訴える演説のようですよね。民主党側を腐す発言をすると共和党側がスタンディングオベーションするような、選挙演説や一般教書演説のような演説でした。

     2つ目は、神という言葉を使っていることです。自分は神様に選ばれてこういう政策をしていると話していて、2025年1月20日は解放の日だと言っています。横にバイデンがいるにもかかわらず、神から命じられて人々を民主党から解放すると言っていて、非常に党派的な演説でした。

     一方、歴史的に見ると、アメリカファーストを謳った2017年1月20日の演説と同じように結構スクリプトを読んでいたので、平たい言葉を使っていてトランプ的だとは思いますが、普段の演説とは違うんだなと思いました。しかし一番大きなポイントは、一般投票だとトランプに投票したのは49.9%、ハリスは48.4%で、1.5ポイントしか差がないということです。